2013年9月23日月曜日

I'll follw the sun - 旅立ちの時

The Beatlesの"I'll follow the sun"。「明日は雨が降るかもしれない。だから、僕は太陽を追いかけていく」「And now the time has come And so my love I must go」ミディアムテンポのギターが、しっとりと染み込んできます。太陽を追いかけて、田舎の一本道を遠ざかっていく人影。そんな光景が浮かんでくる詩情溢れる楽曲です。つい最近、新たな人生を踏み出した友人が、Facebookでこの曲になぞらえて心情を語っていました。まさに、旅立ちに相応しい曲だと思います。ところが、この曲はポールが16歳の時の作品とのことです。しかも、風邪で寝込んでいて、吸った煙草がひどくまずくて、そんな時、レースのカーテン越しに眺めた外の景色を曲にしたものだそうです。風邪をひいた不良少年が煙草に咳込みながら作った曲に、人生の節目の時を重ねて感傷的になるというのは、少しばかり情けない気もしますが、それだけ、ポールが早熟の天才だということなんでしょう。そのポールがやって来ます。太陽を追いかけて、時代を駆け抜けて来た71歳の天才ミュージシャンの歌う"I'll follow the sun"はどんな深みを増しているのでしょうか。

2013年9月8日日曜日

祝!東京五輪2020

2020年東京に五輪が戻ってきます。今から49年前の1964年、高度成長期の真っ只中とはいえ、まだまだ戦後を引きずり、みんなが等しく貧しい時代でした。カラーテレビが普及し始めていたとはいえ、多くの家庭ではちゃぶ台の前に白黒テレビが鎮座していた時代でした。ちゃぶ台の上では、アルミ鍋からおでんの湯気が立ち上り、親父は、一升瓶から二級酒を湯呑みに注いでは、茹で落花生をツマミに、舌鼓を打っていました。TVでは、東洋の魔女が回転レシーブを繰り返し、チャフラフスカが躍動していました。アベベの哲人のような風貌と円谷の精根尽き果てたゴールをテレビは見事に映し出していました。重量挙げの三宅、体操の小野、遠藤。そして、世界の凄さを思い知らされたジャボチンスキーとヘーシンク。あの時の映像は、今でも脳裏に鮮明に残っています。あのいつまでも色褪せない日々を、子供たちに味あわせてあげられると思うと、2020年五輪招致成功は本当に快挙だと思います。
ただ、喜んでばかりはいられません。これは、復興への道筋を掲げて支持を得た東京の世界へのコミットメントでもあります。世界への約束実現に向けたカウンターは既に動き始めているのです。7年後には、立派に復興を果たした東北を世界の人々に見てもらわなければなりません。また、7月~8月の開催スケジュールを考えると、現在悪化の一途を辿っているヒートアイランド現象にストップをかけることも急務です。そして、まずは、安倍総理が明確に約束した福島第一原発の放射線問題を早急に解決しなければなりません。五輪は、東京という都市のプロジェクトではありますが、日本が国家として明確な目標設定を行う絶好の機会となりました。前回の東京五輪は、世界に追い付き、世界に踏み出す象徴的なイベントでした。7年後の東京五輪は、世界に日本人の「絆」を示し、スポーツを通じての「絆」というオリンピックの本来の意義を思い起こさせる大会となればと思います。

2013年9月1日日曜日

Project 青い秘密 - 岩木山編

岩木山は、青森県最高峰、津軽平野のどこからでも眺めることのできる嫋やかで美しい山です。太宰治は、その姿を「十二単を広げた美女」に例えています。昔から山岳信仰の対象となっており、「お山」と呼ばれて、津軽の人々に崇められている山でもあります。7月7日、その岩木山9合目。昨日までの悪天候が嘘のように晴れわたった青空に向かって、鳳鳴ヒュッテからの岩場の坂道を、登山客が連なるように上っていきます(写真)。鳳鳴ヒュッテ前でカレーを作りながら待つこと1時間。未だ別働隊の姿は見えません。岩木山への登山で最もお手軽なのは、岩木スカイラインを車で8合目まで登り、そこからリフトで更に9合目まで登り、最後の山頂までの登山道を徒歩で約40分程度で登るというものです。さすがにリフトの利用は憚られ、8合目の駐車場から湿度の高い樹林帯を汗にまみれて1時間ほど登って、9合目の鳳鳴ヒュッテまで辿り着きました。カレーを煮込んで、N隊長の率いる百沢ルート(約4時間の行程)アタック隊を待つことにしました。カレーの具は、南三陸の家庭菜園で頂いたばかりの採り立てのジャガイモ、タマネギ、ニンジンです。震災直後、断水で困っていたお宅の水運びをドクターKがボランティアで手伝って以来、手紙でのやり取りをしていた老夫妻を、今回の被災地巡りの途中再訪した際に頂いたものです。ご夫婦のお宅が位置する高台の下では、モアイ像に見守られて南三陸の仮設商店街が復興の第一歩を踏み出していた一方で、周りには住宅跡地の空き地が目立っていました。
さて、待つこと1時間半。カレーが煮詰まり始めた頃、ようやく別働隊が到着しました。途中で雪渓を登らざるを得ない箇所があり、難渋したとのことでした。疲れ切った身体には、南三陸で頂いたキュウリが心地よかったと思います。一緒に頂いた味噌との相性も抜群でしたし、味噌はカレーの隠し味にも使わせて頂きました。「青い秘密」です。
東北の震災地は、2年余を経ても、未だ復興への道筋も見えない状況でしたが、被災地の人々が、いや日本国民全体が、写真のように坂の上に浮かぶひとひらの雲を見据えつつ、厳しい坂道を登り始める日が来ることを切に願っています。