2008年12月30日火曜日

サッカー観戦納め


今年のサッカー観戦は、マンU対ガンバのスターウォーズ級のスペクタクルな一戦で、 観戦納めをするつもりでしたが、その余韻に誘われて、ガンバを観に国立に来てしまいました。クラブW杯の3戦で体力を使い果たしているはずのガンバを駆り立てているのは、来年またアジアを制し、クラブW杯への出場を果たしたいという執念だけです。コンディションは明らかにマリノスが上。押され続ける中で、何とかゲームを作っていたのは、明神の絶妙なカバーリングと遠藤の「タメ」(写真下)。遠藤の右足首は相当悪かったのでしょう。運動量が極端に少なかったのは、疲れのせいだけではありませんでした。結局、90分持たず。後半途中での遠藤の交替は、即ガンバの敗戦を予感させるものでしたが、遠藤に代わって投入された倉田の無鉄砲ともいうべき動きで、流れが逆にガンバに傾いたのは皮肉でした。最後はクラブW杯のラッキーボーイ山崎の一撃で決まり。(これだけ決定力のある選手は代表に呼んでもいいのでは?岡崎とかぶってしまいますが)「勝ちたいという気持ちが強い方が勝つ」という最近流行りのフレーズ通りの精神力の勝利でした。今年の観戦納めに相応しい鬼気迫るナイスゲームで、足がつりながらも最後まで走り続けた両チームの選手たちに感謝したいと思います。
それにしても、薄暮の国立(写真上)はとてもきれいでした。 元旦は、柏vsガンバの対戦。国立のバックスタンドから、正月ならではの澄み渡った空気の向こうにそびえるドコモビルを眺めながら、ガンバの執念を後押しするつもりです。
皆様も良いお年をお迎え下さい。

2008年12月24日水曜日

Merry X’mas! - 家族愛

今日はクリスマス・イブです。ケーキ、プレゼント、クリスマスソング、デコレーション(ツリー・イルミネーション)といったお祭りの要素がてんこ盛りのクリスマスというイベントは、お祭り好きの日本人にピッタリなのかもしれません。最近は、2人きりのクリスマス流行(ばやり)で、TVでもロマンチックなクリスマスソングで盛んに煽り立てています。家族揃ってクリスマスを祝うという本来のイベントの意味合いが失われてしまいつつあり、残念です。
家族というのは不思議です。特に血の繫がりで結ばれた親子間の愛というのは、理屈の無い、無条件の愛。その意味では、むしろ恋人や夫婦間の愛というのは随分難しい愛の形なのかもしれません。家族愛という暖かい火を灯して、食卓を囲むイベントが年に数回あってもいいのかなと思います。昭和30年代には日常当たり前のようにあった光景ですが、最近では、意識して受け継いでいかないと、絶滅してしまいそうな希少風景になりつつあるようです。何とかこれを守っていくことが、昭和30年代生まれの世代の責務かもしれません。
写真は、本当に素晴らしい自然な笑顔の名波です。J1入替第2戦を観戦した反町姫から頂きました。笑顔の先には愛娘のゆずちゃんがいるそうです。この笑顔を、クリスマスプレゼントとして、Blogをお読み頂いている皆さんに贈りたいと思います。Merry Christmas!

2008年12月20日土曜日

マンU劇場

クラブW杯のチケットはあきらめていましたが、縁あって準決勝2試合を観戦することができました。リガ・デ・キトvsパチューカは雨中の国立(写真下)。滑るピッチに拘わらず律儀にショートパスをつなぐパチューカは、キトの教科書通りのカウンターの前に粉砕。チーム戦術というものは、そう簡単に変えられるものではありません。ましてや、クラブW杯という晴れの舞台。自分たちのサッカーを貫き通さざるを得なかったのでしょう。雨の中、ジュビロのポンチョで雨を凌ぎながら、眼鏡の曇りと皮靴の底から浸み込んでくる雨の冷たさと戦いつつ、敗れたとはいえメキシコサッカーを楽しませて頂きました。
マンU対ガンバ戦は、うって変わっての絶好のコンデション。新聞紙上では、ガンバ圧倒的不利の予想の中「西野監督マイアミの奇跡再現」の文字が踊りました。ただ、西野監督に とって「マイアミの奇跡」はむしろトラウマ。如何に勝利の為とはいえ、もう2度とあの専守防衛の戦術は取りたくないと思っていたに違いありません。期待通り、ガンバは自分たちのサッカー、攻めの姿勢を貫きました。その結果としての3得点、そして、あってはならない5失点。これが世界との差なのでしょう。選手個々のスピード、テクニックの差は歴然としていました。それでも、まがりなりにも「いいゲーム」が出来たのが11人のチームゲームの面白さです。本当に楽しめた面白い試合でした。多少不謹慎かもしれませんが、全盛期のプロレスのようなゲームでした。ロナウドのFKあり、遠藤のコロコロPKあり、ファンデルサールのスーパーセーブあり、ルーニーの電光石火の2連続ゴールと、全てが詰め込まれ、最後は予定調和という、ショーとして観た場合、完璧なゲーム。こんな面白い試合は、サッカー漫画でさえ描けるものではありません。これが、もし、開始早々の播戸のシュートが決まって、ガンバが先制していたら、全く違った面白みの無い展開になっていたかもしれません。だから。サッカーは面白い。

2008年12月15日月曜日

ジュビロ復活へ

入替え戦第2戦、新潟から磐田に駆けつけた反町姫から写真を送って頂きました。名波の選手としての最後の写真です。試合中はベンチからオフト以上に声を出して、まるでコーチのようだったそうです。
ジュビロは何とかJ1に踏み止まりましたが、才能ある選手を有しながらも個々の個人技に頼った統一感の無いゲーム運びという基本的問題点を解決しない限りは、常勝ジュビロの復活はあり得ません。オフトは、J1残留という明確な意思統一の下、役割分担をはっきりさせ、守備重視という面白みのないサッカーで、ともかくも、ミッションを達成しました。復活を託すのはどうも柳下監督となりそうですが、まずはチームとしての一体感を取り戻すのが最優先課題。その為に高原・藤田・服部には戻ってきてもらうべきでは?(そもそも、タカや俊哉には赤のユニは似合いません。)時計の針を戻すようですが、ジュビロのDNAを引継いでいく為には、まずは、その真髄を若手に肌で感じさせることが必要だと思います。

2008年12月14日日曜日

ジュビロJ1残留

ポスト名波(?)の松浦選手の2試合3ゴールの活躍でジュビロがからくもJ1残留を決めました。それにしても、第2戦ロスタイムに入ってからの仙台の気迫のこもった攻撃は見事でした。ジュビロにちょっとしたツキがなかったら、2-2のドローで仙台のJ1昇格という劇的な幕切れを迎えていたかもしれません。ベンチにはオフト。ドーハの悲劇の再現が起こっていたかもしれません。それにしても、2枚の交替カードを残しながら、終盤に何の手も打たなかったオフトの采配は疑問です。連携を崩したくなかったのでしょうが、交替で時間を稼ぐことは当然行うべきでしたし、名波あるいはゴンといったベテランを投入して、チームと試合の流れを落ち着かせて、仙台の勢いを止めるべきでした。肝心のところで固まってしまうこの監督の限界を見る思いでした。(もともと選手交替を行わない頑固な監督ではありますが・・・。)ただ、「J1残留が自分のミッション」と潔く退任を申し出た態度は立派。ジュビロはしっかりと長期的視野を持ってパスサッカーのジュビロというチームを再建出来る監督を起用し、来期に臨んで欲しいものです。 (反町監督が湘南に行ってしまったのは残念です。)
写真は、ヤマハスタジアムの向かいのアパートのベランダに飾られた名波とゴンのユニフォームです。駅からスタジアムに向かう途中の住宅街でも、普通の家の軒先に大きなチームフラッグが当然のことのようにはためいているのは、この町ならではの風景です。こんな暖かな町でジュビロというチームが育まれ、泥臭いだけのFWゴンが日本代表FWに駆け上がり、あの魅惑的なN-Boxが生まれました。愛すべき選手たちと愛すべきチームという伝統がこれからもしっかりと受け継がれていくことを祈るのみです。

2008年12月7日日曜日

名波~、ありがと~う!








2008年12月6日(土)、ヤマハスタジアムは空までが淡いサックスブルーに染まり、名波を見送るのに相応しい天気となりました。ベンチスタートの名波は、先発組の練習が終わった後、名波との残り少ない時間を惜しむようになかなかピッチから引き上げようとしないゴンや西に左足からのクロスをあげ続けていました。独特の柔らかな軌道を描くクロスボールにゴンがヘッドで飛び込み、西が右足を伸ばします。少しずつイメージと異なるボールコントロールに名波が首を振ります。あのピンポイントのキックは戻ってきません。きっと、右膝は、キックのたびに悲鳴をあげているのでしょう。でも、あの左側にやや傾いたキックフォームは少しも変わっていません(写真上)。このフォームからどれだけのファンタジーとマジックを見せてくれたことか。スタンドの手すり越しに引き上げてくる名波に声をかけました。「名波~、ありがと~う!」いつものはにかむような笑顔でちらっと反応してくれました。はるばる磐田にまで駆けつけた甲斐がありました。
J1最終節の結果は、ご存知の通りです。気持ちよく残留を決めていたら、名波の引退式も随分雰囲気の異なるものになったと思いますが、少しずつツキのない名波らしいといえば名波らしい舞台演出となってしまいました。
スクリーンに映し出されたかつてジュビロで一時代を築いた仲間たちからのビデオメッセージは、全盛期のジュビロの強さがその一体感にあったことを実感させるものでした。大岩・俊哉・服部・高原・福西、その全てのメッセージは、名波への愛情、そして、あの頃のジュビロへの深い愛着に溢れていました。あの頃のジュビロは強かったし、本当に愛すべき素晴らしいチームでした。名波という本当に愛すべき選手がその中心にいたからこそ出来上がったチームだったのだと思います。稀有なチームでした。あんなチームはもう出てこないでしょう。引退式の圧巻は、ゴンとの文字通り「熱い」抱擁でした。(写真下。背番号7のユニフォームがゴン。この後、選手全員のサインがされたこのユニフォームがゴンから名波に贈られました。)
名波はある雑誌のインタビューで自分のことを左足しか使えない不器用な「昭和のレフティ」と揶揄しています。実際に活躍したのは平成であり、必ずしも正確な表現ではありませんが、名波らしい言い回しです。確実にひとつの時代が終わりました。その時代をライブで体験できたのは本当に幸せでした。「名波~、ありがと~う!」

2008年11月29日土曜日

アンドリュー・ワイエスの世界

Jリーグ第3節鹿島vs磐田戦。伝統の赤対青の1戦は、かたや優勝争い、かたや残留争いながら、お互いに「絶対に負けられない戦い」となりました。こういう時は得てしてスコアレスドローになるものですが・・・。ジュビロにとりロスタイム4分は長すぎました。終盤での名波とゴンの投入は、ベテランの投入でゲームを落ち着かせて終えることを狙ったのでしょうが、ただ前線に蹴り返すだけのサッカーでは、2人を活かせず、終了間際の失点は、サッカーの神様の公正な裁きだったと認めざるを得ません。残留決定は、最終節にもつれこんでしまいました。来週はヤマハスタジアムで、直接気を送って来ます。

ところで、写真は、91歳になるアンドリュー・ワイエスです。「クリスチーナの世界」は彼の最もよく知られた作品です。草の上に起き上がったピンク色のドレスの女性と遠くに見える家。 何気ない構図ですが、この絵にみなぎる緊張感は何なのでしょうか?実は、このクリスチーナは、手足に障害を持ち、歩くことがままならず、この絵は、彼女が丘の上の家に向かって必死に這いながら、戻っているところなのです。絵を良く見てみると、萎えた手足、不自然な指の曲がりが判ります。

現在、渋谷Bunkamuraでアンドリュー・ワイエス展が開催されています。著名な画家の展覧会にありがちな、「習作」が多く含まれた展覧会ですが、ワイエスの場合、その水彩画の習作自体が、完成画であるテンペラ画を超えた完成度を有し、ひとつの作品として、味わい深いものがあります。むしろ、大胆なタッチと繊細な筆致、省略と写実の見事な対照が楽しめる水彩画の方が僕は好きです。それは、日本の水墨画にも通じるところがあり、ワイエスのスピリチュアルな世界をよりストレートに伝えているように思えるからです。ワイエスは、挿絵画家N.C.ワイエスの5男として生まれ、20歳で個展を開き、その才能が早くから認められた早熟の天才画家です。その後70年間にわたって素晴らしい作品を生み出し続けているのは、精神的なもの、啓示的なものを絵に込め続けてきたその創作姿勢によるものだと思います。90歳を超えた今でも、ワイエスは外を歩き回り、何気ない日常の風景の中に精神的なものを見出し、それを描き続けているということです。彼の作品のほとんどは、彼自身により所持されています。画家という職業として描いているのではなく、日常の営みとして描いているというのが、芸術家としての才能の枯渇を免れて、高齢になっても素晴らしい作品を描き続けているゆえんなのでしょう。うらやましい生き方だと思います。深い皺が刻まれた顔も、いい老い方をしてますよね。

とにかく素晴らしい展覧会ですので、是非ひとりでも多くの方に行って欲しいものです。


2008年11月26日水曜日

名波ふたたび・・・

カタール戦の快勝、ビデオで観ました。う~ん、達也の1点目と玉田の2点目は、W杯本大会のGKだったらセーブされていたでしょうね。GKが尻餅ついたり、いかにカーブがかかっていたとはいえ、シュートの軌道を追い越しちゃあね。ちょっと微妙な圧勝ですが、チャンスにはバイタルエリアに複数の選手が飛び込んでおり、ラスト・オプションが確実に増えていたのは事実。岡田ジャパンの進化を感じました。素直に喜びましょう。
さて、11月26日天皇杯ジュビロ対ガンバ。BS中継で、もしかしたら最後の公式戦になるかもしれない名波の雄姿を観ました。中盤でタメを作り、左足からの柔らかなパスで攻撃を演出するピッチ上の名波の姿は、10年前となんら変わるところはありません。左足から美しい放物線を紡ぎ出し続けたそのプレーは、レフティアーチスト名波を十分堪能できるものでした。それでも後半30分に退かざるをえなかったのは、朝ベッドから起きあがることさえままならない右足の故障ゆえなのでしょう。素人目には完璧なパスの連続だったように見えましたが、本人には「ボール1個、2個分違う」ということだったのでしょう。得意の(?)尻餅をつきながらも、前線にパスをつないだ名波のプレーに、解説者の山口素さんが「いくら体勢を崩していても左足さえあれば何でも出来ますね、名波は」と愛情あふれる解説をしていました。素さんといえば、フリューゲルス戦でその密着マークに徹底的に封じ込められた名波が、意表をついて右足でシュートをし、ゴールを奪ったことがあります。後で、素さんに「あれはないよなぁ~」と散々愚痴をこぼされたそうです。名波の右足での唯一のゴールです。名波・山口のダブル・ボランチは歴代の代表守備的MFの中でも出色のコンビだったと思います。今や、代表での名波の後継者ともいえる遠藤は、このゲームではピッチに立つことはありませんでしたが、試合後ベンチ前で名波と結構長い間言葉を交わしていました。サッカーマガジンの誌上で遠藤は言っています。「名波さんと一緒にボランチをやってみたかった。どんなに楽しいだろう」と。さらば、美しきレフティ、愛すべきレフティ、至高のレフティ。でも、いつか、名波のDNAを引き継ぐ「名波ふたたび」を見たい。(写真は久し振りに買ったサッカーマガジンの表紙。タイトルは筒井康隆の名作「七瀬ふたたび」からの連想です。)

2008年11月20日木曜日

カタール戦 ・・・岡ちゃん's Best Bout(?)

カタール戦は、密かに期待していた快勝が現実のものになった、ようです。「ようです」と伝聞口調で書かざるを得ないのは、この重大な一戦を不覚にもライブで応援できなかった為です。ちょうど試合時間には主張先のドイツのレストランでアルト・ビールを飲んでいました。頼みのドコモ・ワールド・ローミングi-modeも、レストランの必要以上に分厚い壁に阻まれ、圏外。試合結果は、ホテルに戻ってから祈るようにして覗いたnikkansports.comで知りました。試合結果にほっとしたとたんに時差ぼけによる睡魔がどっと押し寄せて来て、TV で放映していたドイツvsイングランドの黄金マッチ(写真)も前半終了時点で睡魔の圧勝。(結果は2vs1でイングランドのアウェーでの見事な勝利)
という訳で、戦評する立場にはないのですが、結果だけみると、岡田監督のベスト・バウトでは?(本人はホームでのオマーン戦の方をゲームとしては評価しているようですが・・・。)まず、評価したいのは、アウェーでの試合で、最終予選初の無失点試合を達成したこと。中澤という守備の要を欠いたことで、かえって闘莉王が慎重な守備の意識を途切らさなかったのが、守備の安定に繋がったのかもしれません。きっと、ボランチ・SBとの連携も改善されたのでしょうね。皮肉ですが、まさに、怪我の功名。また、達也の3年ぶりの代表ゴールも復活の大きな自信になったのでは。アウェーであえて攻撃的姿勢を貫き、「攻撃は最大の防御」で相手の攻撃を押さえ込んだ岡ちゃんの勇気ある采配にも敬意を表したいと思います。岡田ジャパンも少しずつ形が出来上がってきました。長谷部も良かったようですね・・・。「ようです」と言わなくていいように、帰国したら真っ先に録画ビデオを見ることにします。

2008年11月16日日曜日

永遠の嘘をついてくれ-その2(拓郎&名波)

反町姫から、10月18日のガンバ大阪戦の写真を頂きました。1-2でスコア的には惜敗ですが、内容的には「かなりヤバかった」ということです。残り3節。柏・鹿島と難敵が続きますが、2試合で残留を決め、最終戦(ホームでの大宮戦)で名波の花道を作ってあげて欲しいものです。
さて、「永遠の嘘をついてくれ」です。中島みゆきが拓郎に贈った曲です。というより、拓郎が中島みゆきに曲作りを依頼した曲です。94年拓郎は紅白歌合戦に初出場しています。その時の心境は判らないものの、決して好調な時期ではなかったはずです。むしろ、落ち込んでいたのだと想像します。この頃、拓郎は中島みゆきの「ファイト!」をステージで歌っています。そして、「もう自分には『ファイト!』のような歌は作れない」と言って、中島みゆきに曲作りを頼んだということです。
中島みゆきは、デビュー前、拓郎の追っかけだったそうです。この「永遠の嘘をついてくれ」には、偉大なシンガーとしての拓郎と一人の人間としての拓郎への中島みゆきの様々な想いが込められているのだと思います。そして、翌年、拓郎は、「全部だきしめて」とともに人気番組のレギュラーという意外な姿で復活を果たします。そこには、何か吹っ切れた拓郎がいました。紅白といえば、2006年の「つま恋」の年末、拓郎は、紅白への出演を辞退しています。我等の拓郎、完全復活です。「♪永遠の嘘をついてくれ 一度は夢を見せてくれた君じゃないか」
「つま恋」のステージで、中島みゆきは歌を歌う以外は一言も言葉を発していません。背筋を伸ばして凛と立ち、視線は観客席に向けられたままでした。そして、拓郎の発した言葉も「中島みゆきっ!」の一言。そして、ステージから去る中島みゆきに、差し伸べられた拓郎の手。握手して、さっと踵を返して、袖に退く中島みゆき。男と女以上の熱い想いを感じました。
レフティ名波も、種明かしをしないまま、颯爽と去っていきます。頑なに左足だけのプレーにこだわり、驚きとファンタジーを見せてくれたレフティ。「有難う」の言葉を贈りたいと思います。

2008年11月13日木曜日

名波選手引退

覚悟はしていましたが、ついに来る日が来てしまいました。モリシに続いての名波の引退発表。(今日のシリア戦、大久保がゴール・パフォーマンスでモリシの飛行機ポーズをしながら、「森島さ~ん」と言っているように口の動きが見えたのは私だけですか?)ひとつの時代が終わりました。
名波の最高のパフォーマンスは2000年のレバノンでのアジア杯だったと思います。あのチームは、まさに名波ジャパンでした。イラク戦での俊輔のFKをダイレクトボレーでゴールに突き刺したミドルシュートは代表のベストゴールとして語り継がれると思いますが、予選リーグ、ウズベキスタン戦で西澤と高原の清水東コンビのダブル・ハットトリックを引き出した司令塔ぶりは見事でした。98年フランスW杯予選から日本の10番を背負った名波に対して、「10番は似合わない」との批判がありました。これに対して「好きでつけているわけじゃない」とか「10番はイメージが強すぎて好きじゃない」と愚痴をこぼす名波というのは、本当に人間くさい選手だったと思います。だからこそ、いろんなものを背負ってもがいていた代表名波の10番が好きでした。むしろ活き活きとしていたのは、ジュビロ黄金時代の7番名波。奥・藤田・福西・服部という一流の役者に囲まれてゲームを演出していたN-Box(名波を4人が囲むという意味)は本当に楽しいサッカーを繰り広げていました。そのまま日本代表にして欲しかったすごいチームでした。ベネチアから帰ってきて苦悶していた16番も捨てがたい魅力がありました。ベネチアのデビュー戦でのミドルシュートがポストに嫌われてしまうのが名波。98年W杯アルゼンチン戦でクリアしようと伸ばした足に当たったボールがバティストゥータの足元にころがってしまうのも名波。すこしずつ、ついていない中で、唇を噛みながら、鈍足でも、精一杯走り回った名波は決して天才レフティではなく、等身大のサッカー選手が夢を紡ぎだしていくという、サポーター冥利につきる愛すべき選手だったと思います。ご苦労様でした。出来うることなら、得意(?)の解説者の道には進まずに、ジュビロの若手育成から始めて、いつか監督としてピッチに戻ってきて欲しいと思います。「♪名波、浩、アレアレアレオー、浩」(写真は、名波直筆の引退発表文。手書きでサポーターに最初に報告するという律儀さがにじみ出ています。クリックすると拡大されます。)
ところで、実質3トップで臨んだ今日のシリア戦。岡ちゃんは、この奇策でカタール戦に臨むつもりなのでしょうか。アウェイ戦でも、格上のチームとして、3トップで押し込んで、90分間ゲームを支配し続けていくという戦略を取るというのなら、それはそれで理にかなっています。ただ、4バックの危うさは全く改善されておらず、不安です。両サイドバック・ボランチとCBとの連携は全く未完成。だからこそ、ギャンブル覚悟で、3トップで押しまくるというのでしょうか。まさに、奇策。でも、その勇気と思い切りは、嫌いじゃありません。常に背水の陣との覚悟のなせる業なのかもしれません。カタール戦が楽しみです。

2008年11月8日土曜日

永遠の嘘をついてくれ-その1(つま恋)

リトアニアからのつながりで、「永遠の嘘をついてくれ」について、書いてみようと思います。
2006年9月23日、31年ぶりにつま恋を訪れていました。75年夏。ぎらつく太陽のもと6万5千人の若者を飲み込んだつま恋は、文字通り熱気が渦巻き、殺気だった雰囲気さえありました。世はオイルショックにより物価が高騰し、「狂乱」という言葉が時代のキーワードでした。一方で学園紛争は既に過去のものとなり、「シラケ世代」と揶揄された当時の若者にとって、エネルギーのはけ口を見出しにくい時代でもありました。拓郎とかぐや姫という当時としては異色なジョイント・コンサートは、ミュージシャンと観客との真剣勝負の感がありました。素肌に白いベストを羽織り、バンダナを巻いた拓郎の姿とだみ声は30年以上を経た今でも鮮明に蘇ります。そして、31年後の「つま恋」は、NHKの番組タイトルの通り、和やかさと懐かしさと暖かみにあふれた「35,000人の同窓会」でした。拓郎の還暦を祝う会でもあり、昔を懐かしみながら、観客がそれぞれの30年間を互いにねぎらった集いでした。前回のクライマックスは、65,000人が夜明け前の30分間延々と大合唱を続けた「人間なんて」でした。エネルギーが昇華し、それが太陽になって上ってきたような錯覚がありました。今回のクライマックスは、花火をバックに、全員で合唱した「落陽」でした。「みんなが好きな歌を歌ってあげるよ」という拓郎のやんちゃな曲紹介に野次がとぶこともなく、どよめきとともに始まった大合唱は、3万5千人の人生の重みが込められた、とても味わい深く、美しいものでした。ただ、それ以上に鮮明に心に焼き付いたのは、中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」でした。純白のブラウスにジーンズというスタイルで現れた中島みゆきの凛とした美しさに思わず息を飲んでしまいました。決して好きなタイプではなかったのに、そこには確かに女神がいました。その時はこの曲の名前さえ知りませんでした。ただ、不思議に魅かれ、胸に響くものがありました。それが何故だったのかは、暫らくたってから、その曲について調べて、判りました。(続く)

2008年11月7日金曜日

拓郎 in リトアニア

ちょっと重たすぎて 暫らく封印していたテーマですが、やっぱり、書き残しておくことにします。リトアニアでの話です。

今回訪問した工場は、製造機械も自前で開発しながら、オートメーション化を進めていました。クリーンルームの中で、機械が複雑な動きを規則正しく繰り返しながら最終製品を組み上げていくのを見るのは非常に楽しいものです。同じ工程の繰り返しなのに、まるでルービックキューブが解かれていくのを見ているような驚きに満ちた楽しさがあり、いつまで見ていても飽きることがありません。機械には担当者が一人ずつついて、動きを監視しています。広い区画に従業員は数えるほどしかいません。

しかしながら、すぐ隣の一画ではケミカル臭の漂う中、中年の女性たちが等間隔に並んで筆で糊付けしたり、パーツをつなげ合わせたりという作業を繰り返していました。売れ筋で大量に出る製品は機械に投資してオートメーション化を進めているのですが、少量しか出ない製品は機械化の投資が引き合わず、いまだに手作業に頼っているということです。女性たちは見慣れない日本人が気になりながらも、黙々と自らの割当てをこなしていきます。決して、同情するつもりはないし、同情すること自体おこがましい行為であり、機械の監視役と流れ作業の担当者とどちらが楽しいのか判断のしようもありませんが、拓郎の「人間なんて」の曲が突然浮かんできました。女性たちの横で、この一画の責任者であるいかにも叩き上げといった風情の小太りのオジさんが目くばせしながら得意げにこう言ってくれました。「This is not Production(製造) but Art(工芸).」私は少し微笑んで答えました。「Sure!(そうですね)」オジさん、満足げにニッコリ。
なるほど・・・・。拓郎の曲は、「永遠の嘘をついてくれ」に変わりました。人生は、誤解をおそれずに言うならば、自らをある意味で騙し続けていくことがとても大切なことだと思います。

写真は、手前の建物が聖アンナ教会。市内唯一のレンガ造りのゴシック様式の教会です。その美しさはナポレオンがフランスに持ち帰りたいと言った程です。実は奥の教会が、高名な建築家の設計によるもので、手前の聖アンナ教会は、その年若い弟子が設計したものです。高名な建築家は、出来上がった教会を見て、その弟子の才能に嫉妬し、教会の塔から弟子を突き落として殺してしまったということです。「♪君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでも たねあかしをしないでくれ・・・」

2008年11月1日土曜日

国立の空と静岡訛り - ナビスコ杯決勝

国立は雲ひとつ無く、どこまでも澄みわたった青空です。秋晴れにピッチの芝生が眩しく、緑にオレンジとブルーがよく映えます。
ナビスコ杯は大分vs清水という正に市民チーム同士(清水市はもはやありませんが・・・)の対戦となりました。ゲームは前半から大分の右サイドでの攻防となりました。前半15分までは大分の右サイド高橋を清水の兵働が1対1でよく抑えていましたが、高橋に金崎、エジミウソンが絡んで大分のトライアングルが機能しだすと、再三、突破され、右サイドから何度か決定機を作られました。これに対し、清水は、個人技での突破でセットプレーのチャンスを得て、ゴールに迫ります。ハーフタイムに長谷川監督は動かず、清水の左サイドは修正されないままでした。そして、後半23分右サイドで金崎をフリーにしてしまい、高松にドンピシャのクロス。後は大分得意のカテナチオでゴールエリアへの侵略を許さず、ウェズレイのダメ押しもあり、大分の完勝でした。惜しむらくは、先制点を取られた直後に市川とマルコスパウロを投入して、清水の右サイドから押し込むことにより確実に流れを引き寄せただけに、もう少し早い交替がなされていれば、少なくとも試合は延長戦までもつれ込んでいたのではないかと思います。
ただ、大分はチャンピオンに相応しいチームでした。金崎は可能性を感じさせる選手です。ウェズレイ、高松はまだまだ衰えておらず、ベテランと若手がうまくかみ合ったよく組織されたチームでした。これがシャムスカ・マジックなのでしょう。本人は大分マジックだと謙遜しているようですが、その謙虚さが、マジックの一部なのでしょう。やはり、次の日本代表監督に一押しの人材です。 (そうすれば、日本代表も3バックが復活するかもしれないし・・・)
一方、清水は、鉄人テルが頑張っているとはいえ、若いチーム。ゲーム中にシステムの綻びを修正出来なかったのは、若さ故なのかもしれません。それにしても、岡崎の運動量は、半端じゃありませんでした。TVでは画面に入りきれないオフザボールの動きは見事だし、献身的な守備はFWのそれではありません。敢闘賞ものでした。もうひとつの敢闘賞は、エスパルスサポーター。いつもながら、洗礼された応援は観ているだけで楽しくなります。(一応、人文字のボードを持たせて頂き、応援にも参加しました。)清水のサッカーにも似た、細かいテクニックへのこだわりと見事な組織力。左右で連動する「レオレオ」の応援は海外でも通用する日本の応援芸だと思います。残念ながら試合には負けてしまいましたが、エスパルス・サポーターの応援を久々に堪能した1日でした。
「ふるさとの 訛りなつかし スタジアムの 人ごみの中に そを聴きにゆく」(もちろん、啄木の短歌のパクリです) (写真は、ゴール裏のエスパルス・サポーター席)

2008年10月31日金曜日

イビチャ・オシム

大阪に出張することになり、駅のキオスクで久々にNumberを買いました。何故か表紙のオシムに惹かれたからです。オシムのロングインタビューに始まって、トルシエ、ジーコ、ヒディンク、マチャラの日本サッカー論は、秀逸でした。日本代表サポーターにとって、これほど価値のある¥530は無いと思います。お勧めです。
もともと、オシムにはうさんくさい皮肉屋の監督というイメージがあり、あまり好きな監督ではありませんでした。ジェフ千葉の走るサッカーは泥臭く、美しいものではありませんでしたし、オシム語録は単にマスコミを煙にまく為だけの思いつきのコメントだと思っていました。しかし、ロングインタビューは高い知性と洞察力に裏打ちされた極めて高度な日本文化論でした。更には、言葉の端々に人生哲学が散りばめられており、完全に打ちのめされました。「日本は、サッカーに限らず政治でも経済でも、あらゆる分野において、アジアで最高の国であり、日本人であることに誇りをもつべきである。日本はあらゆる面でアドバンテージを持っている。W杯予選が総力戦であることを考えると、これは大きな力になる。」水泳や陸上競技を論じる時に「国民性」などとはいいませんし、バスケットボールの国際試合でも「国の総力戦」などという言葉は用いられません。 でも、サッカーは特別なのです。代表チームには明らかに国民性が現れますし、代表戦は国対国の総力戦なのです。オシムは、若手の育成についても苦言を呈しています。「今は内田や安田をもてはやしているようだが、もっと慎重になるべきだ。水野晃樹も同じ。彼らにはピッチ外も含め、まだまだ学ぶべきことがある。」また、カフェでケーキをなかなか選べないインタビュアーに対して「たった5種類しかないのに、なぜそんなに時間がかかるのか。だから日本人は判断ができないと言われるんだ」と、オシム語録は健在です。オシムには、かつての代表監督だったフランス人にはなかった日本に対するリスペクトがあり、ブラジル人にはなかった哲学がありました。それは、彼のユーゴスラビアでの苦難に満ちた半生の中で培われたものなのでしょう。彼のアクシデントの為に日本代表が失ってしまったものが如何に大きいものだったかを改めて思い知らされました。豪州監督としてドイツW杯で日本を下したヒディンクは「日本がもっといいプレーをする力を持っていたことは明白なのに、ラスト8分で豪州に3点を入れられ逆転負けを喫してしまったこと」を指摘し、日本代表の効率と責任感の欠如を問題視しています。マチャラは、「カズやヒデが去り、カリスマを失った日本は明らかに弱体化が進んでいる」と警告を発しています。トルシエは、「日本代表は精神的に安定しているときは本当に強いが、ひとたびメカニズムに問題が生じると、ゲーム運びがアマチュアに戻ってしまう」と分析し、「困難に直面したときに必要とされるのが戦術的規律であり、日本人監督は経験不足ゆえにこの戦術的規律を選手に教えられない」と相変わらずの上から目線で高慢に指摘しています。掲載された各監督のインタビュー内容はジーコを除き理路整然としており、極めて質の高いサッカー論となっていました。このコミュニケーション能力は、残念ながら日本人監督に欠けている部分であり、代表選手たちにも決定的に欠けている部分です。トルシエやヒディンクが指摘している「メカ二ズムに問題が生じたとき」にチームに落着きと冷静さを取り戻させるのは選手間のコミュニケーションです。残念ながら日本人はこのピンチに際してのコミュニケーション能力に決定的に問題をかかえています。以心伝心の国ゆえに、そもそもコミュニケーションが苦手な国民性に加え、苦しいときは弱音をはかず、黙々と頑張るのが美徳とされているからです。このコミュニケーション能力は容易に高められるものではなく、問題意識をもって長期的に取り組んでいかなければならない重要な課題です。若者のコミュニケーション能力が明らかに低下傾向にある現状だけに、益々その重要性は増しつつあります。このような広い視野と多角的な視点をもった人物こそが日本代表監督としてふさわしい訳であり、その為には海外で外国チームを率いることを通じての異文化体験とコミュニケーション能力の向上が必須ではないかと思います。その意味で、残念ながらトルシエの高慢な指摘は否定できません。岡ちゃんや山本さんや反町さんに中東あたりで監督の経験を積んでもらってから、日本代表監督に戻ってきてもらうか、海外での経験を積んだヒデか我等が名波が将来の日本代表監督候補になるのを待たなければならないのかもしれません。それまでは、外国人監督やむなし。次はピクシーもいいけど、大分のシャムスカがいいかもしれませんね。

2008年10月29日水曜日

良い子は道路でサッカーをしてもいいの?

再び、リトアニアでのお話です。
朝、町を散歩していると、右の写真の標識を見つけました。「良い子は道路でサッカーをしてはいけません」って標識ですよね。「車が通るから危ない」と。ところが、もう少し先で、今度は赤い斜線の無い標識を見つけました。この道路はサッカーOK?ホテルのフロント係に標識の意味を聞いたら、自分は判らないということで、いかにも物知りそうな掃除のお爺ちゃんをつかまえて、通訳してくれました。どうも、赤い斜線の方の標識は、「狭い道路なので人も車も進入禁止」。赤い斜線の無い方は、「道路は狭いけれど車も人も入ってOK」ということらしいです。大人と子供がサッカーをしているように見える絵柄は、単に大人と子供が歩いている絵柄とか。でも、「夜になると若い連中が道路でサッカーしてるよ」とウインクしながら、お爺ちゃんが説明してくれました。
リトアニアは、現在、南アW杯欧州予選でフランスやルーマニアといった強豪を抑えてグループトップ争いをしています。最新のFIFAランキングも前回の54位から急上昇して、日本の32位のちょっと下の37位。お互い頑張って、南アで戦いたいものです。それにしても、「ストリートサッカー」っていい響きですよね。日本でも昔は「路地裏での親子のキャッチボール」ってのがありました。あのボールを受けてから投げるまでの間合いがコミュニケーションにちょうどよかったし、ボールを相手の胸めがけて丁寧に投げ込む気持ちってとても大事なことだったんですけどね。まさに心の交流の一刻(ひととき)だったのですが・・・。そんな意味もあって、ストリートサッカーには憧れますし、ストリートサッカーの国にはどうあがいても追いつけない何かを感じます。昔、高校から駅までの帰り道、ひとつの空き缶を最後まで蹴り続けられるかどうかっていう遊びをしていましたが、あれも一種のストリートサッカーだったといえるのかどうか・・・。

2008年10月26日日曜日

石田三成・・・歴史のIF




上の写真は、関ヶ原合戦まつりの石田三成軍団です。三成役は「義の人」がテーマでしたが、いかにも一徹そうな雰囲気をかもし出し、なかなかの適役でした。三成の旗印は「大一大万大吉」。縁起の良い言葉が並んでいますが、「大とは天下を意味し、天下のもとで一人が万民のために、万民が一人のために尽くせば、すべての人が吉(幸福)となり、太平の世が訪れる」という意味だそうです。小早川が寝返らずに、三成率いる西軍が勝っていたら、どんな治世となっていたか興味のあるところです。ただ、九州に島津、四国に長宗我部、中国には毛利、上方・東海を三成が治め、信濃・甲斐から関東にかけて真田、東北に上杉という群雄が割拠し、結局は戦国時代に逆戻りし、三成の望んだ太平の世はこなかったかもしれません。全国大学キャンパス巡りが趣味で、歴史に造詣の深いKさん(今回の旅の企画者)曰く、「それよりも、本能寺の変がなく、織田信長が生きていたら、日本は変わっていたでしょうね。国際的な視野をもった革命児織田信長が、徳川・豊臣・前田・明智などの優秀な武将を駆って、第二のチンギスハンになっていた可能性があるんじゃないですか?少なくとも東南アジアまで版図を広げていた可能性はありますね」歴史にIFはありませんが、徳川264年の歴史の中で染み付いた日本人の島国根性が変わっていたことだけは確かかもしれません。(下の写真は、名波ジャパン10の携帯電話です。ジュビロ7番の携帯クリーナー、坂本龍馬のフィギュアに今回「大一大万大吉」の蒔絵シールが加わりました)

2008年10月25日土曜日

嗚呼、関ヶ原

関ヶ原町は、名古屋から米原行きの東海道線に乗って40分ちょっとの人口8千人の小さな町です。この小さな町に18日、19日の2日間日本全国から延べ3万5千人の歴史マニア・戦国時代マニアが集まりました。町制80周年を記念して行われた関ヶ原合戦まつりは、19日笹尾山から町役場までの武者行列と町役場前の広場で繰り広げられた合戦絵巻でクライマックスを迎えました。甲冑に身を固めた各部隊の武将や武者たちは全国から公募で集まった面々で、緊張した面持ちながら嬉々として演じる姿には微笑ましいものがありました。全国のボランティアに支えられて盛大に行われた小さな町の素晴らしいイベントでした。町おこしのひとつの姿を示していたのではないでしょうか。
驚いたのは、参加者に若い女性が多かったこと。裏切りにより東軍に勝利をもたらした小早川秀秋(写真)役は女性で、その部隊も全員が女性でした。観客も女性3、4人のグループが目立ち、彼女たちの話を聞いていると、生半可な知識ではなく、歴史ウンチクのオジさんも太刀打ちできませんでした。彼女たちの一番人気は、大谷刑部吉継。白い頭巾姿に「大谷さ~ん」の黄色い声援が飛んでいました。集まった女の子たちは、知的好奇心が強くて、活動的で・・・、サッカーの「なでしこ」といい、女性陣に押されまくっている男の子たちには頑張って欲しいものです。
今回の旅行は、同僚の全国大学キャンパス巡りを趣味とする歴史マニアKさんに誘われてのものでした。「多彩な趣味をもつ友人からの誘いには万難を排して乗る」という人生訓を実践することで、人生は随分豊かになるものです。今回も、笹尾山の石田三成の陣地跡から関ヶ原を見渡して400年前の天下分け目の合戦に想いを馳せ、広々とした気持ちとなり、浮世の憂さやウズベク戦の引分けなど全部吹っ飛びました。感謝、感謝。

2008年10月19日日曜日

ウズベク戦反省会@西新宿高層ビル街

10月16日西新宿高層ビル街の地下の韓国料理屋でSuper TatsuyaとSuper Rooneyとの3人でウズベク戦の反省会を行いました。(高層ビル街の地下というのが渋い。)Super StarとSuper Owenは仕事の為欠席。
まずは監督論。ジーコの4年間の空白に比べて、岡ちゃんはやるべきことは着実にこなしているが、監督としてのカリスマ性に欠けるし、やはり参謀として力を発揮するタイプでは?タイミングをみて(監督として意外な実力を発揮している)ピクシーに監督を禅譲するのがいいのでは。それにしても、ドゥンガのファッションセンスはひどい(関係ないか)。
次にDF。闘莉王の力量はずば抜けているが、彼がいる限り中澤がDFラインを統率出来ない。守備を考えた場合、闘莉王は思い切ってFWにコンバートして、DFからははずすべき。これにはレッズサポのSuper-TもAgree。名波の「日本は3バックでいくべき」との暴論(?!)はあっさり却下。CBは当分中澤・阿部でいきましょう。ただ、DFの新戦力の発掘は必須。MFは誰でもOK。本当に駒は豊富になりました。これもキャプテン翼の功罪あい半ばするところ。日本に優れたFWが育たない原因?FWは高原・達也の2トップで決まり。レッズでコンビネーションを磨いて、そのまま代表の2トップになって欲しい。かつての、ゴン・高原、西澤・モリシのコンビのように。それにしても怪我の多い2人。ピークは過ぎてるのかな。
話はつきませんでしたが、飲み放題の時間切れとともに、タイムアップ。

2008年10月16日木曜日

2戦勝ち点4 - All for 2010

スタメンはほぼ想定通り。一押し香川も先発としていい働きをしていたと思います。FKもそこそこ取れて、ここまでは予定通り。ただ、写真のようにFKのボールを前にして俊輔・ガチャピンが話合うシーンがゴール正面ではなく、サイドに集中していたということは、中に切り込んでの切り崩しが出来ていなかったということ。サイド攻撃を基軸とする戦術は貫き通すべきだし、何となく形になってきた感がありますが、それに組み合わせる形で、正面での崩し、少ないタッチでの早い中央突破が点を取るために必要です。そのキーマンはワントップ。玉ちゃんは同点ゴールをあげた殊勲者ではありますが、その他のシーンでは消えていました。というより、めまぐるしくポジションチェンジをする香川と大久保にポジションを消されていました。3人の組合せは決して悪くないと思いますが、連携を磨く必要があります。守備面では残念ながらUAE戦での教訓は生かされませんでした。あのエアポケット状態は、根本的な手を打たないと致命傷になりかねません。守備意識の高いFW陣と攻撃意識の高いDF陣という組合せは相手陣内での戦いでは力を発揮しますが、大きく縦・横に展開されるカウンターにはもろさを露呈します。攻撃モードから守備モードへのギアチェンジがワンステップではなく、切替えの際一旦ニュートラルでアイドリングするというエアポケットが生じてしまうのです。ここ数試合同じ過ちが繰り返されており、これはシステムの問題です。中澤・闘莉王は卓越したCBではありますが、一度引退した選手と怪我をかかえている選手に頼らざるをえないというのも、やはり問題であり、そもそもDF陣の強化が大きな課題です。
ホーム初戦のウズベク戦、不満と不安の残るゲームでしたが、2試合終わっての勝ち点4は、当初の計画通り。一方で、若手の思い切った起用で代表の若返りが進んでいるのは計画以上。W杯予選は、勿論W杯出場の切符をつかむ為の戦いですが、一方で、W杯本戦で世界を驚かせるチームを作る為の重要なプロセスでもあります。その意味では、岡ちゃんは着実に実績をあげており、マスコミが現時点で辞任云々を取り沙汰するのは論外ではないかと思います。すべてはW杯本戦での活躍に向けて-All for 2010というのはあまりに楽観的過ぎるでしょうか?

2008年10月14日火曜日

いよいよウズベク戦

いよいよ明日はウズベク戦。バックは、闘莉王と阿部が戻りそうですね。阿部のSBというのはどうかと思うのですが、流動的なゾーンで守るという4バックならぬ3.5バックということでしょうか?ボランチは、遠藤・稲本のゴールデン世代復活?俊輔・香川に大久保を絡めて、玉田のワントップというところでしょうね。途中から興梠使ってみたいですね。いずれにせよ、守備に集中して失点をしないこと。はっきりと3バックでもいいのでは?FKのチャンスをひとつでも多く作って、その中のひとつを決めればいいくらいの気持ちでやれば、いいんじゃないですか?とにかく、ペナルティエリア付近ではつっかけて、強引にシュート体制に持込むこと。それで、相手のファールを誘う。(但し、大久保のシミュレーションは厳禁!)ホームらしいゲームにこだわる必要なし。今回は、内容よりも勝ち点3。俊輔のFKからの1点、流れからの香川の2点目で2-0の快勝となれば文句なし。明日は、森林インストラクターN隊長と勝利を祈ってトンカツを食してから埼玉スタジアムで生応援です。天気は雨が昼過ぎにあがって、試合開始時は曇りか晴れ。本番の天気を見越してUAE戦でピッチに水を撒きまくった岡ちゃんの作戦は、まずは成功。いい予行演習が出来たことになりますが・・・。(写真は、「S女史」改め「反町姫」撮影のUAE戦。S女史ではあまりに硬いので、勝手に命名させて頂きましたが、如何でしょうか?「苦しゅうない」との言葉が返ってきそうです。)

2008年10月13日月曜日

Project MJ78



数年前から、ネットに頼らず時刻表のみを駆使して完璧なスケジューリングを組むN隊長(森林インストラクター)と抜群の体力と料理の腕前を誇るシェルパ兼シェフTとのトリオで登山+秘湯巡りの旅を企画しています。今回は、岩手へのMysterious Japan Tour(藤温泉と幡平の旅)=コードネームMJ78を実施しました。(78という数字は私にとって特別な年の数字でもあります。)今回のコンセプトはMJにちなんで「黛ジュン(MJ)」。お酒は、黛ジュンのレコード大賞曲「天使の誘惑」にちなんで、同名の幻の焼酎を用意しました(写真の酒瓶の背景は南部片富士=岩手山)。また、お昼のメニューは、もうひとつのヒット曲「雲にのりたい」にちなんで、「雲丹(うに=くもに)」「海苔(のり)」をまぶした豪華海鮮丼が1日目、2日目は「タイ・ラーメン」の食材をシェフTが調達しました。1日目は八幡平が強風の為、頂上での調理を断念。レストハウスでライスのみを注文して、シェルパTが担いできたウニ・カニ・シャケ・イクラ・刻み海苔を載せて、インスタント味噌汁つきの写真のような豪華海鮮丼を堪能しました。八幡平の三大眺望地の茶臼岳・源太森・もっこ岳はいずれも遠くに岩手山を望む360度の眺望が楽しめるまさに絶景ポイントでした。お勧めです。また、藤七温泉では、道路わきの荒地に豪快に6つの露天風呂を配した野趣溢れる「ジス・イズ露天風呂」に心と体をとろかせました。泉質は硫黄泉で、青みがかった乳白色のお湯は、Mysterious Japanのコンセプトにぴったりでした。写真は、秘湯の宿「彩雲荘」の露天風呂につかりながら拝んだ岩手山の山すそからのご来光です。 4ケ所の露天風呂を巡り、入浴回数延べ10回。肌も脳みそもすっかりふやけました。浮世を忘れるとはこういうことなのでしょう。Project MJ78, Mission Complete! (八幡平:日本百名山・花の百名山、峡雲荘・松楓荘・彩雲荘:秘湯を守る会会員旅館)

2008年10月9日木曜日

U-19リトアニア代表とUAE戦

私を担当している運命の神様は、暇つぶしなのか気まぐれなのか、時々とんでもなくお洒落な計らいをしてくれます。前回のブログで元GKのリトアニアの工場長が登場しましたが、帰国の為フランクフルトへ向かう飛行機で赤と白のトレーニングウェアの一団と一緒になりました。何とリトアニアのU-19代表チームでした。ドイツで開催されるミニトーナメントに出場する為に遠征するということでした。平均身長は175CMといったところでしょうか。決して大柄なチームではありませんでした。ほとんどが短く刈り込んだ金髪で、瞳は灰色がかったブルーのイケメン揃い。飛行機の中では最後尾にギッシリと押し込まれて、本や新聞(さすがにスポーツ新聞でしたが)を読んでいました。少なくとも漫画を読みふけったり、TVゲームに興じている選手は皆無。頑張れ、リトアニアU-19!
ところで、帰国していきなりのUAE戦。今の代表チームは、追い込まれないと、とてもぬるい試合をしてしまいます。実は、ウズベキスタン戦はアウェーでのバーレーン戦勝ち点3を食いつぶしてしまいそうないやな予感が抜けなかったのですが、バーレーン戦に続くUAE戦でのみっともない失点で、かえって守備の連携が修正され、失点ゼロでいけるんじゃないかなとむしろホッとしています。1-0の勝ち点3が見えてきました。香川・興梠がよかったですね。ぬるい雰囲気を変えるのは、この辺りの若手。ウズベク戦で使ってもいいんじゃないですか?彼らがW杯予選本番で実力を発揮出来れば、本物。ようやく、世代交代が進みます。15日の天気予報は曇りですが、今回ピッチに水をまいたのは雨を予測しての岡ちゃんの深慮遠謀?ぬるい雰囲気に活きのいい若手の投入で喝を入れたり、岡ちゃんのやっていることは間違ってはいないとは思っているのですが、それで結果が出るかどうかが監督の本当の実力ではあります。

2008年10月8日水曜日

リトアニア魂

今回訪問した工場は首都ヴュリニュスから車で約1時間の人口6,000人の村の中にあります。従業員が1,200人ですので、村のほとんどの家庭が何らかの形でこの工場にかかわっていることになります。また、工場の体育館は村の重要な施設となっており、最近は工場の寄付により新しい教会が建てられ、村人は非常に喜んでいるとのことです。工場は人口湖のすぐ横に緑に囲まれて立地しており、素晴らしい環境です。工場長は足が不自由な為車椅子を利用している70歳を超える老人ですが、謹厳とした顔つきの中に常に笑みをたやさない好人物です。旧ソ連時代は、サッカーの州代表のGKをつとめ、電子関連の国営企業に勤務していたそうです。リトアニアは、かつては帝政ロシアに支配され、一時独立していたものの、戦後再び旧ソ連に併合され、ソ連崩壊とともにようやく独立を回復したという歴史があるだけに、ロシアに対する憎悪というものは並々ならぬものがあります。それだけに、日本の北方領土問題も知っており、日本人には親近感を覚えているようです。日本版シンドラーとして知られる杉原千畝の記念碑も残されており、日本から贈られた桜の花が毎春川辺を彩るということで、意外なところで日本とのつながりを発見するのも旅の喜びのひとつです。(今回は出張なので、旅とはいえませんが)
工場長が昔勤めていた旧ソ連の電子企業にVTRを開発せよとの国の命令が下り、日本製VTRを手に入れて技術者総掛りでそのコピーを製作したことがあったそうです。彼は、中心部分のICの解析・複製を担当し、かなり苦労したとのことです。「一から独自に開発した方がかえって早いのに、あくまで外国製品のコピーにこだわるのがロシア人だ。だから、ロシアはあれだけの大国なのに、いまだに独自のブランド製品がない」とのこと。なるほど・・。「サッカーの選手時代は、ウラジオストックまで遠征し、着いた翌日時差ボケのまま試合をして、そのまま帰ってきたり、大変だった。ただ、スポーツの代表選手になって遠征することだけが、地元を離れて旅行する唯一のチャンスだったので、何とか代表選手になろうと頑張った」そうです。旧ソ連時代の苦労話・恨み節は際限なく、だからこそ今の自由と平和を大事にしたいということなのでしょう。リトアニア魂を感じました。(写真は工場のエントランス)

何故かリトアニア・・・

仕事の関係で一昨日からリトアニアに来ています。北海道よりちょっと狭い国土に横浜市よりちょっと大目の人が住んでいます。東欧と北欧の境に位置するバルト3国のうちのひとつです。冬の気候は厳しく、秋から冬にかけては曇りや雨の日が続き、そのせいか、自殺率が世界で一番高い国になったこともありました。ちなみに最新のFIFAランキングは日本より約20位下の54位。あのウズベキスタンよりは3つ上です。
空港から市街への道は、街灯も少なく、霧が重くたれこめて、ドラキュラが出てきそうな感じでした。翌朝も、街並みは朝もやにかすみ、街ゆく人々は、コートの襟を立てて、うつむくながら、足早にそれぞれの職場に向かっていました。陰鬱な冬に向かいあう準備は出来ているようです・・・・・。
ところが、昼になると、澄み切った空気に抜けるような青空が広がり、Indian Summer(小春日和)とかで、硬質な空気の冷たさと緯度の高い国独特のまばゆい陽の微妙な温かさが見事に調和した素晴らしい天気になりました。これもリトアニアなのでしょう。先入観や固定観念で物事をステレオタイプに押し込んで見ようとしてはいけないということです。首都ヴュリニュスの街並みは世界文化遺産にも登録された中世の名残を留める落ち着いたたたずまいです。石畳の道路の両脇には、ロシア正教やカソリックなどの教会やバロック調の建物が並びます。同行したエイリアンGさんは食事もすっかり気に入り、「ここには住めそうです」と言っておりました。(写真は、夜来の雨に濡れそぼり朝もやに霞むビュリニュスの街並み)

2008年10月5日日曜日

AIG Open - 今回はテニスです




今日10月4日は、消防士のKさんと内科のN先生に誘われて、同僚のセミプロカメラマンSさんとテニス観戦です。(朝10時から夜8時半まで、10時間半!5試合たっぷり満喫しました。)お目当ての錦織は、残念ながら既に敗退で、観ることは出来ませんでしたが、男子シングルス準決勝は錦織を破ったガスケ(仏)とアルゼンチンの新鋭デルポトロ。ガスケの多彩なショットとデルポトロの長身を最大限に利した強打の対戦は見応え十分でした。惜しくも敗れたとはいえ、ガスケのラケットコントロールには魅せられました。178CMという日本人並みの体格にも親近感を覚えます。ガスケのプレーを見ていると、自分も出来そうなイメージが・・・。こういったイメージの刷り込みが大事なんでしょうね。こんないいゲームを生で子供たちに見せてあげていると、とんでもない選手が育ってくるのでしょうが・・・。如何せん、チケット代高すぎです。それに、男子シングルスの決勝は、198CMのデルポトロと195CMのデビリッチの巨漢対決。錦織に期待のかかる日本テニス界ですが、世界は益々遠く(高く?)なりつつあります。残念だったのは中村・森田組が決勝に進出した女子ダブルス。あと一歩及ばず優勝を逃しました。でも、対戦ペアのシングルスランキングとは、それぞれ70位以上離れており、普通ならば、相手にならないところですが、そこがダブルスの面白さ。1+1=3のダブルスの妙を見せてもらいました。ところで、会場でテニススクールの鬼コーチSコーチとお会いしました。「ガスケはうまいですね」と声をかけたら、「ロディックはフォア下手だね」とポツリ。常々、只者では無いとは思っておりましたが・・・。(写真は、ガスケのサービスとデルポトロのリターン)

2008年10月1日水曜日

バックスタンドのそら耳 No.7 本当の最終回

機上で「今度こそ最後の北京便り」を書いています。
点を取りにいかなければいけない試合に、何故、また李のワントップだったのか?本田・細貝の守備的ボランチに安田・香川の攻撃的左サイドのミスマッチがカウンターによる2失点の原因ではないか。何故、谷口のトップ下にこだわり続けたのか?ホテルに戻ってからの反省会は深夜まで続き、新潟アルビ・サポーターを中心とする反町擁護派が反町批判派をかろうじて上回る結果でした。「それでも責任をとらざるをえないので、反町はアルビで引き受ける」とのアルビ・サポの一方的宣言に、「清水東つながりで健太からの監督の移譲もありうる」というエスパルス・サポはかなり押され気味でした。
選手からも「チームの軸が無かった」というまだオランダ戦を残しながら大会の総括的な監督批判まがいの発言まであったとのことです。残念でなりません。韮崎高校出身のツアー参加者長老の「これで暫くは日本のサッカー熱も冷めるな」の一言が重く響きました。
香川のミスの多さは目をおおうばかりでした。戦犯香川の声は強くありました。19歳の若さは理由にならない。世界では19歳でもトップスターとして活躍している云々。ただ、交替前のわずかな時間に取り戻した本来の輝きは世界に通じるものでした。反町さんが惚れ込んだ逸材は必ずや世界に飛躍する選手に育ってくれるものと信じます。
やはり、問題は、反町さんも繰り返した「日本らしさ」だと思います。「日本らしさ」の良さも悪さもつきつめて、本当に「日本らしい」サッカーで世界と戦い、勝ち負けを重ねていく過程が大事なのだと思います。もしかしたら、どうあがいても所詮世界の30位前後のサッカー中進国が限界なのかもしれません。それでも、「日本らしい」サッカーを応援することでサポーターは一緒に共感して戦うことができ、満足を得られるのです。EUROを制したスペインのサッカーがお手本になることは、よく言われることです。ただ、選手個々の実力・イマジネーションには大きな隔たりがあります。今はそれをつめて行く努力が必要なのだと思います。まずは、2010年、南アに向けて。
今回の中国は、実に20年振りでした。その変貌振りは日本のこの20年間の比ではありません。全く別世界の感がありました。まさに「やれば出来る中国」「中国、恐るべし」でした。ただ、その本質部分の冷ややかな塊は、依然としてそこに存在していました。「自由の抑圧」が日常のスマイルを奪い去ったままにしているのだと思います。この氷塊を解かしてしまわない限り、中国の国際社会への本格的復帰・更なる飛躍は無いものと確信します。もしかしたら、この五輪がその扉を開くかもしれません。中国共産党は威信をかけた五輪開催により、彼らにとってのパンドラの箱を開けてしまったのかもしれません。 日本のサッカーを中国という大国の現代史に重ね合わせるのは、如何にも不敬ですが、日本サッカーの抱える氷塊と中国の氷塊、どちらが先に溶けるのか。どちらにせよ、それは、そんなに遠い先ではないような気がします。
ながながとお付き合い、有難うございました。ところで、何人かの皆さんは覚えていらっしゃると思いますが、北京便りNo.2に登場したジュビロ+アルビ・サポ(=反町信者)のSさんですが、ナイジェリア戦終了後ピッチを後にしてロッカールームに引き上げる反町監督に向かって、スタンド最上階の5階席から精一杯の慰めの声をかけるとともに、「反町監督、男前~」と絶叫しておりました。応援は「大いなる愛」です。どんな状況であれ、サポーターたるものこうでなければいけません。感動しました。一足先に帰国する私にアルビ特製のバンドエイドを頂きました。またどこかでお会いできればと思います。またひとつ良い出会いがありました。これだからサッカー観戦ツアーはやめられません。「バックスタンドのそら耳」次回配信は、2年後の予定です。 - 8月11日 (写真は米国戦後観客席を見上げながら引き上げる反町監督)

2008年9月30日火曜日

バックスタンドのそら耳 No.6 最終回

しばらく別ネタで掲載を休んでおりましたが、北京五輪レポートの続きです。
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チェックアウト前の慌しい中で書いています。 2戦して2敗。得点1、失点3は、正直言って多くの人が密かに覚悟していた結果ではないでしょうか。米国戦のどうしようもない硬さの中での敗戦は、選手の精神的若さとチームとしての軸がないことの必然的結果。ナイジェリア戦は、本来の日本らしいサッカーをめざし、その結果として敗れるべくして敗れたゲーム。 これが、日本サッカーの現状であり、限界だと認めざるをえません。オーバーエイジを入れていれば、もう少し落ち着いて安定した戦い方が出来たと思いますが、きっと結果は変わらなかったでしょう。 フィジカル、特に瞬発力の違いはどうしようもないのでは。あのローギアからいきなりトップギアにはいるギアチェンジは、どうあがいても日本人の筋肉では無理でしょう。一方で、日本代表の誇る運動量・持久力も通用しませんでした。ペナルティエリア前の細かなパス交換を相手チームは脅威に感じたのでしょうか。それは、成果を譲り合う日本人の謙譲の美徳なのでしょうか。責任をたらい回しにする集団無責任体制なのでしょうか。減点主義の結果なのでしょうか。 一時言われていた「個の強化」はどこにいってしまったのか不安です。組織力を優先するあまり、違った方向に行ってしまっているのではないでしょうか。今回も、本田のチーム、あるいは、内田のチームにしても良かったのではないでしょうか。まず、個人ありきで、それに合わせたチームにしていくことも必要というのは極論でしょうか。 時間が無くなりました。今回は、「実は、本当の最終回に続く・・・」で締めさせて頂きます。 では、日本で。- 8月11日 (写真はS女史撮影の北京動物園のパンダ)

2008年9月28日日曜日

朝原と中山ゴン - アスリートの人間性


スーパー陸上のクライマックスは朝原選手のラストランと引退セレモニーでした。スタンドに向けて手を振りながらトラックを一周する朝原選手の後ろを北京五輪のリレー銅メダルメンバーが横断幕を掲げて従います。いかにも朝原選手の人間性をうかがわせる瞬間でした。朝原選手は、最後に五輪での銅メダルを獲得したものの、それまで五輪でも世界陸上でも勝てず、日本記録保持者でもありません。いわゆる、記録に残る選手ではないものの、記憶に残る選手です。その人間性が、応援する観客に何かを訴えかけ、勝利や記録を超えた感動を呼ぶのでしょう。
フットサル日本代表キャプテンの藤井選手が、朝日新聞のコラムで、サッカー日本代表についてこんなことを言っています。「今の若い選手の方が昔よりずっとうまい。W杯予選など、勝たなければならない試合を勝ちきる強さもある。でも観客を集めるのに努力が必要だった時代の選手には、人間的な魅力があった。」
現在、中山ゴンに技術的に勝るFWは大勢いますが、彼より魅力あるFWはいません。観客やサポーターが欲しているのは、TVゲームに出てくる技術レベルの高い完璧な選手ではないのです。弱点をかかえながら、熱く訴えかけてくる選手であり、そんな選手と想いでシンクロしながら、一緒に戦っていくのが、観戦の本当の魅力なのです。随分欲張りな願いではありますが、若い選手には、サッカーの技術とともに、自らの人間性と美学を磨き、観客への訴求力を身につけて欲しいと思います。それが、選手と観客とのシンクロを生み、本当の意味での「日本らしいサッカー」の確立につながるのではないかと思うのです。(ゴンの写真は、2007年のJリーグオールスターの際のもの。1得点+1オウンゴールといういかにもゴンらしいパフォーマンスでした。)

2008年9月26日金曜日

初コメントがキタ~~\(^o^)v

Comon Super Tatsuya!さんから「スーパー陸上がキタ~!」に初コメントを頂きました。うれしいものですね。
別途メールでレポートさせて頂いた以下特別参加のボルトの様子を踏まえてのコメントです。
「ボルトは、ジャマイカの根っからの陸上バカですね。朝原のラストランというしんみりした空気を全く読まずに、例の髪を撫で付けるパフォーマンスや両手で宙を指差すポーズを連発していました。あまりのKYにアホらしくて折角のシャッターチャンスを逃しました。」
いずれにせよ、初投稿有難うございました。

イメージするということ

前回に引き続いてスーパー陸上ネタです。
澤野大地選手は、助走に入る前に、右手人差し指を立てて胸の前に置き、ゆっくりと上昇させ、天を指す動作を行います。(写真)伸び上がった人差し指は最頂点で一旦静止し、またゆっくりと降りてきます。きっと、跳躍し、バーをクリアする瞬間をイメージしているのだと思います。スポーツのみならず、結果をイメージすることは大事です。 イメージする以上の成功は起こり得ません。いかに具体的にゴール(目標達成)の瞬間とその過程をイメージ出来るかが、成功の80%程度の比重を占めているのではないでしょうか。
サッカーでもイマジネーションという言葉が用いられます。自由な発想・奔放な発想は、日本人の苦手とするところですが、イメージすること(想像力)そのものも、バーチャルリアリティの氾濫する中で失われつつあるのではないかと危惧しています。イメージの共有は、チームプレーのベースです。イマジネーション溢れるプレーまでは望みません。まずは、イメージの共有を。ジャパンブルー(日本代表)を目指す若者に言いたい、「漫画とTVゲームを捨てて、村上春樹を読め!」

2008年9月23日火曜日

スーパー陸上がキタ~~!


「等々力にスーパー陸上がキタ~」という訳で、自転車を飛ばして行ってまいりました。ハチマキが似合いそうな陸上少年・少女で埋まった観客席は、いつものフロンターレのゲームとは全く違った種類の熱気でした。
陸上を観るのは、子供の運動会以外初めてですが、グラウンドのあちこちで競技が並行的に行われており、どこを観ていればよいのやら、何か、時間制のバイキング料理を食べている感じでした。
室伏の最終投擲での大逆転優勝は、感動モノでした。一方で、朝原のラストランでの日本人トップというのは、ちょっと複雑。なんといっても、本日の収穫は棒高跳び。エアー大地(澤野大地)の我家を楽々飛び越えてしまう跳躍は、スゴイの一言。ちょっと、ハマりました。(写真は澤野大地の5m60cmの跳躍)

2008年9月21日日曜日

バックスタンドの空耳 No.5



日本では、谷亮子の準決勝の不可解な判定を冷静に受け止めているのでしょうか。インターネットのニュース記事を読む限りでは、判定を大きく取り上げていないし、谷亮子自身もサバサバしたコメントを出しているように思えます。チャンピオンである以上、格下に組み手争いを続けるような消極的姿勢を取ってはならないということでしょうか。堂々と胸を貸して、横綱相撲を取れと。でも、単に判定をするだけではなく、試合を作っていくのもレフリーの仕事。少なくともあのレフリングは問題だと思います。今日のナイジェリア戦のレフリー、レベルが高いことを期待します。・・・・・と思っていたら、レフリーはイランとイラク、この組合せはヒット。世界はひとつ。イランのレフリー、期待通り、アジア代表として頑張ってくれました。でも、レフリーの後押し、ナイジェリアの再三のシュートミスに助けられても勝ちきれないのが、日本代表。日本らしさを十分発揮した結果がこの得点差以上の惨敗であることを認めざるを得ないのではないでしょうか。 総括は次回に譲るとして、バックスタンドのそら耳ネタをいくつかご報告させて頂きます。その1。同じツアーに細貝ご夫妻という感じのいいお二人がいらっしゃいました。ナイジェリア戦から息子さんがお二人合流されるということでした。朝ロビーで紹介された息子さんの一人が細貝萌!ベンチ外だとしてもツアー参加はないでしょうと思っていたら、何と細貝萌の双子のご兄弟。ご家族が一緒のツアーというだけで、情が移ってしまうもので、背番号2番のプレーは、ついつい贔屓目にみてしまいました。それにしても先発で無難なプレー、正直ホッとしました。その2。今回の最終聖火ランナーの李寧のスポーツショップが繁華街のアディダスショップの2軒隣にありました。ナイキのロゴマークをポキッと折ったようなロゴマークの上に、大きく「Anything is Possible」のキャッチコピー。世界のアディダスの目の前であまりにも堂々としたパクリ。確かにキャッチコピーを地でいっています。その3。ナイジェリア戦の会場は米国戦に続き、天津オリンピック競技場。このスタジアムは日本の設計、地元企業の施工とのこと。確かにデザインは斬新で、とても観戦し易いスタジアムでした。後半途中から降り出した雨は最後はあの五輪直前のアルゼンチン戦並みの激しい雨に。幸い屋根の下の席だったので、問題がないはずだったのが、暫くすると階段通路を挟んで隣のブロックの席に滝のような雨が降り注ぎ、一斉に避難。屋根の継ぎ目からの雨漏りで、設計上のミスか、施工上の手抜きか?その4。ナイジェリアの応援団は本来持込が禁止されているはずの太鼓と鳴り物を持ち込んでの派手な応援。指定シートでの応援に飽き足らず、スタジアムの通路を半周しての応援。さすがに会場警備団に囲まれて小競り合い。それでも、警備団に囲まれながら、解散することなく集団での応援を続行。この逞しさは、日本人には絶対に真似できません。ナイジェリアサポーターとは、試合終了後に日の丸と「ブルーの誇りをみせつけよう」の応援旗をナイジェリア国旗と交換。その際の彼らの底抜けの明るさは真似できるものではないし、これをサッカーにあてはめると、乗り越えようも無いフィジカルの差なんだろうかと痛感しました。 最終号に続く・・・。 - 8月8日 (険しい表情の反町監督は、反町信者S女史撮影)

2008年9月20日土曜日

突然ですが、カメです。


バックスタンドのそら耳の途中ですが(まだまだ、続きます)、「カメ」です。ブログ・オープンと同時に我家にやってまいりました。名前は、銭亀の方が「カリン様」、ミドリガメは「仙豆(せんず)」です。娘がつけました。漫画のドラゴンボールから頂いたようですが、由来は不明です。「銭形とルパン」は却下されました。顔もなんとなく似ているのですが・・・。

カメの歩みを見ながら、「焦らずに一歩一歩」を実践していこうと飼い始めたのですが、子ガメは、じっとしていません。始終シャカシャカと泳ぎ回っています。誤算です。「カリン様」は、水槽の壁面に立ち上がって、バンザイをしたとたんに仰向けにひっくりかえって、じたばたするのが得意(?)です。癒されます。米国ミシシッピ生まれの「仙豆」は臆病で、いつもヒーターに右手(?)をかけて、立ち上がりながら、首を縮めて居眠りをしています。「我家の日米戦では、圧倒的に日本(銭亀)が有利なのに」と、ついあの天津での初戦を思い出してしまいます。森重君があの悔しさを糧にA代表のCBに育ってくれればと思います。

2008年9月18日木曜日

バックスタンドのそら耳 No.4 

皆さん、お仕事ご苦労様です。今日は、敗戦の重い気分を引きずりながら、万里の長城と紫禁城の観光です。 観戦のこぼれ話をいくつか。
その1 選手交替の際の大型ビジョンの表示。「Japan15号 Morimoto下、Japan09号 Toyoda上。」なんとなく納得しました。
その2 中国の観客。アジア大会などでTVでは見ていましたが、アンチ日本はかなりのものです。前半の決定機、いち早く雄たけびとともに立ち上がる日本人観客。シュートがゴールからそれて、ワンテンポ遅れて、どっと沸く回りの中国人観客。力なく腰をおろす日本人観客。これが3回続くとつらいものがありました。中国絡みじゃないのに、スタンドが8割がた埋まりました。地元の家族連れが多いのが目立ちました。帰り道、「日本が負けて気持ちが良かったな、ボウズ」「そうだね、父ちゃん。すっきりしたよ」なんて会話がかわされていると思うと、とほほ・・です。
その3 売店。スタジアムの売店で飲み物を買おうとして並んでいると全く列が動きません。列の最前列での割込みが堂々とまかり通って、最前列が入れ替わっているだけで、列が全く機能していないのです。
その4 スマイル。中国は20年振りですが、ファッションもあか抜けており、日本の大久保辺りと何ら変わりません。ただ、なんとなく違和感を感じたのは、スマイルの少なさ。接待中心(Hospitality Centerの中国語訳)のお姉さんと写真を撮ってもらったのですが、表情が硬い。オリンピックを通じて、スマイルの重要さを学んでもらえればと願うばかりです。まあ、逆に日本人の意味不明の微笑は、彼らにとって不気味に映るのでしょうが・・・。
最後にサッカーの話題。清水東の後輩、ウッチーの活躍は見事でした。彼は「外国語をしゃべり、外国の食事をするのは面倒くさい」とかで、海外移籍は全然考えていないとのことですが、今のうちに海外でもまれて、大きく成長して欲しいものです。 -8月7日 (写真はS女史撮影の「うなだれる谷口、うつろな眼のウッチー」)

バックスタンドのそら耳 No.3

こんばんわ。XXです。 初戦米国戦。3対1の快勝でした。前半25分過ぎから森重、本田、谷口と立続けに3連続得点。米国の反撃を1点に抑え、特に後半は3トップの奇策で米国のDF陣をかき回し、終始ゲームを支配しての危なげない勝利・・・のはずでした。残酷な現実への引込み線へのポイント切替えとなってしまったのは、「決定力不足」の5文字。最後の仕上げのシュートで冷静になれないというより、考えずに反応のみでシュートを打てないのが日本人の致命的な欠点。クラマーさんの時代からなんら改善されていません。この現実と真剣に向き合わねば、ジャパンの成長はないかもしれません。 天津の気温は34度、湿度は50%と表示されていましたが、水滴が空中に漂い、空気がべっとりとまとわりついてくるような感じです。更に、スモッグの霞は新設のスタジアムの中まで入り込んでおり、選手たちにとってはかなりつらいコンディションだったと思います。4万人近い観客を飲み込んだ会場は完全にアウェイ状態。対日感情の悪さを肌で感じました。 森本のワントップに谷口のシャドーという作戦そのものは悪くなかったと思います。センターにDFの意識を集中させ、薄くなった右サイドを内田・本田で切り裂いた攻撃は見事でした。ただ、森本の出来は最悪。ボールを追いかけるのではなく、ボールに追いかけさせるのが仕事のはず。オフサイド・ゼロはむしろ恥じるべき。いずれにせよ、森本だけでなく、全体に硬すぎました。これが初戦のプレッシャーというものでしょうか。この点は米国も一緒でしたが・・・。それと、前半、守備を固めつつも先取点奪取を目指すという反町采配は、ボランチのあがりの少なさをみるにつけ、意思統一に欠けていた感があります。ナイジェリア戦は、勝つしかなくなりました。日本らしいサッカーを展開して、結果として勝利がついてきて欲しいものです。 ところで、今回の観戦席は、前半「ウッチー」サイドのコーナー延長線上。つまり、米国の1点、日本の幻の3点すべて目の前という最高のポジションでした。スパサカの加藤未央(実は本物でした)とは席が離れていましたが、きっちりツーショットの写真はゲット致しました。シドニーの白石美帆に続いて、コレクションが1枚増えました。スパサカの放映は8月16日とのことです。 - 8月8日 (結局、企画はボツ、放映されず、でした。写真は米国戦後、「残念でしたっ」とうなだれる加藤未央)



バックスタンドのそら耳 No.2


北京の朝は、高層ビルがまるで水墨画の世界のように薄もやの向こうにかすんでいます。・・・スモッグです。マラソンにはかなり影響するのではないでしょうか。 空港で、ジュビロの携帯ストラップを鋭く見咎めた新潟から参加の熱狂的ジュビロサポS女史に逆ナンパされました。Sさんは、ウズベキスタン、バーレーンにも遠征しているという猛者です。機関銃のように繰り出される話題は豊富です。私もさすがに2000年5月5日の鹿島戦の名波のゴールは覚えていません。私としては、加藤未央(TBSスーパーサッカーのキャスター)似の女の子が気になってしようがないのですが、Sさんの密着マークをはずすことが出来ません。今日の午前中はSさんと一緒に鳥の巣観光です。 本題です。なでしこジャパンの引分けは衝撃です。しかも、ニュージーランド相手に2点を取られるとは・・・。やはり、五輪初戦は平常心では戦えないということでしょう。引分けに持ち込んだことで希望を残したところは、さすがというべきかもしれません。一方、男子代表。米国はかなり格上です。この組の日本はアテネの成績を下回る3連敗も覚悟せざるを得ないと思います。反町監督の采配に注目。前半は細貝・本田の守備的ボランチで0-0で乗り切り、後半、梶山投入で攻撃モードに切り替え、米国の動きが落ちたところでゴールを奪い1-0で逃げ切るシナリオが定石だと思いますが、意表をついて開始早々からフルスロットルで仕掛けていくのか。香川、長友の左サイドはアドゥ、ウィンの守備に追われそうなので、日本の生命線、ウッチー、本田の右サイドが鍵になりそうです。日本から気を送って下さい。 私は、フランスW杯の名波10番のレプリカ、日の丸のフェイスペイントで参戦する予定です。サブプライムの米国を、叩きのめしましょう。(写真は、鳥の巣に向かう途中で見つけたサッカー女子ブラジル代表の練習風景を盗撮(?)したものです。)

2008年9月17日水曜日

バックスタンドのそら耳 No.1 - 北京五輪レポート

実は、北京滞在中、メルマガで北京五輪レポートをサッカー仲間に配信していました。新規ブログの書込みを暫らくサボって、メルマガをブログで紹介させて頂きたいと思います。
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今、北京に来ております。五輪開幕直前の北京は、今にも夕立ちになりそうな曇天です。だと思ったら、これはスモッグとのことです。北京の大気汚染、恐るべし。 本日から、私のアドレスブックからサッカーのキーワードで検索された皆さんに、北京からのメールを送付させて頂きます。コーヒーブレイク用にお読み下さい。日経新聞の名スポーツライター武智さんのコラム「ピッチのそら耳」にあやかって、「バックスタンドのそら耳」。あくまでサポーターの立場から(ここが、解説者の立場からサポーターになりきってしまう松木某と一線を画すところです)、五輪のバックスタンドである北京の市街の日常、スタジアムの空気をお伝え出来たらと思います。とはいえ、「偽チケット」「サポーターのユニフォーム着用禁止・没収」など様々な噂が飛び交っており、無事にバックスタンドのシートにたどり着けるか不安ではあります。 10年前のフランス・ナントでは、ゴール裏からただただ祈りながら名波とゴンに「気」を送っておりました。出場国のサポーターとしてW杯の場にいただけで幸せでした。2000年のシドニー(会場はキャンベラ)では、黄金世代の躍動に心震わせ、日韓W杯での躍進を確信していましたが、その夢も仙台の降りしきる雨の中に空しく消えてしまったのが、昨日のことのようです。アテネの谷間世代には感情移入ができず、ドイツでの惨敗には、99年ワールドユースの準優勝が黄金世代のピークであったことを思い知らされました。 祈り → 高揚・一体感 → 虚脱。今回の五輪は日本の現在のサッカーの検証に行ってこようと思います。ともに戦う気持ちは失っていませんが、勝ち負けよりも、日本が行き着いた献身と連動という組織サッカー、反町監督の言う「Non-Stop Soccer」がどこまで世界に通用するのかじっくり見極めてきたいと思います。結局は、メキシコの銅メダル以来、献身(自己犠牲)と連動が日本人の長所であり続けており、それが、日本人の限界となっています。それを前提とした反町サッカーが、何を残せるのか、興味深いものがあります。柏木・梅崎・森嶋という秀でた「個」を敢えて捨てて、選考した18人(正直、柏木のいないのは寂しい)。蟻のように群がってボールを奪い、蟻の列のように整然とボールを運ぶサッカーが世界にサプライズを起こせるのか、注目。日本らしいサッカーとは何か。我々は、それで満足できるのか。日本らしいサッカーは、美しいのか、勝てるのか。とりあえずは、米国戦。楽しみです。では、また、明日。 - 8月6日

2008年9月16日火曜日

頭を雲の上に出し♪

突然ですが、富士山八合目の山小屋元祖室です。キムタクも泊まったという由緒ある(?)山小屋です。あたり一面の雲海は絶景でした。一歩踏み出すと雲に乗れそうな・・・。思わず、「頭を雲の上に出し、四方の山を見下ろして・・・♪」と小学校の頃歌った歌を口ずさんでいました。でも、考えてみると、雲の上に頭を出すと、雲の下は見下ろせないんですよね。上を見上げることの簡単さに比べて、下を見下ろすことの難しさを痛感しました・・・というのは、こじつけ。
素晴らしい景色でした。空に一歩近づいたことで、この空が果てしなくつながっていることを実感出来ました。富士登山には、山登りの途中の味気無さを補って余りある達成感と神秘的な何かがあります。
残念ながら、山頂は横殴りの雨。「また、来年?」と思うと、うんざりというか、楽しみというか・・・。