2009年10月31日土曜日

ジズーとナナとゾノとオグ

ブログを書き続けるのは結構大変です。というと、こんなブログにお付き合い頂いている方には「ブログを読み続けるのはもっと大変」と切り返されそうですが・・・。あれもこれも書きたいという幸せな日もありますが、何も書くことのない日、そして、書きたくないことばっかりの憂鬱な日も。というわけで、最近はブログの取材の為に出掛けることが多くなった気がします。この前のユース選手権、そして、今日はジダンと名波のフットサルイベント。「どうしようかなぁ」という躊躇の重い腰を上げさせてくれる、これもブログの効用という訳です。
味の素スタジアムで、アディダス主催のジダン来日チャリティ・イベントがありました。ジダンチームは、名波、小倉、前園、岩本、下川という「スパサカ」と「やべっちFC」というチャンネルの壁を超えた豪華メンバー。対するJリーグOBチームは柱谷(哲)、山口(素)、森山、本田、中西、小島といったちょっと渋すぎメンバー。ジダンチームの圧勝かと思ったら、森山の大活躍とGK小島のファインセーブの連発で、前半は5対3でJ-OBチームがリード。後半になっても唯一フル出場のジダンの運動量は衰えず、マルセイユルーレットのサービスもあり、2得点の大活躍。ビーチサッカー日本代表に選抜された前園も絞った体でキレキレ。小倉が妙にジダンに好かれて、絶妙なスルーパスを再三配給され、はずしまくりながらも同点弾と逆転弾。その中で名波はちょっと重そうでした。同い年のはずのジダンにちょっと気後れしているのか、遠慮気味のプレーに終始していました。でも、交替した後、看板に寄りかかって、身を乗り出しながらじっとジダンのプレーに魅入っていた姿はいかにも名波でした。試合は、お約束通り(?)の8対7でジダンチームの見事な逆転勝ち。ファンタスティックな40分間でした。
ところで、日本シリーズの第1戦。こちらもお約束通り(?)の終盤もつれるパターン。戦力的に巨人が圧倒している中で、日ハムが日本一になるとしたら、初戦にクルーンを打ち込んで、サヨナラ勝ちし、巨人の逃切りパターンを崩すしかないと予想していましたが、日ハムはその絶好のチャンスを逃してしまいました。これで、日ハムの4連敗の目も出てきました。ちょうど、U-17日本代表が初戦のブラジル戦最後の30秒間を守り切れずに、結局、3連敗してしまったように・・・。と、ついついU-17の悔しさが込み上げてきてしまいます。U-17 の話はまた次回に。(タイトルは、選手の愛称です。ジズー=ジダン、ナナ=名波、ゾノ=前園、オグ=小倉。写真はジダンチームの先発メンバー)

2009年10月23日金曜日

祝! 拓郎、復活!!

拓郎が戻ってきました。10月20日オールナイトニッポンGoldでギターの弾き語りを交えながら、得意の拓郎節を披露してくれました。還暦を迎えているのに、まだまだやんちゃな語り口でした。まるで、仲間たちと飲みながらわいわい騒いでいる声をマイクで拾っているような、そんな2時間でした。
以前のオールナイトニッポンGoldで、坂崎幸之助が「結婚しようよ」ではスタジオに置いてあった椅子を叩いている「椅子たたき」のパートがあると言っていましたが、この椅子は「結婚しようよ」を編曲した加藤和彦さんが持ち込んだ中東旅行のお土産の椅子だったということです。それぞれの記憶があり、過去へのそれぞれの想いがあり、世の中はパラレルワールドに満ち溢れています。どれが正しい事実だったかはほとんどの場合重要ではありません。どの思い出が最も美しく、どの記憶が最も輝いているかなのです。
加藤和彦さんといえば、拓郎が「マーチンのギターでドノヴァンの音が出ない」相談したところ、「ギブソンのJ45じゃないと、あの音は出ない」と答えて、暫らくしてギブソンのギターを持ってきてくれたそうです。番組の中で、拓郎が思いつくままにギターを爪弾くのですが、途中で、あの「リンゴ」の有名なフレーズを弾こうとして「あっ、俺、これ弾けないんだ。」あのアクロバティックなギターは、ギタリスト石川鷹彦が弾いていたとのことでした。
無念のツアー中止の頃の体調を30%とすると今は100%にまで戻っているということです。いよいよ活動再開というところですが、来年ライブを行うにしても、「つま恋」はありえない、コンサートホールもないと拓郎は断言していました。木と緑のある所で歌いたいということでしたが、どこなんでしょう。いずれにせよ、拓郎の予想以上に早い復活を素直に喜びたいと思います。

2009年10月20日火曜日

悲しくてやりきれない - 加藤和彦さんを偲んで

加藤和彦さんが亡くなりました。ザ・フォーク・クルセーダーズ(フォークル)のメンバー。名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」(写真右)のシンガーソングライター。拓郎を見出した人でもありました。僕が中学1年生の頃最初に買ったレコードがフォークルの「かえってきたヨッパライ」でした。黄緑とピンクと黄色のサイケデリックなカバージャケット(写真左上)は今でも鮮明に覚えています。家でオープンリールのテープレコーダーの回転数を変えて、友達と真似をしたものでした。当時は面白さだけが印象に残って、その高い音楽性など全然判っていませんでしたし、フォークルの中では圧倒的に「北山修」派でした。加藤和彦さんは背が高くてお洒落で、ちょっととっつきにくいイメージでした。
フォークルの代表作「悲しくてやりきれない」(写真左下)は好きな曲です。今でも歌詞をそらんじています。作詞はサトウハチロー。「♪悲しくて 悲しくて とてもやりきれない この限りない むなしさの 救いは ないだろか」。軽井沢のホテルでの孤独な死でした。自殺でした。遺書には「今の世の中には本当に音楽が必要なのだろうか。『死にたい』というより『生きていたくない』。消えたい。」という趣旨が書かれていたそうです。あれほど音楽を愛し、あれほどお洒落に生きることを楽しんでいた人の言葉とは思えません。本当にやりきれません。鬱病だったそうです。本人にとって、そして、加藤和彦さんを愛するすべての人達にとって、とても残酷な死だと思います。病気を憎みます。
実は、今夜は吉田拓郎がオールナイトニッポンGoldに復帰し、元気な声を聴かせてくれており、ラジオをPCの前に置いて、ブログを書いています。そして、その前の特別番組で拓郎が加藤和彦さんの思い出を30分にわたって語ってくれました。拓郎の復帰につき、書くつもりでしたが、今日は、加藤和彦さんを偲んで筆をおこうと思います。ご冥福をお祈りしつつ。

2009年10月12日月曜日

高円宮杯U-18選手権決勝

「日本代表ユニフォーム着用者は入場料無料」との日本サッカー協会の粋な計らいに誘われて、埼玉スタジアムまで全日本ユース選手権決勝を観に行きました。ジュビロユースとマリノスユースという一昔前だったら、ブルーvsブルーの黄金カード。入場時の代表ユニフォームを席に着くなりサックスブルーの7番ユニフォームに着替え、感情移入モードへ。
1列前の席では少年サッカーチームが揃いのジャージで観戦。コーチが「ジュビロは守備がいいから、良く見ておくように」。マリノスの攻撃をジュビロの堅守がどう防ぐかがゲームの鍵です。ジュビロユースで栄光の7番を背負う男は、海田佳祐、フォワードです。大学受験を控えた高校3年生。立命館大学への推薦受験が決まっていたのに、同日の受験を諦め、国立での準決勝の広島ユース戦に臨みました。活躍させてあげたかった選手です。
少年サッカーのコーチの予想を裏切って、ゲーム開始まもなく、マリノスが大きな展開からいきなり2点を先制します。マリノスのフォワード、中盤の選手の豊富な運動量は見事でした。ただ、90分間を走り続けられるか疑問でもあり、2点差で折り返せば運動量の落ちた後半にジュビロが逆転する可能性もあると思いながら観ていました。しかし、そんな期待も前半ロスタイムでのマリノスの3点目でジ・エンド。終わってみれば、7vs1のマリノスの圧勝。ピッチ全体を大きく使ったマリノスの走るサッカーの前に、ジュビロのパスサッカーはなすすべもなく、敗れてしまいました。90分間走り続け、ハットトリックを達成したマリノスの14番小野裕二。まだ、16歳。けれんみのないプレーはスター誕生を予感させました。このままスクスク育って欲しいものです。二重丸の注目株です。
それにしても、輝いた「7」はジュビロの7番ではなく、マリノスのゴール数でした。面目を失ったコーチの渋面とは対照的に子供たちの顔は輝いていました。数々のゴールシーンを脳裏に焼き付けて、いいイメージトレーニングになったと思います。結果はともかく、いいゲームでした。

2009年10月10日土曜日

スコットランド戦 - 黒髪のビリー

日本13vsスコットランド9。フリーキックの数ではありません。両チームの先発メンバーの背番号の平均です。1番から11番まできれいに並べば平均は6になりますから、両チームとも如何に番号の重い選手(=控え選手)が多かったかが判ります。特に日本は完全にサブ組のチーム。2日前に香港戦があったとはいえ、遠来のスコットランドに失礼ではないかと。とはいえ、一方のスコットランドも、W杯出場の夢が断たれ、モチベーションを欠いたチームでした。親善試合とはいえ、かなり疑問の残るマッチメイクといわざるを得ません。
と、硬い話はここまで。日本代表、見るべきところがいくつかありました。まず、前を向く意識。パスを受けてすぐにターンして前を向くシーンが随所に見られました。これまでは、パスを受けたら判を押したように一旦落として(後ろに戻して)自分だけ前を向いて走るプレーが目立ちましたが、ボールを持ってゴールを向くというアグレッシブな姿勢が浸透してきたようです。それから、ワンタッチ、ツータッチのパスが小気味良くつながっていたこと。いいチームに仕上がりつつあります。岡ちゃんの監督としての手腕を素直に見直さなければいけませんかね。
スコットランド代表といえば、ビリー・ブレムナーという70年代前半に活躍したミッドフィルダーが思い出されます。イングランドリーグのリーズでもキャプテンを務めた闘将でした。その燃えるような赤毛から「赤毛のビリー」の愛称で親しまれていました。赤毛にそばかすといういかにも好々爺の風貌でしたが、170cmにも満たない小柄な体格で縦横無尽に走り回り、大柄なプレーヤー達を翻弄する姿に喝采を送ったものでした。当時のキックアンドラッシュ全盛の時代に、いまでいうスルーパスにこだわったプレースタイルも魅力でした。今回のスコットランド代表には残念ながらビリーの魂を継ぐ選手はいませんでしたが、逆に日本代表に黒髪のビリーがいました。石川直宏28歳。谷間の世代と呼ばれたアテネ世代の10番です。オリンピック代表と並行してA代表にも招集された若手注目株でしたが、その後怪我に悩まされ、代表からは遠ざかっていました。今回の招集は、Jリーグでのゴール量産を背景とした堂々の代表復帰です。スピードに乗ってサイドから内側に切れ込むプレー、DFの密集する中をワンツーで抜け出すプレー。好きなタイプのスピードスターです。来年まで怪我をせずに、W杯本大会で是非活躍して欲しい選手です。
こぼれ話2題。ハーフタイムに日本代表サブの選手が何人かピッチ内でウォーミングアップをしていて、ピッチに戻ってきたスコットランドの選手たちとすれ違うシーンがありました。その中の一人が、スコットランドの何人かの選手に呼び止められては、親しげに言葉を交わし、握手をしていました。さすが「世界のNakamura」。ゲームへの出場はありませんでしたが、存在感を十分に発揮していました。試合後インタビュアーデビューの我等が名波浩。初めてにしてもちょっと酷かったですね。スパサカでの小倉のウイットの利いたインタビュアー振りに完敗。ちなみにラジオでは福西が解説をしていました。なかなかのものでした。

2009年10月8日木曜日

サッカー談義@大久保「菜心」

10月7日大久保駅そばの路地奥、隠れた台湾家庭料理の名店「菜心」で久し振りのサッカー談義の会を開催しました。メインスピーカーは欧州サッカー事情に精通したスーパーRooneyさん。スーパースターさんとレッズ・サポのスーパーHaseさんは共にご家族の急な発熱で欠席。
話題は、リオでのオリンピック開催問題からアーセナルの次期監督問題まで多岐にわたりましたが、取り敢えずは代表イレブンの選考。GKは西川でやむなし。エスパルスの山本に期待。スーパーHaseさんがいない中、CBでは、ガーナ戦でのチンタラ戻りによる失点が槍玉にあがり、闘莉王が落選。中澤とエスパルスの快進撃を支える初選出の岩下で決定(それにしても昔の坪井タイプの長身・俊足のCBが欲しい)。SBは、長友は満場一致。内田も他に人材がいないということで選出(もう少しスタミナをつけて欲しい)。ボランチは長谷部・遠藤。稲本は忘れた頃見せるミラクルが魅力だが、ベンチスタートが妥当。FWが難題。ゴンの魂を引継ぐ男、ファイター岡崎は決まり。岡崎と組む選手はということになると人材不足。石川を見てみたいということで、ポスト役前田に岡崎と石川を絡めたスリートップ。となると、中盤は、俊輔がトップ下でタクトを振る形に。本田は、これだけ他のメンバーに嫌われていたらどうしようもないだろうと。中盤の守備の不安を考えると長谷部に変えて橋本も入れてみたい。いずれにせよ、中盤のダイナモ・汗かき役がいないのが不安。
こうしてみると、メンバーが小粒化しているのは事実。カリスマ性溢れるスーパースターもいないし、ストライカーもいない(日本のストライカーが育っていない諸悪の根源は「キャプテン翼」というのがRooneyさんの持論)。若い頃のサッカー談義だったら、個性の強い選手を集めたスターチームを代表にという話になったと思いますが、さすがにオジさん達の談義では、サッカーは11人でやるものというところから始まり、チームを機能させる選手という観点から選考が進みました。そして、代表監督は避けて通れない話題。残念ながら次期監督として日本人監督は候補無し。ベンゲル待望論が・・・(アーセナル次期監督をアンリが狙っている?)。ヒディンクを強く推す声がありましたが、さすがに韓国・豪州というライバル国代表監督を歴任した人を招くのは日本人としてのプライドが・・・。上海蟹、北京ダックに角煮風スペアリブという超豪華メニューに舌鼓を打ち、刻み生姜入り紹興酒の酔いの中でサッカー談義は終わるところを知らず、台風前夜、大久保のディープな夜は窓を叩く強風とともに更けていきます。(写真はガーナ戦の先発メンバー)

2009年10月4日日曜日

Project K2 - 慈雨の尾瀬沼

金曜日に休みを取って尾瀬に行ってきました。N隊長に率いられた秘湯巡りも回を重ね、遂に日本秘湯を守る会の宿 10ヶ所宿泊を達成し、無料宿泊クーポンを頂きました。但し、泊まれるのは平日のみ。ということで、山菜と岩魚の食事が抜群だった桧枝岐(ひのえまた)温泉の「かぎや旅館」へ。生憎、草紅葉の尾瀬沼は雨。3ヶ月前に送別の品として頂いたNorth Faceのレインコートが早速活躍しました。こんなに早く使うことになろうとは思ってもいませんでした。人生はどこかでつながっています。余計なものなど何もないし、無駄な時間もありません。人生は、何千万個のピースからなるジグソーパズルのようなものなのでしょう。見た目は全く同じようなピースでも、どこかが違っているし、ひとつのピースは必ず他のピースとつながるものなのです。
雨の日の登山ほど気の滅入るものはありませんが、自然は文字通りの恵みの雨に喜び輝いているようでした。慈雨、秋雨、霖雨、甘雨・・・・、水の国日本では古くから雨は尊ばれていました。木道で再三滑ってお尻にあざを作ろうが、財布の千円札が湿って自動販売機ではじかれようが、樹木たちと一緒に雨を喜ばなければいけないのでしょう。
今回のプロジェクトコードはK2。前回のかぎや(=K)宿泊時に雨の為断念した会津駒ケ岳(=K・日本百名山)の登頂を果たすことが目的であり、2回目のかぎや旅館という意味も込めてK2と命名しました。K2はカラコルム山脈にあるアジア最高峰でもあります。そこで、今回の食事のテーマは「アジア最高峰」。2泊目は山小屋「駒の小屋」(写真下)素泊まりの為、朝昼晩3食分が必要となり、前日の昼食を加え、計4食。シェルパ兼シェフのMr.Tの面目躍如といったところです。初日は、焼肉と宮城県白石の特産麺「うーめん」の日韓異色コラボ。2日目の昼は、博多名物モツ鍋に名古屋名物きしめんを卵でとじて、雨に凍えた体を暖めました。夜は定番のインドカレー。正にアジア最高峰に恥じないメニューでした。いつもながら、シェフパMr.Tに感謝。上の写真は、山小屋のランプの灯りで飲んだ鳥取の地酒「千代むすび」の3年熟成古酒です。古酒独特の薄琥珀色がランプの淡い灯りに映え、ぬる燗の芳醇な香りが、日本酒の複雑な味わいを引き立たせ、「アジア最高峰」の酔いを誘ってくれました。今回も、また、Mission Completed!!

2009年10月1日木曜日

天才シンジ - ドイツW杯分析②

最近は、さすがにNANAMI10番のフランスW杯代表ユニ(不動明王・炎)でのスタジアム観戦ははばかられるので、日韓W杯時の赤富士ユニONO18番での観戦が定番になっています。
小野伸二は、日本サッカー界の生んだ最高の芸術品です。ベルベットという言葉で称されるその独特のボールタッチから繰り出される受け手の足元へのエンゼル・パスは、中田のスペースへの高速キラーパスの対極をなすものです。99年ワールド・ユース・ナイジェリア大会準優勝という日本サッカーの歴史に燦然と輝く偉業は、キャプテンとしてチームを牽引し、舵取りした天才シンジの存在があってこそであり、高原・遠藤・小笠原・酒井・稲本・本山等の黄金世代は、チーム・シンジとして、ドイツW杯での日本代表のコアとなるべき存在でした。しかし、そこに立ちはだかったのが「世界の中田」でした。中田は、チーム・シンジの仲の良さから来る緊張感の無さを折りに触れ批判しました。そして、チーム・シンジとの溝は広がるばかりで中田はチーム内での孤立を深めていきます。こうして一体感と信頼を欠いたまま日本代表は本大会に突入してしまいます。
天才シンジのドイツW杯は豪州戦のあの悪夢の15分間のみで終わってしまいます。柳沢に代わって後半34分にピッチに送り出された小野はチームと全く噛み合いませんでした。中盤での守備とボールキープを期待されていた(とジーコは語っています)小野は、完全にトップ下として前線に飛び出し、ボランチの位置には運動量の落ちた福西だけが残されました。ポッカリと空いた中盤のスペースをついて、豪州がわずか9分間に3つのゴールをあげることになります。小野にとってみれば、2点目をあげて豪州の戦意を挫くことが自らの役割と理解していたはずです。中田も攻撃こそ最大の防御とばかりにDF陣にラインの押し上げを要求していました。2人の天才の思いは同じはずだったのに、結果的には混乱のみがピッチ上に残りました。小野投入時に日本代表は崩壊していたのです。ブラジル戦の惨敗の後で、小野が「俺たちのチームで戦っていたら別の結果が出ていただろう」という言葉を残したと言われています。たとえ、そのような発言は無かったとしても、同じ気持ちを黄金世代のメンバーの誰もが抱いていたと思います。小野を中心とした黄金世代チームでドイツW杯を迎えることが出来なかったのは日本サッカー界の不運であり、中田、小野、稲本、中村、小笠原という稀有な才能の集団をチームとして活かせなかったのは、むしろ、悲劇というべきかもしれません。そこには「ナナがいなかった」のです。
現在の代表チームには、本田や香川という個性的な選手がいます。これらの個性を活かしながら信頼を構築していけるのか?中村や遠藤がナナになれるのか?注目していきたいと思います。