2009年11月26日木曜日

変わらないもの - 35年後のロブショット

先週の白子海岸でのテニス合宿に続いて、今週は熱海でテニス&ゴルフでした。一度やってみたいと思っていたのですが、高校時代のクラス会で実現しました。
泊りがけのクラス会に集まったのは先生1名と生徒13名。健康問題や両親の介護や親類の法事などで参加が叶わなかった方が少なからずいたのが残念でした。もう、そんな年頃です。
宴会前にテニスコートに集まったのは4人。歯科医のUさん曰く「高校時代の運動音痴3人組が集まったね」素直には肯けないものの、当らずとも遠からず。「そういえば、マラソン大会でビリだった」とSuさんの告白。もう一人のSiさんは高校時代はテニスとは縁遠い柔道部。そんな4人が35年後に熱海でテニスをしているという設定は、村上春樹にも書けないと思います。人生は不思議です。そして素晴らしい。35年のそれぞれの年月が凝縮されたような味わい深いストロークやロブでのラリーの応酬は、それだけで何時間の語合いにもまさるコミュニケーションでした。
宴会の後は、35年ぶりのトランプのナポレオン。当時、全国の高校で流行っていたことは、先週の白子海岸での合宿の際確認済み。ルールも携帯サイトで確認済み。最初はなかなか要領を思い出せなかった面々も、30分もすると高校時代の休み時間モードに戻っていました。当時のクラス名物だった通路スペースでの雑巾サッカーはさすがに再現出来ませんでしたが。
翌日は、名門熱海ゴルフ倶楽部(写真は打ち下ろしの1番兼10番ホール)で無理を言って5人1組でのラウンド。最後は、連休最終日の大渋滞に巻き込まれて、Siさんとの5時間のドライブ。柔道一直線のSiさんがユーミンファンだったことを初めて知りました。ジューシーな旨味がたっぷりと詰め込まれたメンチカツのような、とても懐かしい味わいのある、とても贅沢な2日間でした。高校時代と少しも「変わらない」仲間達に囲まれ、その仲間達がどんなに「素晴らしい」仲間達であるかを再発見した2日間でもありました。「素晴らしさ」というものは、「変わらないもの」であり、「変わらないもの」は本当に素晴らしいものなのです。

2009年11月22日日曜日

印象・日の出@白子海岸

先週末、白子海岸のテニス村で平均年齢50台後半のメンバーによるテニス合宿を行いました。初日は雨に祟られましたが、室内コートで汗を流し、2日目は朝から快晴。5時過ぎに起床し、白子海岸へ。ほの暗い群青色の空には、明けの明星と爪痕のように細い三日月がくっきりと冴えわたっていました。やがて、曙光が水平線を紫から淡い朱色に染め、白い波頭の彼方から日が昇り始めます。ちょうど日が昇りきった頃に西から流れてきた東雲がたなびき、ファインダーにモネの名画のような絵を描いてくれたのが右の写真です。
人生の中で約20,000回の日の出を見る機会があった訳ですが、日の出を見たのは100回にも満たないかもしれません。ましてや、今回のように遮蔽物や雲に邪魔されずに日の出を丸々見ることが出来たのは、初めてじゃないかと。多くのチャンスが詰め込まれていながら、そのほとんどを見過ごすか、素通りしているのが人生なのかもしれません。
昔、小学生から中学生にかけて新聞配達をしていたことがあります。夜明け前の暗がりの中を、まだ耳に残っているオールナイトニッポンのビター・スウィート・サンバを口ずさみながら、自転車を飛ばしていると、ちょうど汗ばんでくる頃、東の空が白み始め、天空が淡紫色へと染まっていきます。何かが一斉に産まれているような、とてつもない神聖さと高揚を感じたものでした。その頃は、それが何なのか考えるすべもなく、ただただ日の出の一瞬のエネルギーに圧倒されるだけでした。今は、少しはその意味が判る齢になったのかなと・・・。

2009年11月11日水曜日

ゴン、戦力外通告

反町姫から写真付きのメールを頂きました。新潟から磐田まで遠征し、磐田vs新潟の試合を観戦してきたとのことです。両チームのサポの反町姫としては、ホームのジュビロの無残な負け試合に複雑な心境だったようです。写真には「蛙のようにのびた茶野」や「茫然自失の前田」の写真がありましたが、何といっても目をひいたのがこの写真です。ゴン・ゴールと書かれた日の丸の横断幕と大きな似顔絵が、ベンチ外でピッチに出てくるはずもないゴンを待ちわびています。
戦力外通告をし、フロント入りの要請を行ったのがチームとしての当然の選択なら、現役続行の為に他チームへの移籍を表明したのもゴンとして当然の選択。わずか10cmのパスのブレに引退を決意した名波と、1mの体力の衰えを気力で補える限り現役続行にこだわり続けるゴン。それぞれの美学です。
先日、某大学薬学部の教授とお話する機会がありました。その先生は、薬剤師が世間から医療人として認められていない現状を憂い、薬剤師の意識にもその原因の一端があるとおっしゃっていました。すなわち、「多くの薬剤師が薬を出すことを業務と考え、患者の健康を回復させ、結果的に薬を出さなくてもいいようにするという本来の任務を忘れている。だから、患者を起点とした医療人の仲間入りが出来ないでいる。」というわけです。ゴンが体を投げ出して泥臭くゴールを目指す姿勢は、チームメイトに勇気を与え、サポーターに感動を与えてきました。ゴンが今なお追い続けているのは、単なるゴールではなく、ゴールの先にあるサッカーの素晴らしさなのです。ゴンが偉大なアスリートとして愛され、尊敬されている所以です。教授の話に繋がるものを感じました。ゴン、藤田、名波・・・。サッカー魂の伝道師達がいつの日か指導者としてジュビロや日本代表に戻ってくる日を待ちたいと思います。それまでは、プレーヤー中山、藤田、解説者名波を精一杯応援していきましょう。

2009年11月8日日曜日

王者巨人軍復活!

原監督が10回宙に舞いました。7年ぶりの日本一。5戦目のサヨナラ勝ちなどもつれた展開となりましたが、振り返ってみると巨人の強さが際立った日本シリーズでした。常勝巨人軍、王者巨人軍復活を予感させます。小笠原・ラミレス・グライシンガー・クルーンといった移籍組に支えられていることは否定出来ませんが、坂本、松本、亀井、内海、東野、山口といった生え抜きの若手が育ってきて、いいチームになってきました。拓郎は「真夜中のタクシー」という歌で「昔、篠塚とかやっている頃ジャイアンツ(ファン)だったんだけど、この頃は好きな選手もいないし・・・」「あっちこっちの4番やエースを引っこ抜いて来て、あのやり方は僕も好きじゃないけど」と歌って(語って?)いますが、この戦いぶりに少しは気持ちが戻ってきたんじゃないでしょうか。
それにしても、第6戦のリリーフで気迫の投球を見せた日ハムの林、そして、最終回、先頭打者で2塁打を放ち、意地を見せた二岡。本来だったら、日本一の胴上げの輪の中心にいてもおかしくなかった2人(昨年巨人から日ハムにトレードで移籍)ですが、日ハムのベンチの中からどんな思いで胴上げを見ていたのでしょうか。2点ビハインドでの最終回先頭打者。とにかく塁に出なければならない場面で、初球から積極的に振り抜いていくことなど、並大抵の選手では出来ないと思います。思い切りの良いバッティング、華麗な守備、飄々とした職人肌の風貌。まさに篠塚の流れを汲む巨人の名脇役だった二岡。山本モナの事件さえなければ、坂本と二遊間を組んでいたはずです。これも人生。二岡には日ハムで頑張って欲しいものです。ちなみに、二岡は、「FA権を行使せずに日ハムに残留する」と発表しました。