2012年9月30日日曜日

Project M 後篇

赤湯温泉山口館(写真右上)は、創業100年を超える温泉宿です。苗場山5合目の文字通り中腹に位置し、登山口の元橋バス停から4時間の山路を徒歩で登らなければたどり着けない秘湯中の秘湯です。電気は無く、もちろん、電話も通じない下界から隔離されたランプの宿です。河原を掘った露天風呂が3ヶ所あり、鉄分の多い赤色の湯の「玉子の湯」と「薬師湯」、そして、清流と同じ澄んだ青色の「青湯」の2つの湯質を、せせらぎの音を聴きながら楽しむことができます。
館主は、いかにも山小屋の主人といった風情の還暦前の武骨な山男でした。80代半ばの母親と東京の板前修行から戻って来たばかりの息子さんとの親子3代で、宿をきりもりしています。当日の宿泊客は、我々4人だけ。にもかかわらず、ご主人は、わざわざ、雨の山中に分け入って、食材の舞茸を採っておいてくれました。素朴ながらも気の効いた味付けの山菜料理を美味しく頂いた後、「実は・・・」と切り出してみました。ご主人は、1年前のMさんの捜索にも参加していたとのことで、当時の様子をポツリポツリと語ってくれました。最後は、「もっと早く発見してあげられなかったのが悔しい」と嗚咽ながらに。ランプの下での追悼の酒盛りにご主人も加わり、Mさんの人となりについて話しているうちに、何故か昭和歌謡の歌合戦に。Mさんは、仲間との酒盛りが大好きで、いつも陽気なお酒でした。盛上げ役のMさんが舞い降りてきてくれたんでしょう。改めて、合掌。

2012年9月27日木曜日

Project M 前篇

Mさんとは不思議なご縁でした。会社の同僚ではありましたが、仕事上の繋がりはさほど深くなく、むしろ、アフター・ファイブでナイターテニスをしたり、B級グルメのお店巡りをしたり。日本酒を愛し、ワインにも詳しく、テニス、龍馬、拓郎など趣向が重なる部分が多い人でした。今にして思うと、本当に引出しの多い人で、趣味や話題を合わせてくれていたんだなと思います。いつも笑顔で、場を盛り上げるのが上手な人でした。友達を大事にし、そして、何よりも家族を愛した人でした。そんなMさんが不慮の事故で苗場山で他界したのが昨年の6月のことでした。
1年余を経て、ようやく追悼登山を実現することが出来ました。苗場山頂の山小屋で一泊し、降りしきる雨の中、細い九十九折れの山道を這うようにして下り、中腹の秘湯赤湯温泉へ。赤湯温泉の手前にサゴイ沢に架かる鉄橋があります。沢の上流がMさんが遭難した場所と推測され、その下流で追悼の祈りを奉げさせて頂きました(写真)。Mさんの愛した「亀泉CEL-24」は残念ながら手に入らず、代わりに同じ土佐のお酒「司牡丹 船中八策」を供えました。司牡丹もMさんが好んだお酒でしたし、龍馬ゆかりの船中八策ということで許してくれたんではないかと思います。どの酒蔵からも「ひやおろし」の出てくる季節ですが、亀泉は「CEL-24は冬まで熟成させないと本当の味にはならない」とのこだわりの下、12月まで寝かせてから出荷する為、この時期には手に入らないとのことでした。そんな言い訳に、Mさんの「おぉ~っ、それは仕方がない。冬まで待ちましょう」との声が聞こえてきそうでした。
いつしか雨はあがり、雲の切れ間から秋の高い空がのぞきます。ほどなく山道を下り、河原づたいの岩場を5分ほど行った所にMさんが目指し、辿り着くことの出来なかった赤湯温泉山口館がありました。(後篇に続く)

2012年9月13日木曜日

ゴールはどこ? ‐ イラク戦

イラク監督、ジーコ。元日本代表監督。本名アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。「ジーコ」は「やせっぽっち」の意味で子供の頃のあだ名。現役時代は「白いペレ」と称された中盤の名手。ちなみに、ペレの本名は、エドソン・アランテス・ド・ナシメント。以上は、9月9日に行われたサッカー検定の為の詰め込み勉強の成果です。9月11日ブラジルW杯アジア最終予選イラク戦。埼玉スタジアム2002は6万人を超える観客で埋まりました。試合前の両チーム選手紹介アナウンスでジーコ監督への歓声・拍手が最も多かったのは印象的でした。ジーコの采配は、的確でした。ザック・ジャパンのペースメーカーであり、パスの経由点である遠藤と本田にマンマークをつけ、両選手へのパスコースを遮断。日本代表のパスサッカーの分断を図ります。一方で、ボールを奪うや、ダイレクトプレーで日本ゴールを脅かします。格上のチームに対するアウェーの戦い方に徹していました。選手起用も、「レギュラー陣と控えを総取替えしたジーコの奇襲」とマスコミでは紹介されていますが、システムに選手を合わせた結果、そして、日本のスピードに対応出来る選手をピックアップした結果の選手起用だったのでしょう。選手にシステムを合わせた日本代表監督時代とは様変わりでした。そんな練りに練った作戦も実らず、スローインからの一瞬の隙をつかれて失点。日本戦での勝ち点奪取はなりませんでした。ジーコが、試合後「今の日本は強豪と言ってもいいぐらい成長している。W杯で上位に進出する可能性は十分にある」と語っています。一方、左サイドで躍動し、存在感を十分みせつけた長友は「チームとしての成長は感じるが、まだまだ成長度合いが遅すぎる。このままでは、W杯での優勝は目指せない」と語り、ジーコの「上位」どころか「優勝」をハッキリと口にしています。ビッグマウス本田も常々「W杯優勝」を唱えていますが、夢を確実に現実に変えてきた長友の言葉には重みがあります。
イラク戦を終えて、2つの意味で「ゴールはどこ?」の疑問が湧いてきました。一つは文字通り決定力不足の解消策。ザックに「決めろ」と喝を入れられた本田が、日本代表全シュート数13本の3分の1以上にあたる5本のシュートを放つもゴールに繋がらず、本人も「決定力を上げないと世界の強豪には勝てない」と語っています。「ゴールはどこ?」ゴールの穴を瞬時に察知する能力を研ぎ澄ますことが日本代表の課題です。後は、ジーコが言っていたようにその穴にパスをすればいいのです。もう一つの疑問は、サポーターとしてのゴールをどこに定めるべきなのかという点です。ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜を同時代性をもって知っている世代にとって、未だ「W杯は出て当り前」の感覚がしっくりきませんし、W杯本戦での目標は、やはり、グループステージ突破なのです。選手の口にするゴールとのギャップを感じつつ、選手に追いつかれ、逆に置き去りにされた喪失感を味わっています。「サポーターのゴールはどこ?」(写真は、いつもの青みがかったシャツ姿で選手に指示を与えるジーコ監督。甲高い声が聞こえてきそうです。)

2012年9月5日水曜日

バンビ、ぬりかべに跳ね返される

試合前は、ヤングなでしこが、ドイツの高い壁をどう攻略していくかと思いを巡らせていました。平均身長差10cm。ドイツの平均身長170cmをヤングなでしこのスターティングメンバーで超えていたのは、サイドバックの浜田のみ。写真は試合前の整列時の写真ですが、遠近が完全に無視されて、ドイツ、審判、ヤングなでしこの順に階段状に低くなっているのが判ると思います。しかし、高さ以上にヤングなでしこがてこずったのが、ドイツのコンパスの長さと身体の厚み・重さ。重厚長大対策は、日本代表に共通する課題のようです。かくして、ヤングなでしこ、バンビ軍団の快進撃はドイツの重戦車・ぬり壁軍団に文字通り押し潰されてしまいました。得点的には3-0の完敗ではありますが、なす術なく蹂躙された前半の戦い方を後半は良く修正し、後半だけ見れば、互角以上の戦いでした。サッカーは試合を通じて必ず波があります。ドイツのようなタイプのチームはとにかく前後半の初めは力で押してくるので、バイタルエリアを固めて慎重にゲームに入ることが大事です。ところが、乗りに乗っているヤングなでしこは、キックオフ後いつも通り、高い位置でのプレスでボールを奪いにいくイケイケのサッカー。ただ、複数で囲んで奪いにいくだけに、そこを抜け出されると一気にピンチとなってしまいます。1点目、2点目はまさにその失点。完全に入り方を誤ってしまいました。一方、攻めも右サイドからの単調な攻めに終始し、せっかくサイドを突破しても、中央に受け手がいない繰り返しで、前半はわずかシュート2本に抑え込まれてしまいました。
後半は、3点リードでドイツが守備的になったこともあり、立ち上りから日本ペース。ヤングなでしこ達もドイツの選手との間合いをつかみ、1対1でかわせるようになり、パスがつながるようになりました。しかし、再三のチャンスもゴールに繋げることができず、波はひいていきます。
ただ、試合後のインタビューを聴くと、ヤングなでしこ、しっかりと反省を口にしています。一回りたくましくなったヤングなでしこの3位決定戦に期待しましょう。

2012年9月2日日曜日

熱帯夜に・・・「外は白い雪の夜」

このブログに時々登場して頂いている「反町姫」とは、4年前北京五輪でお会いし、それ以来、国立やヤマハスタジアムで何回か再会を果たしていました。今回のロンドン五輪は、旅程が別の為、まさかお会いすることはないだろうと諦めていましたが、なんと、カーディフのミレニアム・スタジアムでバッタリ。しかも、すぐ前後の席。信じられない因縁です。その反町姫から、五輪の写真とともに面白いサッカーネタが届きました。サッカー日本代表、五輪でも活躍した吉田麻也のブログに、ウッチーこと内田篤人が吉田拓郎の名曲「外は白い雪の夜」にハマっていると自ら投稿。ウッチーに何があったのかと、ウッチーファンの間に波紋を投じているそうです。この曲は松本隆の作詞で、男女の切ない別れが男女の掛合いという形で歌われています。「♫傷つけあって生きるより 慰めあって別れよう」「♫今夜で別れと知っていながら シャワーを浴びたの 哀しいでしょう」確かにこの曲を聴いたら、ファンはウッチーに何があったのかと心配になることでしょう。一説には、麻也のプレミア移籍が関係しているのではとの憶測も。これまでは、ドイツ、オランダという陸続きの両国の間を往き来し、週5回は会っていたというマヤ、ウッチーでしたから・・・。
「外は白い雪の夜」は、拓郎ファンの間でも人気の高い曲です。そして、拓郎にとっても特別な曲のようです。「落陽」と同様、ライブでは必ずという位歌われる曲で、また、唯一出場した1994年の紅白歌合戦でも、この曲を歌っています。五木ひろし、森進一、前川清がバックコーラスを務め、日野皓正がトランペットを演奏するという超豪華な一曲でした。ちなみに対戦相手は松田聖子。この年、実は中島みゆきにも出演依頼がなされていましたが、中島みゆきはこれを辞退しています。(他にも松任谷由実、ZARD、竹内まりや、Mr. Childrenなども辞退しています。)中島みゆきが出演していたら、この曲か、あるいは「永遠の嘘をついてくれ」のデュエットが聴けたかもしれません。ほぼ20年前の話です・・・。「♫Bye Bye Love 外は白い雪の夜・・・」