2010年5月31日月曜日

9-1フォーメーション - イングランド戦

4-1-4-1ではなく、9-1のフォーメーションだろうと日本代表を皮肉ったのはカッぺロイングランド代表監督です。9バックは大袈裟でも、阿部が最終ラインに吸収され、両SBを含めた5バックという北朝鮮代表並みのフォーメーションだったことは確かです。まだラインを高い位置に保っていた前半25分までは、イングランドも攻めあぐんでいましたが、ボランチと両サイドの運動量が落ちてきてラインの位置が下がりはじめると、とたんにイングランドの攻撃陣に押し込まれてしまいました。5バックは、DF陣の一人でも動きが鈍ってくると、それに引きずられてラインの位置がずるずる下がってしまいます。2つのオウンゴールは、低い最終ラインから更にゴールに向かってディフェンスが走らざるをえなかった状況の必然の結果と受け止めるべきで、不運だったと片付けるべきではありません。要は、5バックゆえに善戦し、5バックゆえに勝手にコケた一人相撲でした。「親善試合で1-0で守り切っても仕方がない」とは岡田監督の言葉ですが、早い時間帯で先制点をあげたというのは、W杯本戦の絶好のシミュレーションだったはず。このまま勝ち切るか、最悪でも勝ち点1を守り切る指揮官の手腕を見せて欲しかったところです。それが、今の日本代表にとって自信という最高の財産に繋がったと思うのですが。
写真は、PKを取られた本田のハンドですが、まさかマラドーナを意識したわけでは無いでしょうに、ありえないハンドです。その本田いわく「このままでは勝てない。まだ危機感が足りない。」
運命のW杯初戦、カメルーン戦まで2週間。

2010年5月24日月曜日

「私達に力をください!!」 - W杯壮行試合

雨中でのサッカー観戦はつらいものですが、今日は思いっきりずぶぬれになってしまいたいという自虐的な想いにとらわれました。
タイトルのフレーズは、スタジアムで配布されたフェイスタオルに染め抜かれた岡田監督のメッセージです。余りにも正直な岡ちゃんらしい指揮官の追い詰められた心境が表れています。
そして、指揮官のみならず、今の日本代表は重傷といわざるをえません。ここ数試合の敗戦を通じてのカウンター恐怖症というのでしょうか。パスミスを恐れて、パスはすべて味方の足元へ。それでもパスが繋がればいいのですが、敵を背中に背負ったFW陣はボールを懐におさめられず、トラップミスをことごとくさらわれてしまう有様。これほど守り易い相手はいません。やや間合いを空けてわざとマンマークの相手にパスを呼び込み、相手がトラップした瞬間に体を寄せれば、トラップミスのボールが面白いように目の前にころがってくるわけです。さらに、裏へのスルーパスを恐れるあまり、韓国がバックパスをしている時でさえ、守備ラインを上げることが出来ません。プレスのスタート位置が低く下げられ、ボールを奪っても、ゴールが遠く、組立てに時間を要している間に相手は陣形を整え、完成された守備ブロックに正々堂々とのり込んでいく形になってしまいます。岡田監督の目指していたのは、素早い全員攻撃の為の全員守備だったわけですが、今や、全員守備からのワンテンポもツーテンポも遅れた2、3人攻撃という似ても似つかない姿にいきついてしまいました。
この状況を修正するのは極めて困難でしょう。ましてや、完全に自信を喪失し、「力をください」などとサポーターに訴えかける指揮官に打開を期待するのは酷以上のなにものでもありません。サポーターに出来ることは、指揮官の進退伺いを受け入れることではないでしょうか。既に時機を失してしまった以上、新監督を招聘する時間的余裕はありません。大木コーチの内部昇格が妥当なところでしょう。それが、今、日本サッカー協会に唯一出来ることであり、日本代表とサポーターに対する義務であると思います。犬飼会長は、既に岡田監督の続投を明言しているようですが、会長個人が判断するのではなく、協会の組織としての判断を出して欲しいものです。「W杯では、なりふり構わず、勝ちに行く」姿勢を有しているのなら、今こそ英断を期待します。

2010年5月20日木曜日

欧州流サッカー談議

金子達仁と木崎伸也の師弟コンビがW杯の展望を語る有料セミナーに参加してきました。金子達仁はバルセロナ移住経験のある流浪のフリーライター。弟子でもある木崎伸也もオランダに移住していた理論派サッカーライターです。2人の共通点は欧州派であること。そして、ヨハン・クライフが2人をつなぐ重要なキーワードとなっています。
今回のセミナーは、「サッカーはビジネスマンの教養である」という東洋経済新報社の称賛に値する見識から開催されたものです。まずは、理論派木崎が日本の予選リーグ突破確率を、コンピュータのシミュレーションから紹介します。これまでの戦績データを基に1,000回の仮想対戦をさせた結果、突破確率は、オランダ79.8%、デンマーク49.5%、日本38.5%、カメルーン32.3%。数字的には、オランダの突破はほぼ確実で、他の3チームは時の運といったところです。しかし、この楽観論を金子はバッサリ切り捨てます。「対戦相手との相対論でW杯史上最弱の日本代表は、木端微塵に負けます。その方がいい」と断言し、「岡田監督を解任出来なかったのは、サッカー協会の仲良しグループ体質によるもの。苦しい時代を支えてきた仲間同士、お互いに厳しくなれない。サッカー協会の体質改善には、この際、惨敗した方がいい。外国人を代表監督として招聘するだけではなく、サッカー協会の中枢ポストに外国人を据えるべき」と熱く語ります。「あまりにも惨めな負け方では、日本サッカー冬の時代に突入してしまうのでは」と危惧を述べる質問をすると、「代表だけがサッカーではない。逆に関心が地元のチームに移った方がいい」と如何にも欧州流の切返し。「サポーターとして今出来ることは何か」との質問には、「とにかくミスに対してブーイングをし、怒ること。ドイツW杯クロアチア戦でイージーなシュートをはずした柳沢を育てたのは、シュートミスしても名前を連呼してきたサポーター」と、日本サッカーにはどこまでも手厳しい言葉が続きます。
今の岡田監督は暗中模索の状況ではないかということです。昨年のオランダ遠征まではチーム作りは比較的順調だったが、そこでシーズンオフに入り、それまでの流れがプツリと切れてしまった。アーリークロスが戦術のキーワードだったのが、その戦術で東アジア選手権以降勝てなくなって、迷いが出てきた。今はどうしていいか判らない状況、との分析です。確かに、本来、攻撃的戦法のキーマンとなるはずだった石川や田中(達)をはずして、岩政や矢野といった高さで守備に貢献出来る選手を23人に入れたのは守備的戦法に舵を切ったことの表れのように思えます。
その他、「日本サッカー協会の育成システムが出来てからすごい選手が出てこなくなった」等々欧州流のサッカー分析には随分うならされました。「ブッフバルトを次期代表監督にとの騒動は、犬飼会長の完全な独走」などの裏話も披露され、濃厚な2時間でした。スーパー・ルーニーさんやスーパー・ハセさん等を招いての私的日本流サッカー談議は6月1日開催を予定しています。結果は、ブログで紹介させて頂きます。(写真は、金子達仁の名著「28年目のハーフタイム」と木崎伸也の近著「サッカーの見方は1日で変えられる」(目から鱗のお薦めの1冊です)。

2010年5月11日火曜日

日本代表発表 - チームいぶし銀

地下鉄のドアに日韓戦の広告(写真)が装飾されていました。
36人の代表候補選手が4列になって撮影されています。何気なく見ていて気がついたのですが、2列目までの選手19人のうち、落選したのは平山のみ。構図上真ん中の3列目に配置されたキーパーを除けば、3列目以降で選出されたのは岩政と矢野のみ。この写真外から選出された唯一の選手が川口。この一件を以てしても、今回の代表選出が如何にサプライズに程遠い手堅いものだったかが判ります。田中(達)、石川、香川の3人の中から誰も選出されなかったのが、むしろサプライズでした。チームの纏め役という役割を期待しての選出は、小野やゴンではなく、川口でした。これだけは、うならされた選出であり、岡田監督の仏W杯からの監督としての成長を感じました。マスコミも、「川口のキャプテンシーを期待しての選出」と的確な論評をしていました。マスコミも確実に成長しており、サッカー文化の成熟を感じさせられました。しかしながら、ほとんどのマスコミが川口を第3GKと決めつけていたのは、余りにも軽率といわざるをえません。あと1ヶ月。川口の正GKへの復帰も十分にありえます。
それにしても、ワクワク感のないメンバーになってしまいました。よく言えば「いぶし銀」ですが、いぶし銀は、きらめくゴールドはあってこそ、渋い輝きをみせるもの。せめて、石川と田中を選出して欲しかった。ここは岡崎が昨年の煌めきを取り戻して、爆発するしかありません。本人は「3得点が目標」と言っていますが、それでは当然ながらベスト4に届かない。岡田監督に嫌味を言われているのではないでしょうか。とはいえ、具体的な数字を目標にあげたのは岡崎のみ。その心意気や良し。期待したいと思います。
ところで、昨日、とある隠れ家風小料理屋で隣の大手商社のグループが前田遼一(ジュビロ)の話をしており、ついつい耳をダンボにして、聴き入ってしまいました。話の筋を追うと、前田のお父さんはその大手商社にかつて勤務しており、硬骨漢で有名だったようです。前田もお父さんの血をひいて、自らの信念を頑固に貫き、戦術面で岡田監督と対立してしまったとのこと。それが、J1で結果を残しても、代表に選出されなかった理由ではないかと。なるほど。ただ、今の前田の実力も戦術面での対立に負けてしまう程度のものということ。ジュビロ復活のためにも、更なる成長を期待したい選手です。

2010年5月5日水曜日

ぽたりと落ちる汗 - 吉田拓郎大展覧会

GW終わってしまいました。遠出をせずにテニス三昧の日々でしたが、その合間に渋谷のデパートの特設会場で開催されていた「吉田拓郎」大展覧会に行ってきました。拓郎の年譜を追いながら、当時の写真を眺めたり、ライブ映像を観たりして、拓郎の40年間をたどった充実の2時間でした。長髪、おかっぱ頭、カーリーヘアー、今の短髪に至るまで、拓郎の髪型の変遷にも、自らの時代が重なり、感慨深いものがありました。それにしても拓郎の人生は波乱万丈です。当時の音楽界の体制に反旗を翻してフォーライフを立上げ、その戦いを背負い込みながら、一方で、「結婚しようよ」や「旅の宿」が商業主義と批判されて、コンサートでビンや缶を投げつけられたりしました。5万人を集めた1975年のつま恋コンサートから31年を経て行われたつま恋での「同窓会」コンサートまでの間には失意の時期と闘病の時期がありました。それは、同世代の人間にとって、それぞれの人生の凝縮でもあり、増幅ともいえます。ただ決定的に違うのは、彼は、いつも、我々の前を走り続けていたということです。フォークジャンボリーでノーマイク、ノースピーカーで2時間にわたり「人間なんて」を熱唱したのが彼の疾走に向けての狼煙でした。ソロでのコンサートツアーで地方都市に東京と変わりない旬なミュージックシーンを届け始めたのは彼でした。伝説の「つま恋」がオールナイトの野外コンサートの先鞭をつけたことは言うまでもありません。それでいて、妙な高ぶりや悲愴感が無いのが拓郎の拓郎たる所以でしょう。会場で上映されていたつま恋ライブの映像で目に焼きついたシーンがありました。曲は「ああ青春」だったでしょうか。白いバンダナを巻いた長髪の毛先から汗の滴がぽたりと落ちていきました。飛び散る汗ではなく、滴が徐々に大きくなってぽたりと落ちる汗でした。僕らは、拓郎の楽曲に託した滴が大きくなる様に眼を凝らし、切り取られた一瞬の世界を映しながらぽたりと落ちる様に心を揺さぶられてきました。そして、僕らは、今、ここに立っていて、拓郎は、オールナイトニッポン・ゴールドに復活して、弾けています。いまだに、前を走り続けているのです。五月のまばゆい光の中、デパート前の渋谷のスクランブル交差点でどちらに向かっていけばいいのか戸惑っていると、シャッフルモードのデジタルオーディオから拓郎の歌声が流れてきました「♪街を出てみよう 今住んでるこの街が 美しくみどりにおおわれた 心のふるさとだったとしても・・・・」

2010年5月1日土曜日

青の激突

マリーンブルー対サックスブルー。青の激突は10年前だったら黄金カードでした。マリノス対ジュビロ(写真)の日産スタジアムは俊輔人気もあり、2万7千人の観客で埋まり、スタジアムの熱気はあの頃を彷彿とさせるものでした。しかしながら、ゲームの方はかなり色褪せたものになってしまいました。お互いリスクを冒さないプレーで、前半は互いにボールをバイタルエリアに持ち込めず、中盤でのチマチマしたボールの奪い合いに終始。枠に飛んだシュートはお互いに無かったのではないでしょうか。退屈なゲームでした。トップ下からボランチにポジションを一列下げた俊輔は、プレッシャーが緩いこともあり、他の選手とは明らかに次元の違うワールドクラスのパスを再三繰り出していました。ただ、低い位置からのパスだけに、ゴールに直結するラストパスにはなりません。ところが、後半、ジュビロが守備的にラインを下げた為に、結果として、俊輔の位置がゴールに近づき、マリノスの攻めが俄然活性化されます。結局、散々押し込まれて、支え切れずに失点。守備が安定してきたとはいえ、攻めとのバランスが取れてこその守備です。専守防衛では、ゴールを守りきれるものではありません。それに、いつからジュビロはこんな守備的なチームになってしまったのか、残念でなりませんでした。W杯代表メンバーの当落線上にいる前田と山瀬は、爆発的な活躍で最後のアピールをして欲しかったのですが、2人とも気持ちだけ空回りし、走り回るだけでボールに絡めず、こちらも期待はずれでした。久々のJ1観戦でしたが、W杯を前にして悶々とした気持ちは募るばかり。「やれ、やれ。」(村上春樹風)