2008年10月31日金曜日

イビチャ・オシム

大阪に出張することになり、駅のキオスクで久々にNumberを買いました。何故か表紙のオシムに惹かれたからです。オシムのロングインタビューに始まって、トルシエ、ジーコ、ヒディンク、マチャラの日本サッカー論は、秀逸でした。日本代表サポーターにとって、これほど価値のある¥530は無いと思います。お勧めです。
もともと、オシムにはうさんくさい皮肉屋の監督というイメージがあり、あまり好きな監督ではありませんでした。ジェフ千葉の走るサッカーは泥臭く、美しいものではありませんでしたし、オシム語録は単にマスコミを煙にまく為だけの思いつきのコメントだと思っていました。しかし、ロングインタビューは高い知性と洞察力に裏打ちされた極めて高度な日本文化論でした。更には、言葉の端々に人生哲学が散りばめられており、完全に打ちのめされました。「日本は、サッカーに限らず政治でも経済でも、あらゆる分野において、アジアで最高の国であり、日本人であることに誇りをもつべきである。日本はあらゆる面でアドバンテージを持っている。W杯予選が総力戦であることを考えると、これは大きな力になる。」水泳や陸上競技を論じる時に「国民性」などとはいいませんし、バスケットボールの国際試合でも「国の総力戦」などという言葉は用いられません。 でも、サッカーは特別なのです。代表チームには明らかに国民性が現れますし、代表戦は国対国の総力戦なのです。オシムは、若手の育成についても苦言を呈しています。「今は内田や安田をもてはやしているようだが、もっと慎重になるべきだ。水野晃樹も同じ。彼らにはピッチ外も含め、まだまだ学ぶべきことがある。」また、カフェでケーキをなかなか選べないインタビュアーに対して「たった5種類しかないのに、なぜそんなに時間がかかるのか。だから日本人は判断ができないと言われるんだ」と、オシム語録は健在です。オシムには、かつての代表監督だったフランス人にはなかった日本に対するリスペクトがあり、ブラジル人にはなかった哲学がありました。それは、彼のユーゴスラビアでの苦難に満ちた半生の中で培われたものなのでしょう。彼のアクシデントの為に日本代表が失ってしまったものが如何に大きいものだったかを改めて思い知らされました。豪州監督としてドイツW杯で日本を下したヒディンクは「日本がもっといいプレーをする力を持っていたことは明白なのに、ラスト8分で豪州に3点を入れられ逆転負けを喫してしまったこと」を指摘し、日本代表の効率と責任感の欠如を問題視しています。マチャラは、「カズやヒデが去り、カリスマを失った日本は明らかに弱体化が進んでいる」と警告を発しています。トルシエは、「日本代表は精神的に安定しているときは本当に強いが、ひとたびメカニズムに問題が生じると、ゲーム運びがアマチュアに戻ってしまう」と分析し、「困難に直面したときに必要とされるのが戦術的規律であり、日本人監督は経験不足ゆえにこの戦術的規律を選手に教えられない」と相変わらずの上から目線で高慢に指摘しています。掲載された各監督のインタビュー内容はジーコを除き理路整然としており、極めて質の高いサッカー論となっていました。このコミュニケーション能力は、残念ながら日本人監督に欠けている部分であり、代表選手たちにも決定的に欠けている部分です。トルシエやヒディンクが指摘している「メカ二ズムに問題が生じたとき」にチームに落着きと冷静さを取り戻させるのは選手間のコミュニケーションです。残念ながら日本人はこのピンチに際してのコミュニケーション能力に決定的に問題をかかえています。以心伝心の国ゆえに、そもそもコミュニケーションが苦手な国民性に加え、苦しいときは弱音をはかず、黙々と頑張るのが美徳とされているからです。このコミュニケーション能力は容易に高められるものではなく、問題意識をもって長期的に取り組んでいかなければならない重要な課題です。若者のコミュニケーション能力が明らかに低下傾向にある現状だけに、益々その重要性は増しつつあります。このような広い視野と多角的な視点をもった人物こそが日本代表監督としてふさわしい訳であり、その為には海外で外国チームを率いることを通じての異文化体験とコミュニケーション能力の向上が必須ではないかと思います。その意味で、残念ながらトルシエの高慢な指摘は否定できません。岡ちゃんや山本さんや反町さんに中東あたりで監督の経験を積んでもらってから、日本代表監督に戻ってきてもらうか、海外での経験を積んだヒデか我等が名波が将来の日本代表監督候補になるのを待たなければならないのかもしれません。それまでは、外国人監督やむなし。次はピクシーもいいけど、大分のシャムスカがいいかもしれませんね。

2008年10月29日水曜日

良い子は道路でサッカーをしてもいいの?

再び、リトアニアでのお話です。
朝、町を散歩していると、右の写真の標識を見つけました。「良い子は道路でサッカーをしてはいけません」って標識ですよね。「車が通るから危ない」と。ところが、もう少し先で、今度は赤い斜線の無い標識を見つけました。この道路はサッカーOK?ホテルのフロント係に標識の意味を聞いたら、自分は判らないということで、いかにも物知りそうな掃除のお爺ちゃんをつかまえて、通訳してくれました。どうも、赤い斜線の方の標識は、「狭い道路なので人も車も進入禁止」。赤い斜線の無い方は、「道路は狭いけれど車も人も入ってOK」ということらしいです。大人と子供がサッカーをしているように見える絵柄は、単に大人と子供が歩いている絵柄とか。でも、「夜になると若い連中が道路でサッカーしてるよ」とウインクしながら、お爺ちゃんが説明してくれました。
リトアニアは、現在、南アW杯欧州予選でフランスやルーマニアといった強豪を抑えてグループトップ争いをしています。最新のFIFAランキングも前回の54位から急上昇して、日本の32位のちょっと下の37位。お互い頑張って、南アで戦いたいものです。それにしても、「ストリートサッカー」っていい響きですよね。日本でも昔は「路地裏での親子のキャッチボール」ってのがありました。あのボールを受けてから投げるまでの間合いがコミュニケーションにちょうどよかったし、ボールを相手の胸めがけて丁寧に投げ込む気持ちってとても大事なことだったんですけどね。まさに心の交流の一刻(ひととき)だったのですが・・・。そんな意味もあって、ストリートサッカーには憧れますし、ストリートサッカーの国にはどうあがいても追いつけない何かを感じます。昔、高校から駅までの帰り道、ひとつの空き缶を最後まで蹴り続けられるかどうかっていう遊びをしていましたが、あれも一種のストリートサッカーだったといえるのかどうか・・・。

2008年10月26日日曜日

石田三成・・・歴史のIF




上の写真は、関ヶ原合戦まつりの石田三成軍団です。三成役は「義の人」がテーマでしたが、いかにも一徹そうな雰囲気をかもし出し、なかなかの適役でした。三成の旗印は「大一大万大吉」。縁起の良い言葉が並んでいますが、「大とは天下を意味し、天下のもとで一人が万民のために、万民が一人のために尽くせば、すべての人が吉(幸福)となり、太平の世が訪れる」という意味だそうです。小早川が寝返らずに、三成率いる西軍が勝っていたら、どんな治世となっていたか興味のあるところです。ただ、九州に島津、四国に長宗我部、中国には毛利、上方・東海を三成が治め、信濃・甲斐から関東にかけて真田、東北に上杉という群雄が割拠し、結局は戦国時代に逆戻りし、三成の望んだ太平の世はこなかったかもしれません。全国大学キャンパス巡りが趣味で、歴史に造詣の深いKさん(今回の旅の企画者)曰く、「それよりも、本能寺の変がなく、織田信長が生きていたら、日本は変わっていたでしょうね。国際的な視野をもった革命児織田信長が、徳川・豊臣・前田・明智などの優秀な武将を駆って、第二のチンギスハンになっていた可能性があるんじゃないですか?少なくとも東南アジアまで版図を広げていた可能性はありますね」歴史にIFはありませんが、徳川264年の歴史の中で染み付いた日本人の島国根性が変わっていたことだけは確かかもしれません。(下の写真は、名波ジャパン10の携帯電話です。ジュビロ7番の携帯クリーナー、坂本龍馬のフィギュアに今回「大一大万大吉」の蒔絵シールが加わりました)

2008年10月25日土曜日

嗚呼、関ヶ原

関ヶ原町は、名古屋から米原行きの東海道線に乗って40分ちょっとの人口8千人の小さな町です。この小さな町に18日、19日の2日間日本全国から延べ3万5千人の歴史マニア・戦国時代マニアが集まりました。町制80周年を記念して行われた関ヶ原合戦まつりは、19日笹尾山から町役場までの武者行列と町役場前の広場で繰り広げられた合戦絵巻でクライマックスを迎えました。甲冑に身を固めた各部隊の武将や武者たちは全国から公募で集まった面々で、緊張した面持ちながら嬉々として演じる姿には微笑ましいものがありました。全国のボランティアに支えられて盛大に行われた小さな町の素晴らしいイベントでした。町おこしのひとつの姿を示していたのではないでしょうか。
驚いたのは、参加者に若い女性が多かったこと。裏切りにより東軍に勝利をもたらした小早川秀秋(写真)役は女性で、その部隊も全員が女性でした。観客も女性3、4人のグループが目立ち、彼女たちの話を聞いていると、生半可な知識ではなく、歴史ウンチクのオジさんも太刀打ちできませんでした。彼女たちの一番人気は、大谷刑部吉継。白い頭巾姿に「大谷さ~ん」の黄色い声援が飛んでいました。集まった女の子たちは、知的好奇心が強くて、活動的で・・・、サッカーの「なでしこ」といい、女性陣に押されまくっている男の子たちには頑張って欲しいものです。
今回の旅行は、同僚の全国大学キャンパス巡りを趣味とする歴史マニアKさんに誘われてのものでした。「多彩な趣味をもつ友人からの誘いには万難を排して乗る」という人生訓を実践することで、人生は随分豊かになるものです。今回も、笹尾山の石田三成の陣地跡から関ヶ原を見渡して400年前の天下分け目の合戦に想いを馳せ、広々とした気持ちとなり、浮世の憂さやウズベク戦の引分けなど全部吹っ飛びました。感謝、感謝。

2008年10月19日日曜日

ウズベク戦反省会@西新宿高層ビル街

10月16日西新宿高層ビル街の地下の韓国料理屋でSuper TatsuyaとSuper Rooneyとの3人でウズベク戦の反省会を行いました。(高層ビル街の地下というのが渋い。)Super StarとSuper Owenは仕事の為欠席。
まずは監督論。ジーコの4年間の空白に比べて、岡ちゃんはやるべきことは着実にこなしているが、監督としてのカリスマ性に欠けるし、やはり参謀として力を発揮するタイプでは?タイミングをみて(監督として意外な実力を発揮している)ピクシーに監督を禅譲するのがいいのでは。それにしても、ドゥンガのファッションセンスはひどい(関係ないか)。
次にDF。闘莉王の力量はずば抜けているが、彼がいる限り中澤がDFラインを統率出来ない。守備を考えた場合、闘莉王は思い切ってFWにコンバートして、DFからははずすべき。これにはレッズサポのSuper-TもAgree。名波の「日本は3バックでいくべき」との暴論(?!)はあっさり却下。CBは当分中澤・阿部でいきましょう。ただ、DFの新戦力の発掘は必須。MFは誰でもOK。本当に駒は豊富になりました。これもキャプテン翼の功罪あい半ばするところ。日本に優れたFWが育たない原因?FWは高原・達也の2トップで決まり。レッズでコンビネーションを磨いて、そのまま代表の2トップになって欲しい。かつての、ゴン・高原、西澤・モリシのコンビのように。それにしても怪我の多い2人。ピークは過ぎてるのかな。
話はつきませんでしたが、飲み放題の時間切れとともに、タイムアップ。

2008年10月16日木曜日

2戦勝ち点4 - All for 2010

スタメンはほぼ想定通り。一押し香川も先発としていい働きをしていたと思います。FKもそこそこ取れて、ここまでは予定通り。ただ、写真のようにFKのボールを前にして俊輔・ガチャピンが話合うシーンがゴール正面ではなく、サイドに集中していたということは、中に切り込んでの切り崩しが出来ていなかったということ。サイド攻撃を基軸とする戦術は貫き通すべきだし、何となく形になってきた感がありますが、それに組み合わせる形で、正面での崩し、少ないタッチでの早い中央突破が点を取るために必要です。そのキーマンはワントップ。玉ちゃんは同点ゴールをあげた殊勲者ではありますが、その他のシーンでは消えていました。というより、めまぐるしくポジションチェンジをする香川と大久保にポジションを消されていました。3人の組合せは決して悪くないと思いますが、連携を磨く必要があります。守備面では残念ながらUAE戦での教訓は生かされませんでした。あのエアポケット状態は、根本的な手を打たないと致命傷になりかねません。守備意識の高いFW陣と攻撃意識の高いDF陣という組合せは相手陣内での戦いでは力を発揮しますが、大きく縦・横に展開されるカウンターにはもろさを露呈します。攻撃モードから守備モードへのギアチェンジがワンステップではなく、切替えの際一旦ニュートラルでアイドリングするというエアポケットが生じてしまうのです。ここ数試合同じ過ちが繰り返されており、これはシステムの問題です。中澤・闘莉王は卓越したCBではありますが、一度引退した選手と怪我をかかえている選手に頼らざるをえないというのも、やはり問題であり、そもそもDF陣の強化が大きな課題です。
ホーム初戦のウズベク戦、不満と不安の残るゲームでしたが、2試合終わっての勝ち点4は、当初の計画通り。一方で、若手の思い切った起用で代表の若返りが進んでいるのは計画以上。W杯予選は、勿論W杯出場の切符をつかむ為の戦いですが、一方で、W杯本戦で世界を驚かせるチームを作る為の重要なプロセスでもあります。その意味では、岡ちゃんは着実に実績をあげており、マスコミが現時点で辞任云々を取り沙汰するのは論外ではないかと思います。すべてはW杯本戦での活躍に向けて-All for 2010というのはあまりに楽観的過ぎるでしょうか?

2008年10月14日火曜日

いよいよウズベク戦

いよいよ明日はウズベク戦。バックは、闘莉王と阿部が戻りそうですね。阿部のSBというのはどうかと思うのですが、流動的なゾーンで守るという4バックならぬ3.5バックということでしょうか?ボランチは、遠藤・稲本のゴールデン世代復活?俊輔・香川に大久保を絡めて、玉田のワントップというところでしょうね。途中から興梠使ってみたいですね。いずれにせよ、守備に集中して失点をしないこと。はっきりと3バックでもいいのでは?FKのチャンスをひとつでも多く作って、その中のひとつを決めればいいくらいの気持ちでやれば、いいんじゃないですか?とにかく、ペナルティエリア付近ではつっかけて、強引にシュート体制に持込むこと。それで、相手のファールを誘う。(但し、大久保のシミュレーションは厳禁!)ホームらしいゲームにこだわる必要なし。今回は、内容よりも勝ち点3。俊輔のFKからの1点、流れからの香川の2点目で2-0の快勝となれば文句なし。明日は、森林インストラクターN隊長と勝利を祈ってトンカツを食してから埼玉スタジアムで生応援です。天気は雨が昼過ぎにあがって、試合開始時は曇りか晴れ。本番の天気を見越してUAE戦でピッチに水を撒きまくった岡ちゃんの作戦は、まずは成功。いい予行演習が出来たことになりますが・・・。(写真は、「S女史」改め「反町姫」撮影のUAE戦。S女史ではあまりに硬いので、勝手に命名させて頂きましたが、如何でしょうか?「苦しゅうない」との言葉が返ってきそうです。)

2008年10月13日月曜日

Project MJ78



数年前から、ネットに頼らず時刻表のみを駆使して完璧なスケジューリングを組むN隊長(森林インストラクター)と抜群の体力と料理の腕前を誇るシェルパ兼シェフTとのトリオで登山+秘湯巡りの旅を企画しています。今回は、岩手へのMysterious Japan Tour(藤温泉と幡平の旅)=コードネームMJ78を実施しました。(78という数字は私にとって特別な年の数字でもあります。)今回のコンセプトはMJにちなんで「黛ジュン(MJ)」。お酒は、黛ジュンのレコード大賞曲「天使の誘惑」にちなんで、同名の幻の焼酎を用意しました(写真の酒瓶の背景は南部片富士=岩手山)。また、お昼のメニューは、もうひとつのヒット曲「雲にのりたい」にちなんで、「雲丹(うに=くもに)」「海苔(のり)」をまぶした豪華海鮮丼が1日目、2日目は「タイ・ラーメン」の食材をシェフTが調達しました。1日目は八幡平が強風の為、頂上での調理を断念。レストハウスでライスのみを注文して、シェルパTが担いできたウニ・カニ・シャケ・イクラ・刻み海苔を載せて、インスタント味噌汁つきの写真のような豪華海鮮丼を堪能しました。八幡平の三大眺望地の茶臼岳・源太森・もっこ岳はいずれも遠くに岩手山を望む360度の眺望が楽しめるまさに絶景ポイントでした。お勧めです。また、藤七温泉では、道路わきの荒地に豪快に6つの露天風呂を配した野趣溢れる「ジス・イズ露天風呂」に心と体をとろかせました。泉質は硫黄泉で、青みがかった乳白色のお湯は、Mysterious Japanのコンセプトにぴったりでした。写真は、秘湯の宿「彩雲荘」の露天風呂につかりながら拝んだ岩手山の山すそからのご来光です。 4ケ所の露天風呂を巡り、入浴回数延べ10回。肌も脳みそもすっかりふやけました。浮世を忘れるとはこういうことなのでしょう。Project MJ78, Mission Complete! (八幡平:日本百名山・花の百名山、峡雲荘・松楓荘・彩雲荘:秘湯を守る会会員旅館)

2008年10月9日木曜日

U-19リトアニア代表とUAE戦

私を担当している運命の神様は、暇つぶしなのか気まぐれなのか、時々とんでもなくお洒落な計らいをしてくれます。前回のブログで元GKのリトアニアの工場長が登場しましたが、帰国の為フランクフルトへ向かう飛行機で赤と白のトレーニングウェアの一団と一緒になりました。何とリトアニアのU-19代表チームでした。ドイツで開催されるミニトーナメントに出場する為に遠征するということでした。平均身長は175CMといったところでしょうか。決して大柄なチームではありませんでした。ほとんどが短く刈り込んだ金髪で、瞳は灰色がかったブルーのイケメン揃い。飛行機の中では最後尾にギッシリと押し込まれて、本や新聞(さすがにスポーツ新聞でしたが)を読んでいました。少なくとも漫画を読みふけったり、TVゲームに興じている選手は皆無。頑張れ、リトアニアU-19!
ところで、帰国していきなりのUAE戦。今の代表チームは、追い込まれないと、とてもぬるい試合をしてしまいます。実は、ウズベキスタン戦はアウェーでのバーレーン戦勝ち点3を食いつぶしてしまいそうないやな予感が抜けなかったのですが、バーレーン戦に続くUAE戦でのみっともない失点で、かえって守備の連携が修正され、失点ゼロでいけるんじゃないかなとむしろホッとしています。1-0の勝ち点3が見えてきました。香川・興梠がよかったですね。ぬるい雰囲気を変えるのは、この辺りの若手。ウズベク戦で使ってもいいんじゃないですか?彼らがW杯予選本番で実力を発揮出来れば、本物。ようやく、世代交代が進みます。15日の天気予報は曇りですが、今回ピッチに水をまいたのは雨を予測しての岡ちゃんの深慮遠謀?ぬるい雰囲気に活きのいい若手の投入で喝を入れたり、岡ちゃんのやっていることは間違ってはいないとは思っているのですが、それで結果が出るかどうかが監督の本当の実力ではあります。

2008年10月8日水曜日

リトアニア魂

今回訪問した工場は首都ヴュリニュスから車で約1時間の人口6,000人の村の中にあります。従業員が1,200人ですので、村のほとんどの家庭が何らかの形でこの工場にかかわっていることになります。また、工場の体育館は村の重要な施設となっており、最近は工場の寄付により新しい教会が建てられ、村人は非常に喜んでいるとのことです。工場は人口湖のすぐ横に緑に囲まれて立地しており、素晴らしい環境です。工場長は足が不自由な為車椅子を利用している70歳を超える老人ですが、謹厳とした顔つきの中に常に笑みをたやさない好人物です。旧ソ連時代は、サッカーの州代表のGKをつとめ、電子関連の国営企業に勤務していたそうです。リトアニアは、かつては帝政ロシアに支配され、一時独立していたものの、戦後再び旧ソ連に併合され、ソ連崩壊とともにようやく独立を回復したという歴史があるだけに、ロシアに対する憎悪というものは並々ならぬものがあります。それだけに、日本の北方領土問題も知っており、日本人には親近感を覚えているようです。日本版シンドラーとして知られる杉原千畝の記念碑も残されており、日本から贈られた桜の花が毎春川辺を彩るということで、意外なところで日本とのつながりを発見するのも旅の喜びのひとつです。(今回は出張なので、旅とはいえませんが)
工場長が昔勤めていた旧ソ連の電子企業にVTRを開発せよとの国の命令が下り、日本製VTRを手に入れて技術者総掛りでそのコピーを製作したことがあったそうです。彼は、中心部分のICの解析・複製を担当し、かなり苦労したとのことです。「一から独自に開発した方がかえって早いのに、あくまで外国製品のコピーにこだわるのがロシア人だ。だから、ロシアはあれだけの大国なのに、いまだに独自のブランド製品がない」とのこと。なるほど・・。「サッカーの選手時代は、ウラジオストックまで遠征し、着いた翌日時差ボケのまま試合をして、そのまま帰ってきたり、大変だった。ただ、スポーツの代表選手になって遠征することだけが、地元を離れて旅行する唯一のチャンスだったので、何とか代表選手になろうと頑張った」そうです。旧ソ連時代の苦労話・恨み節は際限なく、だからこそ今の自由と平和を大事にしたいということなのでしょう。リトアニア魂を感じました。(写真は工場のエントランス)

何故かリトアニア・・・

仕事の関係で一昨日からリトアニアに来ています。北海道よりちょっと狭い国土に横浜市よりちょっと大目の人が住んでいます。東欧と北欧の境に位置するバルト3国のうちのひとつです。冬の気候は厳しく、秋から冬にかけては曇りや雨の日が続き、そのせいか、自殺率が世界で一番高い国になったこともありました。ちなみに最新のFIFAランキングは日本より約20位下の54位。あのウズベキスタンよりは3つ上です。
空港から市街への道は、街灯も少なく、霧が重くたれこめて、ドラキュラが出てきそうな感じでした。翌朝も、街並みは朝もやにかすみ、街ゆく人々は、コートの襟を立てて、うつむくながら、足早にそれぞれの職場に向かっていました。陰鬱な冬に向かいあう準備は出来ているようです・・・・・。
ところが、昼になると、澄み切った空気に抜けるような青空が広がり、Indian Summer(小春日和)とかで、硬質な空気の冷たさと緯度の高い国独特のまばゆい陽の微妙な温かさが見事に調和した素晴らしい天気になりました。これもリトアニアなのでしょう。先入観や固定観念で物事をステレオタイプに押し込んで見ようとしてはいけないということです。首都ヴュリニュスの街並みは世界文化遺産にも登録された中世の名残を留める落ち着いたたたずまいです。石畳の道路の両脇には、ロシア正教やカソリックなどの教会やバロック調の建物が並びます。同行したエイリアンGさんは食事もすっかり気に入り、「ここには住めそうです」と言っておりました。(写真は、夜来の雨に濡れそぼり朝もやに霞むビュリニュスの街並み)

2008年10月5日日曜日

AIG Open - 今回はテニスです




今日10月4日は、消防士のKさんと内科のN先生に誘われて、同僚のセミプロカメラマンSさんとテニス観戦です。(朝10時から夜8時半まで、10時間半!5試合たっぷり満喫しました。)お目当ての錦織は、残念ながら既に敗退で、観ることは出来ませんでしたが、男子シングルス準決勝は錦織を破ったガスケ(仏)とアルゼンチンの新鋭デルポトロ。ガスケの多彩なショットとデルポトロの長身を最大限に利した強打の対戦は見応え十分でした。惜しくも敗れたとはいえ、ガスケのラケットコントロールには魅せられました。178CMという日本人並みの体格にも親近感を覚えます。ガスケのプレーを見ていると、自分も出来そうなイメージが・・・。こういったイメージの刷り込みが大事なんでしょうね。こんないいゲームを生で子供たちに見せてあげていると、とんでもない選手が育ってくるのでしょうが・・・。如何せん、チケット代高すぎです。それに、男子シングルスの決勝は、198CMのデルポトロと195CMのデビリッチの巨漢対決。錦織に期待のかかる日本テニス界ですが、世界は益々遠く(高く?)なりつつあります。残念だったのは中村・森田組が決勝に進出した女子ダブルス。あと一歩及ばず優勝を逃しました。でも、対戦ペアのシングルスランキングとは、それぞれ70位以上離れており、普通ならば、相手にならないところですが、そこがダブルスの面白さ。1+1=3のダブルスの妙を見せてもらいました。ところで、会場でテニススクールの鬼コーチSコーチとお会いしました。「ガスケはうまいですね」と声をかけたら、「ロディックはフォア下手だね」とポツリ。常々、只者では無いとは思っておりましたが・・・。(写真は、ガスケのサービスとデルポトロのリターン)

2008年10月1日水曜日

バックスタンドのそら耳 No.7 本当の最終回

機上で「今度こそ最後の北京便り」を書いています。
点を取りにいかなければいけない試合に、何故、また李のワントップだったのか?本田・細貝の守備的ボランチに安田・香川の攻撃的左サイドのミスマッチがカウンターによる2失点の原因ではないか。何故、谷口のトップ下にこだわり続けたのか?ホテルに戻ってからの反省会は深夜まで続き、新潟アルビ・サポーターを中心とする反町擁護派が反町批判派をかろうじて上回る結果でした。「それでも責任をとらざるをえないので、反町はアルビで引き受ける」とのアルビ・サポの一方的宣言に、「清水東つながりで健太からの監督の移譲もありうる」というエスパルス・サポはかなり押され気味でした。
選手からも「チームの軸が無かった」というまだオランダ戦を残しながら大会の総括的な監督批判まがいの発言まであったとのことです。残念でなりません。韮崎高校出身のツアー参加者長老の「これで暫くは日本のサッカー熱も冷めるな」の一言が重く響きました。
香川のミスの多さは目をおおうばかりでした。戦犯香川の声は強くありました。19歳の若さは理由にならない。世界では19歳でもトップスターとして活躍している云々。ただ、交替前のわずかな時間に取り戻した本来の輝きは世界に通じるものでした。反町さんが惚れ込んだ逸材は必ずや世界に飛躍する選手に育ってくれるものと信じます。
やはり、問題は、反町さんも繰り返した「日本らしさ」だと思います。「日本らしさ」の良さも悪さもつきつめて、本当に「日本らしい」サッカーで世界と戦い、勝ち負けを重ねていく過程が大事なのだと思います。もしかしたら、どうあがいても所詮世界の30位前後のサッカー中進国が限界なのかもしれません。それでも、「日本らしい」サッカーを応援することでサポーターは一緒に共感して戦うことができ、満足を得られるのです。EUROを制したスペインのサッカーがお手本になることは、よく言われることです。ただ、選手個々の実力・イマジネーションには大きな隔たりがあります。今はそれをつめて行く努力が必要なのだと思います。まずは、2010年、南アに向けて。
今回の中国は、実に20年振りでした。その変貌振りは日本のこの20年間の比ではありません。全く別世界の感がありました。まさに「やれば出来る中国」「中国、恐るべし」でした。ただ、その本質部分の冷ややかな塊は、依然としてそこに存在していました。「自由の抑圧」が日常のスマイルを奪い去ったままにしているのだと思います。この氷塊を解かしてしまわない限り、中国の国際社会への本格的復帰・更なる飛躍は無いものと確信します。もしかしたら、この五輪がその扉を開くかもしれません。中国共産党は威信をかけた五輪開催により、彼らにとってのパンドラの箱を開けてしまったのかもしれません。 日本のサッカーを中国という大国の現代史に重ね合わせるのは、如何にも不敬ですが、日本サッカーの抱える氷塊と中国の氷塊、どちらが先に溶けるのか。どちらにせよ、それは、そんなに遠い先ではないような気がします。
ながながとお付き合い、有難うございました。ところで、何人かの皆さんは覚えていらっしゃると思いますが、北京便りNo.2に登場したジュビロ+アルビ・サポ(=反町信者)のSさんですが、ナイジェリア戦終了後ピッチを後にしてロッカールームに引き上げる反町監督に向かって、スタンド最上階の5階席から精一杯の慰めの声をかけるとともに、「反町監督、男前~」と絶叫しておりました。応援は「大いなる愛」です。どんな状況であれ、サポーターたるものこうでなければいけません。感動しました。一足先に帰国する私にアルビ特製のバンドエイドを頂きました。またどこかでお会いできればと思います。またひとつ良い出会いがありました。これだからサッカー観戦ツアーはやめられません。「バックスタンドのそら耳」次回配信は、2年後の予定です。 - 8月11日 (写真は米国戦後観客席を見上げながら引き上げる反町監督)