2012年7月31日火曜日

ロンドン五輪異聞

ロンドンは快晴かと思ったら、シャワーの様な雨がザーッと降ったり、不順な天候です。オリンピックも不順。サッカーの優勝候補だったスペインがよもやの予選敗退をしてしまったり、団体体操で抗議の末の順位変動があったり。
スペインとの予選リーグ第一戦を観戦した人の話によると、スペインのサポーター達は、代表チームの余りの不甲斐なさに、日本戦の途中で席を立って帰ってしまったそうです。1-0で試合がどう動くか判らないのに、未練を残さずに席を立てるメンタリティは、さすがに世界王者のサポーター。サッカー文化という点では、まだまだ手が届きそうもありません。体操は、大変な話題となっています。銅メダルでも快挙なのに、一度は銀メダルとアナウンスされてしまったので、日本への恨みは拭い去れないようです。翌日のTVのインタビューで、選手達は「判定が変わったのは仕方が無い、メダルを取っただけでも凄いことで、満足している」と潔いのに、本来紳士的な大人の対応をすべきBBCのアナウンサーが、銀メダルを日本に奪われたと言わんばかりに「日本の抗議をどう思うか」「採点が覆るというのは信じられなかったのではないか」と執拗に食い下がっていました。日本サッカー代表の飛行機が、男子はビジネスクラスだったのに女子はエコノミークラスで、女性蔑視ではないかというのも、物議を醸しています。この問題でインタビューされたなでしこの沢選手が「私達はエコノミーが当り前だと思っているので、問題は全く無い。帰りは金メダルを取って、堂々とビジネスクラスで帰りたい」と答え、益々株を上げています。
写真は、ロンドンの欧州サッカーグッズ専門店Soccer SceneのマンUコーナーです。他の選手のレプリカユニが一緒くたに縦に吊り下げられているのに、香川のユニフォームだけが背番号が判る様に横に掛けられています。しかも、ホーム用とアウェイ用と2列に。この異常な期待は、想像を絶するプレッシャーとなって香川に襲いかかってくると思います。しかし、香川がプレッシャーをはね除け、オールドトラフォードのピッチで躍動する姿が五輪で芽生えかけた反日感情を一掃してくれるものと信じています。

2012年7月30日月曜日

グラスゴーからの「軌跡」-スペイン撃破

U-23日本代表がスペインを破った翌日、マスコミ各紙には、「グラスゴーの奇跡」との活字が躍っていました。1936年ベルリン五輪で優勝候補スウェーデンを破った「ベルリンの奇跡」、1968年メキシコ五輪で地元メキシコを破り、銅メダルに輝いた「アステカの奇跡」、1996年アトランタ五輪でブラジルを破った「マイアミの奇跡」、再びという訳です。今回の勝利は、ブラジルの猛攻に耐えに耐え、相手の連係ミスによるワンチャンスでの得点で勝利したマイアミと異なり、落ち着いた試合運びでゲームを支配しており(ボールは支配されましたが)、アステカでの勝利に近いものでした。むしろ、勝つべくして勝った感が強く、「グラスゴーの奇跡」と呼ぶのは、関塚ジャパンのメンバーには失礼だと思います。彼等は、人が本当によく動くいいサッカーをしていました。勝利の最大の要因は、とにかく運動量で勝ったこと。本来は、退場で1人を欠いたスペインが運動量で上回って、数的不利をカバーしなければならないところ、日本はそれを更に上回る運動量で対抗しました。永井や清武が最後まで裏への飛出しを執拗に繰返し、前線でのチェーシングを続けたことにより、スペインは、中盤・DFのラインの押上げに迫力を欠き、FWとの間が間延びし、得意のコンパクトな陣形からのコレクティブな攻めが出来ませんでした。もちろん、2人が決定機をはずしまくっていなければ、大勝もありえたのですが、あれだけ走り回っていては、ゴール前での精度を欠いてしまったのも已むをえないと思います。
この勝利で、スペインと同じレベルになったと喜ぶのは早計でしょう。スペインは、決勝までの6試合を見据えた上で、この試合はあくまで6分の1の位置づけ。かたや日本は決勝トーナメント進出の鍵を握る正に「この一戦」との位置づけ。必死さが違います。運動量に違いが出てきて当然でしょう。
かつて、アルマダの戦いでスペイン無敵艦隊を撃破した英国がその後スペインに代わって海洋覇権国家となりました。このグラスゴーの勝利が、日本サッカーの歴史的分水嶺となり、男子サッカーの世界での躍進のスタート地点になってくれればと思います。その時、「グラスゴーの奇跡」は「グラスゴーからの軌跡」となる訳です。

2012年7月15日日曜日

いよいよ五輪 ‐ 不揃いの日の丸

男女揃っての国内壮行試合を終え、いよいよロンドン五輪です。サッカーの試合は、日程の関係上、開会式前にグループリーグが開始されます。また、試合は英国各地で開催され、ロンドンの選手村に入る為には、準決勝まで勝ち上がらなければなりません。その意味で、サッカー日本代表はこれまで男女延べで11回オリンピックに出場していますが、選手村で五輪の気分を味わえたのは、わずかに銅メダルを獲得したメキシコ五輪と女子の北京五輪(4位)の2回だけということになります。
さて、7月11日の壮行試合。スタンドには、日の丸の人文字が。これがいまひとつ呼吸が合わず、写真のようにちょっと不揃いに。壮行試合の内容も、同じように不揃いの結果に終わってしまいました。
なでしこは、ほとんどU-20の豪州代表相手に、結果だけみると3‐0の快勝。しかし、1年前、世界を驚かせたあのW杯でのパスサッカーからすると、8割以下の出来でした。男子との練習試合を多く組んで、ダイレクトパスの精度を高め、パススピードを上げようとしている途上なのでしょう。パスミスが多く、コンビネーションにも難がありました。それでも、しっかりと圧勝してしまうのが、世界チャンピオンなでしこの強さなのでしょう。なでしこは、今、更なる高みを目指し、産みの苦しみの真っ只中にいます。なでしこのレベルアップへの挑戦がグループリーグでの戦いを通じて実を結んでいくのか、大きな見所です。澤が復活のゴールを決めたのは、吉兆です。澤を支えるボランチ阪口、そして、シンデレラガールの川澄は絶好調です。GK福元も安定感抜群。この4つの穂(穂希、夢穂、奈穂美、美穂)がなでしこに黄金の実りをもたらしてくれることを祈りたいと思います。
一方、U-23日本代表。ニュージーランド五輪代表に対して、恐らくこれまでで最高の出来のパフォーマンスを繰り広げてくれました。しかし、結果は1‐1の引分け。これがこのチームの現在の限界でもあります。香川か本田がいれば、決定力はかなり改善出来たことでしょう。遠藤か中村憲剛がいれば、一本調子に攻め急ぐ欠点もなくなっていたことでしょう。しかし、既にオーバーエイジも含めて選手選考が終了してしまった今や、詮無い話です。もはやこのメンバーで戦うしかありません。五輪での戦いは極めて厳しいものになるでしょうが、日本らしいサッカーを展開し、あわよくば、サプライズを起こしてもらいたいと願っています。不揃いの日の丸達に悔いなき戦いを。

2012年7月8日日曜日

Project千中(田酒)八策その2 ‐ 棟方志功の世界

八甲田山、酸ヶ湯温泉、青森の旅のレポート第2弾が随分遅くなってしまいました。雨の為、八甲田山登頂を断念して、青森市内に繰り出したものの、正味半日の日程。慌ただしく、青森駅近くのワ・ラッセ館で「ねぶた」の山車(写真)を見て、タクシーで棟方志功記念館に向かいました。棟方志功は、青森市の刀鍛冶職人の三男として生まれ、少年時代にゴッホの絵に出会い、画家を志します。20歳で上京し、帝展などに油絵を出品しますが、落選が続き、その失意の中から、版画に新境地を開きます。彼は、木の声を聴き、木の魂を生み出していくという意味で、自らの芸術を「板画」と称しています。版木に覆いかぶさり、自らの魂を刻みこむように彫刻刀を打ちこんでいる姿は、鬼気迫るものがあります。もともと幼少の頃から囲炉裏の煤で目を傷め、極度の近視だったのが、長じてから眼病を病み、晩年は、片目の視力をほぼ失った状態でした。緑内障で視力を失いながら、まるで抽象画のような睡蓮の絵を描いたモネに通じるものがあります。両方の作品に共通しているのは、理屈抜きに魂に語りかけてくるというところです。
棟方志功記念館では、広重の東海道五十三次に着想を得た東海道各地の板画の連作を見ることができました。故郷の富士(吉原宿)の板画の構図は、富士山を背景に五月晴れにたなびくコイノボリ。富士山には、月見草以上にコイノボリがよく似合います。
志功の絵の原点は、少年の頃の凧の絵付けにあります。原色のまま二度筆を使わずに描きます。油絵から版画に向かったのは、必然だったのかもしれません。そして、ねぶたも彼の作品の重要な要素となっています。彼自身「ねぶたの色こそ絶対まじりけのないわたくしの色彩であります」と言っています。
祭りのある町は、独特な彩りを湛えています。青森市もいい色をしています。吉田拓郎は、鹿児島生まれ・広島育ちで、青森には縁がありませんが、「旅の宿」のモデルが青森の蔦温泉(※)のせいもあり、「祭りのあと」の祭りも「ねぶた祭り」ではないかと言われています。いつかは、ねぶた祭りを観て、「祭りのあと」をくちずさんでみたいと思っております。(※「旅の宿」は作詞者の岡本おさみが新婚旅行に行った蔦温泉で曲想を得たとされています。)