2011年9月29日木曜日

Project Nadeshiko - 何故か、太田裕美

という訳で、何故か、太田裕美です。75年の暮れにリリースされた「木綿のハンカチーフ」は永遠の名曲として今でも世代を超えて歌い継がれています。地方から都会に出て来て都会色に染まっていく「僕」は、もう故郷での生活には戻れないと恋人への手紙に綴ります。故郷で僕の帰りを待つ彼女は、僕との別れを察して、最後の贈り物に木綿のハンカチーフをねだります。涙を拭う為に。時代は、オイルショックの影響で高度経済成長期が終焉を迎え、「モーレツからビューティフルへ」の転換期の真っ只中にありました。高度成長の残照と安定成長の薄暮の中で、社会も人の心も揺れ動いていた時代でした。そういう意味では、この曲は、松本隆・筒美京平の黄金コンビというよりは時代そのものが生み出した名曲といえるかもしれません。そういえば、「木綿のハンカチーフ」のオリコン1位を阻み続けた「およげ!たいやきくん」も企業戦士への癒しソングでした。従来の応援ソングからの転換も時代を象徴していました。そして、問題の「赤いハイヒール」(写真)です。「木綿のハンカチーフ」の大ヒットにつながるプチブレイク序曲だと記憶しておりましたが、日本レコード大賞をはじめとする歌謡史に絶大なる知識を有するN隊長の断言通り、順序が逆で「木綿のハンカチーフ」の半年後にリリースされていました。しかも、「木綿のハンカチーフ」と対をなす男女を入れ替えたストーリーでした。地方から出てきたおさげ髪のそばかすお嬢さんは、東京に着いてすぐに赤いハイヒールを買います。仕事はタイピスト。タイプを打つたびに夢を失っていくと呟きます。そして、一度履いたら死ぬまで踊り続けなくてはいけない「赤い靴」に悲鳴をあげ、救いを求めます。そんな彼女に、「僕」は、一緒に故郷に帰って緑の草原で裸足になろうと誘います。彼女は、僕のプロポーズに応じてくれるのでしょうか?含みを残したまま曲は終わっています。この結末は、1年後にリリースされた太田裕美の最後のヒット曲「九月の雨」で明らかにされています。東京に留まった彼女は、ある男性と恋に落ちます。彼は木綿のハンカチーフの「僕」なのかもしれません。しかし、恋は破局を迎えることになります。彼への電話の最中、彼の肩越しに微かに聴こえた女性の笑い声。彼女は思わず外に飛び出し、タクシーを停めます。そして、彼の住所をポツリと告げます。彼との思い出の公園通りで、彼女は、9月の冷たい雨に打たれて立ち尽くします。「季節に褪せない心があれば、人ってどんなに倖福(しあわせ)かしら」9月の雨が彼女の涙を優しく洗い流します。木綿のハンカチーフではひたすら伸びやかで温かみに溢れていた太田裕美の高音に、9月の雨では胸をえぐる様な哀愁を帯びた鋭さも加わっており、彼女自身の大人への成長を感じさせます。太田裕美22歳。歌手としての円熟期を迎えながら、その後は目立ったヒット曲に恵まれない時期が続き、5年後彼女は大きな決断を下すことになります。長くなってしまいましたので、彼女自身のストーリーについては、次の機会に。

2011年9月26日月曜日

Project Nadeshiko - 尾瀬と東電、そして、太田裕美

3連休を利用して尾瀬に行って来ました。1日目は尾瀬ヶ原を縦断して尾瀬小屋泊。2日目に燧ケ岳(ひうちがたけ)に登って、檜枝岐(ひのえまた)温泉泊。最終日は尾瀬沼の畔をトレッキング、というトラベルプランナーN隊長の面目躍如たる尾瀬を満喫し尽くす日程です。1日目は鳩待峠からアヤメ平経由で見晴に抜けるという比較的マイナーなルートでしたが、それにしても連休中の尾瀬とは思えないほど閑散としておりました。旅館で聞いてみると、宿泊客は昨年の4割減らしく、福島県のはずれに位置し、福島原発からは遠隔地であるにも拘わらず、原発事故による風評被害は深刻なようです。今回のプロジェクトは、新メンバーDr.Kの誕生日を祝うとともに、東北支援の意味合いも込められています。宿は福島、3日間の昼の食材はシェフパTが厳選した岩手せんべい汁他の東北産品。尾瀬のゴミ拾いボランティアもいつも通り実施しました。従来は、東電がグリーンボランティアの名称で、ゴミ袋、バッジ、記念品の3点セットを配布し、参加者を募っていましたが、経費削減の影響か、募集は中止されていました。東電による尾瀬の保有継続の是非も含めて悩ましい問題です。
さて、本題です。燧ケ岳は東北最高峰(写真は燧ケ岳山頂から望む尾瀬沼。遥か彼方に富士山が一瞬顔を覗かせました)。尾瀬小屋からの高低差は1,000m、全行程9時間。山頂アタック時にはスタミナ切れ、下山途中から足の踏ん張りが効かずという悲惨な状況でした。疲労の為にややもすると集中力が途切れがちになってしまうのを防ぐのが、「声」です。もともとは、単調な樹林帯のトレッキング時の気分転換を目的に、クマ除けと称して始めた「しりとり歌合戦」ですが、今では、我々の登山には欠かせない要素となり、疲労低減、集中力の維持にも役立っています(多分)。毎回、曲のレパートリーも広がり、今回は太田裕美の「赤いハイヒール」が登場しました。ここで、どうでもいい細部にこだわる我が登山チーム内での論争。赤いハイヒールと木綿のハンカチーフとでは、どちらが先にリリースされたか。赤いハイヒールのプチブレイクが木綿のハンカチーフの大ヒットに繋がったという説を、歌謡史には絶対的な自信を持つN隊長が真っ向から否定。という訳で、調べてみました。次回は太田裕美ファンのDr. Kに誕生日プレゼント替わりに捧げる「太田裕美物語」。

2011年9月22日木曜日

生酒とひやおろし - U-22マレーシア戦

台風が首都圏を直撃し、暴風雨の最中、馬喰町「岡永倶楽部」の「ひやおろし試飲会」(写真)に参加しておりました。台風の影響で参加者が半分以下となってしまいましたが、その分酒飲み同士の親密感が高まったとても良い会でした。
冬に仕込まれた日本酒は、春に低温加熱(火入れ)が行われ、発酵が止められるとともに殺菌処理がされます。1度目の火入れをされたお酒は蔵で寝かされながら、熟成が進みます。一夏を越して蔵出しされ、2度目の火入れ(殺菌処理)をされたお酒が瓶詰めされて店頭に並ぶ訳ですが、この2度目の火入れを行わずに瓶詰めされたものが「ひやおろし」です。熟成樽の大樽から小分けの木樽にひやのまま卸していたところからひやおろしと呼ばれるようになりました。2度目の火入れによって損なわれてしまう日本酒本来の香りや微妙な風味・旨味が残っており、「お酒を味わうならひやおろし」と言われています。そうであれば、最初の火入れも行っていない生酒がもっと美味いのではないかと素人考えで思ってしまいます。そこで、同じ銘柄の生酒とひやおろしを飲み比べてみました。甘味、辛味、旨味、果実味、香りなど日本酒の様々な味わいがストレートに伝わってくるのが、生酒。力強い味わいですが、どうしてもそれぞれの味や香りが暴れてしまうきらいがあります。一方、熟成されたひやおろしは、味がバランス良く落着き、かどが取れてまろやかな風味になっています。日本酒の深さを再認識させられた至福の飲み比べでした。
さて、U-22マレーシア戦。乱れに乱れたダイヤの交通機関を乗り継ぎ、零時過ぎに家に戻ってからの録画観戦となりました。ホームとはいえ、初戦の硬さの中で2‐0の勝利はまずまずだったと思います。2点とも、このチームの良さが出た美しいゴールでした。起点はいずれも清武。特に1点目のノールックパスは彼のサッカーセンスの高さが見事に現れていました。清武の他にも、スピードの永井、突破力の原口、ゴール感覚抜群の大迫、高速クロスの酒井、バランサー山村と、この世代は個性豊かで且つJリーグでもレギュラーに定着している経験豊かな選手が多数います。ここに海外組の香川や宮市が加わるかと思うとワクワクする布陣となります。ただ、まだ、生酒。それぞれの個性が弾けて、まだチームとして熟成するに至っていません。五輪予選を通じて、火入れされ、しっかりと熟成し、個人の個性をチームの個性に昇華させ、来年のロンドン五輪では香り高く、まろやか、且つ、芳醇な日本酒「ひやおろし」の美味を世界に知らしめてくれるものと期待しています。
ところで、難病バセドウ病と闘っていたジュビロの山崎が代表に戻って来ました。復帰後いきなりのゴール。夏の間じっくりと熟成していたのでしょう。

2011年9月19日月曜日

がんばってる?日本

先日、多摩川のグラウンドで試合をしていた少年野球チームのヘルメットに、写真のステッカーが貼ってありました。もともと日本野球機構が発案したもので、プロ野球12 球団のヘルメットに貼られているステッカーです。観光庁が作成した桜と日の丸をアレンジした「がんばろう、日本」は国内旅行振興キャンペーンで使用されています。
至るところで展開されている「がんばろう!日本」「がんばろう!東北」キャンペーンですが、一方で、京都の五山送り火で陸前高田の松材の薪の使用が中止されたり、愛知県日進市の花火大会で東北復興支援と銘打ちながら福島で製造された花火の打上げが中止されたりと、ある種のクレーマーとそれに押し切られてしまうことなかれ主義は、図らずも、「がんばろう」の掛け声が掛け声のみで終わってしまう危うさを露呈してしまいました。鉢呂前経産大臣の「死の町」発言は、悪気はなく、単にボキャブラリーと思慮の不足によるものですが、その両者とも政治家には必須の資質です。「放射能つけちゃうぞ」に至っては、オフレコ状況でのおふざけとはいえ、緊張感の無さはそれだけでこの非常時の大臣としての資格無しです。首相の所信表明演説での野次も同様です。非常時の緊張感の無さは目を覆うばかり。政治家を育ててこなかったツケががここにきて回ってきています。
周りで復興の為に頑張っている方はたくさんいます。ただ、「がんばろう!日本」の掛け声の下に日本は本当に頑張っているんだろうか。「団結力」や「献身」の精神は、なでしこやサッカー日本代表だけの専売特許ではないはずなんですが・・・。

2011年9月15日木曜日

なでしこは何故強い?

なでしこが苦しみながらもアジア予選無敗でロンドン五輪出場を決めました。コンディションは最悪でゲーム内容は押されっぱなし。それでも、4勝1分という圧倒的な結果。世界王者の誇りを胸に、なでしこは次元の違うサッカーを展開していました。本当に強いチームというのは、こういうチームなんでしょう。なでしこが強い5つの理由。
①選手の高い志。「五輪での目標は?」の質問に、監督は「メダル」、選手は「頂点」。W杯でもメダルを目標にしていた監督に、北京五輪でベスト4を目指してベスト4どまり、銅メダルを逃した反省から、あくまで優勝を目指し、優勝を公言していたのは選手達でした。監督より選手の目線の高いチームは強い。
②チームコンセプトの徹底。タイ戦、中国戦は、控え主体のチームで臨みましたが、いずれも勝利。控え選手主体でも個々をアピールするプレーに走ることなく、しっかりと同じサッカーをして勝利する。控え選手にまでチームコンセプトが浸透しているチームはブレません。
③澤のキャプテンシー。「苦しい時は私を見て」という澤の言葉は有名です。本当に苦しい終盤に、最終ラインまで下がって体を張る一方で、ドリブル突破で敵陣に切り込みラストパスを通す頑張りは、正にその言葉を実践するものです。また、W杯決勝のPK戦で最後のキックを若手の熊谷に任せたり、今回も2試合ベンチで過ごすという若手への厚い信頼は、そのキャプテンシーの進化を感じさせました。
④サッカーへの強い想い。東電のチームメイトの後押しでサッカーを続けることを決意し、福島への強い思いを胸に頑張る鮫島。年収200万円そこそこで、アルバイトをしながらサッカーに情熱を注ぐなでしこ達。彼女達の団結力の根源は、そんなサッカーへの熱い思いの共有にあります。
⑤絶対的な自信。W杯優勝で、彼女達は「夢は見るものではなく、実現するもの」ということを実感しました。この経験は彼女達にとって、大きな自信となったのみならず、人生観も変える程の出来事だったと思います。追われる立場の苦しみもあるでしょうが、なでしこ達が、自信を確信に変えながら、更に進化していくものと信じています。

2011年9月11日日曜日

中国戦 - 鮫島の特別な想い

なでしこにとっては消化試合となった中国戦。先発をガラリと入れ替えて臨みました。控え組主体の先発陣の中で、主力組から残った鮫島(写真)は、自ら志願しての先発でした。控え組が代表残留への精一杯のアピールを図る中で、鮫島は特別な想いを胸に秘めていました。独特の内股女の子走り、タックルを受けると「あれ〜ぇ」って感じでお姉さん座りになってしまう仕草。それでいて、女性とは思えないスピードとテクニック。なでしこの中では川澄と並んで男性サポーターの圧倒的な人気を集めるプレーヤーです。(女性サポーターには、海堀や宮間といったボーイッシュな選手の方が人気が高いようですが・・・。)
彼女は福島第一原発の技術部門に勤務しながら、東電マリーゼでプレーしていました。そして、あの大震災。マリーゼの活動休止とともにサッカーを諦めるつもりでいた彼女に米国移籍を決意させたのは、「自分達の分までサッカーで頑張って欲しい。なでしこで活躍して福島のサポーター達を勇気づけて欲しい」というチームメイトからの後押しでした。W杯での活躍は、その言葉通り、福島のみならず、日本全体に元気をもたらしました。鮫島がW杯で着用したユニフォームは、福島第一原発の免震重要棟に飾られています。野田首相が訪れた際、吉田所長は、このユニフォームを「守り神」と紹介していました。9月11日は震災からちょうど半年。鮫島には、なんとしてもゲームに出なければならない特別な理由があったわけです。その鮫島。再三左サイドを駆け上がってはドリブルをしかける、気持ちの入ったいいプレーをしていました。何よりも5試合フル出場450分間を戦い抜いた熱い想いは、確実に被災地に届いたことでしょう。

2011年9月9日金曜日

なでしこ、五輪出場決定!!

なでしこジャパンは、北朝鮮に苦戦し、引分けに持ち込まれるも、中国の敗戦でロンドン五輪の切符を手にしました。W杯女王ということで、世間一般では、北朝鮮には勝って当り前のように思われていましたが、数年前までは全く歯が立たない相手で、なでしこは、何度も苦杯をなめさせられてきました。それだけに、「北朝鮮に苦戦」の表現には隔世の感があります。北朝鮮はW杯でのドーピングによる出場停止で5名の主力を欠いていましたが、見事に世代交代を成功させ、古豪復活を予感させるチームになっていました。W杯以来の肉体的・精神的疲労がピークに達していたなでしこですから、若い北朝鮮相手にドローという結果は妥当だったと思います。終了間際の失点はW杯当時のなでしこには考えられない展開で、明らかに集中力を欠いていました。W杯後のなでしこ狂騒曲の中で弛緩する時間がなく、また、練習不足を余儀なくされたなでしこに、予選敗退もありうると秘かに危惧しておりました。やはり、予想にたがわず、動きにキレを欠き、ミスを連発しての試合運びでしたが、それでも3勝1分と確実に勝ち点を積み上げ、五輪切符を獲得するというたくましい戦いぶり。また、疲労蓄積には怪我がつきものですが、一人の負傷者も無く戦い抜いたのも名馬の証しです。W杯トロフィーをかたどった右胸のエンブレムに相応しい本物の強さを示してくれました。それにしても、今回の五輪予選の強行日程は、なでしこならずとも、どのチームにとっても厳し過ぎます。ホーム&アウェイで予選を行うどころか、余裕をもった日程での集中開催すら、予算的にままならないというのが、女子サッカーの現実なのです。
約束の五輪切符を手に凱旋帰国のなでしこ。団体競技での最初の五輪出場決定です。おめでとう、そして、ありがとう。

2011年9月4日日曜日

ノルウェーの森

以前、尻切れ蜻蛉になってしまったテーマの続きです。原題はNorwegian Wood。この言葉は曲の中でこんな風に出てきます。「僕は彼女の部屋に誘われた。部屋の中はNorwegian Wood。僕らはワインを飲みながら、夜中の2時までしゃべっていた。彼女が「明日は仕事があるから」と先に寝てしまったので、僕は仕方なくバスタブで寝た。朝、目が覚めると僕は一人ぼっちだった。鳥は飛びたっていた。だから、僕は火をつけたんだ。Norwegian Wood。」Norwegian Woodを「ノルウェーの森」と訳すと随分幻想的な歌詞になりますが、ノルウェー材と訳すのが正解のようです。(邦題をつけた東芝EMI高嶋ディレクターも、誤訳であることを認め、最悪の訳だと語っています。)英国ではNorwegian Woodといえば、安アパートの松の木の内装を指します。ただ、「ノルウェーの材木」とか「安普請の内装の部屋」っていう邦題はさすがにつけられません。小説「ノルウェイの森」の作者村上春樹氏は「Knowing she would」(オレは彼女がヤらせてくれると知っていた)という言葉の語呂合わせで「Norwegian Wood」という題名がつけられたという説を紹介しています。これでは、折角のシタールの音色が台無しになってしまうお手軽な曲になってしまいます。村上春樹氏が小説のタイトルにするのを躊躇した原因かもしれません。ところで、写真は、映画化された「ノルウェイの森」が英国で公開された際のポスターです。英語タイトルの翻訳者は、ちょっと複雑な心境だったと思います。

2011年9月3日土曜日

北朝鮮戦 - 噛み合わない歯車

柏木陽介は好きな選手です。グループリーグ突破を果たした2007年U-20W杯調子乗り世代の中心選手であり、それ以前から注目していました。小柄な体に闘志をみなぎらせ、無尽蔵なスタミナでピッチを駆け巡るプレースタイルは、サンフレッチェの心臓であり、ダイナモでした。しかし、ステップアップの為に移籍した浦和で周囲と噛み合わず苦しんでいます。チーム戦術と本人のプレースタイルが合わなかったり、チームメイトとの相性がよくなかったり、必ずしも本人のパフォーマンス自体は悪くなくとも、いわゆるフィットしないという現象がしばしば起こります。香川は昨シーズン、ドルトムントで中心選手として大活躍しましたが、長友のセリエAインテルに行っていたら、どうなっていたか。逆もまた同じです。サッカーがチーム競技である以上、チームへのフィットは最も重要な要素です。柏木のようにボールに触りたがる選手は、ポジションの比較的固定したチームでは輝きを発しますが、ポジションの流動的なチームでは持ち味を失ってしまう場合があります。
W杯予選北朝鮮戦(写真はすっかりお馴染みになった肩を組んで君が代を聴くサムライブルー)。本田、中村憲剛というトップ下2人を負傷で欠き、香川をトップ下に配し、左サイド清武の布陣を予想しましたが、トップ下は柏木。もともと意気に感じるタイプですから、燃えないはずがありません。いつも以上の運動量でピッチを走り回ります。ハーフウェイラインまで戻ってボールを受けて攻め上がるかと思うと、左サイドでボールを繋いだ後、ゴール前でシュートに絡みます。何回かあった決定機を決めていたらヒーローになっていたかもしれませんが、シュートの精度が低かったのとボール回しのリズムをしばしば途切らせていたので、印象は良くありません。ボールを欲しがる動きは、他の選手との距離感を乱し、時には他の選手のスペースを消していました。岡崎や香川が窮屈そうに動き、あるいはポジションがサイドに開きすぎていたのは、柏木との連携に原因があったように思います。前半30分過ぎ、香川がポジションチェンジをして中央に入った時間帯に、いいリズムの攻撃を仕掛け、柏木が退いた後に怒涛の猛攻を繰り返していただけに、余計、柏木のフィット感のなさが目立ちました。素晴らしい選手であることには変わりがないのですが・・・。柏木に替わって入った清武は決勝点をアシストし、これで代表2試合で3アシスト。先発に定着させるのか、スーパーサブで使い続けるのか、ザックの悩みどころです。

なでしこ、苦戦 - 韓国戦

なでしこがベストメンバーでロンドン五輪アジア予選第2戦韓国戦に臨みました。
阪口のヘッドで先制するまでの10分間はいいリズムでしたが、その後は、いいところ無し。
悪かった点・・・。足が動いていなかった。パスの精度が悪かった。守備陣のライン押上げがなかった。中盤が間延びしていた。こぼれ球への寄せが遅い。ゴール前でのマークがルーズ。選手間の距離感が悪かった。などなど・・・・・・。
唯一良かった点・・・。勝ったこと。
こういうチームを強いチームという。
新ユニフォーム(写真)の胸のひとつ星とW杯王者のエンブレムは伊達じゃない。

2011年9月2日金曜日

なでしこ発進

「ノルウェーの森」の続きを書かなければならないのですが、男女五輪予選、W杯予選が開始されましたので、閑話休題。
なでしこがロンドンに向けて発進しました。ロンドン五輪最終予選初戦、タイ戦。佐々木監督は11日間で5戦という強行日程を勘案して、中盤4人を総入替えし、ターンオーバー制を採用してきました。ひとつの取りこぼしも出来ない状況下、なかなか勇気のいる戦術です。なでしこ達は開始3分で実力の差を実感したと思います。しかし、相手陣内の高い位置でボールを奪い、ほとんどタイ陣内でゲームを進められる展開ながら、無得点のまま前半終了。焦ってもおかしくない展開ですが、主力投入の選手交替は宮間のみにとどめ、ターンオーバー制を堅持した采配は見事でした。選手もよく期待に応えて、3対0の勝利。多少物足りなさは残りますが、堂々たる横綱相撲で、王者なでしこ、上々の滑り出しです。前半の苦戦は、宮間も言っている通り「苦しい試合だったからこそ、スイッチが入った」とむしろいい刺激になったと思います。なでしこフィーバーによる疲労蓄積の影響は杞憂に終わりそうです。そして、貴重な先取点を決めたのは、またしても川澄。好調を持続している川澄がラッキーガールになりそうな予感。

2011年9月1日木曜日

新米 - 尻切れ蜻蛉 - ノルウェーの森

スマートフォンを持つようになってから、電車の中での読書量がめっきり減りました。また、そのスピードもすっかり遅くなってしまいました。言葉の意味や語源が気になると、ついついネットで検索してしまい、その度にスジを追い直す連続で、ちっとも読書に身が入りません。
今朝も、小説に「新前」の文字。新米の誤植だろうと思いながら調べてみると、「江戸時代、新しい奉公人は新しい前掛けをしているので、新前と呼ばれていたが、これが訛って『しんまい』となり、やがて新米の文字があてられることとなった。」なるほど。少し読み進むうちに、今度は「尻切れ蜻蛉」。普段からよく使っておりますが、語源は?再び読書中断。「鼻緒の先を蜻蛉の羽のように結んだ草履があり、とんぼ草履と呼ばれていた。その中でも踵の部分の無い足半(あしなか)という草履(写真)は尻切れ蜻蛉と呼ばれ、中途半端な様を尻切れ蜻蛉と呼ぶようになった」とても尤もらしいのですが、鼻緒の先を蜻蛉の羽のように結ぶというのがどうにもイメージ出来ませんし、草履を「物事が完結しない様」の例えに使うのはかなり無理があるのでは?ただ、文字通り「尻の切れた蜻蛉は飛べなくなってしまうので」というのも、残酷過ぎますね。などと考えていると、読書はそっちのけですっかり深みに。
昔から気になっていた「ビートルズの『ノルウェーの森』というタイトルは誤訳?」との問題。村上春樹の「ノルウェイの森」は、この音楽が飛行機のスピーカーから流れて、主人公が回想するシーンから始まります。小説全体がこの楽曲の旋律のようなどこかほの暗くウェットなトーンに包まれていて、秀逸なタイトルだと思っていましたが、作家自身は必ずしも気に入っていなかったようです。また、小説自体、ギリシャとイタリアという陽光溢れる南欧で、同じビートルズでも、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のテープを120回も聴きながら執筆したということで、イメージ的には対極です(「ノルウェーの森」はアルバム「ラバー・ソウル」に収録)。村上春樹の音楽に関する造詣の深さは、その作品の中でしばしば披露されていますが、「ノルウェーの森」についても、「このタイトルは誤訳であるという議論があるが、そのことについて書くと長くなってしまうので」と語っています。実際長くなってしまうので、この話題については次回に持ち越しということにします。