2010年3月28日日曜日

讃岐UDON

高松に行ってきました。お昼前に入って、翌日夕方には発つという慌ただしい出張でしたが、丸一日ちょっとの間にうどんを4回食しました。最近は、観光客も多く訪れるということで、どこのお店もお昼時は行列、満席でした。とはいえ、やはりメインは地元のお客さん。作業着にサンダル履きの町工場の工員さん風の人達、上っ張り姿の事務員風の女性陣、赤ん坊連れの若夫婦、詰襟にスポーツバッグの高校生。ちょっとガタつく丸椅子に座って、黙々とうどんをすする姿には、不思議な懐かしさを感じました。昔、よく見た光景でした。あの頃は、焼きそばとコンニャクおでんだったと思います。今は、「富士宮焼きそば」と「静岡おでん」という立派な名前を頂いて、ご当地B級グルメの代表格のように称されていますが、あの頃は、当り前の日常食として、老いも若きも、女性も男性も、日を置かずにひいきのオバちゃんの店に通ったものでした。そんなオバちゃんの店は、いつしか、ハンバーガーショップに取って代わられ、昭和の香りとともに、消えていってしまいました。
高松では、町の至るところにうどん屋が店を構えています。写真のうどんは人気店「竹清(ちくせい)」のかけうどんです。このお店は自分で湯がく「セルフうどん」発祥の店といわれています。トッピングの天ぷらは、オバちゃんが注文を受けてから揚げるので、しばしば、揚げ上がるのがうどんを食べ終えた後になってしまうという何とも微笑ましい「こだわり」のお店です。うどんの文化は、高松では、Macに負けないファーストフード「UDON」としてしっかりと平成を生き抜いているのです。半端ではない高松市民の「うどん好き」に敬意を表したいと思います。

2010年3月21日日曜日

風に吹かれて

小・中学校の同級生で、Uクンという彫刻家の友人がいます。地元に残って、創作活動を行うとともに、美術研究所を主宰し、美術教室を開いています。研究所開設以来、30年間に、幼児から大人まで、延べ3,000人以上の芸術家の卵たちを育ててきたことになります。毎年開催される美術研究所の作品展を初めて拝見させて頂きました。子供たちの作品の今年のテーマは「風」。風にちなんだ、風鈴やヨットなどの作品が並んでいました。写真は、鯉のぼりと「天使の翼」です。子供たちの自由奔放な作品に、会場全体に吹きわたっているたおやかな風を感じました。
Uクンとは、子供時代、発泡スチロールやポリタンクを結び合わせた筏(いかだ)で疏水を下ったり、木から綱をつるしてターザンごっこをやったりと、泥だらけになって遊び回ったものでした。作品展には、あの頃の泥のはねた笑顔を思い起こさせる懐かしさが横溢していました。彼の作品は、今や母校の小学校の他、富士市の様々な学校、公園、公共施設で観ることができます。いずれも、富士の自然の中から湧き出てきたような独特の力強さと土の香りを漂わせた彫像やオブジェです。
彼は、「創作は作品を通じて自らに向き合うことだ」と述べています。そこに芸術家としてのストイックな生き方を垣間見ることが出来ますが、一方で、「多くの人に気軽に芸術を楽しんで欲しい」というのが、彼の信条でもあります。富士市の各処に作品を残す一方で、芸術の種を播き、広める活動に心血を注いでいる姿には、富士市を愛する者として、感謝以上の気持ちを抱かざるを得ません。正直、羨ましくもありますが・・・。
忘れかけていた懐かしい香りの風に吹かれて、ちょっと胸を熱くしながら、春分の日黄砂の舞う中を横浜に戻ってきました。

2010年3月16日火曜日

救世主待望論 - 本田のジレンマ

CSKAモスクワ所属の本田圭佑がマスコミの注目を浴びています。「日本代表の救世主」との表現が多く、W杯本戦3ヶ月前のこの時期、本来であれば、期待と自信が横溢し、マスコミがむしろ過剰な楽観ムードを引き締める役回りを演じなければならないところ、「救世主」という一筋の光明にすがるような論調に終始しているのは、寂しい限りです。
得点力に決定的な課題を残す日本代表には、本田のゴールへの強い意識や独特の得点感覚は是非とも必要ですが、周囲がこのように過剰に持ち上げることは極めて危険だと思います。本田の自らを主張する姿勢は、かつての中田(英)と重なるところがあります。1998年フランスW杯での中田はレギュラー陣で最年少ながらも抜きん出た存在でした。中田の実力を認め、中田を活かすチーム作りを支えたのは、名波と山口(素)のボランチ陣でした。その中田も2006年ドイツ大会では、チームの精神的支柱になりえず、むしろ、チーム分裂の主要因になってしまいました。それが、中田の限界でした。今の日本代表には、ナナもモトさんもいません。ましてや、本田は、まだ「世界のナカタ」に比肩しうるレベルにはありません。そのような状況で、一般スポーツ紙のみならず、サッカージャーナリズムまでが本田救世主論を展開し、問題の本質から目をそらしてしまっていることの危うさに憤りすら覚えます。今は冷静にチーム戦略や本戦での戦術について論じ、それに合わせて代表候補選手が課題の克服を図っていくべき時期なのです。本田は魅力のある選手です。ただ、本田を活かす為には、ナナやモトさんが必要なのです。稲本にはその役回りが出来るかもしれませんが、遠藤や俊輔にそれを強いるのは酷でしょう。彼らのW杯への想いは他の選手の比ではありません。本田を俊輔と並べるにしても、シャドーストライカーとして起用するにしても、これまでのチーム作りを修正せざるを得ない選択です。それでチームを再構成できるのか、十分見極める必要があります。チームの一体感は、日本代表が他国に勝る可能性のある唯一の分野です。ドイツW杯の時のように、その優位性を欠いたままで本戦に臨む愚を、繰り返してはなりません。

2010年3月13日土曜日

ユニットのチカラ - M1王者パンクブーブー

「ルミネtheよしもと」に行って来ました。出演は、フットボールアワー、ロバート、トータルテンボス、パンクブーブーといった、比較的地味な若手中堅ユニット。写真の「はんにゃ」は、残念ながら観ることは出来ませんでした。昨年のM-1王者パンクブーブーは、キャラ的にはインパクトに欠けるものの、計算づくの正統派漫才で会場を沸かせていました。それぞれピン芸人であれば、全くパッとしない2人が、コンビを組むことにより、M1グランプリ王者になってしまう。これが、ユニットのチカラなのでしょう。安定した中にもパワーを感じさせるユニットは、かつてのセレッソ大阪の黄金コンビ、森島・西澤を彷彿とさせます。(このような連想は私だけでしょうが・・・)
サッカーという競技は、パスの出し手と受け手というユニットの組合せから成り立っています。かつて中田英寿氏が「サッカーは数学の方程式で解けるのではないか」といっていましたが、ユニットを足し合わせ、掛け合わせていくことで、チーム力を上げていくことが出来るのではないかと思います。単にベスト11を集めても最強の代表チームにはなりません。むしろ、成熟したユニットを軸にメンバーを構成した方が、選手個々の能力を最大限に引き出すことが出来、より強いチームになるものです。あの伝説の2000年ハッサン2世国王杯。中村(俊)-三浦(淳)の横浜FMコンビと、森島・西澤のC大阪コンビが機能し、フランス代表と互角の勝負を演じました。史上最強の日本代表と言われる2000年アジア杯レバノン大会のチームの軸は、名波-高原のジュビロ磐田コンビでした。
W杯南ア大会まで90日。個々の選手の飛躍的な能力アップは望むべくもありませんし、限られた代表合宿でのチーム力の向上にも限界があります。ユニットのチカラを組み込んでいくのが、最も有効なチーム強化法ではないでしょうか。Jリーグで、複数のユニットのチカラが醸成され、代表に組み入れられていくことを祈らずにはいられません。小笠原・興梠の鹿島コンビは、2人とも代表候補の当落線上の選手ですが、開幕戦で見せたユニットとしてのチカラは鮮烈でした。そして、小野-岡崎のエスパルス・Wシンジコンビを南アで見てみたいと願っているのは、エスパルスファンだけではないと思います。

2010年3月7日日曜日

霊峰富士 - 目線を上げて

この写真は、昨年12月に撮った写真です。ついついアップが遅れて、時期を逸してしまいました。富士市からの冠雪した富士山の姿は、人の巧みでは及ぶべくもない、自然の芸術品です。ちょっと東上した御殿場辺りから観る富士山は、裾野まで雪で覆われ、雪と山肌の境目は斜めに流れる直線です。それが、富士市に面した斜面は、駿河湾に臨む南側である上に、風が強く、写真のように青々とした山肌に映えるきれいな雪紋となっています。富士山のイラストなどで、雪冠がギザギザ模様で描かれるのは、実は、富士市から望む富士山がモデルになっている訳です。
写真の手前に広がっているのは、お茶畑です。「これぞ静岡」といえる風景です。私が育ったのは、富士市でも沿岸の地域でしたので、お茶畑はありませんでしたが、富士山はこの写真以上に裾野まできれいに見渡せました。富士山は、少し目線を上げるといつもそこにありました。富士山に向かって登校し、体育の時間は、跳び箱を富士山に向けて並べ、、「富士山を飛び越えろ」と教えられました。運動の苦手な子が、「富士山に乗っかっちゃったさぁ」と笑いを誘っていたのを覚えています。「胸を張れ、背筋を伸ばせ」と口酸っぱく繰り返していたのは、小学校の担任の先生だったか、中学の国語の先生だったか、忘れてしまいましたが、富士山を見上げることで、自然に目線が上がり、胸を張る癖がついてきたように思います。視線の先には、いつも凛とした美しい姿の富士山が大空を背景にそびえていました。富士市を離れた今では、そんな富士山を望むことは出来ませんが、目線だけはいつもやや上に保ち、見えるはずもない富士山を見上げていたいと思っています。そのおかげで、随分、段差につまずいたり、水溜りに足を踏み入れたりしていますが・・・。

2010年3月3日水曜日

バーレーン戦 - デジャヴ

本田のシャドーストライカー起用は、岡田監督の久々の名采配でした。もっとも、海外組を一人でも多く組み入れたいがための苦肉の策だったのかもしれませんが・・・。「戦術は浸透した。これからは、個々の自由な発想を加えて、応用問題の段階にレベルアップする」と言った途端に、組織そのものがうまく機能しなくなり、結局は「個の力」頼みになる。これは、いつか来た道であり、「デジャブ」の感は免れません。
岡田監督が目指しているサッカーは、所詮「見果てぬ夢」なのかもしれません。スペイン代表のサッカーを見過ぎた夢想家岡ちゃんが、痩せ馬サムライブルーに跨って、W杯ベスト4を目指す。日本版ラ・マンチャの男なのでしょうか。
ちょっと自虐的過ぎる表現になってしまいましたが、メキシコ五輪以来の代表サポーターとしては、自虐ついでにサンチョ・パンサになって、岡ちゃんキホーテに付き合ってもいいかなという気になってきました。後半のメンバーのうち、内田・長友・本田・岡崎・森本と、ほぼ半数は、世界に手も足も出なかった北京五輪メンバー。タレント的には小粒といわざるをえません。そして、オシムが残していった「日本らしいサッカー」の暗示。ショートパスを多用したコンパクトなプレッシングサッカーというのは当然の帰結ではあります。ただ、90分間このサッカーを続けることは、スタミナ的に無理ですし、また、コンセプトへの固執が、今年に入ってからの単調な試合運びに繋がっています。バーレーン戦は、決して満足のいくゲームではありませんでしたが、海外組のイマジネーションが、これまで国内組が築き上げてきた基本コンセプトにアクセントを与えるとともに、いいペースチェンジとなっていたように感じました。俊輔のインタビューの言葉が象徴的でした。「本番では、そうそううまく弾は回せませんから」さすがに、よく判ってます。むしろ、ショートパスの交換からのきれいなサッカーでの得点は、世界を相手に期待薄でしょうが、コンパクトなサッカーが目くらましになって、何でもないロングボール1本でゴールを奪ってしまうということも本番では期待できるかもしれません。これからも基本コンセプトを愚直に積み上げつつ、個のアイデアでリズムの変化を作っていく。いつか来た道であろうとも、これしかないのかもしれません。ところで、2点目は、内田のクロス→森本のつぶれ役→本田のゴールでした。北京組に悪口が聞こえたのでしょうか。