2009年12月31日木曜日

2009年大晦日 - 静岡の誇り

2009年最後の一日です。今年は、熱海での中学のクラス会に始まり、同じく熱海での高校のクラス会で締め括るという昔辿りの一年になりました。その間に、小学生以来の入院あり、職場が変わったりで、これまでの人生が如何に健康に恵まれ、出会いに恵まれていたかを改めて実感した一年でもありました。・・・・と、本来ならば、大掃除をしながら、一年を振り返って、もの思いに耽るべき日なのでしょうが、高校サッカーが年末から始まるスケジュールになってからは、静岡代表の応援が恒例になってしまいました。
今年の静岡代表は藤枝明誠。初出場ながら、全日本ユースベスト8の実績でダークホースに挙げられています。対戦相手は出場38回目の古豪徳島商業。藤枝明誠は、前半2分に先制したものの、前半21分にカウンターからのループシュートで同点に追いつかれ、1-1のままPK戦(写真)で辛うじて初戦突破を決めました。徳島商業は、スピードに乗った大きな展開のカウンターで、いいサッカーをしていました。片や藤枝明誠は、カウンターを警戒する余り、中盤を省略したロングボールとドリブルに終始し、本来のパスサッカーを展開出来ず仕舞い。静岡サッカーの典型的な負けパターンでした。リズムをつかめないと、ボールを持ち過ぎたり、逆にダイレクトパスにこだわって、更にリズムを崩してしまう。技術は依然高いレベルにあるものの、スピード面に関しては、今や全国の平均レベルの域を脱していないのではないでしょうか。テクニックとスピードを兼ね備えた静岡代表が今後登場するのか、それともサッカー王国静岡は過去の伝説となってしまうのか。ただ、駒沢陸上競技場の応援席は、一回戦にも拘わらず、藤枝明誠側は、メインスタンド、バックスタンドともに満席でした。これが、静岡のプライドです。スタンドでは、サッカー王国静岡は健在です。2回戦は、初戦5-0で快勝した名門国見。1回戦の戦いぶりを見た限りでは、国見が圧倒的に有利ですが、1日でチームがガラっと変わってしまうのが高校生のチーム。静岡代表らしいパスサッカーを見せて欲しいものです。
1月2日の会場は西が丘。啄木が停車場(上野駅?)の人ごみに聴きに行ったように、応援スタンドにふるさと訛りを聴きに行くつもりです。

2009年12月24日木曜日

Merry X'mas - ゴン・サンタは札幌に

ゴン中山サンタ(写真)は、札幌に舞い降りました。熊本での藤田俊哉との熟年ホットラインは魅力でしたが、結局は、医療体制などバックアップ体制の充実を重視して、南ではなく、北を選択したようです。札幌コンサドーレのサポーターには最高のクリスマスプレゼントになりました。北の大地で燃焼し尽くして、ゴン魂でコンサドーレをJ1昇格に導いて欲しいと思います。
もうひとつうれしいニュース。小野伸二が清水に戻ってきます。清水の至宝、天才シンジが清水商卒業後、清水を離れて宿敵浦和に去ってしまったのが、1997年。13年振りに清水に戻ってきます。シンジ自身も、選手キャリアの最後は清水でと決めていたようです。一時はリーグの優勝争いを演じていたエスパルスが終盤失速してしまったのは、経験を積んだベテランの層が薄いことも一因です。シンジが加われば、いい精神的支柱が出来ることになります。
ただ、今の運動量の少なさ・守備意識の低さでエスパルスのサッカーにフィットするかという点は不安無しとはしません。伊東というダイナモが小野とうまく噛み合って、小野の持ち味を引き出してくれるのを望むばかりです。シンジには、清水のべロン(エストゥディアンティス)になって、清水の久々のタイトル奪取を実現して欲しいものです。また、エスパルスは何としても天皇杯で優勝して、ACL出場の最後の切符を手に入れ、シンジ活躍の舞台を広げてもらいたいものです。
シンジが復活を遂げ、代表復帰を果たし、W杯で和製べロンとなり、和製メッシの岡崎とのエスパルスコンビで、日本をベスト4に導く・・・・・。夢は広がるばかりです。

2009年12月21日月曜日

クラブW杯決勝 - 岡崎、決勝弾!

日本時間20日未明。眠い目をこすりながらのTV観戦。でも、いいものを見せてもらいました。延長戦後半開始5分。それまでの110分間気配を殺していたとしか言い様がない程、精彩を欠いていたメッシが、突然スペースを駆け抜け、右からのクロスボールを泥臭く胸で押し込むという、「岡崎」ばりのゴール(写真)。岡崎自身もきっと自宅で同時観戦していたと思います。日本代表のエースは、このメッシのゴールをしっかりと目に焼き付け、イメージをしっかりと頭に叩き込んで、まずは天皇杯準決勝・決勝に臨んで欲しいと思います。そして、来るW杯本戦で、メッシのゴールを再現して欲しいと思います。
色々教訓を与えてくれたゲームでした。ボールを支配し、ゲームを支配していれば、最後には結果がついてくるということ。ボールを動かし続けることが、どれだけ相手のスタミナを奪い、最後のチャンスは必ず訪れるということ。但し、その際の決定力が、勝敗の分岐を決するということ。粘強い守備、そして、ワンチャンスをものにする集中力があれば、ギャラクシー軍団を瀬戸際まで追い込めるということ。日本代表にバルサの領域を目指せとはいえませんし、エストゥディアンデスの堅守を求めるべくもありませんが、このクラブW杯決勝のゲームは、日本代表が目指しているものが決して間違ってはいないことを教えてくれたのではないかと思います。
それにしても、下馬評の圧倒的に不利な中で、終了1分前までバルサを追い詰めたエストゥディアンデスの戦いぶりは見事でした。特に、34歳のベテラン、べロンの勝利への執念は鬼気迫るものがありました。それでも勝てないのが、この世界レベルです。もはや世界のサッカーはそうそう番狂わせが起きないレベルに達しています。昔の高校サッカーのように、圧倒的に攻め続けていた優勝候補校が初出場校にロングボール1本でゴールを奪われて涙を呑み、アナウンサーが「これだからサッカーは面白い」という決り文句を繰り返すようなシーンは、最近の高校サッカーでさえも珍しくなりました。勝つべくして勝ち、負けるべくして負けるのがサッカーです。日本代表としては、あと半年、しっかりとオシムサッカーの上積みを図り、W杯本大会に平常心で臨むのみです。結果は別物と考えましょう。その時代の自らの世界での位置を測る場がW杯でもあります。

2009年12月18日金曜日

W杯戦績予想 - 3位決定戦は放送無し?!

対戦相手が決まり、巷でもW杯戦績予想が始まりました。岡田監督の4強入りという目標公約は民主党のマニフェスト並みにマスコミからは信頼されていないようです。先日行われたTV局間での放映権割振りで、岡田監督の目標設定は全く無視で、3位決定戦放映は見送りということになってしまいました。それはまだしも、フジテレビは、E 組2位とF組1位の決勝戦第1回戦の放映権をあえて放棄して、ブラジル対ポルトガルという予選リーグのカードの放映権を選択しました。確かにサッカーファンとしてはカカvsCロナウドという必見の好カードではありますが、その選択の裏には日本が予選突破する可能性は低いとの計算が働いたのだと思います。マスコミの正直な予想は、ドイツ大会並みの成績といったところなのでしょう。
確かに、組合せはドイツ大会以上に厳しく、代表選手の個々の能力はドイツ大会以下という2元方程式からすると、答えは、ドイツ大会以下=3連敗、予選敗退ということになります。しかし、ここにオシム監督-岡田監督(写真)によって築かれた戦術・組織力という変数が加わると解が異なってくる、というのが代表サポーターの期待です。フランスW杯戦士相馬町田ゼルビア(JFL)新監督の予想は「1勝2分での予選突破」と、私の「1勝1敗1分で予選突破は天運任せ」よりはやや強気。登山・温泉旅行の統率者で森林インストラクターのN隊長は、「3分けの勝ち点3」そして「オランダが2勝1分で、日本は2位で予選突破」という大胆予想(?)を打ち出しています。3分けでの予選突破を果たしたチームは過去4チーム。3分けで涙を呑んだのは4チーム。予選突破確率は50%です。82年スペイン大会で、イタリアは、カメルーンと3分の勝ち点3で並び、予選敗退の危機でしたが、得点差1点差で辛うじて救われ、その後、快進撃で見事優勝を果たしています。1990年イタリア大会では、アイルランドがオランダと3分けの勝ち点3で並び、得点・失点も同じで、結局抽選で予選通過を決めています。アイルランドは決勝トーナメントでもルーマニア相手にスコアレスドローを演じ、PK戦で勝ち抜け、ベスト8となっています。「3分けでの予選突破、そして、ベスト4」というのが、十分可能性のあるシナリオであることは歴史が証明しています。と、W杯トレビアっぽくなってしまいましたので、この辺りで。

2009年12月15日火曜日

坂の上の雲

「坂の上の雲」は司馬遼太郎の作品群の中で最も好きな作品です。そこには「歴史小説」というジャンルを超えた文学性と史実性が具備され、正に司馬文学の最高峰といえるのではないでしょうか。その壮大なドラマは、生前、作者が「軍国主義に利用される可能性がある」として許諾しなかったこともあり、映像化はありえないとされていましたが、今回遂にNHKによりドラマ化されることとなりました。「天地人」のイケメンオールスターキャストの酷さとの対極で、キャストがまず出色です。阿部寛の好古は上杉謙信の何倍も適役。モックンの真之、香川照之の正岡子規は本人以上に本人の感があります(写真)。その中で思いっきり存在感を発揮しているのが菅野美穂の正岡律。先日の放送で、真之を追って、着物の裾を手で押さえながら、あぜ道を駆け抜けていくシーンには、言い知れぬ感動を覚えました。元々感性に優れたいい女優さんですが、裾を押さえて走るというちょっとした演出を、数倍に研ぎ澄まして素晴らしいワンシーンに仕立て上げていました。
実は、昨日、中学時代のミニクラス会を大久保のディープな台湾料理「菜心」で行いました。建築士Mさんは先日大連出張の際、203高地に登ってきたとのこと。幼稚園時代からの友人のK映画監督も、菅野美穂の律役はお気に入りの由にて、やはり、裾を押さえながら駆けるシーンは素晴らしかったと大絶賛していました。まさか、あのピンポイントのシーンを語り合える人がこんなに身近にいようとは思ってもいませんでした。このちょっとした驚きのエピソードが拡張子(.mpg)となって、あの菅野美穂のワンシーンは記憶のHDDにしっかりと書き込まれることとなった訳です。記憶というのは不思議です。K監督が映画の道を志したのは高校3年生の時だといいます。ただ、以前のクラス会でK監督が想いを寄せていたS子さんが「Kクンは、中学の頃から映画監督になりたいって言っていたものネ」と証言していました。どちらが正しいのかは知る術もありませんし、その必要もありません。我々は無数の色に染まった記憶のエーテルの海の中で生きているのです。そして、今、この瞬間は正しい記憶の上に成り立っているのではなく、美しい記憶の行き着くところとして存在しているのです。それは、ちょうど、明日が、「のぼりゆく坂の上の青い天にかがやく一朶(いちだ)の白い雲」として存在しているように。

「楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながら歩く。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。」(「坂の上の雲」第1巻あとがきより)

2009年12月5日土曜日

プランと現実

W杯組合せ抽選は午前3時頃。生憎、金曜日は夜の会合が入っていたので、一次会で切り上げ、11時には就寝、3時に起床、組合せ決定後山本さんの解説を聞いて、5時に仮眠、7時に起きて、朝のニュースをザッピング・・・のプランでした。ところが、帰宅途上たまたま出くわした友人と二次会に行き、家にたどりついたのは12時過ぎ、このまま起きていようとプランを変更し、「タモリ倶楽部」を見始めたものの、さすがに睡魔に勝てず、1時過ぎにダウン。目覚ましでかろうじて3時に起きるものの、山本さんの解説途中で2度目のダウン。目が覚めたのは、朝のニュースがひとわたり終わってしまった後でした。プラン通りというのはなかなか難しいものです。
さて、日本。かなり難しい組に入りました。松井を育てた「師匠Kさん」から、「2勝1分の予選突破、決勝トーナメントでイタリアとの対決」という志の高い予想を早速メールで頂きました。ただ、実力差を冷静に判断すると、3連敗というのが最もありうるシナリオでしょう。それをどう予選リーグ突破に変えていくか。岡田監督のプランが問われます。初戦、カメルーン戦。とにかく勝ち点1を目指して、0-0での引分けで良しとするのが、定石でしょうが、ここは、2戦目を考えず、とにかく勝ちにいきましょう。「皇国の興廃この一戦にあり」というところです。ここで勝てれば、オランダ戦は派手な打合いで惨敗でも良し。デンマーク戦は守り合いで、分け。予選突破は、天運にまかせましょう。何やら、12年前の岡田監督の1勝1敗1分けプランになってしまいましたが、プラン通りに行かないのがサッカー。ただ、しっかりしたプランを持たなければ、プラン以上の結果は望めないのもサッカー。まずは、3ヶ国の超強力FWをどう抑えるかからプランを練らねばなりません。

2009年12月3日木曜日

いよいよ! W杯モードに

日本時間5日未明にW杯南ア大会の組合せが決まります。いよいよ、W杯ムードが高まってきました。先だって行われたポット分けでは、フランス、ポルトガルがシードからはずれました。という訳で、日本がスペイン、カメルーン、フランスという死の組に入る可能性もある訳です。日本開催以外での1勝、予選突破という最低目標クリアを狙うなら、南ア、ウルグアイ、スロベニアというドングリの背比べ組がいいのでしょうが、そんなさもしい根性では、ベスト4という高い志に反します。スペインははずせません。俊輔他日本代表の選手も口を揃えて戦いたい相手として挙げています。取り敢えず、苦手なアフリカ勢は避けて、ウルグアイに加わって頂きましょう。第4ポットからは思い切ってフランスでどうでしょうか。この組は、スペイン、フランスの欧州勢で決まりという大方の予想を覆して、1戦目(アイルランドサポーターの熱烈な応援を受けて)フランスに逆転勝ちのサプライズ。余勢を駆って2戦目ウルグアイも撃破。お互い予選突破を決めて臨んだ第3戦は、壮絶な打合いの末、惜敗。2勝1敗で予選リーグ突破というのはどうでしょう。
ちょっと楽観的過ぎるかもしれません。予選リーグは、ガチガチの守備的なゲームになるでしょうから、決定力アップとDFのかなりの強化を図らない限り、勝抜けは難しいでしょう。久々に来日したオシム(写真)が言っています。「日本代表はトランポリンを使って大ジャンプをする必要があるだろう。」そして、こうアドバイスしています。「これからの試合はすべてW杯のシミュレーションとして臨むべきだ。」サポーターもギアをW杯モードに入れて、"All for 2010"!!

2009年11月26日木曜日

変わらないもの - 35年後のロブショット

先週の白子海岸でのテニス合宿に続いて、今週は熱海でテニス&ゴルフでした。一度やってみたいと思っていたのですが、高校時代のクラス会で実現しました。
泊りがけのクラス会に集まったのは先生1名と生徒13名。健康問題や両親の介護や親類の法事などで参加が叶わなかった方が少なからずいたのが残念でした。もう、そんな年頃です。
宴会前にテニスコートに集まったのは4人。歯科医のUさん曰く「高校時代の運動音痴3人組が集まったね」素直には肯けないものの、当らずとも遠からず。「そういえば、マラソン大会でビリだった」とSuさんの告白。もう一人のSiさんは高校時代はテニスとは縁遠い柔道部。そんな4人が35年後に熱海でテニスをしているという設定は、村上春樹にも書けないと思います。人生は不思議です。そして素晴らしい。35年のそれぞれの年月が凝縮されたような味わい深いストロークやロブでのラリーの応酬は、それだけで何時間の語合いにもまさるコミュニケーションでした。
宴会の後は、35年ぶりのトランプのナポレオン。当時、全国の高校で流行っていたことは、先週の白子海岸での合宿の際確認済み。ルールも携帯サイトで確認済み。最初はなかなか要領を思い出せなかった面々も、30分もすると高校時代の休み時間モードに戻っていました。当時のクラス名物だった通路スペースでの雑巾サッカーはさすがに再現出来ませんでしたが。
翌日は、名門熱海ゴルフ倶楽部(写真は打ち下ろしの1番兼10番ホール)で無理を言って5人1組でのラウンド。最後は、連休最終日の大渋滞に巻き込まれて、Siさんとの5時間のドライブ。柔道一直線のSiさんがユーミンファンだったことを初めて知りました。ジューシーな旨味がたっぷりと詰め込まれたメンチカツのような、とても懐かしい味わいのある、とても贅沢な2日間でした。高校時代と少しも「変わらない」仲間達に囲まれ、その仲間達がどんなに「素晴らしい」仲間達であるかを再発見した2日間でもありました。「素晴らしさ」というものは、「変わらないもの」であり、「変わらないもの」は本当に素晴らしいものなのです。

2009年11月22日日曜日

印象・日の出@白子海岸

先週末、白子海岸のテニス村で平均年齢50台後半のメンバーによるテニス合宿を行いました。初日は雨に祟られましたが、室内コートで汗を流し、2日目は朝から快晴。5時過ぎに起床し、白子海岸へ。ほの暗い群青色の空には、明けの明星と爪痕のように細い三日月がくっきりと冴えわたっていました。やがて、曙光が水平線を紫から淡い朱色に染め、白い波頭の彼方から日が昇り始めます。ちょうど日が昇りきった頃に西から流れてきた東雲がたなびき、ファインダーにモネの名画のような絵を描いてくれたのが右の写真です。
人生の中で約20,000回の日の出を見る機会があった訳ですが、日の出を見たのは100回にも満たないかもしれません。ましてや、今回のように遮蔽物や雲に邪魔されずに日の出を丸々見ることが出来たのは、初めてじゃないかと。多くのチャンスが詰め込まれていながら、そのほとんどを見過ごすか、素通りしているのが人生なのかもしれません。
昔、小学生から中学生にかけて新聞配達をしていたことがあります。夜明け前の暗がりの中を、まだ耳に残っているオールナイトニッポンのビター・スウィート・サンバを口ずさみながら、自転車を飛ばしていると、ちょうど汗ばんでくる頃、東の空が白み始め、天空が淡紫色へと染まっていきます。何かが一斉に産まれているような、とてつもない神聖さと高揚を感じたものでした。その頃は、それが何なのか考えるすべもなく、ただただ日の出の一瞬のエネルギーに圧倒されるだけでした。今は、少しはその意味が判る齢になったのかなと・・・。

2009年11月11日水曜日

ゴン、戦力外通告

反町姫から写真付きのメールを頂きました。新潟から磐田まで遠征し、磐田vs新潟の試合を観戦してきたとのことです。両チームのサポの反町姫としては、ホームのジュビロの無残な負け試合に複雑な心境だったようです。写真には「蛙のようにのびた茶野」や「茫然自失の前田」の写真がありましたが、何といっても目をひいたのがこの写真です。ゴン・ゴールと書かれた日の丸の横断幕と大きな似顔絵が、ベンチ外でピッチに出てくるはずもないゴンを待ちわびています。
戦力外通告をし、フロント入りの要請を行ったのがチームとしての当然の選択なら、現役続行の為に他チームへの移籍を表明したのもゴンとして当然の選択。わずか10cmのパスのブレに引退を決意した名波と、1mの体力の衰えを気力で補える限り現役続行にこだわり続けるゴン。それぞれの美学です。
先日、某大学薬学部の教授とお話する機会がありました。その先生は、薬剤師が世間から医療人として認められていない現状を憂い、薬剤師の意識にもその原因の一端があるとおっしゃっていました。すなわち、「多くの薬剤師が薬を出すことを業務と考え、患者の健康を回復させ、結果的に薬を出さなくてもいいようにするという本来の任務を忘れている。だから、患者を起点とした医療人の仲間入りが出来ないでいる。」というわけです。ゴンが体を投げ出して泥臭くゴールを目指す姿勢は、チームメイトに勇気を与え、サポーターに感動を与えてきました。ゴンが今なお追い続けているのは、単なるゴールではなく、ゴールの先にあるサッカーの素晴らしさなのです。ゴンが偉大なアスリートとして愛され、尊敬されている所以です。教授の話に繋がるものを感じました。ゴン、藤田、名波・・・。サッカー魂の伝道師達がいつの日か指導者としてジュビロや日本代表に戻ってくる日を待ちたいと思います。それまでは、プレーヤー中山、藤田、解説者名波を精一杯応援していきましょう。

2009年11月8日日曜日

王者巨人軍復活!

原監督が10回宙に舞いました。7年ぶりの日本一。5戦目のサヨナラ勝ちなどもつれた展開となりましたが、振り返ってみると巨人の強さが際立った日本シリーズでした。常勝巨人軍、王者巨人軍復活を予感させます。小笠原・ラミレス・グライシンガー・クルーンといった移籍組に支えられていることは否定出来ませんが、坂本、松本、亀井、内海、東野、山口といった生え抜きの若手が育ってきて、いいチームになってきました。拓郎は「真夜中のタクシー」という歌で「昔、篠塚とかやっている頃ジャイアンツ(ファン)だったんだけど、この頃は好きな選手もいないし・・・」「あっちこっちの4番やエースを引っこ抜いて来て、あのやり方は僕も好きじゃないけど」と歌って(語って?)いますが、この戦いぶりに少しは気持ちが戻ってきたんじゃないでしょうか。
それにしても、第6戦のリリーフで気迫の投球を見せた日ハムの林、そして、最終回、先頭打者で2塁打を放ち、意地を見せた二岡。本来だったら、日本一の胴上げの輪の中心にいてもおかしくなかった2人(昨年巨人から日ハムにトレードで移籍)ですが、日ハムのベンチの中からどんな思いで胴上げを見ていたのでしょうか。2点ビハインドでの最終回先頭打者。とにかく塁に出なければならない場面で、初球から積極的に振り抜いていくことなど、並大抵の選手では出来ないと思います。思い切りの良いバッティング、華麗な守備、飄々とした職人肌の風貌。まさに篠塚の流れを汲む巨人の名脇役だった二岡。山本モナの事件さえなければ、坂本と二遊間を組んでいたはずです。これも人生。二岡には日ハムで頑張って欲しいものです。ちなみに、二岡は、「FA権を行使せずに日ハムに残留する」と発表しました。

2009年10月31日土曜日

ジズーとナナとゾノとオグ

ブログを書き続けるのは結構大変です。というと、こんなブログにお付き合い頂いている方には「ブログを読み続けるのはもっと大変」と切り返されそうですが・・・。あれもこれも書きたいという幸せな日もありますが、何も書くことのない日、そして、書きたくないことばっかりの憂鬱な日も。というわけで、最近はブログの取材の為に出掛けることが多くなった気がします。この前のユース選手権、そして、今日はジダンと名波のフットサルイベント。「どうしようかなぁ」という躊躇の重い腰を上げさせてくれる、これもブログの効用という訳です。
味の素スタジアムで、アディダス主催のジダン来日チャリティ・イベントがありました。ジダンチームは、名波、小倉、前園、岩本、下川という「スパサカ」と「やべっちFC」というチャンネルの壁を超えた豪華メンバー。対するJリーグOBチームは柱谷(哲)、山口(素)、森山、本田、中西、小島といったちょっと渋すぎメンバー。ジダンチームの圧勝かと思ったら、森山の大活躍とGK小島のファインセーブの連発で、前半は5対3でJ-OBチームがリード。後半になっても唯一フル出場のジダンの運動量は衰えず、マルセイユルーレットのサービスもあり、2得点の大活躍。ビーチサッカー日本代表に選抜された前園も絞った体でキレキレ。小倉が妙にジダンに好かれて、絶妙なスルーパスを再三配給され、はずしまくりながらも同点弾と逆転弾。その中で名波はちょっと重そうでした。同い年のはずのジダンにちょっと気後れしているのか、遠慮気味のプレーに終始していました。でも、交替した後、看板に寄りかかって、身を乗り出しながらじっとジダンのプレーに魅入っていた姿はいかにも名波でした。試合は、お約束通り(?)の8対7でジダンチームの見事な逆転勝ち。ファンタスティックな40分間でした。
ところで、日本シリーズの第1戦。こちらもお約束通り(?)の終盤もつれるパターン。戦力的に巨人が圧倒している中で、日ハムが日本一になるとしたら、初戦にクルーンを打ち込んで、サヨナラ勝ちし、巨人の逃切りパターンを崩すしかないと予想していましたが、日ハムはその絶好のチャンスを逃してしまいました。これで、日ハムの4連敗の目も出てきました。ちょうど、U-17日本代表が初戦のブラジル戦最後の30秒間を守り切れずに、結局、3連敗してしまったように・・・。と、ついついU-17の悔しさが込み上げてきてしまいます。U-17 の話はまた次回に。(タイトルは、選手の愛称です。ジズー=ジダン、ナナ=名波、ゾノ=前園、オグ=小倉。写真はジダンチームの先発メンバー)

2009年10月23日金曜日

祝! 拓郎、復活!!

拓郎が戻ってきました。10月20日オールナイトニッポンGoldでギターの弾き語りを交えながら、得意の拓郎節を披露してくれました。還暦を迎えているのに、まだまだやんちゃな語り口でした。まるで、仲間たちと飲みながらわいわい騒いでいる声をマイクで拾っているような、そんな2時間でした。
以前のオールナイトニッポンGoldで、坂崎幸之助が「結婚しようよ」ではスタジオに置いてあった椅子を叩いている「椅子たたき」のパートがあると言っていましたが、この椅子は「結婚しようよ」を編曲した加藤和彦さんが持ち込んだ中東旅行のお土産の椅子だったということです。それぞれの記憶があり、過去へのそれぞれの想いがあり、世の中はパラレルワールドに満ち溢れています。どれが正しい事実だったかはほとんどの場合重要ではありません。どの思い出が最も美しく、どの記憶が最も輝いているかなのです。
加藤和彦さんといえば、拓郎が「マーチンのギターでドノヴァンの音が出ない」相談したところ、「ギブソンのJ45じゃないと、あの音は出ない」と答えて、暫らくしてギブソンのギターを持ってきてくれたそうです。番組の中で、拓郎が思いつくままにギターを爪弾くのですが、途中で、あの「リンゴ」の有名なフレーズを弾こうとして「あっ、俺、これ弾けないんだ。」あのアクロバティックなギターは、ギタリスト石川鷹彦が弾いていたとのことでした。
無念のツアー中止の頃の体調を30%とすると今は100%にまで戻っているということです。いよいよ活動再開というところですが、来年ライブを行うにしても、「つま恋」はありえない、コンサートホールもないと拓郎は断言していました。木と緑のある所で歌いたいということでしたが、どこなんでしょう。いずれにせよ、拓郎の予想以上に早い復活を素直に喜びたいと思います。

2009年10月20日火曜日

悲しくてやりきれない - 加藤和彦さんを偲んで

加藤和彦さんが亡くなりました。ザ・フォーク・クルセーダーズ(フォークル)のメンバー。名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」(写真右)のシンガーソングライター。拓郎を見出した人でもありました。僕が中学1年生の頃最初に買ったレコードがフォークルの「かえってきたヨッパライ」でした。黄緑とピンクと黄色のサイケデリックなカバージャケット(写真左上)は今でも鮮明に覚えています。家でオープンリールのテープレコーダーの回転数を変えて、友達と真似をしたものでした。当時は面白さだけが印象に残って、その高い音楽性など全然判っていませんでしたし、フォークルの中では圧倒的に「北山修」派でした。加藤和彦さんは背が高くてお洒落で、ちょっととっつきにくいイメージでした。
フォークルの代表作「悲しくてやりきれない」(写真左下)は好きな曲です。今でも歌詞をそらんじています。作詞はサトウハチロー。「♪悲しくて 悲しくて とてもやりきれない この限りない むなしさの 救いは ないだろか」。軽井沢のホテルでの孤独な死でした。自殺でした。遺書には「今の世の中には本当に音楽が必要なのだろうか。『死にたい』というより『生きていたくない』。消えたい。」という趣旨が書かれていたそうです。あれほど音楽を愛し、あれほどお洒落に生きることを楽しんでいた人の言葉とは思えません。本当にやりきれません。鬱病だったそうです。本人にとって、そして、加藤和彦さんを愛するすべての人達にとって、とても残酷な死だと思います。病気を憎みます。
実は、今夜は吉田拓郎がオールナイトニッポンGoldに復帰し、元気な声を聴かせてくれており、ラジオをPCの前に置いて、ブログを書いています。そして、その前の特別番組で拓郎が加藤和彦さんの思い出を30分にわたって語ってくれました。拓郎の復帰につき、書くつもりでしたが、今日は、加藤和彦さんを偲んで筆をおこうと思います。ご冥福をお祈りしつつ。

2009年10月12日月曜日

高円宮杯U-18選手権決勝

「日本代表ユニフォーム着用者は入場料無料」との日本サッカー協会の粋な計らいに誘われて、埼玉スタジアムまで全日本ユース選手権決勝を観に行きました。ジュビロユースとマリノスユースという一昔前だったら、ブルーvsブルーの黄金カード。入場時の代表ユニフォームを席に着くなりサックスブルーの7番ユニフォームに着替え、感情移入モードへ。
1列前の席では少年サッカーチームが揃いのジャージで観戦。コーチが「ジュビロは守備がいいから、良く見ておくように」。マリノスの攻撃をジュビロの堅守がどう防ぐかがゲームの鍵です。ジュビロユースで栄光の7番を背負う男は、海田佳祐、フォワードです。大学受験を控えた高校3年生。立命館大学への推薦受験が決まっていたのに、同日の受験を諦め、国立での準決勝の広島ユース戦に臨みました。活躍させてあげたかった選手です。
少年サッカーのコーチの予想を裏切って、ゲーム開始まもなく、マリノスが大きな展開からいきなり2点を先制します。マリノスのフォワード、中盤の選手の豊富な運動量は見事でした。ただ、90分間を走り続けられるか疑問でもあり、2点差で折り返せば運動量の落ちた後半にジュビロが逆転する可能性もあると思いながら観ていました。しかし、そんな期待も前半ロスタイムでのマリノスの3点目でジ・エンド。終わってみれば、7vs1のマリノスの圧勝。ピッチ全体を大きく使ったマリノスの走るサッカーの前に、ジュビロのパスサッカーはなすすべもなく、敗れてしまいました。90分間走り続け、ハットトリックを達成したマリノスの14番小野裕二。まだ、16歳。けれんみのないプレーはスター誕生を予感させました。このままスクスク育って欲しいものです。二重丸の注目株です。
それにしても、輝いた「7」はジュビロの7番ではなく、マリノスのゴール数でした。面目を失ったコーチの渋面とは対照的に子供たちの顔は輝いていました。数々のゴールシーンを脳裏に焼き付けて、いいイメージトレーニングになったと思います。結果はともかく、いいゲームでした。

2009年10月10日土曜日

スコットランド戦 - 黒髪のビリー

日本13vsスコットランド9。フリーキックの数ではありません。両チームの先発メンバーの背番号の平均です。1番から11番まできれいに並べば平均は6になりますから、両チームとも如何に番号の重い選手(=控え選手)が多かったかが判ります。特に日本は完全にサブ組のチーム。2日前に香港戦があったとはいえ、遠来のスコットランドに失礼ではないかと。とはいえ、一方のスコットランドも、W杯出場の夢が断たれ、モチベーションを欠いたチームでした。親善試合とはいえ、かなり疑問の残るマッチメイクといわざるを得ません。
と、硬い話はここまで。日本代表、見るべきところがいくつかありました。まず、前を向く意識。パスを受けてすぐにターンして前を向くシーンが随所に見られました。これまでは、パスを受けたら判を押したように一旦落として(後ろに戻して)自分だけ前を向いて走るプレーが目立ちましたが、ボールを持ってゴールを向くというアグレッシブな姿勢が浸透してきたようです。それから、ワンタッチ、ツータッチのパスが小気味良くつながっていたこと。いいチームに仕上がりつつあります。岡ちゃんの監督としての手腕を素直に見直さなければいけませんかね。
スコットランド代表といえば、ビリー・ブレムナーという70年代前半に活躍したミッドフィルダーが思い出されます。イングランドリーグのリーズでもキャプテンを務めた闘将でした。その燃えるような赤毛から「赤毛のビリー」の愛称で親しまれていました。赤毛にそばかすといういかにも好々爺の風貌でしたが、170cmにも満たない小柄な体格で縦横無尽に走り回り、大柄なプレーヤー達を翻弄する姿に喝采を送ったものでした。当時のキックアンドラッシュ全盛の時代に、いまでいうスルーパスにこだわったプレースタイルも魅力でした。今回のスコットランド代表には残念ながらビリーの魂を継ぐ選手はいませんでしたが、逆に日本代表に黒髪のビリーがいました。石川直宏28歳。谷間の世代と呼ばれたアテネ世代の10番です。オリンピック代表と並行してA代表にも招集された若手注目株でしたが、その後怪我に悩まされ、代表からは遠ざかっていました。今回の招集は、Jリーグでのゴール量産を背景とした堂々の代表復帰です。スピードに乗ってサイドから内側に切れ込むプレー、DFの密集する中をワンツーで抜け出すプレー。好きなタイプのスピードスターです。来年まで怪我をせずに、W杯本大会で是非活躍して欲しい選手です。
こぼれ話2題。ハーフタイムに日本代表サブの選手が何人かピッチ内でウォーミングアップをしていて、ピッチに戻ってきたスコットランドの選手たちとすれ違うシーンがありました。その中の一人が、スコットランドの何人かの選手に呼び止められては、親しげに言葉を交わし、握手をしていました。さすが「世界のNakamura」。ゲームへの出場はありませんでしたが、存在感を十分に発揮していました。試合後インタビュアーデビューの我等が名波浩。初めてにしてもちょっと酷かったですね。スパサカでの小倉のウイットの利いたインタビュアー振りに完敗。ちなみにラジオでは福西が解説をしていました。なかなかのものでした。

2009年10月8日木曜日

サッカー談義@大久保「菜心」

10月7日大久保駅そばの路地奥、隠れた台湾家庭料理の名店「菜心」で久し振りのサッカー談義の会を開催しました。メインスピーカーは欧州サッカー事情に精通したスーパーRooneyさん。スーパースターさんとレッズ・サポのスーパーHaseさんは共にご家族の急な発熱で欠席。
話題は、リオでのオリンピック開催問題からアーセナルの次期監督問題まで多岐にわたりましたが、取り敢えずは代表イレブンの選考。GKは西川でやむなし。エスパルスの山本に期待。スーパーHaseさんがいない中、CBでは、ガーナ戦でのチンタラ戻りによる失点が槍玉にあがり、闘莉王が落選。中澤とエスパルスの快進撃を支える初選出の岩下で決定(それにしても昔の坪井タイプの長身・俊足のCBが欲しい)。SBは、長友は満場一致。内田も他に人材がいないということで選出(もう少しスタミナをつけて欲しい)。ボランチは長谷部・遠藤。稲本は忘れた頃見せるミラクルが魅力だが、ベンチスタートが妥当。FWが難題。ゴンの魂を引継ぐ男、ファイター岡崎は決まり。岡崎と組む選手はということになると人材不足。石川を見てみたいということで、ポスト役前田に岡崎と石川を絡めたスリートップ。となると、中盤は、俊輔がトップ下でタクトを振る形に。本田は、これだけ他のメンバーに嫌われていたらどうしようもないだろうと。中盤の守備の不安を考えると長谷部に変えて橋本も入れてみたい。いずれにせよ、中盤のダイナモ・汗かき役がいないのが不安。
こうしてみると、メンバーが小粒化しているのは事実。カリスマ性溢れるスーパースターもいないし、ストライカーもいない(日本のストライカーが育っていない諸悪の根源は「キャプテン翼」というのがRooneyさんの持論)。若い頃のサッカー談義だったら、個性の強い選手を集めたスターチームを代表にという話になったと思いますが、さすがにオジさん達の談義では、サッカーは11人でやるものというところから始まり、チームを機能させる選手という観点から選考が進みました。そして、代表監督は避けて通れない話題。残念ながら次期監督として日本人監督は候補無し。ベンゲル待望論が・・・(アーセナル次期監督をアンリが狙っている?)。ヒディンクを強く推す声がありましたが、さすがに韓国・豪州というライバル国代表監督を歴任した人を招くのは日本人としてのプライドが・・・。上海蟹、北京ダックに角煮風スペアリブという超豪華メニューに舌鼓を打ち、刻み生姜入り紹興酒の酔いの中でサッカー談義は終わるところを知らず、台風前夜、大久保のディープな夜は窓を叩く強風とともに更けていきます。(写真はガーナ戦の先発メンバー)

2009年10月4日日曜日

Project K2 - 慈雨の尾瀬沼

金曜日に休みを取って尾瀬に行ってきました。N隊長に率いられた秘湯巡りも回を重ね、遂に日本秘湯を守る会の宿 10ヶ所宿泊を達成し、無料宿泊クーポンを頂きました。但し、泊まれるのは平日のみ。ということで、山菜と岩魚の食事が抜群だった桧枝岐(ひのえまた)温泉の「かぎや旅館」へ。生憎、草紅葉の尾瀬沼は雨。3ヶ月前に送別の品として頂いたNorth Faceのレインコートが早速活躍しました。こんなに早く使うことになろうとは思ってもいませんでした。人生はどこかでつながっています。余計なものなど何もないし、無駄な時間もありません。人生は、何千万個のピースからなるジグソーパズルのようなものなのでしょう。見た目は全く同じようなピースでも、どこかが違っているし、ひとつのピースは必ず他のピースとつながるものなのです。
雨の日の登山ほど気の滅入るものはありませんが、自然は文字通りの恵みの雨に喜び輝いているようでした。慈雨、秋雨、霖雨、甘雨・・・・、水の国日本では古くから雨は尊ばれていました。木道で再三滑ってお尻にあざを作ろうが、財布の千円札が湿って自動販売機ではじかれようが、樹木たちと一緒に雨を喜ばなければいけないのでしょう。
今回のプロジェクトコードはK2。前回のかぎや(=K)宿泊時に雨の為断念した会津駒ケ岳(=K・日本百名山)の登頂を果たすことが目的であり、2回目のかぎや旅館という意味も込めてK2と命名しました。K2はカラコルム山脈にあるアジア最高峰でもあります。そこで、今回の食事のテーマは「アジア最高峰」。2泊目は山小屋「駒の小屋」(写真下)素泊まりの為、朝昼晩3食分が必要となり、前日の昼食を加え、計4食。シェルパ兼シェフのMr.Tの面目躍如といったところです。初日は、焼肉と宮城県白石の特産麺「うーめん」の日韓異色コラボ。2日目の昼は、博多名物モツ鍋に名古屋名物きしめんを卵でとじて、雨に凍えた体を暖めました。夜は定番のインドカレー。正にアジア最高峰に恥じないメニューでした。いつもながら、シェフパMr.Tに感謝。上の写真は、山小屋のランプの灯りで飲んだ鳥取の地酒「千代むすび」の3年熟成古酒です。古酒独特の薄琥珀色がランプの淡い灯りに映え、ぬる燗の芳醇な香りが、日本酒の複雑な味わいを引き立たせ、「アジア最高峰」の酔いを誘ってくれました。今回も、また、Mission Completed!!

2009年10月1日木曜日

天才シンジ - ドイツW杯分析②

最近は、さすがにNANAMI10番のフランスW杯代表ユニ(不動明王・炎)でのスタジアム観戦ははばかられるので、日韓W杯時の赤富士ユニONO18番での観戦が定番になっています。
小野伸二は、日本サッカー界の生んだ最高の芸術品です。ベルベットという言葉で称されるその独特のボールタッチから繰り出される受け手の足元へのエンゼル・パスは、中田のスペースへの高速キラーパスの対極をなすものです。99年ワールド・ユース・ナイジェリア大会準優勝という日本サッカーの歴史に燦然と輝く偉業は、キャプテンとしてチームを牽引し、舵取りした天才シンジの存在があってこそであり、高原・遠藤・小笠原・酒井・稲本・本山等の黄金世代は、チーム・シンジとして、ドイツW杯での日本代表のコアとなるべき存在でした。しかし、そこに立ちはだかったのが「世界の中田」でした。中田は、チーム・シンジの仲の良さから来る緊張感の無さを折りに触れ批判しました。そして、チーム・シンジとの溝は広がるばかりで中田はチーム内での孤立を深めていきます。こうして一体感と信頼を欠いたまま日本代表は本大会に突入してしまいます。
天才シンジのドイツW杯は豪州戦のあの悪夢の15分間のみで終わってしまいます。柳沢に代わって後半34分にピッチに送り出された小野はチームと全く噛み合いませんでした。中盤での守備とボールキープを期待されていた(とジーコは語っています)小野は、完全にトップ下として前線に飛び出し、ボランチの位置には運動量の落ちた福西だけが残されました。ポッカリと空いた中盤のスペースをついて、豪州がわずか9分間に3つのゴールをあげることになります。小野にとってみれば、2点目をあげて豪州の戦意を挫くことが自らの役割と理解していたはずです。中田も攻撃こそ最大の防御とばかりにDF陣にラインの押し上げを要求していました。2人の天才の思いは同じはずだったのに、結果的には混乱のみがピッチ上に残りました。小野投入時に日本代表は崩壊していたのです。ブラジル戦の惨敗の後で、小野が「俺たちのチームで戦っていたら別の結果が出ていただろう」という言葉を残したと言われています。たとえ、そのような発言は無かったとしても、同じ気持ちを黄金世代のメンバーの誰もが抱いていたと思います。小野を中心とした黄金世代チームでドイツW杯を迎えることが出来なかったのは日本サッカー界の不運であり、中田、小野、稲本、中村、小笠原という稀有な才能の集団をチームとして活かせなかったのは、むしろ、悲劇というべきかもしれません。そこには「ナナがいなかった」のです。
現在の代表チームには、本田や香川という個性的な選手がいます。これらの個性を活かしながら信頼を構築していけるのか?中村や遠藤がナナになれるのか?注目していきたいと思います。

2009年9月27日日曜日

名波とNakata - ドイツW杯の分析①

スポーツジャーナリスト小松成美の書いた「誇り」という作品があります。中田英寿のドイツW杯から引退に至るまでを描いたノンフィクションです。中田英寿を通してフランスW杯を描いた「鼓動」は読んでいましたが、この作品はドイツW杯での日本代表の惨敗のショックをひきずって眼を通していませんでした。今回、文庫本になったのを期に、そして、南アW杯に向かい合う為に、読んでみることにしました。
まず、驚かされたのは、ある意味でライバル関係にあった名波浩が解説を寄せていたことです。その中で、豪州戦の敗戦の後、激励にボンの練習場を訪れた名波に、中田が「ナナがいればなあ」との言葉をかけ、また、この大会を最後に引退すると言っていたことを明かしています。
名波にとって、中田の「ナナがいればなあ」との言葉は全くの想定外だったということでしたが、その言葉が外交辞令ではなかったことが、本編で明らかになっています。まさに、ドイツでの日本代表の惨敗の原因がこの言葉に凝縮されていたのです。
フランスW杯を中田、川口、小野と一緒に戦った名波は、この世代が円熟期を迎えるドイツW杯には日本代表が最強チームで臨めると予言していました。そして、予言通り2006年のチームは最強のメンバーだったことは間違いありませんでした。フランスW杯のメンバーと比べて個々の能力は格段にアップしていました。しかし、ある重要な要素を決定的に欠いていました。中田はそれを「信頼」という言葉で表現しています。「98年のチームには大きな安心感があった。俺がどんなプレーを仕掛けても、それを理解してくれる信頼があった。あのチームにはナナがいたんだ。彼がいてくれたから、俺はリスクを負ってでも前に行けた。信頼で結ばれたチームの強さを実感できたよね。」2006年のチームは、共通のビジョンを欠き、そして、結果として信頼を欠いていました。ジーコが求めたものは「自立」と「自律」であり、与えたものは「自由」でした。しかし、「自分たちが責任を持ち、自分たちのサッカーを構築していくのは、まだちょっと早かったのかな」と中田は回顧しています。そして、「日本のサッカーが世界に通用しなかったのではなく、自分たちの力を100%出し切れずに終わった」と総括しています。フランスのピッチで中田の力を存分に引き出した名波や山口に代わる存在を欠いたこと、そして、リーダーたる中田自身がその存在になり得なかったことが、日本代表最強チームの悲劇でした。中田はこう告白しています。「これまでサッカーを20年やってきて、はっきり分かったことがあるんだよ。それはね、おれの性格が団体競技には合わないっていうこと。」
南アを戦うチームに「ナナ」はいるのでしょうか?「共通のビジョン」「信頼」は築けているのでしょうか?その検証の前に、もう少しドイツW杯のチームを振り返ってみたいと思います。あの天才プレーヤー小野の存在が決定的な負の役割を果たしてしまったのではないかという懸念が振り払えずにいるからです。(続く)
(写真は、ブラジル戦後ピッチに横たわる中田に声をかけるアドリアーノ。パルマでチームメイトだった彼はイタリア語でこう声をかけたそうです。「ヒデ、人生には涙を流すときもあれば、笑うときもあるさ」)

2009年9月19日土曜日

20th Century Boy - T.Rexの想い出

シルバーウイーク初日、20世紀少年を観てきました。アニメの映画化というのには抵抗がありましたが、何よりも時代設定がシンクロしており、同時代のパラレルワールド感覚にハマってしまい、結局、3作とも観てしまいました。
映画の中で「ともだち」が「20世紀少年は、僕なんだよ」とつぶやくシーンがあります。そして、主題歌の「20th Century Boy」が劇中で重要な伏線となります。映画の中でケンヂがこの曲に出会うのは中学3年生。給食の時間に放送室をジャックして、このハードロックをガンガンに流したものの、何の反響も無く、屋上で寝転んで、「ロック流しても何も変わらねぇ」とふてくされます。僕がこの曲を知ったのは高校2年の時でしたから、ケンヂとはほぼ同世代だといえます。この曲は、当時グラムロックの旗手と言われたグループ、T.Rexの代表作です。他にMetal Guruが有名です。
実は、高校時代に、憧れていた女の子がいました。彼女は、同じ高校の1年上の学年の色のスリッパを履いた大人っぽい、それでいて危うげな少女の面影を残した不思議な女の子でした。ある日、学年共通で使っていた物理教室での授業中に、机に鉛筆書きされた詩の落書きを見つけました。T.Rexのヴォーカリスト、マーク・ボランへの憧れをつづった詩でした。署名は「ミッシェル」とありました。僕は「チャーリー・ブラウン」の名前で甘ったるい詩を書き込みました。こうして、物理教室の机の青灰色をしたメラニン化粧板を介して詩の交換が始まりました。そのミッシェルが、憧れていた女の子で、彼女が同学年だと判ったのは、彼女が忘れていった物理の教科書(!!)を届けた時でした。その後、何も起こらないまま、3年への進級とともに物理の授業は終わりました。僕の心には、物理への苦手意識とマーク・ボランへの甘酸っぱい嫉妬だけが残りました。という訳で、T.Rexは嫌いでした。ずっと・・・。でも、20th Century Boy、久々に聴きましたが、いい曲ですね。
人生の一こま一こまは、ヘンゼルとグレーテルのパンくずのように、ほとんどが鳥についばまれてしまっていますが、時々、道の片隅にしっかりと残っていて、闇の中の白い石のように輝いているものです。

2009年9月18日金曜日

Saudade - 切ない想い

このブログに時々素敵なコメントを寄せてくれるYakoさんのサンバのライブに行ってきました。サンバといえば、リオのカーニバルかエスパルスのチャント(応援歌)ぐらいしか浮かんでこなかったのですが、初めて生で聞いたサンバの調べは、ずいぶん趣きが違いました。4分の2拍子のリズムのブラジル音楽はすべてサンバであり、アフリカ人移民のもの悲しい叙情的な音楽がそもそものルーツだったようです。というと、ボサノヴァを思い浮かべますが、Yakoさんによると、前掛りのノリの音楽がサンバ、ノリが後ろに残るのがボサノヴァだということです。(何となく判ったような・・・)
Yakoさんは当日は熱があり、体調が不十分で、不本意なステージということでしたが、ちょっとかすれ気味な歌声は、それはそれで哀愁があり、胸に迫るものがありました。
サンバの重要な要素に「Saudade(サウダージ)」という言葉があります。歌詞にもよく出てきました。「情」とか「心」とか「想い」とかを表す言葉です。郷愁とか懐かしさとか哀愁という意味でも用いられるそうです。想いを搾り出すように歌い上げるのが、サンバの真髄なのかもしれません。
Yakoさんとは20数年ぶりの再会でした。お互い「変わってないネ」と言い合いながら、それぞれ「色々あったんだから・・・」とつぶやく20年間の人生の重み。Yakoさんの歌を聴いていると、20年前の日々を思い出して懐かしさにひたりながらも、もうあの頃には帰れないという切ない想いがこみ上げてきました。これがSaudadeなんでしょうね。リオの眩い陽射しと、白い砂浜に映えるどこまでも黒い影。コルドーバの丘をわたる風。サンバのリズム。そして、マラカナン・スタジアムの大歓声。
5年後のW杯はブラジル。行かなくちゃという想いが募りました。その前に、スタジアムにエスパルスのサンバのチャントを聴きにいきましょうか。(写真はリオ・デ・ジャネイロ)

2009年9月9日水曜日

ガーナ戦 - 日本代表リマスター盤

09.09.09。9並びの日にビートルズ全アルバムのリマスター盤が世界同時発売されました。決して安い買い物ではありませんでしたが、我家の家宝として親子3代引継ぐつもりで、「ザ・ビートルズBox」を購入しました。早速、デビューアルバム「Please Please Me」を聴きながらこのブログを書いています。デジタル技術を駆使し、4年の歳月を費やして、原音を再現したということです。そういわれると、なにやら音のひとつひとつのキレが良く聴こえ、とてもありがたい気がします。
ところで、ガーナ戦の日本代表、オランダ戦のリマスター盤といえる出来でした。何よりも、つまらない点を与えながらも気持ちを切らすことなく逆転したという事実に、素直に喜ぶべきだと思います。TV解説の金田さんが、「本戦第2戦(初戦を惨敗し、これを落とせば予選敗退が決まる一戦)のつもりで戦え」と言っていましたが、まさに、そのシミュレーションに相応しいゲームでした。前半、あれだけシュートチャンスを作りながら、ゴールを奪えなかった日本代表が、後半、いとも簡単に4ゴール。いずれも崩してというよりも、ガーナの足が止まって、スペースが出来た中での得点でした。要は、日本代表は、ゴール前を固められた中では、シュートの体勢に持ち込めても、ゴールマウスにボールを流しこめるだけの技術レベルに達していないが、ある程度守備がルーズになっていれば、得点を重ねられるレベルにはある、ということです。如何に相手の足を止める時間帯を作っていくかが、日本がゴールを奪っていく上での重要な鍵だと思います。前半の有効なプレスは、オランダ戦と一緒。ただ、後半、無理してプレスをかけずに、多少押し込まれながらもゲームを支配していたのは、オランダ戦からの修正を感じました。そして、相手の足が止まった(=足を止めさせた)時間帯に確実に得点。見事な試合運びでした。ガーナがW杯地区予選突破を決めた直後のきつい日程であったこと、また、勝利へのモチベーションに欠けていたことは、割り引かなければなりませんが、いずれにしても、この0-2、1-3からの逆転勝利は、日本代表にとって、大きな自信となり、欧州遠征の最大の成果です。一歩前進といったところでしょうか。日本代表リマスター盤にとりあえずは拍手。

2009年9月6日日曜日

オランダ戦、惨敗? - Another Story

敗軍の将岡田監督は「今日のストーリーではないストーリーも十分に描ける可能性がある」と語っています。その「今日のストーリー」は、0‐3という結果だけみると、想定の範囲内で最悪のものでした。ただ、内容的にはチームとしてのゲーム運びに成長がみられたゲームだったと思っています。マスコミの論調は、前半の日本の攻勢は高い位置での積極的なプレスが機能したことによるものであり、逆に後半の連続失点は、その結果として、スタミナ切れにより運動量が落ちたことによるものと結論づけています。全体的にはその通りだと思いますが、オランダ戦前半の日本代表のプレスは、ガチガチのプレス合戦に持ち込むのではなく、適度に緩めの間延びしたペースに持ち込み、その中でゲームを支配するという大人の試合運びを思わせるものでした。その中でのスコアレスでの折返しは、番狂わせというAnother Storyを予感させるものでした。
ただ、オランダの方が一枚も二枚も上手でした。相手にゲームを支配されていることに対する苛立ちをみせながらも、しっかりとペース配分をしていたようです。やはり、世界の強豪。この試合運びというのは感覚的に身に染み込んだものなのでしょう。後半の一気のギアチェンジに日本はついていけませんでした。これが世界との大きな差といわざるを得ません。
岡田監督は「本戦までに90分プレスをかけ続けられるチームに仕上げる」と強気ですが、わずか9ヶ月でそれだけのスタミナ強化が出来るのか不安を抱かざるを得ません。むしろ目指すべきは、チームとしてのペース配分とメリハリの意識統一ではないでしょうか?遠藤・俊輔にフルタイムの運動量を期待するのは酷ですし、長谷部・内田のオーバーペースは修正する必要があります。オランダ戦前半に垣間見せた「ゲームをつぶす時間帯」を如何に延ばしていくかが課題になります。それが日本サッカーの成熟であり、また、W杯Best4への道でもあります。

2009年9月4日金曜日

クライフのシューズ - オランダ戦前夜

写真はクライフ・ブランドのアップ・シューズです。クライフのサイン入り(勿論、印刷)です。昨年、丸井の靴売り場で見つけました。「クライフなんて知らないよね」と店員のお兄ちゃんをからかったら、「僕は高校までサッカーをやっていたので、勿論、知っていますよ」と爽やかに切り返されてしまいました。観戦専門の私とは違い、彼は足の甲でクライフを知っている訳です。「年の功より足の甲」です。
私の尊敬してやまない貴公子クライフを生んだオランダとの戦いは、いよいよ明日です。今のオランダはパワーとスピードを前面に押し出したチームで、クライフの優雅なスタイルを引き継いでいるのはむしろ遠藤や俊輔を有する日本かもしれません。
FIFAランキング3位の強豪に40位の日本代表が挑みます。力の差は否めませんが、2対3の撃ち合いに持ち込めるのではないかと期待しています。スピードに欠ける中澤・闘莉王のCB陣では撃ち合いになった場合は3失点は覚悟しなければならないでしょう。ただ、オランダ相手に勝ちを狙いにいくとすると、カギとなるのは、ゲーム序盤を如何に省エネで時間をつぶして前後半のそれぞれ残り10分を持ち堪えるスタミナを温存できるかという点、そして、遠藤・俊輔の危機察知能力、岡崎のワンチャンスの決定力だと思います。これが全て機能して1-0の大金星、あるいはそれでも0‐1の惜敗でしょう。TV観戦していて面白いのは前者の撃ち合いのゲームですが、既にW杯本戦へのカウントダウンが始まっていることを考えると、後者の勝負にこだわった戦いをして欲しいものです。
それにしても、オランダ代表監督の「本田って、どこのポジションの選手だ?」との発言。ちょっとは肝を冷やさせてやりたいものです。

2009年8月24日月曜日

馬 - 拓郎考

今日からのオールナイトニッポンGOLDはニッポン放送亀渕社長自らパーソナリティを務めるビートルズ・オールリクエストです。亀淵空昭信こと「カメちゃん」は深夜放送草創期の伝説のDJ。今週も中途半端に寝不足になりそうです。
ところで、先週の番組でムッシュは、拓郎の凄さは何と言っても「詩作り」だと言っていました。拓郎の名曲は限り無くありますが、「馬」はその中でも絶品。「♪馬が走ってく 馬が走ってく でっかい鼻の穴おっぴろげて 馬が走ってく」これはもう、もはや完全に芸術。芭蕉の俳諧の世界ではないでしょうか。一瞬を切り取って見事に一幅の絵に仕上げるその感性・描写力は、他のシンガーソングライターの及ばないところです。「馬」といえば、坂崎が、拓郎のコンサートで、いかにも胡散臭そうな男に「俺、実はあの『馬』のモデルなんです。」とつきまとわれたそうです。真意の程は不明ですが、仮にそれが事実でないとしても、人にそう信じ込ませてしまうような魔力がこの歌詞にはあります。「♪馬が歌ってる 馬が歌ってる 今日までそして明日からを 馬が歌ってる」
実は、番組の中で拓郎の「永遠の嘘をついてくれ」を初めて聴きました。ちょっと緩めの拓郎節。あのつま恋での中島みゆきとのデュエットの緊迫感・切なさとは大きなギャップがありました。勿論、拓郎の存在は偉大ですが、人を輝かせ、自らも更に輝くのが拓郎の凄さかなと。ムッシュとの「シンシア」も同様。そんな拓郎の凄さとキャラクターにどうしようもなく惹かれてしまうのです。拓郎のように生きてみたいと。

2009年8月22日土曜日

リンゴ - 僕らの時代再考

オールナイトニッポン特番「わが青春の吉田拓郎」が終わりました。月~木の4日間は拓郎の広報部長を自称するアルフィーの坂崎幸之助、最終日はムッシュ・カマヤツがパーソナリティを務めていました。
さすがに、拓郎オタクの坂崎。色々な裏話が紹介されました。「結婚しようよ」には「椅子叩き」というパートがあることを知りました。スタジオの中の色んなモノを叩いて、結局、プラスチックの椅子が楽器に採用されたそうです。確かに曲を聴いてみると「ポコポコ」というくぐもった音がパーカッションのアクセントになっています。レコード大賞曲「襟裳岬」は、酒の席で「森進一か都はるみの曲を書きたい」という拓郎の軽口を憶えていたディレクターが、演歌に行き詰まり、変身を考えていた森進一に橋渡ししたことから生まれました。森進一の襟裳岬を聞いた拓郎は「さすがにうまいね」と感心していたとか。
番組では、拓郎が高校時代に作った「準ちゃん」という歌も紹介されていました。拓郎が初恋の人に贈った曲ですが、橋幸夫と吉永小百合のデュエット曲「いつでも夢を」をもっと昭和っぽくアレンジしたような赤面もののラブソングです。「僕には夢がある。君にも夢がある。それだけでいいじゃないか。」という間奏のセリフだけが拓郎っぽさを感じさせています。この音源は拓郎自身が番組に送ってきたもので、拓郎も昔を懐かしむ歳になったのかと感慨深いものがありました。
記憶の堰が一挙に崩壊したのが「リンゴ」。題名だけでは曲が浮かんでこなかったのですが、イントロが始まるとともに無意識に歌詞が口をついて出てきました。「♪ひとつのリンゴを君がふたつに切る 僕の方が少し大きく切ってある」「♪このリンゴは昨日二人で買ったもの 僕の方がお金を出しておつりは君がもらって」作詞は岡本おさみ。拓郎とのコンビでは、「襟裳岬」「落陽」「旅の宿」などを作詞しています。「リンゴ」は、文字通り甘酸っぱい想いを呼び起こすとても不思議な曲です。拓郎には似合わない四畳半フォークなのですが・・・。
僕らが「リンゴ世代」だからなのかもしれません。子供の頃バナナはまだ高級果物で、塩水に浸したリンゴが最高級のおやつでした。おろし金ですりおろしたリンゴは風邪で寝込んだ時の定番でした。ビートルズのアップルレコードに、アップルコンピューター。判る人には判る「麻田奈美のリンゴ(平凡パンチ)」もありました。TVドラマ「ふぞろいの林檎たち」にも何故か共感を覚えずにはいられませんでした。 実は、一昨日、約30年前にテニスを一緒にしていたリンゴ世代の仲間の集まりがありました。30年の歳月で、それぞれ随分変わっているはずだし、お互いに随分遠く離れたところにいるはずなのに、集まってみるとそれぞれのキャラクターや仲間での役割はあの時のまま。30年前のあのいい時代にタイムスリップしていました。それぞれつらい日々もあったと思いますが、こうして集まれること、そして、30年前の屈託の無い笑顔に戻れるということは、結局、みんな、今の「幸福」を素直に受け留められる心境に辿り着いたということなのでしょう。「♪リンゴを強く齧る 甘い汁が唇をぬらす 左の頬を君はぷくんとふくらませて 欲張ってほおばると ほらほら話せなくなっちまうだろう」みんな本当にいい顔をしていました。また、会おうね。

2009年8月16日日曜日

カトマンズから

反町姫から絵葉書(写真)が届きました。ネパールのカトマンズからです。この前はウズベキスタンのタシケントからメールを頂いたばかり。まさに、神出鬼没、縦横無尽。反町姫の面目躍如といったところでしょう。絵葉書の風景は夕暮れのアンナプルナ山脈。反町姫は、ホテルアンナプルナに宿泊して、プールサイド(?!)で葉書を書いているとのことです。
ネパールはFIFAランキング176位。W杯アジア1次予選で1点もあげられずに敗退しています。日本がW杯アジア予選で顔を合わせる可能性はまずゼロの国。足を踏み入れる可能性の無い国のひとつです。反町姫は、「今日も1日、日本語のない世界」と書いていますが、何を見て、何を感じているのでしょうか。「♪空と大地が触れ合う彼方 過去からの旅人を 呼んでいる道」(久保田早紀「異邦人」)を満喫しているのでしょうね。「♪あとは哀しみをもてあます異邦人」でないことは確かだと思います。反町姫、新潟はJ1で3位、反町湘南もJ2で3位。日本は大変なことになってますよ。早く下界にお戻り下さい。

2009年8月15日土曜日

元気です - 君の欲しいものは何ですか

カメです。ブログを書き始めた頃に我が家にやってきて、ブログにも登場しています。上の写真は1年前。手前のゼニガメ(カリン様)は冬を越せずに死んでしまいました。後ろのミドリガメ(仙豆)は当時4センチ足らずでしたが、今は倍の8センチ(写真下)。色も若草色から暗緑色へとすっかり渋くなってしまいました。シェルターにも全身が入りきれず、カメラを向けると、水面から顔をあげてカメラ目線になります。TVをつけると首を伸ばして、飽きずに見ているようにみえるのですが、実際に何を考えているか判りません。 週に1回水槽の水替えの時にちょっとの間だけ庭に放し飼いとなり、芝生まみれになります。それ以外は水槽の中。単調な生活です。カメの寿命は30年といいます。随分長い平穏な日々です。
ところで、拓郎が17日放送のオールナイトニッポンに電話で出演するための収録を行いました。長時間の移動やライブはまだ無理ですが、日常生活には問題はないそうです。曲作りも行っているとのことです。安心しました。
「流星」という拓郎の曲があります。「♪幸福だとはいわないが 不幸ぶるのはがらじゃない 君の欲しいものは何ですか 君の欲しいものは何ですか」
拓郎にもう一度ライブツアーをさせてあげたいと思います。カメにも「君の欲しいものは何ですか」と問いかけました。ちょっとロンパリの目でじっとにらみつけられてしまいました。歌詞は「僕の欲しかったものは何ですか」で終わります。

2009年8月9日日曜日

異邦人 - JOMO杯


久々にサッカーネタです。
JOMO杯、Jリーグ選抜、敵地で4-1の完勝。昨年の雪辱を果たしました。何はともあれ、日韓戦というのは燃えます。直前にU-20が負けていただけに、応援にも力が入りました。遠藤・憲剛・明神・野沢といった日本人MFが渋い動きをしていましたが、目立ったのが外国人助っ人勢。MVPの李正秀(写真右)は韓国開催でのご愛嬌として、すごかったのはジュニーニョ(川崎)とジウトン(新潟)。日本人勢がややお祭り気分で運動量が少なかったのに対し、ジュニーニョの前線からのチェーシングや裏を取ろうとする動きはリーグ戦の動きそのまま。ジウトンの闘志溢れる守備、味方選手に檄をとばす姿は新潟躍進の理由を垣間見た気がしました。マルキーニョスを含め、むしろ外国人助っ人たちがJリーグサッカーを体現していたのには、多少複雑な思いを抱かずにはいられませんでしたが、それだけ、Jリーグに外国人プレーヤーを包み込み、染め込んでいく懐の深さが出てきたというべきかもしれません。
異国・異文化の中で実力を発揮していくのは簡単なことではありません。いかに実力があろうとも、周囲に受け入れられず、その実力を発揮できないまま去っていった例は数限りなくあります。俊輔はセルティックで成功しましたが、その前のレッジーナでは不遇でした。レッジーナでの俊輔は2002年W杯落選を引き摺った俊輔でした。トルシエは「試合を見ずに髪の毛ばかりをいじっている選手をベンチに置いておくわけにはいかない」とその落選理由を語っていました。当時の俊輔は、ピッチの中では司令塔として輝くものの、ピッチ外では存在感が薄れてしまうイメージがありました。そこがヒデや小野との大きな違いでした。イタリアでの異国生活・結婚などを経て、俊輔も人間的に随分大きくなりました。それがセルティックでの成功に繋がりました。エスパニョールへの移籍は正解だと思います。体力的には既に下り坂であることは否めませんが、人間力も含めた総合力では今がピークだと思います。今だからこそ、世界最高峰のリーグに挑戦できるのではないかと思います。
私事ですが、8月1日から職場が変わりました。全く異なる企業文化の中で初対面の人たちと仕事を始めています。異邦人の心境ですが、ジュニーニョ、ジウトンを見習って、運動量を落とさずに走り回り、早く溶け込みたいと思っています。

2009年7月28日火曜日

僕らの時代-明日に架ける橋

「明日に架ける橋」のあの橋はどこの橋なのか。S&Gの歌にある49番街橋は形が違うし、イメージとしてはサンフランシスコの金門橋なのですが、やはり、S&Gの地元ニューヨークのジョージ・ワシントン橋(写真)と考えるのが自然なのだと思います。
S&Gに出会ったのは、中学3年生の頃でした。「受験地獄」とか「四当五落」(睡眠時間4時間で勉強すれば合格、5時間だと不合格)いう言葉の中で 高校受験・大学受験に直面していた僕らは、当時草創期だった深夜放送にのめりこみ、フォークギターをかき鳴らしていました。「受験」という悲愴な言葉がむしろ僕らの絆を強めていましたし、「深夜放送族」という新たなコミュニティを形成させていたのでした。 「明日に架ける橋」不思議な歌でした。アートの透き通るような高音は、「受験」という重圧に安定を失っていた15歳のデリケートな心のひだを細かく震わせました。「I will lay me down」というフレーズは「受験」という極めて利己的な状況に押し込められていた15歳に、友人の為に身を投げ出すというイメージを与えてくれました。しかも、橋を具象化したジャケットの写真は随分頑丈そうな鉄製の橋であり、「タフでなくてはいけない。強くなくてはいけない」ということを教えてくれました。僕らの世代は、Flower Generationではありましたが、決してひ弱ではなかったと思います。むしろ「根性」という言葉に象徴されるように、愚直な強さを有していたのではないかと思います。ちょうどジョージ・ワシントン橋のように。
歴史を変えようとか、時代を変えようとかいったエネルギーには欠けていました。僕らはいつも遅れてきた世代でした。時代を牽引することはなかったけれど、いつも時代を愚直に後押ししてきました。時代をどこへ向かわせたいのかということに頓着してこなかったことが、TVゲーム世代を生み出し、携帯文化を育て、バブルを惹き起こしてしまったのだと思います。一方で、子供の頃大事にしていたはずの「根性」「努力」「正義」「友情」「弱者への優しさ」「献身」といった僕らの合言葉は時代の流れの中に置き忘れてきてしまいました。それらはとても地味でかび臭い言葉なのですが、僕らのDNAとしてしっかりと継承していかなければならなかったのではないかと思います。不器用に、そして愚直に。価値観が揺らいでいる時代だからこそ。そして、その価値観の崩壊は僕らの世代が招いたものでもあるので。
分不相応に重たいテーマを長々と綴ってしまいましたが、S&Gにすっかりインスパイアされてしまったようです。たまには、こんなことも考えながら、人生の黄昏時前のまだ西陽の残る時間帯を過ごしていきたいと思います。

2009年7月26日日曜日

僕らの時代-戦争を知らない子供たち

S&Gのコンサートは、同世代が3分の1、ちょっと上のいわゆる団塊の世代が3分の1、下の世代が3分の1といったところでした。上から眺めると、かなり薄くなった頭頂部が一面並んでいるのは壮観でもありました。
ポスト・ビートルズ世代の僕らにとって、フォークソングは青春そのものでした。フォーク・クルセーダーズ、拓郎、陽水、泉谷、かぐや姫。青春の焦燥感をある時は掻き立て、ある時は包み込んでくれる歌声は、青春の一こま一こまのBGMでした。ただ、音楽としては、稚拙さを残す和製フォークに対し、S&Gはフォーク・ロックと呼ばれて、音楽性の面で図抜けた存在であり、僕らの音楽への欲求を満たしてくれていました。
S&Gの数々の名曲はまぎれもなく僕らの時代の歌なのですが、僕らの時代の一曲を選ぶとしたら、ジローズの「戦争をしらない子供たち」ではないかと思います。僕らの時代の教祖「北山修」が作詞した反戦歌です。僕らはこの軟弱な歌詞でとても優しいメロディーの歌を中学校の卒業式で合唱しようとしたりしました。それが、基本的にとても時代に従順だった僕らのささやかな抵抗だったのです。僕らは校則で決められた坊主頭で「髪の毛が長いと許されないなら・・・」と歌っていました。
「戦後は終わった」と宣言され、高度成長時代に突入した時期に生を受けた僕らは、貧しさを体験していただけに、「豊かさという名の利便性」という時代の恩恵を迷いも無く受けいれてきました。「公害」という言葉に象徴される時代の陰に一抹の不安と抵抗感を感じながらも「豊かさという名の利便性」を選択し、「安保反対闘争」にはどこか感情移入出来ない「シラケ世代」でもありました。せめてフォークソングを奏で、歌うことで、時代への抵抗という若者としての義務を果たしていたのかもしれません。やがて、そのフォークソングも四畳半フォークという、時代に媚び、文字通り時代と同棲しているような音楽に変質していくことになるわけです。「♪青空が好きで花びらが好きでいつでも笑顔の・・・」僕らは「♪涙をこらえて歌うことだけ・・・」で時代に抵抗し、主体性もないままに時代に飲み込まれ、オイルショックに翻弄され、バブルにちょっとだけ浮かれました。ただ、「本当の意味での豊かさ」というものを知っている僕らの世代は、飽食の時代に危うさを感じ、警鐘の歌を口ずさみ続けてきたのではないかと思います。軟弱でとても優しい歌ではありますが・・・。(続く)
(写真は北山修の詩集の表紙)

2009年7月19日日曜日

Oh Cecilia, I'm down on my knees

Old Friends Tourの名前通り、オープニングは「Old Friend -ブックエンドのテーマ」でしっとりと幕を開けました。ポールのソロギターの余韻が残る中、いきなりアップテンポな「冬の散歩道」へ。トップギアのまま「I am a rock」へなだれこみ、ローギアにギアチェンジして「America」へ。まさにS&Gの世界です。ポールのギターテクニックは健在ですし、声量も衰えていません。アートの方は、さすがに往年の「天使の歌声」は望むべくもありませんが、年輪を感じさせるしわがれ声もそれなりに味があります。アートの音程が下っている分だけ、全盛期のハーモニーとは異なりますが、40年の風雪にさらされた深みというのでしょうか、これぞ友人歴56年の「Old Friends」のハーモニーというのでしょうか、胸に滲みわたるものがありました。
「Scarborough Fair」、「Mrs. Robinson」、「El Condor Pasa」といった怒涛のヒットメドレーに続いて、ポールとアートのソロ・タイム。67歳シニア世代コンビの休憩タイムあるいはトイレ・タイムなのでしょう。ステージの2人よりは一回りほど若い平均年齢の観客も寄る年波の生理現象には勝てず、あちこちで席を立つ姿が見受けられました。ステージ最後の曲は、これしかない「Bridge over Troubled Water」。中学のクラスの卒業文集の題名が「明日に架ける橋」で、表紙にはあの鉄製の橋のイラストが描かれていました。「明日に架ける橋」という詩的な言葉にはそぐわない近代的な橋でしたが、無機質で圧倒的に文明的な橋の姿が、自分たちの明日を暗示しているような気がしたものでした。
アンコールは、ちゃんと残しておいた「The Sounds of Silence」「The Boxer」「Leaves that are green」。そして、最後は「Cecilia」。このパーカッションのリードで始まる曲は、一挙に盛り上げる為に、あるいはオープニングで使われるのではないかと予想していましたが、最後のフェアウエル・メッセージ曲となりました。かなり意味深な歌詞はさておいて、とにかく元気で派手な曲で締め括ってくれたことは、「S&Gはまだまだやれる。君たちも老け込まずに頑張ってね」というメッセージにも聞こえました。確かに、駅へと向かう道すがら、頬を紅潮させながら口ずさむ「Cecilia」には、何故か気持ちを高揚させる不思議な力強さがありました。「♪Oh Cecilia, I'm down on my knees, I'm begging you please to come home.」

2009年7月12日日曜日

再会 ‐ S&G@Tokyo Dome

ちょっとレトロなデザインの小箱に納めてしっかりと抽斗にしまっておきたいような素敵な1日が唐突に2日連続してやってくることがあります。ただし、「松任谷由実」のアルバムに2曲続けて心揺さぶられる曲が並べられている程度に稀ではありますが(注:「荒井由実」のアルバムは珠玉の名曲の連続です)。決してゴージャスではないけれど硬質な優しさに包まれた至福な時の流れ。
7月10日のAbbey Roadは、渦に翻弄される感じでした。めくるめく感じというのでしょうか。新CDをリリースしたばかりのParrotsの気持ちの高ぶりがストレートに伝わってくる気合い入りまくりの4ステージでした。いつもは「ちょっと一服」といった感じのリンゴのソロまでが熱く響いてきました。聴いている方もグッタリの、久々の真剣勝負ステージ。最高でした。
そして、7月11日、東京ドーム、17時15分。40年の時空を超えて2人はそこに立っていました。白いシャツの上に黒いベストを羽織り、黒いタイを締めたアート。緑色の長袖Tシャツにベージュのパナマハットをかぶったポール。二人が最初に出会った11歳の頃(56年前!!)、アートはきっと算数の得意な優等生で、ポールはちょっとシャイなイタズラ坊主だったのではないかと思います。まさに「Odl Friends」の2人が昔のままの姿でステージの上にいました。そして、観客席には5万人のOld Friendsが・・・。それは、時代を共有したOld Friendsとの再会であり、40年前の自分との再会でもありました。
・・・ To be continued.

2009年7月11日土曜日

拓郎、ファイト!

拓郎が倒れてしまいました。Dr.Steveの名古屋でのツアー初日のレポートでは、「拓ちゃん、元気でした。」ということだったのですが。本人が「最後のツアー」と銘打った今回のツアーは、覚悟の上での挑戦だったと思います。NHKのインタビューでも語っていたように体調は万全ではなかったようです。休止になったツアーのファンの落胆もさることながら、志半ばでのリタイアを余儀なくされた本人の無念さには、胸がつぶれる想いです。タイトルでは、「ファイト!」と書いてみたものの、この際、ゆっくり休養して体調の回復に専念して欲しいと思います。
私は今日まで生きてきました
時には誰かの力をかりて
時には誰かにしがみついて
私は今日まで生きてみました
そして今私は思っています
明日からもこうして生きて行くだろうと (「今日までそして明日から」)
拓郎に少しでも「気」を送ってあげられればと思います。
実は、昨夜は六本木のAbbey RoadでParrotsを聴いてきました。Beatlesのコピーバンドです。拓郎の歌でBeatlesといえば「ビートルズが教えてくれた」そして「ペニーレーンでバーボンを」。リクエストに応えてParrotsもPenny Laneを演奏してくれました。みんな応援しています。

2009年7月4日土曜日

American Dream - コンフェデ杯決勝

ちょっと前の話となりますが、コンフェデ杯決勝、ブラジルが米国に見事な逆転勝利で優勝を飾りました。米国がデンプシーの鮮やかなゴールで前半10分に先制し、更にドノバンの追加点で2点をリードして前半を折り返した時には、ありえない展開に複雑な想いを抱きました。番狂わせを期待する想いと、米国へのジェラシーにも似た想いと。
思い出すのは、2006年ドイツW杯での予選リーグ最終戦。前半33分の玉田のゴールから前半ロスタイムに追いつかれるまでの12分間。落ち着かないフワフワした感覚と一方で肌をさされるような緊張感という不思議な感覚を今でも覚えています。予選突破の為には2点差以上の勝利が必要という特殊な状況で、ありえないはずのもう1点を期待するイケイケの浮かれた自分と、このまま1点差を守りきってとにかくブラジルに勝って欲しいという冷静な自分と。PK戦に持ち込んでもよかった米国のサポーターにとっては、先制した前半10分からハーフタイムの15分を含め、後半39分ルシオのヘッドで逆転されるまでの約1時間半、夢のような時間を過ごしたわけです。ちょっと意味合いは異なりますが、American Dream。至福な時間だったでしょうね。
典型的なリアクションサッカーと酷評する評論家もいましたが、米国はいいチームだったと思います。献身的な守備と球際への執念と強さ。セカンドボールを拾って、素早いカウンターにつなげられるのは、豊富な運動量があってこそ。スペインに加えて日本が手本にすべきチームだと思います。戦術的なフォーメーションサッカーは、米国の国技アメフトの文化がベースになっています。来年の本番での、American Dreamもあり得るかもしれません。写真は、南アW杯の公式マスコットの「ザクミ」ですが、何となく、アメリカンコミックっぽく、ありませんか?

2009年6月28日日曜日

Yahoo! No.10

日本最高所の野天風呂、本沢温泉雲上の湯です。今回は、コードネームYahoo!No.10。Ya(=八ヶ岳)ho(=本沢)o!(=温泉)No.10(=野天風呂×天狗岳)、ということで、八ヶ岳連峰天狗岳に登り、標高2,150mの野天風呂に入って来ました。 コードネームには、Yahoo Tenということで、YT(吉田拓郎)の最後のツアーの成功と日本のNo.10俊輔のエスパニョールでの活躍を山頂と野天風呂から祈念するという意味合いも込められています。
雲上の湯は、山小屋から歩いて5分。河原に湯船をこしらえ、腰を下ろすための板をわたしただけの造作。囲いもなければ、勿論、屋根も無く、これぞ野天風呂。野趣あふれる、小さいながらも豪快な秘湯です。明け方に起き出して、ヘッドランプをつけて朝霧漂う山道を登ります。辿り着いた野天風呂に冷えた体の肩までつかり、見上げれば、東雲の空。日本人に生まれて良かったと思う瞬間です。
今回もシェフ兼シェルパ(略してシェフパ)Tが腕を揮い、1日目の昼食は春菊がアクセントの「牛しゃぶ」、2日目はトマトソースとクリームソースの「紅白スパゲッティ」。大自然の中で味わうミスマッチな贅沢は、格別です。1食ごとに軽くなるリュックにシャフパTの白い歯がこぼれます。N隊長は、雲海に浮かぶ日本アルプスの山並みを遠く望んで煙草をふかしながら、「幸せを感じる・・・」とつぶやきます。眺望を楽しむ余裕も無く、こと山の風景に関しては若干感受性に欠ける私は、頂上に向かって刻みこむような登りの1歩、1歩、下りの岩場にバランスを取りながら慎重に踏みしめる1歩、1歩の歩みに、何故か苦痛よりも充実感を覚えるようになりました。「生きていくってことは、こんな感じなのかなぁ」と。
晴天に恵まれた雲上の地から下界に降りると、そこは雨でした。指先から立ち上る硫黄の残り香がくすんだ雨の香りに消されていきます。雲上でのひたすらたおやかで恵みに満ちた刻(とき)に感謝。

2009年6月25日木曜日

無敵艦隊、喜望峰に沈む

コンフェデ杯準決勝、無敵艦隊スペインが敗れました。しかも、米国に。スペインは、日本代表選手が口を揃えて本大会で対戦したいチームとしてあげる、憧れのチームであり、日本の目標となるチームです。国際試合35戦無敗、15連勝、FIFAランキング1位の「無敵艦隊」の呼称が相応しい最強チーム。かたや、米国。FIFAランキング14位の強豪とはいえ、日本にとっては、同格、もしくは勝てるチームとの意識が強いと思います。フランスW杯では、参加国中、勝ち点がゼロだったのは、わずかに日本と米国の2チームのみ。負け組のお仲間でした。シドニー五輪では、準々決勝で、サッカーでは優りながら、PK戦ヒデのPK失敗で敗れました。北京五輪での0対1の惜敗は記憶に新しいところです。少しずつ、差は広がりつつあることは感じていましたが、まさか、あのスペインを破ってしまうとは。複雑な心境です。詳細は判りませんが、29本のシュートを浴びながらも無失点に抑え、相手のミスを逃さず2得点した(枠内シュート2本!)とのことです。接舷しての白兵戦が得意だった無敵艦隊アルマダは、射程の長い大砲を積んで小回りの効く英国の小型船隊に敗れました。スペイン代表も、堅守速攻の米国の戦略にハマってしまったのでしょうか。29本のシュートというと、28本のシュートを浴びながらも川口の神がかりセーブの連発でゴールを守りきってブラジルを破ったマイアミの奇跡を思い出します。強豪から勝ちをもぎ取るには、ひたむきなボールへの執念を90分間持続させる無骨なサッカーと、そして、少ない決定機を確実に得点に結びつける圧倒的な決定力が必要です。米国の戦い方が想像されます。今の日本代表には決定力は望むべくもありません。そうであれば、美しいサッカーで美しく散る「桜の美学」もあり得るのではと思ってしまうのは、敗北主義でしょうか。今日は、夜中に録画放映のスペインvs米国戦を見て、考えてみたいと思います。(絵はフィリップ・ジャック・ド・ラウザーバーグ作「無敵艦隊の敗北」)

2009年6月20日土曜日

W杯Best 4・・・への道

豪州戦の後、「W杯でBest4になれるんですか?」という素朴な疑問をぶつけられる機会が増えました。4年に1度のサッカーファンの方々が、このような疑問を抱かれているようです。FIFAのランキングからいっても、日本はW杯に出られるか出られないかのギリギリのライン。豪州との1-2での敗戦は現在の実力を反映した結果でしょう。したがって、W杯でBest4というのは、まずあり得ない結果であるといわざるを得ません。ただ、ここまで有名になった岡田監督の「W杯Best4」という目標の意図は何なんでしょうか。
写真は、98年フランスW杯出場権を得たジョホーバルの歓喜の記念ポスターです。当時の岡田監督は、「1勝1敗1分での予選リーグ突破」を公言していました。極めて現実的な目標である半面、最初から正直に「負け」を計算していることに対する批判も少なくありませんでした。当時の日本はどう考えてもW杯出場国の中で最も弱いグループに属していましたし、その中で、予選リーグを突破するには守備的戦術を取って、とにかく守り抜いて勝ち点を拾っていかざるを得ませんでした。そして、その戦略では、運よく予選リーグを突破しても、その上に行く幸運は望むべくもありませんでした。要は岡田監督は「1勝1敗1分」という目標を公言することで、受け身の守備的戦略を宣言していた訳です。サッカー先進国の監督の多くが、「まずは予選突破、そして、Best4」という控えめな目標を掲げます。彼らは、W杯の難しさを身を以て知っているからです。その中で唯一シモンエス監督だけが「優勝」という目標を掲げていました。彼は、「夢を見るのは自由だ」と付け加えていました。彼が率いるジャマイカはクロアチアに3-1、アルゼンチンに5-0と玉砕した後、日本に2-1と勝利し、W杯初勝利をあげました。現実主義が夢の前に屈した瞬間でした。
今回の岡田監督は、「Best4を目指すサッカー(=日本らしいサッカー)」で本戦に臨むと宣言しているのではないでしょうか。結果は惨敗での予選敗退かもしれません。あるいは、世界を驚かせる戦いぶりで大金星をあげ、予選を突破するかもしれません。ただ、結果は別にして、W杯常連国としてのプライドを持った戦いを繰り広げていきたいということだと思います。日本サッカーの将来を見据えた場合、避けては通れない過程です。岡田監督の真意が「Best4」という結果を目指しているのではなく、「Best4のチームらしいサッカーをする」というところにあるならば、それを支持したいと思います。

2009年6月18日木曜日

かもめはかもめ - 豪州戦

試合開始直後から気にはなっていました。CGのようにサッカーの中継にかぶる白い鳥の群れ。最初はセレモニー用の鳩かと思いましたが、羽の先が灰色がかっているし、嘴(くちばし)も大きいし、どうも鴎(かもめ)のようです。中にはピッチ上での熱戦をよそに、コーナーフラッグ付近を我が物顔で歩き回り、虫を啄ばむ猛者も。
松井、肝心のところで機能しませんでした。気持ちは入っていても、体がついていかず、明らかに試合勘が鈍っていました。岡崎、守備では頑張っていましたが、「裏ッス!」の憲剛との合言葉はどこにいってしまったのか。阿部ちゃん、闘莉王とは浦和のチームメートだよね・・・。前半の日本代表は本当に運動量が豊富でしたが、これが90分続くわけがありませんし、このノンストップ・サッカーの副作用としてどこかで精神的・肉体的エアポケットが出来てしまいます。「人もボールも動くサッカー」では、誰か一人が止まってしまうと、全体がノッキングを起こしてしまう構造的課題を抱えています。課題は満載。キリン杯の2戦快勝で期待してしまいましたが、「♪かもめはかもめ 孔雀や鳩や ましてやアジアNo.1にはなれない あなたの望む W杯Best4には はじめからなれない」ということでしょうか・・・。
萎えそうな闘志に火をつけてくれたのが、試合後大写しになった豪州サポーターの横断幕。”Nippon, Forever, In Our Shadow.”「俺たちには永遠に勝てないぞ」「一生、俺たちの影に隠れてろ」ってな感じでしょうか。本戦で答えを出してやりましょう。目にもの見せてやりましょう。まだ、1年あります。

2009年6月11日木曜日

タシケントのパパラッチ

ウズベキスタン戦の応援に飛んだ反町姫から現地レポートが届きましたので、予告通りご紹介させて頂きます。姫は、相変わらず縦横無尽というか、傍若無人というか・・・・。
姫、早速、代表の宿泊ホテルに潜入。
姫「ロビーでは岡ちゃんや中村(憲)がなにやらスタッフと密談中。そのうち俊輔や本田まで出てきてなんとなくスタメンが分かってきた。われわれは『ちょっと、いいホテルでランチしにきたの。え、代表?いたの?ラッキー!』というスタンスでパパラッチ。ついでにリバウドまで捕まえて記念写真。ずうずうしいにもほどがある。ヤットのサインまでせしめて、スタッフに注意され、(これは大阪のおばさん)、同行のハラヒロミ氏に「アビスパの監督になって」と無謀な要求をつきつけたり(これは福岡のおねえさん)、わたしはボンバーと一緒にいるキショーの後をついていっただけです。」
スタジアムの応援風景は、
姫「ウズベキスタンの応援は、統制の取れたものではなく、選手がボールを持って上がった時歓声が上がり、ファウルにブーイングが起こる、といった程度。日本の『威風堂々』フラッグや日の丸が、生き物のようにするするとスタンドを駆け上ると『おおお~~!』と驚愕し、次々と繰り出されるコールリーダーから統制のとれたチャントにびっくりの様子。きっと、日本のサッカーとサポの関係をうらやましく感じた人もいるのではないか。日本のサッカー文化、応援、実に日本らしくてよい。オシムさんのいう『サッカーの日本化』は、サポーターの応援については既にいい感じ。」
そうです。私も昔はTVのダイヤモンドサッカーでのイングランド・リーグ(昔はプレミアなんて言葉はなかった)やブンデスリーガの応援風景を羨ましく思ったものでしたが、今や応援では日本はもう堂々ワールドクラスです。
姫「それにしても、シリア人の審判が吹く『中東の笛』には不可解不愉快!」
そうか、あれが有名な「中東の笛」だったのかと妙に納得。
そして、試合終了。
姫「ウズベキの選手がピッチに座りこみ、侍たちが握手を交わしている間に、(ものの1、2分)あれだけいた観客はどこへやら。『あれ?もういないの』状態。予選通過の喜びにひたっていると、なんと突然スタジアムの照明が、ばばっと落ちてきた。いきなり暗くなってびっくり。目障りだからさっさと帰れということか。」
来年、南アはどうします?
姫「いくらなんでも弾丸ツアーで0泊4日だぞ。」

2009年6月10日水曜日

楕円から多角形へ - カタール戦

花篭が二つに増えました。両方ともオレンジ・黄色系の元気が出るアレンジメントです。
一方、ジャパンブルーは元気がありませんでした。ホームでのドロー以前に、得点はオウンゴールだし、相手のシュートミスに随分助けられていますから、これが本戦の相手だったら、完敗といったところです。おぼつかない南アへの第1歩でした。
岡田監督は、長谷部・遠藤のダブルボランチを代表のヘソと呼んでいるようです。意味するところは、代表の動きの焦点ということでしょうか。2つの焦点、すなわち楕円というのは意味深長です。楕円形で上下動・回転を繰り返しながら、相手の陣形を崩していくということでしょうか。その焦点を失って、前半の代表は、文字通りピンボケ状態でした。岡崎も、今日に限っては、ボールが収まりませんでした。形の出来ない代表に形らしきものをもたらしたのは後半の松井・本田という飛び道具の投入でした。彼らは焦点にはなりえませんが、確実に多角形の頂点を形成して、その結果、憲剛、今野も活きてきて、多角形という新たな形が見えてきました。このパターンもアリかなと思いますし、システムチェンジというオプションは世界を勝ち抜いていくために絶対に必要な戦術です。それにしても、阿部ちゃん、今野、ともに良くなかったですね。折角アピールするチャンスだったのに。肩に力が入りすぎたのか、やっぱり闘莉王との相性が良くないのか。

大木ジャパン

入院生活も早や1週間。食事も3分粥、5分粥を経て全粥となりました。結構、美味しく頂いております。食事時が待ち遠しいというのは小学校以来だと思います。
さて、いよいよ某TV局によれば「運命の一戦」となるはずだったカタール戦です。W杯本戦でのベスト4に向けての第1戦となりました。横浜に駆けつけることは叶わず、病室でのTV観戦となりますが、今回はまだ時間帯が早いのでひんしゅくをかわない程度に声を出させて頂こうと思います。
ベンチ入り禁止の岡田監督に代わって大木武コーチが指揮を執ります。大木コーチは清水東高OB。甲府・清水で監督を経験していますが、2005年に甲府をJ1に昇格させた以外は目立った成績をあげていません。ACミランのサッカーを理想とし、4-3-3の攻撃サッカーを得意としています。今回のチャンスを活かし、攻撃サッカーでカタールを粉砕してもらいたいものです。メンバーは大幅に変わりそうです。特に岡田ジャパンの要のボランチ、長谷部・遠藤が抜ける穴を埋めるのは、橋本・阿部という渋い組合せでしょうか。今野は左サイドの起用で、キリン杯チリ戦でのキレキレのプレーを再現して欲しいと思います。プレーオフ進出の為にどうしても勝たなければならないカタール。策士メツ監督の采配も見ものです。

2009年6月7日日曜日

祝!世界最速W杯出場決定‐目標から通過点へ

2大会連続、日本がW杯本戦出場の一番乗りを果たしました。快挙です。出場切符がするりと滑り落ちてしまったドーハ、。そして、まさに最後のチャンスで切符を手にした歓喜のジョホールバルから早や12年。初出場のフランスW杯では、出場国のサポーターとしてスタンドで応援できることだけで幸せでしたが、4大会連続の出場を果たし、そして、ドイツであの最強メンバーの日本代表が惨敗したのを経験した今では、予選突破を飛び越えて、本大会での結果を期待してしまいます。幸せのレベルが上がったのか、不幸の始まりなのか、難しいところです。ともあれ、予選突破が目標ではなく、通過点となった日本代表は確実にレベルアップしていますし、日本もサッカー先進国としての地位を確固たるものにしつつあります。
ウズベク戦は多くを語る必要は無いと思います。岡崎にはゴンの魂が乗り移っていました。完璧なトラップからのシュートは、フランス大会クロアチア戦のゴンを彷彿とさせました。そして、GKに弾かれたボールが倒れこんだ頭にピンポイントで当るというのは岡崎の執念のなせる技であり、強い「気」を感じました。一方、大久保の幻のゴール。運不運では片付けられない何かを感じずにはいられません。
キリン杯の快勝の後で、日本代表がどんなプレーを見せてくれるのか楽しみでしたが、明らかにコンディション不良。あれだけ走れない代表を見るのは久しぶりだと思います。また、精神的プレッシャーが選手を金縛りにしていたような気がします。最初の1歩の出だしが明らかに鈍っていました。岡田監督の座右の銘は「平常心」だそうです。よく「へいじょうしん」と読んで、常に普段通りの落ち着いた心の状態を保つという意味で使われていますが、禅の教えでは「びょうじょうしん」と読み、喜怒哀楽、ありのままの心に向き合うという意味だそうです。W杯本戦では普段通りの精神状態で戦うことは不可能です。緊張したり、浮足立ったりする中で、どう対処していくのか、岡田ジャパンの「平常心」が試されます。いざ、南アフリカ。

2009年6月6日土曜日

流動食 ‐ My Favorite Things

丸2日半振りの食事です。いわゆる重湯にスープ、緑色のものは抹茶ラテのようなものでした。看護師の本間さんからはさかんに不味いとおどされていたのですが、美味しく頂きました。もともと、お粥は大好きです。小さい頃お腹をこわしたり、風邪をひくたびに母親がお粥を作ってくれました。母親が何かの都合でいなかった時父親がひどく塩っぱいお粥を作ってくれたのを覚えています。そんな訳で、お粥=愛情の図式があるのでしょうか。それから、肉は鶏肉が大好きです。特にもも焼きが好きです。昔、クリスマスといえば鶏のもも焼きでしたし、ビーフステーキなど見たこともなかった頃の最高の御馳走でした。映画「Sound of Music」で雷雨の夜に大好きなものを思い浮かべながら歌う「My Favorite Things」という歌がありましたが、大体好きなものというのは子供時代に刷り込まれるのだと思います。ちなみに拓郎は「蕗と筍が好きだ」と「フキの唄」の中で歌っています。好きなものが沢山あることはとても大事なことで、それだけ豊かな子供時代を送ったということだと思います。
昔、子供が米国の現地校に通い始めた頃、まず書かされたのは、”I like ~.”という文章です。好きなものの英単語と綴りを覚えて書けばいいわけです。みるみる単語を覚えていきました。それに子供同士の会話でも”I like ~.”で十分友達になれるわけです。その後は”I want to ~.”これで動詞を覚えます。”This is a pen.”世代にとっては、米国に学ぶべき教え方だと感銘を受けました。
暫くサッカーネタから離れていましたが、今夜はいよいよ「運命のウズベク戦」。今日こそMy Favorite Thingについて入魂の観戦記を書かせて頂きます。

2009年6月5日金曜日

花と内服薬

早速励ましのメールや書込みを頂きました。有難うございます。
おかげさまで、手術は1時間ちょっとで順調に終わりました。ちょっと出血したので、止血の為予定より長引いたということです。痛みも全くなく、医学の進歩にひたすら感謝です。今日は、術後の内視鏡検査。今度は麻酔無しで胃カメラを飲みました。いやなものです。直径約3㎝の腫瘍の切除後が灰色の傷跡となっており、そこに止血用のチタン製クリップがいくつかささっていました。自然に取れて排泄されるということですが、若干不安ではあります。
お見舞いの花篭を頂きました。向日葵はいいですね。しっかりと太陽を見据えて、大きく葉を広げて。元気を与えてくれます。そして、薬。今日の夜から服用が始まりました。花と薬で、あのクリップだらけの胃の傷を癒していきたいと思います。

2009年6月4日木曜日

病院にて - W杯ホームゲーム連続出場記録途切れる

実は昨日から病院住まいです(写真はベッドの枕元の吸引装置)。今日の午後ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)という手術を受けます。体にメスを入れることなく、胃カメラと処置具を組み合わせて胃の内側から腫瘍を切除してしまうという手術です。患者への負担も小さく、日帰りで手術を行っている病院もあるほどです。したがって、大した手術ではありません。むしろ、ゆっくり体を休めるというつもりで入院したのですが、何しろ手術は小学生の時の虫垂炎以来ですから、無意識に体が反応しているのでしょう。血圧測定では明らかに普段より血圧が上がっていました。担当の看護師さんは本間さんというまだ初々しいとても可愛い女性で、そのせいかもしれません。 「手術のうちに入らない」と盛んに喧伝したこともあり、家族にも全く緊張感がなく、家を出る時も出張に行くような感じで送り出されました。もっとも、上の娘は前日の夜、ベースで「The Long and Winding Road」を弾いてくれました。My Favorite Songです。一応、練習したそうです。ちょっと、ウルウルきました。
何はともあれ、入院してみると健康の有難味がしみじみ判ります。昨晩の病院食が最後のまともな食事で、今日・明日は絶食、その後1週間流動食・お粥の日々が続きます。いいダイエットの機会になればいいのですが。
それにしても残念なのは、W杯予選ホームゲームの連続出場(?)記録が途切れてしまうこと。カタール戦は病院のベッドの上から気を送ります。そうそう、反町姫は今頃ウズベキスタンです。現地レポートが届き次第、紹介させて頂きます。