2008年12月30日火曜日

サッカー観戦納め


今年のサッカー観戦は、マンU対ガンバのスターウォーズ級のスペクタクルな一戦で、 観戦納めをするつもりでしたが、その余韻に誘われて、ガンバを観に国立に来てしまいました。クラブW杯の3戦で体力を使い果たしているはずのガンバを駆り立てているのは、来年またアジアを制し、クラブW杯への出場を果たしたいという執念だけです。コンディションは明らかにマリノスが上。押され続ける中で、何とかゲームを作っていたのは、明神の絶妙なカバーリングと遠藤の「タメ」(写真下)。遠藤の右足首は相当悪かったのでしょう。運動量が極端に少なかったのは、疲れのせいだけではありませんでした。結局、90分持たず。後半途中での遠藤の交替は、即ガンバの敗戦を予感させるものでしたが、遠藤に代わって投入された倉田の無鉄砲ともいうべき動きで、流れが逆にガンバに傾いたのは皮肉でした。最後はクラブW杯のラッキーボーイ山崎の一撃で決まり。(これだけ決定力のある選手は代表に呼んでもいいのでは?岡崎とかぶってしまいますが)「勝ちたいという気持ちが強い方が勝つ」という最近流行りのフレーズ通りの精神力の勝利でした。今年の観戦納めに相応しい鬼気迫るナイスゲームで、足がつりながらも最後まで走り続けた両チームの選手たちに感謝したいと思います。
それにしても、薄暮の国立(写真上)はとてもきれいでした。 元旦は、柏vsガンバの対戦。国立のバックスタンドから、正月ならではの澄み渡った空気の向こうにそびえるドコモビルを眺めながら、ガンバの執念を後押しするつもりです。
皆様も良いお年をお迎え下さい。

2008年12月24日水曜日

Merry X’mas! - 家族愛

今日はクリスマス・イブです。ケーキ、プレゼント、クリスマスソング、デコレーション(ツリー・イルミネーション)といったお祭りの要素がてんこ盛りのクリスマスというイベントは、お祭り好きの日本人にピッタリなのかもしれません。最近は、2人きりのクリスマス流行(ばやり)で、TVでもロマンチックなクリスマスソングで盛んに煽り立てています。家族揃ってクリスマスを祝うという本来のイベントの意味合いが失われてしまいつつあり、残念です。
家族というのは不思議です。特に血の繫がりで結ばれた親子間の愛というのは、理屈の無い、無条件の愛。その意味では、むしろ恋人や夫婦間の愛というのは随分難しい愛の形なのかもしれません。家族愛という暖かい火を灯して、食卓を囲むイベントが年に数回あってもいいのかなと思います。昭和30年代には日常当たり前のようにあった光景ですが、最近では、意識して受け継いでいかないと、絶滅してしまいそうな希少風景になりつつあるようです。何とかこれを守っていくことが、昭和30年代生まれの世代の責務かもしれません。
写真は、本当に素晴らしい自然な笑顔の名波です。J1入替第2戦を観戦した反町姫から頂きました。笑顔の先には愛娘のゆずちゃんがいるそうです。この笑顔を、クリスマスプレゼントとして、Blogをお読み頂いている皆さんに贈りたいと思います。Merry Christmas!

2008年12月20日土曜日

マンU劇場

クラブW杯のチケットはあきらめていましたが、縁あって準決勝2試合を観戦することができました。リガ・デ・キトvsパチューカは雨中の国立(写真下)。滑るピッチに拘わらず律儀にショートパスをつなぐパチューカは、キトの教科書通りのカウンターの前に粉砕。チーム戦術というものは、そう簡単に変えられるものではありません。ましてや、クラブW杯という晴れの舞台。自分たちのサッカーを貫き通さざるを得なかったのでしょう。雨の中、ジュビロのポンチョで雨を凌ぎながら、眼鏡の曇りと皮靴の底から浸み込んでくる雨の冷たさと戦いつつ、敗れたとはいえメキシコサッカーを楽しませて頂きました。
マンU対ガンバ戦は、うって変わっての絶好のコンデション。新聞紙上では、ガンバ圧倒的不利の予想の中「西野監督マイアミの奇跡再現」の文字が踊りました。ただ、西野監督に とって「マイアミの奇跡」はむしろトラウマ。如何に勝利の為とはいえ、もう2度とあの専守防衛の戦術は取りたくないと思っていたに違いありません。期待通り、ガンバは自分たちのサッカー、攻めの姿勢を貫きました。その結果としての3得点、そして、あってはならない5失点。これが世界との差なのでしょう。選手個々のスピード、テクニックの差は歴然としていました。それでも、まがりなりにも「いいゲーム」が出来たのが11人のチームゲームの面白さです。本当に楽しめた面白い試合でした。多少不謹慎かもしれませんが、全盛期のプロレスのようなゲームでした。ロナウドのFKあり、遠藤のコロコロPKあり、ファンデルサールのスーパーセーブあり、ルーニーの電光石火の2連続ゴールと、全てが詰め込まれ、最後は予定調和という、ショーとして観た場合、完璧なゲーム。こんな面白い試合は、サッカー漫画でさえ描けるものではありません。これが、もし、開始早々の播戸のシュートが決まって、ガンバが先制していたら、全く違った面白みの無い展開になっていたかもしれません。だから。サッカーは面白い。

2008年12月15日月曜日

ジュビロ復活へ

入替え戦第2戦、新潟から磐田に駆けつけた反町姫から写真を送って頂きました。名波の選手としての最後の写真です。試合中はベンチからオフト以上に声を出して、まるでコーチのようだったそうです。
ジュビロは何とかJ1に踏み止まりましたが、才能ある選手を有しながらも個々の個人技に頼った統一感の無いゲーム運びという基本的問題点を解決しない限りは、常勝ジュビロの復活はあり得ません。オフトは、J1残留という明確な意思統一の下、役割分担をはっきりさせ、守備重視という面白みのないサッカーで、ともかくも、ミッションを達成しました。復活を託すのはどうも柳下監督となりそうですが、まずはチームとしての一体感を取り戻すのが最優先課題。その為に高原・藤田・服部には戻ってきてもらうべきでは?(そもそも、タカや俊哉には赤のユニは似合いません。)時計の針を戻すようですが、ジュビロのDNAを引継いでいく為には、まずは、その真髄を若手に肌で感じさせることが必要だと思います。

2008年12月14日日曜日

ジュビロJ1残留

ポスト名波(?)の松浦選手の2試合3ゴールの活躍でジュビロがからくもJ1残留を決めました。それにしても、第2戦ロスタイムに入ってからの仙台の気迫のこもった攻撃は見事でした。ジュビロにちょっとしたツキがなかったら、2-2のドローで仙台のJ1昇格という劇的な幕切れを迎えていたかもしれません。ベンチにはオフト。ドーハの悲劇の再現が起こっていたかもしれません。それにしても、2枚の交替カードを残しながら、終盤に何の手も打たなかったオフトの采配は疑問です。連携を崩したくなかったのでしょうが、交替で時間を稼ぐことは当然行うべきでしたし、名波あるいはゴンといったベテランを投入して、チームと試合の流れを落ち着かせて、仙台の勢いを止めるべきでした。肝心のところで固まってしまうこの監督の限界を見る思いでした。(もともと選手交替を行わない頑固な監督ではありますが・・・。)ただ、「J1残留が自分のミッション」と潔く退任を申し出た態度は立派。ジュビロはしっかりと長期的視野を持ってパスサッカーのジュビロというチームを再建出来る監督を起用し、来期に臨んで欲しいものです。 (反町監督が湘南に行ってしまったのは残念です。)
写真は、ヤマハスタジアムの向かいのアパートのベランダに飾られた名波とゴンのユニフォームです。駅からスタジアムに向かう途中の住宅街でも、普通の家の軒先に大きなチームフラッグが当然のことのようにはためいているのは、この町ならではの風景です。こんな暖かな町でジュビロというチームが育まれ、泥臭いだけのFWゴンが日本代表FWに駆け上がり、あの魅惑的なN-Boxが生まれました。愛すべき選手たちと愛すべきチームという伝統がこれからもしっかりと受け継がれていくことを祈るのみです。

2008年12月7日日曜日

名波~、ありがと~う!








2008年12月6日(土)、ヤマハスタジアムは空までが淡いサックスブルーに染まり、名波を見送るのに相応しい天気となりました。ベンチスタートの名波は、先発組の練習が終わった後、名波との残り少ない時間を惜しむようになかなかピッチから引き上げようとしないゴンや西に左足からのクロスをあげ続けていました。独特の柔らかな軌道を描くクロスボールにゴンがヘッドで飛び込み、西が右足を伸ばします。少しずつイメージと異なるボールコントロールに名波が首を振ります。あのピンポイントのキックは戻ってきません。きっと、右膝は、キックのたびに悲鳴をあげているのでしょう。でも、あの左側にやや傾いたキックフォームは少しも変わっていません(写真上)。このフォームからどれだけのファンタジーとマジックを見せてくれたことか。スタンドの手すり越しに引き上げてくる名波に声をかけました。「名波~、ありがと~う!」いつものはにかむような笑顔でちらっと反応してくれました。はるばる磐田にまで駆けつけた甲斐がありました。
J1最終節の結果は、ご存知の通りです。気持ちよく残留を決めていたら、名波の引退式も随分雰囲気の異なるものになったと思いますが、少しずつツキのない名波らしいといえば名波らしい舞台演出となってしまいました。
スクリーンに映し出されたかつてジュビロで一時代を築いた仲間たちからのビデオメッセージは、全盛期のジュビロの強さがその一体感にあったことを実感させるものでした。大岩・俊哉・服部・高原・福西、その全てのメッセージは、名波への愛情、そして、あの頃のジュビロへの深い愛着に溢れていました。あの頃のジュビロは強かったし、本当に愛すべき素晴らしいチームでした。名波という本当に愛すべき選手がその中心にいたからこそ出来上がったチームだったのだと思います。稀有なチームでした。あんなチームはもう出てこないでしょう。引退式の圧巻は、ゴンとの文字通り「熱い」抱擁でした。(写真下。背番号7のユニフォームがゴン。この後、選手全員のサインがされたこのユニフォームがゴンから名波に贈られました。)
名波はある雑誌のインタビューで自分のことを左足しか使えない不器用な「昭和のレフティ」と揶揄しています。実際に活躍したのは平成であり、必ずしも正確な表現ではありませんが、名波らしい言い回しです。確実にひとつの時代が終わりました。その時代をライブで体験できたのは本当に幸せでした。「名波~、ありがと~う!」