2014年8月3日日曜日

ブラジルW杯 - チームの崩壊

初戦の逆転負け(写真)、2戦目の引分け、3戦目の1-4の大敗。ドイツW杯のあの苦い記憶をなぞるようでした。いずれもチームとして崩壊し、立て直すことが出来ませんでした。両チームに共通するのは、史上最強の日本代表と期待されていたこと、直前の強化試合でいい成績をあげていたこと、攻撃型のチームであったこと。前のめりのチームは、ちょっとした躓きでバランスを失い、重心を取り戻すことが出来ませんでした。今回のチームの場合、本来攻守のバランサーとなり、また、チームに落着きを取り戻させる役回りのキャプテン長谷部の体調が万全ではなく、十分機能しなかったのも、チーム崩壊の一因となりました。しかし、大きかったのは、「自分たちのサッカー」の呪縛がDF陣と攻撃陣のギャップを生みだした点だと思います。そもそも、自信喪失気味のDF陣にとって、攻撃的「自分たちのサッカー」ほど厄介なものはなかったのでは。また、もともと、戦術の柔軟性が欠け気味な日本代表にとって、「自分たちのサッカー」はある種の免罪符になってしまいました。一つの戦術への固執は、真面目な日本人にとって、極めて受け入れ易い反面、そこでいきづまるとパニックになってしまう。真面目さ故に、自らを追い込んでしまったのです
日本代表アギーレ新監督は、日刊スポーツによると「堅守速攻の戦術をベースにしながら、ボールをキープしてパスをつなぐポゼッション・サッカーを織り交ぜるなど、柔軟な戦術を用いる。選手の特性を引き出し、自分のスタイルを貫くより、持ち駒の能力を最大限に引き出す能力にたけた知将」とのことです。これがその通りであれば、適任な人材なのですが、その柔軟性を教え込む為には感性よりも理論や哲学の方が日本人に訴求するのではないかと思うのです。「いい加減さ」を感覚的にいい加減に説かれても、日本人の心には響かない。ここは、ラテン系よりは、ゲルマン系の方がと思ってしまうのは、贅沢でしょうか。