2009年8月9日日曜日

異邦人 - JOMO杯


久々にサッカーネタです。
JOMO杯、Jリーグ選抜、敵地で4-1の完勝。昨年の雪辱を果たしました。何はともあれ、日韓戦というのは燃えます。直前にU-20が負けていただけに、応援にも力が入りました。遠藤・憲剛・明神・野沢といった日本人MFが渋い動きをしていましたが、目立ったのが外国人助っ人勢。MVPの李正秀(写真右)は韓国開催でのご愛嬌として、すごかったのはジュニーニョ(川崎)とジウトン(新潟)。日本人勢がややお祭り気分で運動量が少なかったのに対し、ジュニーニョの前線からのチェーシングや裏を取ろうとする動きはリーグ戦の動きそのまま。ジウトンの闘志溢れる守備、味方選手に檄をとばす姿は新潟躍進の理由を垣間見た気がしました。マルキーニョスを含め、むしろ外国人助っ人たちがJリーグサッカーを体現していたのには、多少複雑な思いを抱かずにはいられませんでしたが、それだけ、Jリーグに外国人プレーヤーを包み込み、染め込んでいく懐の深さが出てきたというべきかもしれません。
異国・異文化の中で実力を発揮していくのは簡単なことではありません。いかに実力があろうとも、周囲に受け入れられず、その実力を発揮できないまま去っていった例は数限りなくあります。俊輔はセルティックで成功しましたが、その前のレッジーナでは不遇でした。レッジーナでの俊輔は2002年W杯落選を引き摺った俊輔でした。トルシエは「試合を見ずに髪の毛ばかりをいじっている選手をベンチに置いておくわけにはいかない」とその落選理由を語っていました。当時の俊輔は、ピッチの中では司令塔として輝くものの、ピッチ外では存在感が薄れてしまうイメージがありました。そこがヒデや小野との大きな違いでした。イタリアでの異国生活・結婚などを経て、俊輔も人間的に随分大きくなりました。それがセルティックでの成功に繋がりました。エスパニョールへの移籍は正解だと思います。体力的には既に下り坂であることは否めませんが、人間力も含めた総合力では今がピークだと思います。今だからこそ、世界最高峰のリーグに挑戦できるのではないかと思います。
私事ですが、8月1日から職場が変わりました。全く異なる企業文化の中で初対面の人たちと仕事を始めています。異邦人の心境ですが、ジュニーニョ、ジウトンを見習って、運動量を落とさずに走り回り、早く溶け込みたいと思っています。

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