2012年12月16日日曜日

魂の伝道師、ゴン引退に寄せて

ゴンこと中山雅史が、現役引退を発表してから早や10日余り。新潟の反町姫はもうショックから立ち直ったかなと案じるこの頃です。この話題はもっと早く取り上げなければいけなかったのですが、さすが「中山隊長」です。正直、手に余りました。調べれば調べるほど凄いプレーヤーでした。2つの世界記録(ギネスブック記録)保持者です。4試合連続ハットトリック(1998年Jリーグ)。国際試合最短ハットトリック(2000年ブルネイ戦3分15秒)。Jリーグでは、シーズン最多得点、通算最多得点、J1最年長出場記録。そして、日本代表のW杯での初ゴール。その初ゴール直後に、骨折していたにも拘わらず、最後まで走り切ったエピソードが自ら語るように、記録にも記憶にも残る選手でした。むしろ、その数々の記録が霞んでしまうほどの強烈なインパクトを残しながら、走り続けたきたプレーヤーでした。Jリーグ発足時から一緒にサッカー界を牽引してきた三浦知良が「King Kazu」と呼ばれて孤高の存在なのに対して、中山雅史は「中山隊長」「ゴンちゃん」とサポーターから本当に愛されてきました。サポーターと一緒に踊るゴンダンスに象徴されるように、スタンドにまで魂を注入できる稀有な存在でした。写真は、2002年日韓W杯の時のものです。予選リーグ第2戦ロシア戦、1点リードの後半27分、満を持してゴンが投入されます。場内はナカヤマコールの合唱でボルテージが一気に上がり、最小得点リードでの重苦しいムードが吹き飛ばされます。ピッチ、スタンド一体となり、そのままロシアの猛攻をしのぎ切って、見事W杯初勝利を手にします。ゴンの魂注入が大きく寄与しました。
筑波大卒業後ヤマハ発動機に入社。ヤマハ発動機サッカー部(後のジュビロ磐田)が初年度Jリーグ加盟チームの選から漏れた際、エスパルスからの誘いを断ってヤマハに残留するなど男気の強い人物であり、以後、ジュビロ一筋のサッカー人生でした。しかし、2009年シーズン終了時にジュビロから戦力外通知とともにスタッフでの残留を要請された際には、現役続行を優先し、ジュビロ退団を決意します。しかし、移籍先のコンサドーレでは、膝の怪我もあり、満足な結果を残すことが出来ず、今回の現役引退に至りました。「いい時に引退した方がいいと考える人もいますが?」という質問に「僕の場合は、自分の『いい時』がいつだったのかわからない。いつも『もっと上に行けるはず』と思っていたわけで」と答えています。本人も認めている通り「下手くそ」で足元の技術は決して上手いものではありませんでした。(「利き足は?」の質問に「頭」と答えています。)ただ、ゴール前での消える動き、ボールを受ける体の角度など、あらゆる面で成長し続けたプレーヤーでもありました。フランスW杯時の盟友、山口素弘も「30歳過ぎて技術的にうまくなった選手は他にいない」と語っています。
日本サッカー史に大きな足跡を残した選手ですが、最も大きな功績は、性別年齢を問わず多くの人に愛され、サッカーファンの層を飛躍的に広げたということだと思います。反町姫もその中の一人です。「ゴンちゃんがいなければサッカーを好きになっていたかどうかわからない。キャプテン翼の読者で終わっていたはずでした。」というメールを頂きました。サッカーの伝道師であり、サッカーを通じて人々に勇気を与え続けたアスリートでした。「今後しばらくの肩書は?」との質問に「評論家というのがあるんだったら、情熱家でもいいんじゃないですか?サッカーに対する情熱と、そこにかける意気込みは一生変わりませんから。」
情熱家ゴンにはタイムアップのホイッスルはありません。

2012年12月2日日曜日

北投温泉 - 台湾紀行本編2

台北市街から車で30分程北上したところに「新北投温泉( シンベイトウ ウェンチュエン)」があります。北投温泉の歴史は古く、1896年に最初の温泉旅館「天狗庵」が開設され、日露戦争の際には日本軍傷病兵の療養所が設置されています。日本統治時代は隆盛を極め、芸者の置屋が軒を並べ、「台湾の熱海」と呼ばれていました。戦後も温泉街として人気が高く、最近では、日本の老舗有名旅館「加賀屋」も進出しています。町の中心に位置する親水公園の中に水着で入る露天風呂があり、また、高級温泉旅館の日帰り入浴を楽しむという手もありましたが、今回は、町の銭湯ともいうべき「瀧乃湯(ロンナイタン)」(写真上)に向かいました。
1907年に開業した瀧乃湯は、築105年。建物は殆ど増改築が行われておらず、日本統治時代の面影をそのまま留めています。番台のおじさんに90元(約300円)を払って、男湯の引き戸を開けると、なんとそこはいきない浴槽。洗い場の端に踏み板が2枚敷いてあり、そこで脱衣して、お風呂に入ります。踏み板の真ん中では、小太りのおじさんが子供用のスポンジマットの上で体をペチペチ叩いています。いかにも地元の常連さん達の視線を浴びながら、浴槽にそろそろと足から入ると、予想外の熱湯。硫黄臭の強酸性のお湯はそれだけでも肌を刺すのに、まさに痛みをともなう熱さ。思わず「あち~っ」と悲鳴をあげると、ゴマ塩頭のおじいさんが、相好をくずして「アツイ、アツイ」と日本語ではやしたてます。熱い温泉では湯船の中で体を動かしてはいけないというのが鉄則ですが、ついつい手で煽ぐような仕草をしてしまいます。その度に「ほぅ、ほぅ」とゴマ塩頭が隣で揺れます。
早々に浴槽から退散し、浴場の外のベンチで火照った体を冷ましていると、浴場の敷地の片隅にひっそりと石碑(写真下)が建っているのに気がつきました。石碑には「皇太子殿下御渡渉記念」の文字が。昭和天皇が皇太子時代にこの地を訪れたことを記念し、建立されたものです。何の手入れもされておらず、ほったらかしのままですが、碑が残っていること自体が貴重です。同じ日本の統治を経験している中国や韓国では考えられないことです。尖閣諸島の領土問題でギクシャクしているとはいえ、台湾の対日感情の良さを象徴している石碑といえるかもしれません。滞在中歓待してくれた菜心のママ、そして、ドライバー役を務めてくれたママの弟さんをはじめ、本当に台湾の皆さんは暖かく接してくれました。心も体も芯から温まった台湾旅行でした。