2011年7月30日土曜日

なでしこ現象考 - その1

「なでしこ」が社会現象になっています。W杯後は、どのチャンネルを回してもなでしこ達が出演しており、再開したなでしこリーグには普段は数百人も集まらないスタジアムに1万8千人の観客が押し寄せました。その中で、なでしこ達は疲れたそぶりも見せずに律儀に質問に答え、また、見事なプレーを披露してくれていました。TVのインタビューで、浮かれることなく、また、驕ることなく、これまで女子サッカーを支えてきた先輩達への感謝の言葉を述べる彼女達の態度に感銘を受けた方も多いと思います。その姿には、しっかりと自立した大人の集団を感じさせるものがありました。女子W杯の直前に行われ、ベスト8で涙を飲んだU-17日本代表の吉武監督が、チームに欠けていたものとして選手の自立をあげていました。高校世代の少年に自立を求めるのも酷な話と感じていましたが、「この世代のレベルを凌駕する極めて質の高いサッカーをしていたにも拘らず、ブラジルの壁を乗り越えられなかったのは、その精神面での差が決定的だった」というのです。「ブラジルは、日本の戦い方を個々の選手が判断してゲーム中にサッカーを変えてきたが、日本は練習通りのサッカーしか出来なかった。個人技の差以上にその判断力の差が大きかった」というわけです。一方のなでしこは、防戦に追われた前半戦、しっかりとブロックを作って猛攻に耐えながらも、DFラインでのゆったりとしたパス回しで米国のリズムを崩すというサッカーをしていました。そして、潮目が変わったとみるや、前線への速いスルーパスを起点に、積極的にラインを押し上げる戦法にギアチェンジ。この切替えが実にスムーズに行われていました。共通理解は、それぞれの選手の自立した判断の上でこそ成立するものなのです。日本ではU-17のみならずA代表でも自立した集団が登場するに至っていません。男子チームで一番近づいたのは、N-Boxの頃のジュビロでしょうか。何故、歴史の浅い女子チームで先に自立したチームが出来上がったのでしょうか?そもそも、日本には、なでしこ達が自立せざるを得ない社会環境があります。小学生の頃男子と一緒のチームでプレーしていることにより、なでしこ達の技術が磨かれたと以前書きましたが、中学進学に際し、既に彼女達はサッカーを続ける為に自立(=自ら判断・決断)を迫られることになります。サッカーチームが全国に約3万ある中で、女子チームは約1,200チーム、中学生も所属しているチームは400程度に過ぎません。女子サッカー部を有する中学を近隣に見つけるのは至難の技です。彼女達は小学生にして、バスケットなどの他のスポーツに転向するか、片道3時間かけてクラブチームに通いながらサッカーをするかの選択をしなければなりません。自分がベンチに押しやっていた男の子達が地元クラブや中学の部活でレベルアップしていくのを横目に見ながら、中学世代でサッカーを諦めざるを得ないサッカー少女達は決して少なくないわけです。更に社会人になる際も同様です。男子のJリーグという受け皿に比べ、なでしこリーグの経済的基盤は極めて脆弱です。なでしこジャパンの代表クラスでも、アルバイトをしなければ生計を立てられないのが実態です。ここにも、サッカーをするためには、組織に頼らずに自立するしかないなでしこ達の姿があります。
この状況は日本社会に共通したものでもあります。男女差別が無くなってきたとは言え、まだまだ男性の方が組織内で優位な立場にある社会環境下で、男性は組織を拠り所とし、組織の中で自らの志を遂げようとします。それとは逆に、志を遂げる為には自立するしかない女性達。「団結力」という共通の強みを有しながらも、男女の日本代表の間では精神構造面で現段階では大きく異なるというのは、言い過ぎでしょうか。(写真は、決勝PK戦での勝利の瞬間)

2011年7月28日木曜日

Mさんに捧ぐ

The Sound of Silence

♪ Hello,darkness my old friend.
    I've come to talk with you
    again.
    Because a vision softly
   creeping.
    Left its seeds while I was
   sleeping.
   And the vision that was planted
   in my brain
   Still remains.
   With in The Sound Of Silence.

♪ 僕の心に植え付けられた映像は
   今でもしっかりと息づいている
   静寂の音と共に

サイモン&ガーファンクルの歌声が届きますように。

2011年7月27日水曜日

Mさんを悼む

友人のMさんが帰らぬ人となってしまいました。今、日常の風景の一部が欠落してしまっているような底なしの喪失感を覚えています。彼は6月24日苗場山に単独登山をし、以来音信が途絶えておりましたが、昨日ご遺体が確認されたとのことです。行方不明の状態だったことも知らなかった私は、昨日夕刻久々に彼の携帯に電話をしたばかりでした。その直後の訃報でした。
Mさんとは偶然に職場が2度一緒になり、その関係もあり、テニスやグルメを一緒に楽しむ仲間でした。一緒にオジサン達のテニスサークルをひとつ立上げ、グルメの会を2つ立ち上げました。世話好きとちょっと寂しがり屋の性格が惹き合ったのかもしれません。野球を愛し、音楽を愛し、お酒を愛し、何よりもご家族を深く深く愛していらっしゃいました。少年の笑顔のままの方でした。お互いに中学時代はスヌーピーとサイモン&ガーファンクルで育ったことを知ったのは、つい最近のことでした。Mさんから頂いたサイモン&ガーファンクルの1967年NYコンサートのライヴ映像が形見の品となってしまいました。ただただご冥福を祈るばかりです。

2011年7月22日金曜日

なでしこ秘話

決勝のPK戦の際のエピソードです。PKの苦手な沢は、蹴りたく​ないので最​後のキッカーにしてくれとお願い。​佐々木監督が「せめて​GK海堀の前に蹴れ」​と切り返して笑いが起​きたというのは報道さ​れていますが、監督は​勝負のかかったキッカ​ーは沢に決めていたと​のことです。そこで、​熊谷の順番の際に「​先、行け!」と沢に​叫んだところ、「紗季​、行け!」 と聞き間違えた熊谷が​ボールに向かってしま​った。話が出​来すぎていて、真偽の程は​不明です。
その一躍ヒロインとなった熊谷選手(写真)。帰国直後の学生との合コンの一部始終が男子学生のツイッターで実況中継され、大変な騒ぎに。監督批判したとか、男子学生に金メダルをかじらせたとか・・・。サッカー協会から厳重注意を受けた上、自身のツイッターも炎上し、精神的に大変な打撃をうけているものと思います。フランクフルト所属のプロ選手とはいえ、まだ二十歳の女の子。慣れない酒の席での仲間とのヨタ話にこれ程大騒ぎするのは如何なものかと。小倉日本サッカー協会会長の「よくそんな時間あったよね。僕なんかすぐ寝ちゃったのに元気だな。大したもんだよね」と笑い飛ばす態度が正しい対応だと思います。
それにしても、九州電力の原発やらせ投稿依頼同報メールといい、この男子学生のツイッターといい、大人も子供も情報発信の重さの自覚の欠如が甚だしい。また、インターネットの危うさに関する認識が余りに低過ぎます。インターネットの世界は常に見えない敵に囲まれ、見えない観客から注視されています。仲間とのパス交換(コミュニケーション)にも細心の注意が必要なのは、なでしこのピッチ上での戦いと同様です。自戒も込めて。

2011年7月20日水曜日

なでしこ快挙の秘密 - サッカー愛

なでしこが世界の頂点に立ちました。なでしこ快挙の秘密はどこにあるのでしょうか。まず挙げなければならないのは、その技術の高さでしょう。スピード、強さ、高さといったフィジカルでは世界と差があるものの、トラップ、パス、ドリブルなどの基本技術、そして、なによりもシュートのバラエティ、正確さは群を抜いていました。決勝での芸術的な2ゴールはもとより、日本の今大会の12ゴールはいずれも技術的に高度で文字通りワールドクラスのシュートばかりでした。この技術の高さは、子供の頃は女子のサッカーチームがなく、男子と一緒に練習・ゲームをせざるを得ないという環境の中で磨かれ、培われたものです。GK海掘のセービング技術の高さも見事でした。これまでなでしこのGKはウィークポイントでした。層の薄い日本の女子サッカーでは、人気の低いGKには多くの人材が集まらなかったからです。海堀の活躍に刺激された女の子達がGKを目指すようになるとしたら素晴らしい遺産のひとつとなります。
2つ目は精神力。ゴール前での冷静さ、PK戦前にも笑顔を見せるタフさ、格上の米国に2度もリードされながら、追いついた気持ちの強さ。そして、120分間走り続けるのもスタミナ以上に強い精神力があってこそです。この精神力は体力と異なり、練習のみで鍛えられるものではありません。日常生活を含めた人格形成の中で結晶化していくものなのです。プロサッカー選手はサッカー少年にとって憧れの職業であり、日本代表クラスともなれば、それなりの収入を得、サッカー以外にも多くのものを手に入れることが出来ます。一方で、なでしこ達は、エースの澤でさえ、所属クラブからの年俸は360万円といわれています。他の選手達は月10万円の報酬と言われ、殆どがアルバイトをして生計をたてているのが実態です。経済的にも環境的にも恵まれない中で、彼女たちは、それでも、サッカーを選択し、多くのものを諦めながら、サッカーに打ち込んでいるのです。それだけ、サッカーを愛しているからこそ、大舞台でも臆することなく自分たちのサッカーを楽しみ、最後まで走り抜き、PK戦の前でも笑顔でいられたのです。なでしこ21人を固い絆で結び付け、あの団結力を作り出していたのは、佐々木監督の統率力、澤選手のリーダーシップの前に、サッカー愛という強烈な磁力だったのだと思います。澤選手は、北京五輪の際「苦しくなったら私の背中を見て」と言って、チームメイトを鼓舞しました。今回はその必要はなかったと思います。なでしこ達は、それぞれのサッカー愛をのびのびと表現する術を身につけていました。自ら優勝というゴールを定め、しっかりとそれを見据えて、疾走していました。サッカーの神様もその愛に応えてくれました。(写真は、日の丸を羽織って駆ける澤選手)

2011年7月18日月曜日

ありがとう、なでしこ - 世界チャンピオン

米国代表のユニフォームの胸に輝く2つの星。W杯2回優勝の印です。なでしこのブルーのユニフォームの胸に一つ星が輝く予感が・・・と書いている最中にいきなりのピンチ。米国は速い、高い、強い、うまい。吉野家以上の4拍子揃ったさすがにFIFAランキング1位のチームです。前半米国の猛攻にラインを押し込まれ、低い位置からのビルドアップが出来ない日本。両サイドのマッチアップで米国に高い位置を取られ、日本の武器である両翼を羽ばたかせることが出来ません。鮫島の女の子走りの攻め上がりに蓋をされ、サイドからの崩しが出来ません。日本の初シュートは前半22分。完全にゲームを支配された中での前半無失点での折り返しは悪くありません。後半もゴールポスト、サイドバーの必死の守備でゴールマウスを守りますが、遂に24分に失点。守って守っての失点。普通であれば心が折れてしまうところですが、ここで開き直れるのがなでしこ。一挙にFWを2人替えた佐々木采配のメッセージも強烈でしたが、それをしっかりと受け止めた選手達も立派。モーガンのゴールが鮮やかなら、宮間の同点シュートは技ありシュート。あそこに走り込んでいた嗅覚も見事ですが、何よりも一瞬の判断で左足アウトサイドでキーパーの逆をついたシュートは本当に美しいゴールでした。それにしても今大会のなでしこのゴール前での冷静さには驚かされます。そして、2度リードされながら追いついた精神力。PK戦の前に笑顔をみせていた逞しさ。
延長戦の澤の同点ゴールは何と表現したらいいのでしょうか。サッカーの神様の澤への最高の御褒美でした。そして、MVP・得点王。日本サッカーを支え続けてきた澤の貢献を考えると、決して過分な御褒美ではないでしょう。そして、これは、紛れもなく、澤が自ら掴み取ったものです。「苦しい時には私の背中をみて」北京五輪の際にチームメイトに掛けた澤の言葉です。彼女の背中に日本全体が励まされました。
諦めなければ、必ず掴み取れるものがある。ありがとう、なでしこ。おめでとう、なでしこ。

2011年7月14日木曜日

なでしこ快勝 - パウル2世を破る

「日本の強さは団結力」とは岡崎選手のAC広告での言葉ですが、それを実証してくれたなでしこの快勝でした。ボールキープ率60%はチームワークの高さの実証。とどめの3点目の川澄のループは、キーパーが飛び出しがちというスウェーデンの弱点が初先発の選手にまで浸透していたことの実証。ハーフバウンドのボールをコントロールしてループシュートを放った川澄の技術は見事でしたが、冷静さを保ってシュートを打てたのは、チーム戦略が浸透しており、心の準備が出来ていたからこそです。最後の逃げ切りの選手交代に初出場の選手2人を入れるという佐々木采配は、通常であればあり得ないものです。監督の選手への厚い信頼と控えの選手を含めたチームワークへの自信のなせる技。全てが素晴らしい!
南アW杯の際には、今後のサッカー界の為にもスペインに優勝して欲しいと願いましたが、今回のなでしこも日本代表だからという枠を超えて、本当に頂点に立たせてあげたいチームです。優勝という歓喜で報いてあげたいと思うチームですし、それに十分値するチームです。
ところで、ドイツの水族館ではタコの予知能力を検証する為、パウル2世君も含めた8匹のタコに予言をさせているそうです。スウェーデン戦の勝利予想は、4匹が日本、2匹がスウェーデン、1匹は無判定、1匹病欠との結果だったとか。多数派の日本勝利予想が見事に当たったわけですが、パウル2世君の予想はスウェーデン勝利。なでしこの団結力の前にパウル2世屈す。

2011年7月12日火曜日

Project Tohokny - エピローグ

安曇野は、北アルプスの自然に加え、豊富な道祖神でも有名です。道祖神の最も多い町とも言われています。道祖神は松尾芭蕉の「奥の細道」序文に出てきて、芭蕉は「道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず」東北の旅に出掛けることになります。この記憶もあり、道祖神はてっきり旅の安全を守る神かと思っておりました。ところが、安曇野の道祖神は仲睦まじい男女の姿を彫ったものばかり。孤独な旅のイメージとは異なります。そこで、調べてみると、道祖神の起源は悪霊が集落に入ってくるのを塞ぐ「塞の神」で、それがやがて「幸の神」に転じ、子孫繁栄のご利益も含めた村の守り神となったようです。その為、道祖神は男女一対のものが多く、祖の且は男性のシンボルを意味することから、道の字を女性自身を表わす形状の文字を使った文字形道祖神もあるそうです。写真は、水色の時道祖神です。1975年NHK連続ドラマ「水色の時」(主演:大竹しのぶ)に登場し、有名になった道祖神です。男女が満面笑みを湛えて抱き合っています。まるで子供がじゃれあっているような無邪気さが溢れており、微笑まずにはいられません。やはり無垢な愛こそが村(日常)を守るのです。今回のプロジェクトの当初の目的地は中の湯と焼岳であり、これがプロジェクト名末尾のnyの由来でした。土砂崩れの影響で両方とも断念せざるを得ませんでした。一方で、このnyはN隊長のイニシャルでもあります。今回のプロジェクトは、N隊長の50歳の誕生日を祝うという重要なミッションも帯びていました。そして、図らずも、結果的にN隊長の卓越したプロジェクト企画能力、冷静な危機対応能力がいかんなく発揮されたプロジェクトとなりました。サッカーで言うなら「自らの誕生日を祝う鮮やかな逆転ハットトリック」といったところでしょうか。3名の隊員は半ばサポーターと化して拍手を送るばかりでした。ということで、予期せぬ事態に大幅な軌道修正を余儀なくされたプロジェクトでしたが、今回もまた、Mission Complete!!

2011年7月10日日曜日

なでしこ世界王者を撃破

なでしこ、やりました。勝ちました。予言ダコ「パウル君」の後継ダコ「パウル2世」の日本勝利の予言(写真)が当りました。
3連覇を目指す世界王者ドイツ相手に歴史的な勝利。地元の声援を受けて、ドイツ圧倒的に有利な状況でしたが、それがかえって緊張につながったのか、ドイツの再三のシュートは精度を欠いています。なでしこも、最後まで足を止めずに体を寄せ、120分間ドイツにゴールを割らせませんでした。延長戦後半3分の丸山のゴールは見事でした。本人は、試合直後のインタビューで「岩渕からのボールが良かったので・・・」とパスの出し手を認識していませんでした(実際には澤からのパス)。そんな極度の興奮状況で、冷静にキーパーの逆をつくファーへのシュート。研ぎ澄まされた集中力のなせる技。これが「ゾーンに入る」ということなのでしょう。それにしてもその後の10分間以上のドイツの波状攻撃を耐えきったなでしこの体を張った守備は美しいという形容に相応しいものでした。美しいゴール、美しい守備でした。注目の岩渕は、途中出場で途中交替というサッカーでは最も屈辱的な悔しい結果に終わりました。準決勝、そして、決勝と、彼女が輝く瞬間がきっとあるばずです。なでしこの快進撃を見続けたいと思います。

2011年7月7日木曜日

Project Tohokny - 原風景を漕ぐ

諏訪湖畔の市街地の夜景を見下ろす薬師平茜宿の露天風呂を満喫した後は、翌日行程の作戦会議。シェフパTの登山靴が不調で靴擦れが激しく、救護班Dr.Kのテーピングの技をもってしても登山は危険と判斷し、観光への変更を決定。この軟弱そのもののリスク管理が、我が秘湯・登山愛好倶楽部の真骨頂でもあります。
プロジェクト2日目は安曇野をサイクリング。駅前でレンタサイクルを借りて、観光スポットを巡りながら大王わさび農場に。安曇野は北アルプスの山並みに抱かれた美しい町で、映画やTVドラマの舞台としてしばしば登場します(現在(いま)もNHK連続TV小説「おひさま」の舞台となっています)が、私にとっては、今回が初めての訪問でした。駅前の小さな商店街と住宅地を抜けると一面の田園風景が広がっています。水を湛えた田圃にそよぐ緑の苗。畦道を覆うシロツメクサ。藻が茂る疎水。そんな風景の中で自転車を漕いでいると不覚にも涙がこぼれてきそうになりました。Dr.Kは安曇野を日本の原風景と表現していましたが、その田園風景は私にとって原風景そのものでした。製紙工場の煙突の彼方にそびえる富士山と北アルプスの山並みとの違いはありますが・・・。シロツメクサで冠を編んで遊んだり、田圃でオタマジャクシを採ったり、疎水をポリタンクと発泡スチロールを組んだ筏で下ったり。そして、高校時代は田圃沿いの道をまさに自転車で通学したものでした。人格は、勿論、人との交わりの中で形成されるものですが、自然環境やいつも眺めている風景も大きく影響するのではないかと思います。原風景とは、人の精神性に深く刻み込まれた隠し絵のようなものなのかもしれません。その風景に出会うと、えも言われぬ懐かしさに心が揺さぶられる。失われつつある原風景とともに、日本人の心の大切な部分が損なわれつつあるように思えるのは、単なる感傷でしょうか。(写真は「おひさま」の撮影セット)

2011年7月6日水曜日

若きSamurai Blueメキシコに散る

U-17準々決勝ブラジル戦、正に華麗に舞い散る青い桜花でした。マスコミによっては「マイアミの奇跡再現ならず」の見出しをつけていましたが、15年前のアトランタ五輪の際の防戦一方の戦いぶりとは様変わりの堂々たる互角の戦いでした。結局はブラジルの個人技に屈したものの、日本の組織力で十分世界に対抗出来ることを証明してくれた90分間でした。ブラジル相手にボール支配率(52%)で上回る戦いをしたことだけでも快挙です。そして、後半32分高木のゴールラインギリギリからのマイナスの折返しが詰めていた早川の背後を通って、駆け込んで来た中島にピタリと合った瞬間のブラジル守備陣の驚愕の表情。それを冷静にゴールに流し込んだ中島。全ての動きが見事に噛み合い、美しいという形容に相応しい素晴らしいゴールでした。最後は2-3の1点差の惜敗でしたが、一時は3点差をつけられたことも事実。1対1の戦いでは個人技でことごとくかわされてしまったことも事実。若きサムライ達は、世界との距離の近さ、そして、その最後の僅かな距離感と乗り越えなければいけない壁の高さを肌で感じたはずです。次の戦いは2年後のU-20W杯トルコ大会、そして、5年後のリオデジャネイロ五輪。その時は鮮やなリベンジを演じてくれそうな予感がします。

2011年7月3日日曜日

Project Tohokny - 下り続ける道

サッカー世界大会の目白押しで、Projectのレポートがプロローグのまま、止まってしまっておりました。閑話休題、本題に戻ります。計画というものは、ひとつ歯車が狂うと、次々に突発事故が起こるものです。我々の乗り込んだ7時発のスーパーあずさ1号は、狩人の歌う「♪8時ちょうど・・・」になっても発車せず。人身事故の影響で出発を見合わせ、プラットフォームに留まったまま、時間だけが過ぎていきます。ようやく動き出したのは、9時前。N隊長の渾身の代替案が再び修正を余儀なくされます。結局、塩尻まで行き、タクシーで高ボッチ山山頂へ。そこから宿までひたすら下るという、しまらない山登り(?)となりました。
高ボッチ山は、標高1,665mの高さですが、諏訪湖を見下ろし、北アルプスを眺め、天候次第では遠く富士山を望むことが出来る絶好のスポットです。さすがにN隊長の眼に狂いはありません。ボッチという変わった名前は、アイヌ語で「巨大な高原」を意味し、巨人ダイダラボッチが腰かけたとも言われています。山頂下の観光センター前の休憩所で昼食。メニューは、会津産ひとめぼれのご飯に、福島産ズッキーニ、会津産タマネギ入りのカレーをかけた復興支援レシピ。
高ボッチ山山頂からの眺望(写真)は見事でした。淡い青灰色の水を湛える諏訪湖。諏訪湖を囲むようにして岡谷市と下諏訪町の市街地が広がっています。人が生活を営む街並みと諏訪湖の雄大な自然とのコントラスト。そして、何よりも、淡いオレンジ色のレンゲツツジ(写真手前)が満開の時を迎えており、湿気を含んだ水彩画のような風景へのアクセントとなっていました。
山頂から宿までは、アスファルトの車道を2時間以上ひたすら下る行程。何か目標感のある登りに比べ、目的地の見えない下りは、ふくらはぎ以上に精神的にキツいものがあります。人生と同じです。どこかで道を間違えてしまったかとの不安が募り始めた頃、秘湯、崖の湯温泉薬師平茜宿に到着しました。

2011年7月2日土曜日

頑張ろう、日本!! - なでしこグループリーグ突破

なでしこのエース澤穂希(写真)は、女子W杯ドイツ大会メキシコ戦でのハットトリックで、釜本邦茂と並んでいた日本代表国際試合通算ゴール記録を一挙に78ゴールに塗り替え、永遠に記録と記憶に残る選手となりました。圧巻のハットトリックは勿論ですが、豊富な運動量と体を張った動きでの守備面での貢献は特筆ものでした。澤本来の動きが戻ってきました。なでしこの心臓が力強い鼓動を打てば、チーム全体が躍動します。なでしこの力を全ていかんなく発揮して、4-0の快勝。素晴らしいサッカーでした。途中出場の岩渕も随所に柔らかいタッチのトリッキーなプレーを見せ、澤の3点目の起点にもなりました。選手を入れ替えて臨める次戦での先発が予想され、活躍が期待されます。
U-17の6-0の快勝に続く、なでしこの圧巻の勝利。ドイツとメキシコのスタジアムの観客をどよめかせた大輪の連発花火。おりしも、コパ・アメリカ開幕。日本も参加していたら、アルゼンチンの空にも連発花火の大輪の花を咲かせることが出来たのではないかと思うと残念ではあります。その無念さをJや海外でぶつけて欲しい。頑張れ。それぞれの日本代表。その姿が日本に自信と勇気をもたらします。頑張ろう!日本。

2011年7月1日金曜日

U-17 W杯日本代表圧巻のゴールラッシュ

決勝トーナメント1回戦ニュージーランド戦は、33℃の暑さにも拘らず、互いに高い位置からのプレスを掛け合いという意外な展開で始まりました。体格に勝るNZのプレスにしばしばボールを奪われ、危ない場面を迎えていた序盤の日本ですが、ゴール前の固い守備で凌ぎ、NZのプレスが先に緩み始めると、ボールを支配し、ゲームの主導権を握ります。そして、前半20分の石毛(清水ユース)の角度のない位置からのループシュートで先制した後は、一方的に押し込んで、ゴールラッシュ。前半を4-0で折返します。4得点は何れもサイドからの崩しによる見事なゴール。石毛の先制点は、この日4試合のFIFA選定のベストゴールに選ばれています。後半も追加点を重ね、6-0の快勝でした。(写真はともに2得点ずつをあげた石毛と早川(新潟ユース))
NZは、フィジカルに加えて、高い個人技も有するなかなかの好チームでした。しかし、決定的に欠けていたのが経験値。自らのペースで攻めている時はいいプレーをしているのですが、相手にゲームの主導権を握られ受けに回ると、とたんにパニックに陥ってしまう。これまで、同じオセアニアの強豪オーストラリアに世界大会への出場を阻まれ、世界を体験する機会に恵まれませんでした。オーストラリアがアジアサッカー連盟に戦いの場を移した以降南アW杯をはじめ、各年代の世界大会への出場を果たし、急速に力をつけつつありますが、まだ発展途上というところなのでしょう。
さて、日本の次の対戦相手はサッカー王国ブラジル。日本のポゼションサッカーと同タイプのチームです。若き日本代表イレブンは自らのスタイルを貫いて互角の勝負を挑むのか、あるいは、カウンターサッカーという別の側面を見せてくれるのか、楽しみです。解説の風間さんは「ブラジルへの過度のリスペクトは不要」と語っていました。