2011年4月29日金曜日

シンジとナオヒロ、そして、ゲンキ

震災後の哀悼と自粛、一方で普通の生活との兼ね合い。難しいテーマです。それぞれが押し付けること無く、思い思いに日々を過ごしていくのがよいのではないでしょうか。
明日からのボランティアを前にしてエネルギー注入の為、日産スタジアムにやって来ました。横浜Fマリノス対清水エスパルス。俊輔vs伸二のファンタジスタ対決でもあります。俊輔はボランチの位置、小野は3トップの左サイドに張り出し、直接のマッチアップとなります。エスパルスがラインを高く保って前線からのプレスで攻撃を仕掛けるのに対し、マリノスはその高いディフェンスラインの裏を執拗につきます。マリノスがいくつか決定機を作るものの山本海人が好セーブで防ぎ、両者スコアレスのままゲームも終盤に。先にゴトビ監督が動きます。アレックスに加え、高原まで投入し、FW登録4選手がピッチ上に。高原の交代選手は小野。写真は、交代時にキャプテンマークを甲斐甲斐しく高原の腕に巻く小野の姿です。この後、2人は嫉妬したくなる位しっかりと抱擁して交代します。小野と高原は、同学年で小学生時代からのライバル。そして、99年ワールドユース準優勝のチームメイトでもあります。清水で高校時代を送った2人が卒業と同時に一緒に地元クラブに入っていたらとの思いを馳せずにはいられません。社交的で親分肌の小野とシャイで口下手な高原。希代のパサーと天才ストライカー。お互いに引き合うものがあり、根っから仲が良いのでしょう。ユニットとして使って欲しい2人です。そして、新ユニットとも言えるのが、小野と大前元紀。小野が気持ち良さそうに大前を使い、大前がそれに応えて走り回っていました。大前が自らのドリブル突破で得たPKを決め、先制した時には、小野が真っ先にベンチを飛び出し、大前に抱きついていました。小野は裸足のままでテーピングのテープを引きずっていました。

2011年4月28日木曜日

東北は負けない - まだら模様の復旧

今日は仙台まで新幹線。その後、車で仙台市内から石巻市に向かいました。三陸道はほぼ修復が完了し、自衛隊の復興支援車両とともに順調に北上することが出来ました。道路の両側にはところどころに瓦礫が山積みになっているものの、傷痕は少なく、つい先日まで送電線の鉄塔に車が引っかかっていたというのが、想像できませんでした。復旧は急速に進んでいるように見えました。ただ、取引先の方の未だ行方不明の社員の方がいらっしゃるというお話に、癒す術のない現実の深い傷を突きつけられました。
「地震の被害は幸い軽微だった」とおっしゃっておられましたが、訪れた取引先の建屋は、いずれも玄関のガラスが割れており、ビニールで覆われたままでした。震災から2ヶ月近くになろうとしているのに、ガラス屋さんの手配が未だつかないとのことです。写真は、仙台駅のホームからのワンショットです。駅の外側には足場が組まれ、外壁の補修工事が行われていました。手前の新幹線は、明日の青森までの全面復旧を前にして試運転を行う回送列車です。まだら模様ながら、復旧は確実に進んでいます。負けるな、東北。

2011年4月24日日曜日

故郷

等々力でのベガルタ仙台サポーターの横断幕「故郷を取り戻すまで俺達は負けない」に触発されたわけではありませんが、久々に故郷に帰ってきました。
都会では見ることの出来ない大きな鯉のぼりが雄大な富士山をバックに春風にたなびいておりました。
美しい故郷の姿に触れるにつけ、大震災や原発事故で故郷を去らざるをえなかった方々の深い悲しみを想わずにはいられません。ましてや、平穏な日常を根こそぎ奪いさられた方々のつらさには言葉もありません。
老いた両親と回転寿司で昼食を取り、親父とはその後スーパー銭湯で汗を流し・・・。ささいな親孝行をしてまいりました。平穏な日常に感謝しつつ。

2011年4月23日土曜日

故郷を取り戻すまで俺達は負けない

春の嵐の等々力陸上競技場です。川崎vs仙台のカード。普段であれば、観戦は躊躇したかもしれません。しかし、今日はJ1再開初戦。スタジアムに向かわない訳にはいきません。たとえ、ずぶ濡れになろうとも。
ブログのタイトルは、仙台サポーターの横断幕に書かれた言葉です。水色に染まったスタンドの一角で全身黄色のサポーター集団がひと際輝いていました。そして、前座マッチ(芸能人ドリームチームvs川崎・仙台OBチーム)に出場した川崎OB中西哲生氏からのエールは「被災地の皆さんに頑張ってとは言いません。ただ、負けないで下さい。諦めないで下さい。僕達が頑張ります。」
ゲームは、お互いに試合勘が十分でなく、また、雨中の悪コンディションが重なり、中盤を省略したロングボールの応酬となり、前半37分山瀬の技ありクロスから川崎が先制。後半勝負ではコンディションに不安のある仙台に勝ちの目は無くなったと思っていたところ、仙台の選手の足は最後まで止まらず、終了間際にFKからヘディングゴールを決め、気迫の逆転勝ち。図らずも、中西氏のエール通りのゲーム結果となりました。仙台の勝利が被災地の人々に勇気を与えたなどといった決まり文句を言うつもりはありません。ただ、最後まで愚直に走り続け、ゴールを目指した仙台の選手達の頑張りは、それだけで尊いと思います。今は、それぞれが、それぞれの場所で全力を尽くす時なのでしょう。
写真は、前座マッチの一コマです。ベンチ前では、スーツ姿のマラドーナが例のポーズで観客を沸かせ、ピッチ上では、もう一人のマラドーナが形態模写に加えて、プロ並みの見事なドリブルを披露していました。芸人達も彼らなりに全力を尽くしていました。負けるな、東北。

2011年4月19日火曜日

それぞれの復興支援

贔屓にしている眼鏡屋さんから、被災地支援のボランティアの話を伺いました。眼鏡を段ボール箱に詰めて、被災地支援目的の通行許可書を取得して、車で被災地に向かったそうです。波打った道路を走り抜けて、漸く辿り着いた避難所には、既に支援物資として眼鏡が届けられていました。しかし、検眼が出来なかった為に、段ボール箱が開梱されずに積まれたままになっていたそうです。久し振りに眼鏡を取り戻して、皆さん、とても喜んでいらっしゃったと、語っておられました。
行きつけの床屋さんは、近くの等々力アリーナに避難されている方の為に、散髪無料の看板を避難所に掲げたそうですが、皆さん遠慮されて、来店者はありませんでした。そこで、避難所に出向いて、無料散髪サービスを実施したそうです。ただ、その為の行政の手続きがかなり煩雑だったとおっしゃっていました。知り合いのお医者さん達も続々現地入り。写真はDr.Steveが現地で撮影してきたものです。友人が目の当たりにした光景だけにTVでの映像以上に胸に迫るものがあります。カラオケ女王K嬢は街頭に立って得意の喉で義援金の呼び掛け。ライダーDr.Kは愛車を駆って被災地入りし、瓦礫撤去のお手伝い。丁度、義援活動でサッカー教室に来ていた岡田前サッカー日本代表監督と避難所で一緒になったそうです。「特別扱いしないでくれ」と言って、避難されている方々と同じ一汁の夕食を取り、シャワーも浴びずに平然とされていた姿に感動したとのレポートを頂きました。
何の取り柄も無い私は、東北のお酒を飲み、飲んだ分の10%を義援金とする自主的復興支援税の導入を開始しております。連休にはもう少し直接的な支援活動が出来ればと思っております。

2011年4月16日土曜日

CL準々決勝 - 内田vs長友

4月13日欧州CL準々決勝シャルケ対インテルミラノで日本人対決が実現しました。イタリアのガゼッタ・デロ・スポルト紙は、2人の対決を「黒澤映画の一幕のよう」と報じています。内田のクロスを長友がカットし、長友の切込みを内田がタックルで止める。また、両者のサイドライン上の競合いは見応えがあり、イタリア紙の形容したように侍の果たし合いに通じるものがありました。日本人同士の対決といえば、1999年10月23日セリエAリーグ戦ベネチア対ペルージャを思い出します。欧州リーグでの初の日本人対決です。名波対中田。日本の誇る名パサーの対決は、皮肉にもテクニックを出しきれない土砂降りの中で行われました。小学生だった内田や長友は、この試合を知らないかもしれませんが、この2人の対決があって、日本人選手が欧州各地で活躍しているという今の日本サッカー界があるのです。7月に開催される南米選手権に招待された日本代表は、Jリーグと重なる為、欧州組を主体に国内組若手でチーム編成されることとなりました。隔世の感があります。
次は、CL準決勝で内田が朴智星に挑みます。
突き進め、内田。そして、頑張れ、ニッポン。

2011年4月11日月曜日

塩山の枝垂れ桜

大震災から1ヶ月。15時過ぎに思い出して、新幹線の中で黙祷させて頂きました。
さて、桜の続きです。塩山市慈雲寺の糸桜(写真上)は人気の観桜スポットですが、実はそこから徒歩圏内に隠れた観桜スポットがあります。小ぶりですが、見事な形をした枝垂れ桜です(写真下)。花見客も少なく、のんびりと桜を愛でることが出来ます。「場所は秘密・・・」と言いながら、お寺の名前が写ってますね。
ところで、「ひぐっちゃん」から被災地では桜をどんな気持ちで見るんだろうとのコメントを頂きました。桜は、別れや旅立ちと重なる花です。人のそんな悲しみや不安に揺れる心をよそに、桜は、満開の花をつけ、そして、散らし、淡々と営みを繰り返します。満開の花に圧倒されて、暫し悲しみを忘れ、癒され、散りゆく花の潔さに訣別と旅立ちへの勇気をもらい・・・。被災された皆さんの深い悲しみと不安は桜で到底癒されるものではありませんが、せめて、桜を見上げることで、目線が少しでも明日に向かってくれることを祈るばかりです。

2011年4月10日日曜日

王仁塚の桜2011 - 桜と鉄塔

韮崎の王仁塚(わにづか)の桜を観に来ています(4月9日)。生憎の雨です。
王仁塚の桜は、日本武尊の王子武田王の墓(前方後円墳)=王仁塚に咲くヒガンザクラです。推定樹齢300年、幹周り3.6m、樹高17mの美しくも堂々たる一本桜です。開花状況に応じて花の色が濃い桃色から白色まで変化し、八分咲きの今回は鮮やかな桃色です。あと数日も経つと雪のように白い花びらを風に舞わせることになります。晴れた日には八ヶ岳を背景とした見事な雄姿を望むことが出来、多くのカメラマンが押し寄せます。カメラアングルの妨げになるのが、送電線と鉄塔です。私も素人カメラマンなりに、無粋な文明の利器を恨んでいたものでした。
今回、霧雨に濡れながらシェフパTが登山用コンロで調理するちゃんこ鍋をつついていると、我々の酔狂な雨中の観桜会を面白がって、地元の親父さんが近寄って来ました。お酒を勧めると、遠慮がちに受け取って、話しの輪に加わってくれました。「鉄塔さえなければ、いいのに」との愚痴に、こんな話をしてくれました。かつては、この辺りには王仁塚の桜のような一本桜が数本あったとのことです。しかし、周りが開発され、田畑に変わっていく中で、いずれの木も落雷により焼失してしまい、王仁塚の桜だけが残りました。送電線の鉄塔が避雷針代わりとなって、一本桜を護ってきたわけです。その話を聞いてからファインダーを覗いてみると、桜と鉄塔のツーショットもなかなか味わい深いものでした。

2011年4月5日火曜日

未来予想図

ネオンの消えた街頭に咲く桜が切なくなるほど綺麗です。
節電が功を奏して、ここ数日間計画停電が回避されています。ある企業の役員さんは、東電に計画停電の中止を訴える為の交渉材料として、オフィスで徹底した節電を実施し、通常の30%の節電を達成したそうです。その会社のオフィスでは、暖房と照明を切り、コートを着たままパソコンの灯りを頼りに執務をしているそうです。こんなところにも日本人の団結力、我慢強さを感じずにはいられません。
一方で、震災後のイベント自粛に計画停電や節電が追い打ちをかけて、飲食店等第三次産業が大きな打撃を受けています。二次災害ならぬ、三次災害といえるかもしれません。震災による経済の低迷が避けられない状況下、過度に消費を冷え込ませてしまってはいけません。乱痴気騒ぎは慎むにしても、照明を落とした店内で、被災者の生活を気に掛けつつ杯を静かに傾けることも大事であると思います。 いつもより一品減らして、或いは、最後の一杯を我慢して、その分義援金に充てるというのもいいのではないでしょうか。今は、明日の日本をどう築いていくのかを考えていく絶好の機会でもあります。原発、省エネ、農業、漁業、都市計画、災害対策・・・。国の未来図というのは、永田町や霞ヶ関で描かれるのではなく、神田や大久保の路地裏の居酒屋で酒の勢いを借りながら形成されていくのだと思います。我々は、自らイメージ出来る以上の未来を手に入れることは出来ません。語りましょう。議論しましょう。(写真は、Googleの「未来予想図」画像検索結果から転載させて頂きました)

2011年4月2日土曜日

Act for Japan

Pray for Japanの大合唱が世界から寄せられ、カズや遠藤がPlay for Japanで前に進む勇気を与えてくれました。Act for Japanの時です。
その中で、まずは、被災者支援の原資の一部となる義援金が着々と集まり、既に700億円を超える額に達しているとのことです。ところが、その善意の義援金が実際に被災者の手に届く目処がたっていません。義援金は、被災した県が設置する義援金配分委員会によって配分が決定され、被災者に支給されます。阪神大震災の際は、被災した兵庫県と大阪府が連携して、地震発生1週間後に委員会が設置され、2週間後には、被災者1人当り10万円の第一次見舞金の支給が行われました。しかしながら、今回は、被災が12都県に跨り、特に被害の大きな県では被害の全貌を未だ把握出来ていないこともあり、3週間が経過した現在でも、まだ、委員会の設置に至っていません。国は、被害が大きかった岩手・宮城・福島の3県に合同委員会の設置を要請しているということですが・・・。こんなところにもリーダーシップの欠如が。被災者は、生活基盤を新たに築いていく為に、今すぐにでも現金が欲しいはずです。多少乱暴でも、一律見舞金の早期支給を。