2008年11月29日土曜日

アンドリュー・ワイエスの世界

Jリーグ第3節鹿島vs磐田戦。伝統の赤対青の1戦は、かたや優勝争い、かたや残留争いながら、お互いに「絶対に負けられない戦い」となりました。こういう時は得てしてスコアレスドローになるものですが・・・。ジュビロにとりロスタイム4分は長すぎました。終盤での名波とゴンの投入は、ベテランの投入でゲームを落ち着かせて終えることを狙ったのでしょうが、ただ前線に蹴り返すだけのサッカーでは、2人を活かせず、終了間際の失点は、サッカーの神様の公正な裁きだったと認めざるを得ません。残留決定は、最終節にもつれこんでしまいました。来週はヤマハスタジアムで、直接気を送って来ます。

ところで、写真は、91歳になるアンドリュー・ワイエスです。「クリスチーナの世界」は彼の最もよく知られた作品です。草の上に起き上がったピンク色のドレスの女性と遠くに見える家。 何気ない構図ですが、この絵にみなぎる緊張感は何なのでしょうか?実は、このクリスチーナは、手足に障害を持ち、歩くことがままならず、この絵は、彼女が丘の上の家に向かって必死に這いながら、戻っているところなのです。絵を良く見てみると、萎えた手足、不自然な指の曲がりが判ります。

現在、渋谷Bunkamuraでアンドリュー・ワイエス展が開催されています。著名な画家の展覧会にありがちな、「習作」が多く含まれた展覧会ですが、ワイエスの場合、その水彩画の習作自体が、完成画であるテンペラ画を超えた完成度を有し、ひとつの作品として、味わい深いものがあります。むしろ、大胆なタッチと繊細な筆致、省略と写実の見事な対照が楽しめる水彩画の方が僕は好きです。それは、日本の水墨画にも通じるところがあり、ワイエスのスピリチュアルな世界をよりストレートに伝えているように思えるからです。ワイエスは、挿絵画家N.C.ワイエスの5男として生まれ、20歳で個展を開き、その才能が早くから認められた早熟の天才画家です。その後70年間にわたって素晴らしい作品を生み出し続けているのは、精神的なもの、啓示的なものを絵に込め続けてきたその創作姿勢によるものだと思います。90歳を超えた今でも、ワイエスは外を歩き回り、何気ない日常の風景の中に精神的なものを見出し、それを描き続けているということです。彼の作品のほとんどは、彼自身により所持されています。画家という職業として描いているのではなく、日常の営みとして描いているというのが、芸術家としての才能の枯渇を免れて、高齢になっても素晴らしい作品を描き続けているゆえんなのでしょう。うらやましい生き方だと思います。深い皺が刻まれた顔も、いい老い方をしてますよね。

とにかく素晴らしい展覧会ですので、是非ひとりでも多くの方に行って欲しいものです。


2008年11月26日水曜日

名波ふたたび・・・

カタール戦の快勝、ビデオで観ました。う~ん、達也の1点目と玉田の2点目は、W杯本大会のGKだったらセーブされていたでしょうね。GKが尻餅ついたり、いかにカーブがかかっていたとはいえ、シュートの軌道を追い越しちゃあね。ちょっと微妙な圧勝ですが、チャンスにはバイタルエリアに複数の選手が飛び込んでおり、ラスト・オプションが確実に増えていたのは事実。岡田ジャパンの進化を感じました。素直に喜びましょう。
さて、11月26日天皇杯ジュビロ対ガンバ。BS中継で、もしかしたら最後の公式戦になるかもしれない名波の雄姿を観ました。中盤でタメを作り、左足からの柔らかなパスで攻撃を演出するピッチ上の名波の姿は、10年前となんら変わるところはありません。左足から美しい放物線を紡ぎ出し続けたそのプレーは、レフティアーチスト名波を十分堪能できるものでした。それでも後半30分に退かざるをえなかったのは、朝ベッドから起きあがることさえままならない右足の故障ゆえなのでしょう。素人目には完璧なパスの連続だったように見えましたが、本人には「ボール1個、2個分違う」ということだったのでしょう。得意の(?)尻餅をつきながらも、前線にパスをつないだ名波のプレーに、解説者の山口素さんが「いくら体勢を崩していても左足さえあれば何でも出来ますね、名波は」と愛情あふれる解説をしていました。素さんといえば、フリューゲルス戦でその密着マークに徹底的に封じ込められた名波が、意表をついて右足でシュートをし、ゴールを奪ったことがあります。後で、素さんに「あれはないよなぁ~」と散々愚痴をこぼされたそうです。名波の右足での唯一のゴールです。名波・山口のダブル・ボランチは歴代の代表守備的MFの中でも出色のコンビだったと思います。今や、代表での名波の後継者ともいえる遠藤は、このゲームではピッチに立つことはありませんでしたが、試合後ベンチ前で名波と結構長い間言葉を交わしていました。サッカーマガジンの誌上で遠藤は言っています。「名波さんと一緒にボランチをやってみたかった。どんなに楽しいだろう」と。さらば、美しきレフティ、愛すべきレフティ、至高のレフティ。でも、いつか、名波のDNAを引き継ぐ「名波ふたたび」を見たい。(写真は久し振りに買ったサッカーマガジンの表紙。タイトルは筒井康隆の名作「七瀬ふたたび」からの連想です。)

2008年11月20日木曜日

カタール戦 ・・・岡ちゃん's Best Bout(?)

カタール戦は、密かに期待していた快勝が現実のものになった、ようです。「ようです」と伝聞口調で書かざるを得ないのは、この重大な一戦を不覚にもライブで応援できなかった為です。ちょうど試合時間には主張先のドイツのレストランでアルト・ビールを飲んでいました。頼みのドコモ・ワールド・ローミングi-modeも、レストランの必要以上に分厚い壁に阻まれ、圏外。試合結果は、ホテルに戻ってから祈るようにして覗いたnikkansports.comで知りました。試合結果にほっとしたとたんに時差ぼけによる睡魔がどっと押し寄せて来て、TV で放映していたドイツvsイングランドの黄金マッチ(写真)も前半終了時点で睡魔の圧勝。(結果は2vs1でイングランドのアウェーでの見事な勝利)
という訳で、戦評する立場にはないのですが、結果だけみると、岡田監督のベスト・バウトでは?(本人はホームでのオマーン戦の方をゲームとしては評価しているようですが・・・。)まず、評価したいのは、アウェーでの試合で、最終予選初の無失点試合を達成したこと。中澤という守備の要を欠いたことで、かえって闘莉王が慎重な守備の意識を途切らさなかったのが、守備の安定に繋がったのかもしれません。きっと、ボランチ・SBとの連携も改善されたのでしょうね。皮肉ですが、まさに、怪我の功名。また、達也の3年ぶりの代表ゴールも復活の大きな自信になったのでは。アウェーであえて攻撃的姿勢を貫き、「攻撃は最大の防御」で相手の攻撃を押さえ込んだ岡ちゃんの勇気ある采配にも敬意を表したいと思います。岡田ジャパンも少しずつ形が出来上がってきました。長谷部も良かったようですね・・・。「ようです」と言わなくていいように、帰国したら真っ先に録画ビデオを見ることにします。

2008年11月16日日曜日

永遠の嘘をついてくれ-その2(拓郎&名波)

反町姫から、10月18日のガンバ大阪戦の写真を頂きました。1-2でスコア的には惜敗ですが、内容的には「かなりヤバかった」ということです。残り3節。柏・鹿島と難敵が続きますが、2試合で残留を決め、最終戦(ホームでの大宮戦)で名波の花道を作ってあげて欲しいものです。
さて、「永遠の嘘をついてくれ」です。中島みゆきが拓郎に贈った曲です。というより、拓郎が中島みゆきに曲作りを依頼した曲です。94年拓郎は紅白歌合戦に初出場しています。その時の心境は判らないものの、決して好調な時期ではなかったはずです。むしろ、落ち込んでいたのだと想像します。この頃、拓郎は中島みゆきの「ファイト!」をステージで歌っています。そして、「もう自分には『ファイト!』のような歌は作れない」と言って、中島みゆきに曲作りを頼んだということです。
中島みゆきは、デビュー前、拓郎の追っかけだったそうです。この「永遠の嘘をついてくれ」には、偉大なシンガーとしての拓郎と一人の人間としての拓郎への中島みゆきの様々な想いが込められているのだと思います。そして、翌年、拓郎は、「全部だきしめて」とともに人気番組のレギュラーという意外な姿で復活を果たします。そこには、何か吹っ切れた拓郎がいました。紅白といえば、2006年の「つま恋」の年末、拓郎は、紅白への出演を辞退しています。我等の拓郎、完全復活です。「♪永遠の嘘をついてくれ 一度は夢を見せてくれた君じゃないか」
「つま恋」のステージで、中島みゆきは歌を歌う以外は一言も言葉を発していません。背筋を伸ばして凛と立ち、視線は観客席に向けられたままでした。そして、拓郎の発した言葉も「中島みゆきっ!」の一言。そして、ステージから去る中島みゆきに、差し伸べられた拓郎の手。握手して、さっと踵を返して、袖に退く中島みゆき。男と女以上の熱い想いを感じました。
レフティ名波も、種明かしをしないまま、颯爽と去っていきます。頑なに左足だけのプレーにこだわり、驚きとファンタジーを見せてくれたレフティ。「有難う」の言葉を贈りたいと思います。

2008年11月13日木曜日

名波選手引退

覚悟はしていましたが、ついに来る日が来てしまいました。モリシに続いての名波の引退発表。(今日のシリア戦、大久保がゴール・パフォーマンスでモリシの飛行機ポーズをしながら、「森島さ~ん」と言っているように口の動きが見えたのは私だけですか?)ひとつの時代が終わりました。
名波の最高のパフォーマンスは2000年のレバノンでのアジア杯だったと思います。あのチームは、まさに名波ジャパンでした。イラク戦での俊輔のFKをダイレクトボレーでゴールに突き刺したミドルシュートは代表のベストゴールとして語り継がれると思いますが、予選リーグ、ウズベキスタン戦で西澤と高原の清水東コンビのダブル・ハットトリックを引き出した司令塔ぶりは見事でした。98年フランスW杯予選から日本の10番を背負った名波に対して、「10番は似合わない」との批判がありました。これに対して「好きでつけているわけじゃない」とか「10番はイメージが強すぎて好きじゃない」と愚痴をこぼす名波というのは、本当に人間くさい選手だったと思います。だからこそ、いろんなものを背負ってもがいていた代表名波の10番が好きでした。むしろ活き活きとしていたのは、ジュビロ黄金時代の7番名波。奥・藤田・福西・服部という一流の役者に囲まれてゲームを演出していたN-Box(名波を4人が囲むという意味)は本当に楽しいサッカーを繰り広げていました。そのまま日本代表にして欲しかったすごいチームでした。ベネチアから帰ってきて苦悶していた16番も捨てがたい魅力がありました。ベネチアのデビュー戦でのミドルシュートがポストに嫌われてしまうのが名波。98年W杯アルゼンチン戦でクリアしようと伸ばした足に当たったボールがバティストゥータの足元にころがってしまうのも名波。すこしずつ、ついていない中で、唇を噛みながら、鈍足でも、精一杯走り回った名波は決して天才レフティではなく、等身大のサッカー選手が夢を紡ぎだしていくという、サポーター冥利につきる愛すべき選手だったと思います。ご苦労様でした。出来うることなら、得意(?)の解説者の道には進まずに、ジュビロの若手育成から始めて、いつか監督としてピッチに戻ってきて欲しいと思います。「♪名波、浩、アレアレアレオー、浩」(写真は、名波直筆の引退発表文。手書きでサポーターに最初に報告するという律儀さがにじみ出ています。クリックすると拡大されます。)
ところで、実質3トップで臨んだ今日のシリア戦。岡ちゃんは、この奇策でカタール戦に臨むつもりなのでしょうか。アウェイ戦でも、格上のチームとして、3トップで押し込んで、90分間ゲームを支配し続けていくという戦略を取るというのなら、それはそれで理にかなっています。ただ、4バックの危うさは全く改善されておらず、不安です。両サイドバック・ボランチとCBとの連携は全く未完成。だからこそ、ギャンブル覚悟で、3トップで押しまくるというのでしょうか。まさに、奇策。でも、その勇気と思い切りは、嫌いじゃありません。常に背水の陣との覚悟のなせる業なのかもしれません。カタール戦が楽しみです。

2008年11月8日土曜日

永遠の嘘をついてくれ-その1(つま恋)

リトアニアからのつながりで、「永遠の嘘をついてくれ」について、書いてみようと思います。
2006年9月23日、31年ぶりにつま恋を訪れていました。75年夏。ぎらつく太陽のもと6万5千人の若者を飲み込んだつま恋は、文字通り熱気が渦巻き、殺気だった雰囲気さえありました。世はオイルショックにより物価が高騰し、「狂乱」という言葉が時代のキーワードでした。一方で学園紛争は既に過去のものとなり、「シラケ世代」と揶揄された当時の若者にとって、エネルギーのはけ口を見出しにくい時代でもありました。拓郎とかぐや姫という当時としては異色なジョイント・コンサートは、ミュージシャンと観客との真剣勝負の感がありました。素肌に白いベストを羽織り、バンダナを巻いた拓郎の姿とだみ声は30年以上を経た今でも鮮明に蘇ります。そして、31年後の「つま恋」は、NHKの番組タイトルの通り、和やかさと懐かしさと暖かみにあふれた「35,000人の同窓会」でした。拓郎の還暦を祝う会でもあり、昔を懐かしみながら、観客がそれぞれの30年間を互いにねぎらった集いでした。前回のクライマックスは、65,000人が夜明け前の30分間延々と大合唱を続けた「人間なんて」でした。エネルギーが昇華し、それが太陽になって上ってきたような錯覚がありました。今回のクライマックスは、花火をバックに、全員で合唱した「落陽」でした。「みんなが好きな歌を歌ってあげるよ」という拓郎のやんちゃな曲紹介に野次がとぶこともなく、どよめきとともに始まった大合唱は、3万5千人の人生の重みが込められた、とても味わい深く、美しいものでした。ただ、それ以上に鮮明に心に焼き付いたのは、中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」でした。純白のブラウスにジーンズというスタイルで現れた中島みゆきの凛とした美しさに思わず息を飲んでしまいました。決して好きなタイプではなかったのに、そこには確かに女神がいました。その時はこの曲の名前さえ知りませんでした。ただ、不思議に魅かれ、胸に響くものがありました。それが何故だったのかは、暫らくたってから、その曲について調べて、判りました。(続く)

2008年11月7日金曜日

拓郎 in リトアニア

ちょっと重たすぎて 暫らく封印していたテーマですが、やっぱり、書き残しておくことにします。リトアニアでの話です。

今回訪問した工場は、製造機械も自前で開発しながら、オートメーション化を進めていました。クリーンルームの中で、機械が複雑な動きを規則正しく繰り返しながら最終製品を組み上げていくのを見るのは非常に楽しいものです。同じ工程の繰り返しなのに、まるでルービックキューブが解かれていくのを見ているような驚きに満ちた楽しさがあり、いつまで見ていても飽きることがありません。機械には担当者が一人ずつついて、動きを監視しています。広い区画に従業員は数えるほどしかいません。

しかしながら、すぐ隣の一画ではケミカル臭の漂う中、中年の女性たちが等間隔に並んで筆で糊付けしたり、パーツをつなげ合わせたりという作業を繰り返していました。売れ筋で大量に出る製品は機械に投資してオートメーション化を進めているのですが、少量しか出ない製品は機械化の投資が引き合わず、いまだに手作業に頼っているということです。女性たちは見慣れない日本人が気になりながらも、黙々と自らの割当てをこなしていきます。決して、同情するつもりはないし、同情すること自体おこがましい行為であり、機械の監視役と流れ作業の担当者とどちらが楽しいのか判断のしようもありませんが、拓郎の「人間なんて」の曲が突然浮かんできました。女性たちの横で、この一画の責任者であるいかにも叩き上げといった風情の小太りのオジさんが目くばせしながら得意げにこう言ってくれました。「This is not Production(製造) but Art(工芸).」私は少し微笑んで答えました。「Sure!(そうですね)」オジさん、満足げにニッコリ。
なるほど・・・・。拓郎の曲は、「永遠の嘘をついてくれ」に変わりました。人生は、誤解をおそれずに言うならば、自らをある意味で騙し続けていくことがとても大切なことだと思います。

写真は、手前の建物が聖アンナ教会。市内唯一のレンガ造りのゴシック様式の教会です。その美しさはナポレオンがフランスに持ち帰りたいと言った程です。実は奥の教会が、高名な建築家の設計によるもので、手前の聖アンナ教会は、その年若い弟子が設計したものです。高名な建築家は、出来上がった教会を見て、その弟子の才能に嫉妬し、教会の塔から弟子を突き落として殺してしまったということです。「♪君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでも たねあかしをしないでくれ・・・」

2008年11月1日土曜日

国立の空と静岡訛り - ナビスコ杯決勝

国立は雲ひとつ無く、どこまでも澄みわたった青空です。秋晴れにピッチの芝生が眩しく、緑にオレンジとブルーがよく映えます。
ナビスコ杯は大分vs清水という正に市民チーム同士(清水市はもはやありませんが・・・)の対戦となりました。ゲームは前半から大分の右サイドでの攻防となりました。前半15分までは大分の右サイド高橋を清水の兵働が1対1でよく抑えていましたが、高橋に金崎、エジミウソンが絡んで大分のトライアングルが機能しだすと、再三、突破され、右サイドから何度か決定機を作られました。これに対し、清水は、個人技での突破でセットプレーのチャンスを得て、ゴールに迫ります。ハーフタイムに長谷川監督は動かず、清水の左サイドは修正されないままでした。そして、後半23分右サイドで金崎をフリーにしてしまい、高松にドンピシャのクロス。後は大分得意のカテナチオでゴールエリアへの侵略を許さず、ウェズレイのダメ押しもあり、大分の完勝でした。惜しむらくは、先制点を取られた直後に市川とマルコスパウロを投入して、清水の右サイドから押し込むことにより確実に流れを引き寄せただけに、もう少し早い交替がなされていれば、少なくとも試合は延長戦までもつれ込んでいたのではないかと思います。
ただ、大分はチャンピオンに相応しいチームでした。金崎は可能性を感じさせる選手です。ウェズレイ、高松はまだまだ衰えておらず、ベテランと若手がうまくかみ合ったよく組織されたチームでした。これがシャムスカ・マジックなのでしょう。本人は大分マジックだと謙遜しているようですが、その謙虚さが、マジックの一部なのでしょう。やはり、次の日本代表監督に一押しの人材です。 (そうすれば、日本代表も3バックが復活するかもしれないし・・・)
一方、清水は、鉄人テルが頑張っているとはいえ、若いチーム。ゲーム中にシステムの綻びを修正出来なかったのは、若さ故なのかもしれません。それにしても、岡崎の運動量は、半端じゃありませんでした。TVでは画面に入りきれないオフザボールの動きは見事だし、献身的な守備はFWのそれではありません。敢闘賞ものでした。もうひとつの敢闘賞は、エスパルスサポーター。いつもながら、洗礼された応援は観ているだけで楽しくなります。(一応、人文字のボードを持たせて頂き、応援にも参加しました。)清水のサッカーにも似た、細かいテクニックへのこだわりと見事な組織力。左右で連動する「レオレオ」の応援は海外でも通用する日本の応援芸だと思います。残念ながら試合には負けてしまいましたが、エスパルス・サポーターの応援を久々に堪能した1日でした。
「ふるさとの 訛りなつかし スタジアムの 人ごみの中に そを聴きにゆく」(もちろん、啄木の短歌のパクリです) (写真は、ゴール裏のエスパルス・サポーター席)