2011年2月27日日曜日

ナーランダの月 - 大唐西域壁画特別展

平山郁夫画伯の大唐西域壁画特別展が東京国立博物館で開催されています。画伯が薬師寺に奉納した門外不出の大壁画7点が一般公開されています。この壁画は、全長37mにも及ぶ大作で、20年以上の制作歳月をかけて描かれました。薬師寺玄奘三蔵殿の内壁として収められており、玄奘三蔵殿自体公開時期が限られている上に、幸いにも公開時期に訪れることが出来たとしても、入り口からのガラス越しの観覧の為、壁画全体を見渡すことは出来ません。したがって、今回の一般公開は、壁画を間近かに鑑賞出来る類稀な機会ということになります。
壁画は、西遊記で有名な玄奘三蔵法師の長安から天竺に至る3年の苦難の旅を描いています。灼熱のタクラマカン砂漠、雪と氷に閉ざされた厳寒の天山山脈。写真の絵は、過酷な旅の末、ようやく辿り着いた西インド・ナーランダ寺院を描いた壁画です。東山魁夷の「青」とも異なる独特の「青」が寺院の厳かな静寂をよく表現しています。アフガンの鉱石ラピスラズリという非常に高価な顔料を用いているとのことです。展示の最後に、この壁画の下絵が参考展示されているのですが、下絵では月は右上に描かれています。確かに素人目にも空の面積が狭い左上に描かれているよりもバランスがいいように映ります。当日居合わせた薬師寺東京別院で修行されているという若いお坊さんが解説してくれました。平山画伯が壁画の献納を約束した薬師寺高田好胤管主は、1998年壁画の完成をみることなく逝去されました。修学旅行生相手の法話に力を入れた方で、私も中学と高校の修学旅行時に管主の法話を伺った記憶があります。平山画伯は、高田管主のご逝去を大いに嘆き、ほぼ完成していたこの「ナーダンラの月」の壁画に高田管主を玄奘三蔵法師になぞらえて、人を描きこみました。壁画右下の白い小径中央に、見逃してしまいそうな位うっすらと描かれているのがそれです。人を描いたために、月は、その視線の先の左上に移されたということです。絵の中にドラマがあり、その創作にもドラマがありました。いい逸話を聞かせてもらいました。特別展は3月6日までです。機会があれば、是非、「ナーダンラの月」の高田管主に目を凝らしてみて下さい。(雨のアリゾナ・フェニックスより)

2011年2月26日土曜日

Project青秋Fantasy - エピローグ

青森・秋田での「桃源郷の日々」から、早や2週間が経ってしまいました。下界の時の流れは、早回しのビデオのように慌しく感じられます。青(森)秋(田を旅し)F(不老温泉で)A(Appleを食し)N(乳頭温泉郷)T(鶴の湯で)A(新政で)S(酒を堪能し)Y(横手やきそばに舌鼓を打つ)という今回のProject青秋Fantasyのミッションは、完璧に達成することが出来ました。写真は、今回泊まった大釜温泉の露天風呂です。写真の左下、湯船のちょっと上に 小さな雪だるまがあるのが、判りますでしょうか?サラサラの粉雪をお湯で湿らせて固めながら作りました。手がすぐにかじかんで 、結構難儀した末の作品です。蟹場温泉、妙乃湯でもお湯に浸かりながら小振りの雪だるまを作りました。3体の雪だるまは今頃どうなっているのやら。すっかり溶けて大空に帰って行ったのか、新雪の毛布の下で夢をみているのか。もうひとつのファンタジーです。そういえば、大釜温泉の雪だるまは「チビ太」に似ているような。

2011年2月24日木曜日

Project青秋Fantasy - 第3章

乳頭温泉郷は、乳頭山の麓に位置し、8軒の宿が点在しています。300年以上前から湯治客が訪れていたということですが、「奥羽の山懐に抱かれた隠れ湯」と呼ぶに相応しい鄙びた佇まいの温泉郷です。湯巡りバスというのが予約制で巡回しており、今回は大釜温泉に宿泊し、蟹場(がにば)温泉、鶴の湯、妙乃湯を日帰り入浴で巡りました。
大釜温泉は、廃校となった小学校の木造校舎を移設して、そのまま宿にしたノスタルジー溢れる造りの温泉宿です。元の建物は、秋田大生の心中事件で焼失してしまったそうです。玄関脇には、二宮尊徳の小さな像が、雪に埋もれないようにと百葉箱のような小屋に収められていました。この像も一緒に移設されてきたのでしょうか。きりたんぽ鍋が絶品でした。蟹場温泉は、近くの沢に蟹が多くいたことに名前の由来があります。宿の裏口からの小径を50mほど行き、小さな橋を渡った所に緑灰色の湯を湛えた露天風呂があります。細々と聞こえるせせらぎの音が雪山に浸みこんでいくのもなかなか風情がありますが、やはり新緑か紅葉の頃がお薦めの深山の露天風呂です。妙乃湯は女性に人気の宿です。「渓流に佇むモダンジャパニーズ」のキャッチコピー、「黄金の湯」「銀の湯」のネーミング、クラッシック音楽の流れる内湯。訴求コンセプトの勝利というべきでしょうか。渓流を見下ろす露天風呂は、「まぁ普通」といったところですが、一度は泊まってみたい宿です。そして、やはりクライマックスは、鶴の湯。JR東日本の宣伝ポスターなどに再三使われる人気の温泉です。宿は茅葺き屋根の本陣跡。降り積もった雪に黒光りする建物がよく映えます。同一敷地内に白湯・黒湯・中の湯・滝の湯という4つの源泉が湧き出ており、5つの温泉があります。その中の一番人気は、何といっても、乳青色の「白湯」の混浴露天風呂(写真)です。隣の女性用露天風呂とつながっており、仕切り塀の木戸(写真中央の丸太の柱の奥)を開けて湯船に入ったまま女性が行き来出来る粋な計らいがなされています。脱衣所から湯船までが完全に女性専用のエリアとなっており、混浴の湯船も濁り湯の為お湯の中が見えず、女性にとって抵抗感の少ない混浴となっています。女性に人気の高い所以です。ここに来たら、是非とも味わって頂きたいのが、山の芋鍋。摩り下ろした山芋を団子に丸めて入れ、豚肉やきのこ・山菜などと一緒に自家製の味噌で煮込んだ鍋です。山芋団子のサクサクした食感、田舎味噌の濃厚な香り、山菜の素朴な味わい、これまた絶品です。
今回は、丸ごと温泉ガイドになってしまいました。これを読んで、乳頭温泉郷に行ってみたくなったとしたら、幸いです。脳みそのシワまでふやける、究極の癒しの里です。

2011年2月20日日曜日

Project青秋Fantasy - 第2章

2月11日14時10分秋田発の「リゾートしらかみ5号」に乗り込み、不老ふ死温泉に向かいます。リゾートしらかみは、全席指定の快速臨時列車です。千畳敷海岸などの日本海の絶景を見降ろしながら走る他、東能代駅でのスイッチバック、能代駅ホームに設置されたバスケットゴールなど見所満載で、鉄道ファンにも人気の高い列車です。
黄金崎不老ふ死温泉に着いたのは日暮れ前。この温泉は、海岸の岩場に掘られ(写真上)、日本海の荒波を間近かに受けながら、湯船に浸かるという正に露天風呂の王道を行く、野趣溢れる温泉です。露天風呂の人気ランキングでは常に上位にランクされています。
泉質は、鉄分を含む塩化物強塩泉で、源泉は無色透明ながら、地表では、鉄分が酸化し、赤みを帯びた黄褐色となります。
岩に砕け散る日本海の荒浪の飛沫と風に運ばれて舞う粉雪。波に漂うカイツブリの群れと頭上を羽ばたくウミネコ。落陽が水平線を茜色に染め、赤湯が更にその赤みを増します(写真下)。身も心も落陽の赤に染まって、日本海と一体化した湯船に浸って、ひたすら至福の時に身を委ねる・・・。(M会長の還暦祝いに最高の赤い衣裳を贈ることができました。)
♪ 凍える空から 海に降る雪は
  波間にのまれて 跡形もなくなる
  あなた 追って 出雲崎
  悲しみの日本海 (海雪/ジェロ)
やはり、冬の日本海には演歌が合います。
翌朝、朝食のバイキングには、林檎と煮リンゴがデザートに出てきました。今回のプロジェクトテーマであるFantasyのうち、F(不老ふ死温泉)A(Apple)とY(横手やきそば)を無事クリアしました。次は、N(乳頭温泉郷)T(鶴の湯)です。

2011年2月16日水曜日

Project青秋Fantasy - 第1章

「大曲からの在来線は運休」との車内アナウンスを聞き、私たちは横手行きを諦めて秋田に直行することとしました。秋田で乗継ぎまでの3時間をどう過ごすのか、早速、ネット検索で情報収集。キーワードは、横手やきそばときりたんぽ鍋。元来、「満腹ツアー」への参加がきっかけとなって始まった私たちの秘湯巡りの旅ですので、「名所観光<郷土料理」の定理が優先されます。数ある候補先からN隊長がその動物的嗅覚で選りすぐったのが「どん扇屋」。駅ビルの中にあり、1軒で秋田名物料理を全て味わうことが出来ます。先ずは、横手やきそばでテーマをひとつクリアし、ついでにこのお店のお薦め、ホルモンやきそばと食比べ。ウスターソース味の素朴な味わいはさすがにB級グルメB-1グランプリ優勝の力強さを感じましたが、奥深さでは富士宮やきそばに軍配を上げたいと思います。稲庭うどんは抜群の安定感。きりたんぽ鍋はこれぞ秋田。B級グルメ王シェフパTが喰いついたのは「ハタハタ寿司」。切り身のハタハタをご飯に混ぜて発酵させた「なれ寿司」です。小鉢に盛られて上品に出てきたのを見て、押し寿司を期待していたN隊長は猛然とクレームするも、店員さんに「んだども、こえが、ハタハタ寿司っす」と一蹴されていました。
雪道を暫く歩いて、秋田市民市場で地元の人々の生活を垣間見た後は、一目散に千秋美術館へ。駅の階段で案内板(写真)を見つけた「赤塚不二夫展」を観る為です。同展覧会は、2008年8月72歳で逝去した赤塚不二夫を追悼して、翌年から全国を巡回して開催されています。東京での開催期間中観ることが出来なかったのが、この秋田で偶然観る機会に恵まれたわけです。赤塚不二夫はナンセンスギャグ漫画の開拓者と称されています。異常に大きなコマ割りで、ストーリーに何の展開も無いまま終わらせたり、声が出なくなったという設定で、全く吹き出しの無い漫画を描いたり。それは読者への一種の挑戦であり、当時中学生だった私は、ナンセンスの何たるかも判らないまま「ナンセンス」という流行り言葉を連発したり、不条理の深淵を覗き見た気になっていたものでした。数多の魅力的なキャラクターの中でもニャロメとケムンパスは別格で好きでした。どちらかというといじめられっ子だった私にとって、まさに不条理にイジメられながらも全く意に介さず自然体のまま生き続ける2つのキャラクターに憧れと否定が入り混じった複雑な想いを抱いたものでした。今にして思うと、あの頃は色んなものから様々なことを学んでいました。その意味で人生の参考書ともなった赤塚不二夫作品ですが、改めて眺めてみると、ナンセンスとは程遠い含蓄の深さを感じました。そして、展覧会の最後は、著名人・漫画家による150枚にのぼる写真・イラストの「シェーッ!」が見送ってくれます。
「乗継ぎまでの3時間」といえば、以前ブログで紹介したフィッツジェラルドの短編ですが、小説でのとても切ない3時間とは異なり、とても幸せな3時間でした。次回は、いよいよ不老ふ死温泉です。

2011年2月14日月曜日

Project青秋Fantasy - プロローグ

毎冬、雪見温泉をテーマに秘湯巡りを行っています。メンバーは山登りのN隊長とシェフパTとともに、Abbey Roadの会のM会長。今回は、M会長の還暦祝いと私の誕生祝いを兼ねています。今回のプロジェクト名は「青秋Fantasy」。青秋は目的地の青森・秋田を意味するとともにM会長の2巡目の人生の始まりにあたり、青春の再来である青秋を祈念したものです。Fantasyは、F(不老ふ死温泉)でA(apple)を食べN(乳頭温泉郷)T(鶴の湯)でA(新政)S(酒)を味わいY(横手やきそば)に舌鼓を打つという意味と、童心に戻り、雪のファンタジーを楽しむという意味がこめられています。 出発日11日の朝は新幹線車内でのシェフパTのお手製焼きたてパンの朝食で始まる予定でしたが、いつも発車ベルとともに電車に飛乗るシェフパTが大宮から乗り込んだのは、「こまち」の車両ではなく、「はやて」の車両。「はやて」から」「こまち」への通抜け通路が無く、朝食は仙台までお預け。更に、大曲から横手への在来線が雪の為運行中止となり、重要なテーマだった横手やきそばへのアクセスが絶たれます。Project青秋Fantasyは、波乱万丈の幕開けで、早くもミッション達成ならずのピンチに直面することとなりました。
といきなり盛り上がったところですが、この続きは時間の関係上次回に持ち越したいと思います。写真は、お馴染み「天才バカボン」です。何故、バカボンのパパなのかは、次回ご説明致します。確かにバカボンのパパは、青秋Fantasyのイメージキャラクターにはピッタリであり、この奇縁・奇遇については、次回のブログで明らかになります。(と、勿体つけるほど、大層なものではありませんが・・・・。)

2011年2月10日木曜日

長友インテルデビュー

マスコミの決まり文句というのがあって、デビュー戦で活躍すれば「衝撃のデビュー」「鮮烈なデビュー戦」。活躍できなければ「ほろ苦デビュー」。
長友の場合は、得点にこそ絡めなかったものの上々の活躍で、サン・シーロ(※)のサポーターにも衝撃を与えたと思います。まず、スナイデルとの交代出場というのが凄い。しかも、ちゃんとエトー、カンビアッソ、サネッティ、マイコンといった超一流選手と絡んでいたというのが鳥肌ものです。
その意味で、「衝撃の」という形容句が適当なのでしょうが、むしろ、映像を見ていて、「安定した」という凡そデビューという単語にはそぐわない言葉が浮かんできました。気負ったそぶりもなくピッチに入り、いきなりのミリトとのワンツーリターン。その後も、積極的なオーバーラップに呼応して、必ずボールが出てきます。守備でもボールを一旦預けられるシーンがしばしば見受けられました。本人は「周囲との呼吸はまだまだ」と語っていますが、チームメイトからしっかりと信頼をかち得て、既にチームの一員として溶け込んでいるのが窺えました。デビュー戦というのを感じさせない安定したパフォーマンスでした。ただ、相手のローマが退場者を出して1人少ない10人だったこと、後半30分からの出場で、相手の足が止まっていたことも勘案すると、今回の活躍を額面通り受取ることは出来ません。その意味で、決定的な2本のクロスがゴールに結びつかなかったのは、今後を考えると却って良かったのではないかと思います。(それにしても、2本目の決定的なマイナスのラスト・パスをカンビアッソがスルーしてしまったのは・・・。一瞬柳沢が乗り移ったのでしょうか?)長友自身「これからまだまだ良くなる。マイコンとは切磋琢磨していきたい」と、浮かれることなく、淡々と語っています。日本代表の左の翼が、力強く羽ばたき、更なる高みに向かっています。
(※) サン・シーロ : インテル、ACミランのホームスタジアム。欧州サッカー通のSuper-Rooneyさんによると、インテルファンはサン・シーロの名称は使わず、ジュゼッペ・メアッツァと呼ぶとの由。

2011年2月9日水曜日

Abbey Roadにて - Yesterday

六本木にはAbbey RoadとCavern Clubというビートルズコピーバンド専門のライブハウスがあります。世界広しといえども、これだけ接近して2つのビートルズライブハウスがあるのは六本木だけだと思います。私が通っているのは専らAbbey Road。ここのコピーバンドThe Parrots(写真)はリバプールで毎年開催されるビートルズ・コンベンションでトリを務めたこともあるこの世界では大変評価の高いバンドで、その演奏は本家ビートルズを完全に凌いでいます。
このライブハウスの目玉イベントにハッピーバースデイコーナーがあります。誕生日が近いお客さんにはグラスシャンパンやデザートが振舞われ、バスデーソングを演奏してくれます。今回は、いつも一緒に来るAbbey road仲間のM会長が還暦祝い、R嬢が結婚祝い、そして、私が退職祝いということでそれぞれお祝いをして頂きました。今回リクエストし、演奏してくれたのが、いつもの「The Long and Winding Road」。そして、「Yesterday」。いまや音楽の教科書にまで載っている「Yesterday」をリクエストするなど、これまでしたことがなかったのですが、無性に聴きたくなり、リクエストしました。この歌は、ポールが昔の失恋を思い出して作詞したという説と、若くして亡くなった母親を偲んで作詞したという説があります。いずれにせよ、悲しい想いを抱きながら、昔を懐かしむ歌です。「I believe in Yesterday」は「昨日という日の存在を信じる」→「昨日は本当に素晴らしかった」と意訳されます。私の「The Long and Winding Road」を振り返ると、自信をもって「I believe in Yesterday」と言えると思いますし、それが、これまで出会った人たち全てに捧げる言葉であり、自らの誇りでもあります。だからこそ、より素晴らしい明日を目指す勇気が湧いてくるのです。
ポールは、The Beatles解散後、The Wingsというバンドを結成し、「Yesterday」と同じコード進行で「Tomorrow」という曲をリリースしています。
♪ Tomorrow, When We Both abandon Sorrow. (僕たち二人 明日こそ 悲しみを乗り越えられる)

2011年2月3日木曜日

未来(つぎ)の空へ - 背番号78

和製ロベカル、長友が、世界一のクラブ、インテルに電撃移籍を果たしました。そして、ゴンの魂を引継ぐ男、岡崎もシュツットガルトに旅立ちました。アジアNo.1を勝ち取った日本代表イレブンが、自信と希望を胸に、未来(つぎ)の空に挑んでいきます。決勝から早や1週間が経とうとしていますが、いまだに話題となるアジア杯決勝戦。33.1%という深夜としては異例の視聴率を記録し、日頃サッカーに興味が無い人も含めた多くの国民に感動と勇気を与えてくれた試合でした。ザッケローニ監督に言われるまでもなく、日本代表のチームスピリットは、日本人として誇りに思えるものでした。日本人として失いかけていた団結力・献身といった強みを思い起させてくれたことが、高い視聴率に繋がったのだと思います。
いつもは、名波の10番か小野の18番のレプリカユニフォームで観戦しているのですが、今回は、78番のユニフォーム(写真)でTVの電波を逆流してドーハに気を送りました。レプリカではなく、同素材・同縫製のオーセンティックユニフォームです。33年間勤めた会社を退職するに当たり、78年同期入社の寮の仲間達からプレゼントされました。背中にはもちろん名前入りで、世界にひとつしかないユニフォームです。胸にチーム78のスピリットを抱き、背中をチーム78に後押ししてもらい、私も新たなスタートを切りました。
♪ 僕らが分かち合う言葉がある
  こころからこころへ 声を繋ぐ Yell
  ともに過ごした日々を胸に抱いて
  飛び立つよ 独りで 未来(つぎ)の 空へ (いきものがかり 「Yell」)