2013年1月28日月曜日

銀山温泉 - 護り続ける人達

銀山温泉は、山形新幹線大石田駅からバスで山道を40分ほど分け入った秘湯です。銀山川に面して、木造漆喰壁の洋風多層建築が軒を並べ、夕刻ともなると橋の袂のガス燈が街並みを照らし、大正浪漫の情緒溢れる素晴らしい佇まいの温泉街です。名前は、江戸初期に栄えた銀の鉱山、延沢銀山に由来しています。延沢銀山自体は江戸中期には閉山となってしまうのですが、能登出身の坑夫によって発見された温泉は、その後も湯治場として残り、大正に至ります。しかし、大正元年、銀山川の大洪水によりほとんどの温泉宿が流されてしまうという壊滅的打撃を受けてしまいます。その後、水力発電所の建設で活気を取り戻し、地元資産家の援助の下、昭和初期に温泉宿が一斉に洋風多層建築に改築し、現在の街並みとなりました。歴史の荒浪を乗り越えてきた由緒ある温泉街です。
そして、ひとつひとつの旅館にもドラマがあります。温泉街の中程にお洒落な現代風の建物があります。看板は掲げていません。銀山温泉の中で最高級の旅館「藤屋」です。金髪の米国人女将の宿として人気を集めた旅館でしたが、現在、民事再生法の適用を受けて再建中です。2006年に著名な建築家の設計による大規模な建替えを行い、部屋数を3分の1の8部屋に減らし、宿泊代は逆に3倍に値上げし、高級化を図りました。しかし、客足は遠のき、折悪しくリーマン・ショックの直撃を受け、倒産を余儀無くされてしまいました。今では、なかなか予約が取れない旅館として有名ですから、再建は順調に進んでいるのかもしれません。各旅館とも老朽化が進み、その修繕に頭を悩ませているようです。中には修繕費の手当てがままならず、客室を閉鎖し、立寄り入浴のみの営業を行っているところもあります。今回お世話になった「能登屋」は、銀山温泉のシンボルともいえる景観を有する老舗旅館です。ご多分に漏れず、建物の老朽化が進み、最近、半年間休業し、外観は保ちつつ、補強工事、内装工事を行いました。人気旅館ではありますが、経営は決して楽ではないと思います。仲居さんも3名で頑張っておられ、宿泊当日は、お一人が急なお休みで、お二人で頑張っておられました。目の回るような忙しさの中笑顔を絶やさず対応する二十歳そこそこの若い仲居さん、、各部屋を挨拶して回る若女将の凛とした立ち居振る舞い、雪の中背筋を伸ばして客の出立を見送る大女将の姿には、日本の女性の美しさを見た想いでした。時代の要請に合わせて変わり続けることは大事なことですが、そのような時代への適応は、変えてはいけない大切なものを護る為の変化なのです。そして、そのかけがえのない大切なものを護っていくことは、とても大変なことなのです。老舗旅館、昔ながらの素朴な饅頭を作り続ける和菓子屋、目を見開いたこけしの工芸店。銀山温泉郷で、タイムスリップしたような大正浪漫の美しい街並みとともに、自然と時代の風雪に耐え、日本の大切なものを護り続けている人達の姿に触れることが出来ました。みんなに宣伝し、自らもまた訪れることで、護り続ける人達をわずかでも支えていけたらと思っています。(今回もM会長、N隊長、シャフパTの秘湯仲間で訪れました。この絆も護り続けていきたい大切なもののひとつです。)

2013年1月24日木曜日

Come Together ‐ The Endへの哀歌

年末放映されたロンドン五輪総集編の録画を見直していて、開会式でThe Beatlesの「Come Together」が演奏されたのに気が付きました。この曲は、スタジオ前の横断歩道を4人が渡っているカバージャケットがあまりに有名なアルバム「Abbey Road」の1曲目に収録されています。このアルバムは、1969年9月にリリースされました。その後「Let it be」が1970年5月にリリースされ、この「Let it be」がThe Beatlesのラストアルバムとなりました。しかし、「Let it be」の最終録音となった伝説のループトップ・コンサートが行われたのは1969年1月であり、「Abbey Road」の録音が行われたのは1969年7月ですから、実際は「Abbey Road」がThe Beatlesの製作した最後のアルバムということになります。
アルバム「Let it be」で、The Beatlesの末期的な状況を悲しんでいたPaulは、もう一度昔のようにやり直したいとの思いをこめて「Get Back」を歌っています。夢に出てきた母Maryの「Let it be(あるがままに受け入れなさい)」との啓示にもかかわらず・・・。「Abbey Road」の中には、このPaulの「Get Back」の呼びかけへの各メンバーからの返歌が散りばめられています。メンバーの仲を取り持つことにすっり疲れ果てたRingoは「Octopus' Garden」で「海の底にもぐって静かに暮らしたい」と歌っています。録音中にスタジオを飛び出してしまい数日戻ってこなかったGeorgeは、その時の思いを「Here comes the sun」で「It's beeen a long, cold, lonley winter」だけど「It's alright」と自らを励ましています。The Beatlesの解散にはオノ・ヨーコが大きくかかわっていると言われていますが、Johnは「I want you」で「She's so heavy」と歌い、The Beatlesよりもヨーコを選択することを宣言しています。そして、「Come Together」。John特有のサイケデリックな歌詞です。日本で発売された当時のレコードの歌詞カードには「対訳不可能」と書かれていたそうです。歌詞は4節に分かれており、それぞれThe Beatlesのメンバーについて歌ったものだという説があります。第1節で「Hair down to his knee(髪を膝まで伸ばした)」George(写真:かなり長髪)を「He just do what he please(好き勝手にやっている)」と切り捨てています。2節目で「He wear no shoeshime(裸足の)」Paul(写真:確かに1人だけ裸足)には「He shoot Coca-Cola (コカインをやって)」「He say "I know you, you know me"(お互い知った仲じゃないかというけど)」「One thing I can tell you is you got to be free(ひとつだけ言えることは自由になっていいよということ)」と突き放しています。第3節はJohn自身について「He got Ono sideboard he one spinal cracker(オノという食器棚と一緒に(交通事故で)背骨を傷めた)」Johnは「Hold you in his armchair you can feel his disease(肘掛け椅子でヨーコを抱く。ヨーコには彼のみじめさが判るだろう) 」と嘆いています。最終節はRingoということになります。「He got early warning(早くからグループ内の亀裂に警告を発し)」「 He got muddy water he one mojo filter(泥水の中でフィルター役になっていた)」Ringoは「 Got to be good-looking 'cause he's so hard to see(目立たない存在ゆえにカッコいい奴になった)」と多少持ち上げています。
難解なのは「Come together right now over me」のリフレイン。「みんな、また、俺と一緒にやろうぜ」という単純な訳では歌詞の流れと矛盾してしまいます。「Over me」がカギなのでしょうか。「俺を超えて」なのか「The Beatlesを超えて」なのか。そういえば、Johnの発する「シューッ」というガイドボーカルは、The Beatles Anthology 3のバージョンでははっきりと「Shoot me!」と聞こえるそうです。この言葉にJohnがどう様な思いを込めていたのか、今は知る由もありません。

2013年1月21日月曜日

敗者なき戦い ‐ 高校サッカー決勝戦

大雪の為1週間延期された高校サッカー選手権決勝戦は、1月19日グラウンドやスタンドの一部に雪が残る国立競技場で開催されました。出生地の宮崎と大学時代を過ごした京都という両方所縁のある県代表の戦いとなりましたが、今回は準決勝で魅せられたブラバンと仙頭君に惹かれて、京都橘の応援団席で観戦させてもらいました。試合は大方の予想通り攻撃力に勝る京都橘が押し気味にゲームを進め、仙頭君と小屋松君の絶妙なコンビネーションで鵬翔の鉄壁の守備陣を切り裂き、先取点と勝越し点を決めます。しかし、鵬翔は高さを活かしたセットプレーからのヘディングでのゴールと強引なドリブルからのPKで追いつきます。延長戦はさすがに両者ともに足が止まり、攻めに決め手を欠いたままホイッスル。決着はPK戦へ。PK戦では往々にしてヒーローが外したりするものです。米国W杯でのバッジオ、シドニー五輪での中田英・・・。今大会の得点王で最も輝いていた仙頭君が京都橘の最初のキッカーとして蹴りましたが、スピードを抑えて右隅を狙いすましたシュートは、無情にもポストに跳ね返され、PK失敗。もう数センチ内側であったら、ゴール内に跳ね返っていたであろう際どいボールでした。結局この失敗が両チーム唯一のPK失敗となり、優勝の栄冠は鵬翔へ。PK戦が続いた今大会を象徴する幕切れでした。センターサークルから勢いよく飛び出す鵬翔イレブン、その脇で膝から崩れ落ちる京都橘イレブン。PK戦の間は両チームのフィールドプレーヤーはセンターサークル内に留まらなければならないというルール故に繰り広げられるセンターサークル内のドラマです(写真)。
CKをゾーンで守る京都橘の陣形を見て全員で飛び込む戦術でゴールをもぎ取った鵬翔の執念、強引過ぎるほどのドリブルでゴールマウスに突き進んだ迫力も見事でした。そして、6試合中4試合をPK戦でしぶとく勝利し、栄冠を勝ち得たのは精神的強さがあってこそであり、讃えられるべきであると思います。但し、サッカーに技術点、芸術点があったならば、京都橘の圧勝。京都橘の美しいサッカーは敗者という言葉にそぐわないものでした。決勝戦は、延長戦で決着がつかない場合は両校優勝でいいのではないか。心からそう思った敗者なき決勝戦でした。

2013年1月13日日曜日

「楽しもう!」 ‐ 高校サッカー準決勝

新春の陽光が眩しい国立競技場。絶好のサッカー観戦日和でした。第1試合の鵬翔(宮崎)vs星稜(石川)は星稜が先行しては鵬翔が追いつくという息詰まる展開。結局2-2の同点でPK戦へ。本大会準決勝までの46試合中そのほぼ3分の1にあたる15試合がPK戦での決着となっています。鵬翔自体も5試合中実に3試合PK戦での勝ち上がりで決勝に進出することになりました。大会の過密日程を考えると、1回戦からの延長戦導入は難しいかもしれませんが、せめて準々決勝からは延長戦を導入出来ないものでしょうか。(高校サッカー選手権は、準々決勝まで試合時間40分ハーフ、準決勝から45分ハーフとなり、延長戦は決勝のみ。)PK戦の間、両チームのフィールドプレーヤーは、キッカーを除き、センターサークル内に留まっていなければならないというルールがあります。このルールのおかげで、センターサークル内のドラマが繰り広げられることになります。PK戦決着の瞬間、センターライン上に膝から崩れ落ちたのは黄色いユニフォームの星稜の選手達。センターサークルから両手を挙げながら勢いよく飛び出していったのは鵬翔の選手達でした。
第2試合は、勢いに乗るダークホース京都橘が優勝候補桐光学園を圧倒した試合でした。体を張った粘り強い守備でゴールに鍵を掛け、高い位置からのプレスでボールを奪取して鋭いカウンターを仕掛け、3-0の快勝。司令塔仙頭君(写真右下のキッカー)のパスワークが冴えわたりました。サッカーセンス・技術ともに素晴らしい選手です。京都橘で仙頭君にも増して魅了されたのが、応援のブラスバンド(写真中央)。全日本マーチングコンテストで金賞を受賞したこともある吹奏楽部だけに、演奏は見事でした。スウィング・ジャズの定番「シング・シング・シング」は鳥肌ものでした。今大会の応援リーダー遠藤選手(G大阪)のメッセージは「楽しもう!」京都橘はピッチ上の選手も、スタンドの応援団も精一杯楽しんでいたように思えました。「サッカーを楽しんでやることが一番!それがすべてにつながる。」(遠藤保仁)

2013年1月5日土曜日

2013年 ‐ 現実に向い合う長い道のり

年末に続いて映画「レ・ミゼラブル」を観ました。前回は、とにかく音楽に圧倒され、ストーリー展開や映像の細部にこだわる余裕がなかったので、今回はじっくり観ようと、ポップコーンも控えて臨みました。前回観終わって胸に残ったのは、感動を超えた「切なさ」。今回、登場人物それぞれを追うことで、その「切なさ」の正体が判りました。主要な登場人物の殆どが、その夢や希望を叶えることなく、命を失っていく物語なのです。そして、その他の名もないキャスト達は夢とか希望を抱くことさえも許されない境遇にあります。まさに、小学生の時に読んだ原作の邦題「あゝ無情」。全編にわたって流れる「I Dreamed a Dream」は、スーザン・ボイルのカバー曲で有名です。「夢やぶれて」と意訳されていますが、「夢をみていただけ」と訳した方が、その絶望感がより正しく表現されるように思えます。この曲が象徴しているように、救いようがない物語なのですが、最後は、舞台ミュージカルのフィナーレに倣って、登場人物がみんな生き返って力強く「民衆の歌」を合唱します。「♪夢見た明日は必ず来る」と。そして、昂揚感にくるまれた切なさを胸に映画館を後にする訳です。
元旦にも、同じ切なさを感じながら国立競技場を後にしました。2013年は、J2でもがきながらも、ACLでアジアチャンピオンを目指すガンバ大阪を期待していました。それが、天皇杯決勝での余りにも惨めな敗戦。ACLという夢を失い、ガンバ大阪は、J2での昇格を義務付けられた厳しい戦いという現実を直視し、1年を過ごすことになります。ガンバ残留を表明している遠藤(写真:天皇杯決勝、CKに向かう遠藤)と今野は、J2でのJ1昇格争いに心身ともに消耗しながら、W杯代表メンバーへの生残りというもうひとつの戦いをも勝ち抜いていかねばなりません。2人の代表落ちは想像しにくいかもしれませんが、J2で戦いながら代表でのコンディションを維持していくのは決して簡単なことではないと思います。レ・ミゼラブルの冒頭の曲「Look Down」のように足下のみを見据え、現実と向かい合っていく切ない戦いが続くのです。
ガンバの戦いは、2013年の日本を象徴しているようにも思えます。明日を楽観していた間に山積した問題に、今こそ向かい合わざるを得ない状況を日本は迎えています。現実を直視し、日々の戦いに専念し、着実に勝ち点を重ねている地道な長い道のり。眼前に伸びるぬかるんだ泥の坂道を上っていけるのか。日本人の真価が問われます。


2013年1月1日火曜日

元旦はここから ‐ 天皇杯決勝

新年明けましておめでとうございます。今年も年始は、ここ、国立競技場からです。凛と澄み渡った冬空に穏やかな陽光が満ち、絶好のサッカー日和です。スタンドを埋める青と黄色のコントラストがやや色褪せた緑のピッチに映えます。柏サポーター席の一角には、約100人の上半身裸サポの肌色エリアが。クラブW杯の昂奮を知ってしまった両チームサポーターにとっては、天皇杯優勝という栄誉に加え、クラブW杯出場の前提条件となるACL出場権がかかっている大事な試合であり、応援は否が応でもヒートアップします。
前半は圧倒的なガンバペース。J2降格したリーグ戦の不振が嘘のように、ワンタッチでの細かいパス回しの連続でゴールに迫ります。しかし、それも柏の先制点が決まる前半35分まで。先制されたとたんに、緊張の糸がチームの絆の糸とともにプツリと切れてしまいました。不振は不信につながります。リーグ戦でのチームに逆戻りしたガンバ。味方からのパスを信じられない選手達の足は止まり、味方の動きを信じられない選手達は一人でつっかけては柏の守備陣にボールをからめとられます。選手交代も、機能していたサイドの倉田と二川を下げるなど、松波采配は意図不明。前半から水野をスパッと替えてチームに喝を入れたメッセージ性の高い選手交代采配のネルシーニョとは好対照でした。後半は、勝ちへの執着を思い出せず、ただ淡々と試合を進めるガンバと、勝ちを意識して早くから守りに入ったレイソルが、きっちり噛み合ってしまった盛上りを欠いた寂しいゲームでした。サッカーの素晴らしさと感動を伝える場が元旦の天皇杯決勝ならば、サッカーの怖さと残酷さをさらけ出すのも天皇杯。ガンバのACLでの劇的な復活の夢はあっけなく潰えてしまいました。最後の夢を砕かれ、負けることが許されないJ2での厳しい戦いのみが残されたガンバの1年が幕を開けます。様々な意味で厳しい現実に向き合わなければならない今年の日本に相応しい幕明けだったのかもしれません。