2011年6月28日火曜日

女子W杯開催

なでしこジャパンが暑さと粘りつくような芝のピッチに悩まされながらも、女遠藤、宮間の値千金のFKでW杯ドイツ大会の初戦を勝利しました。なにしろあの澤が「W杯の舞台は緊張する」といっている位ですから、暑さに加え、極度の緊張の影響で、動きが鈍くならざるを得なかったのでしょう。あんなに足が止まっていたなでしこは初めてみました。それでも、永里のループシュートによる先制点(写真)と宮間の文字通り値千金のFKゴールで勝ち点3を奪い、まずは上々の滑り出しとなりました。初戦はどのチームにとっても難しい戦いとなります。また、ニュージーランドが愚直なまでにDFの裏にロングボールを放り込んで来るというある意味では嫌な戦法で仕掛けてきたこともあり、なかなかラインを押し上げられず、本来のショートパスでの小気味のいい攻めが出来ませんでした。そんな嫌な展開を打開したのが、岩渕の投入。Uー17W杯でMVPを獲得した天才少女です。くりっとした黒目がちな眼とその天才ぶりが似ているので、私は「女小野」と命名しています。ただ、この大舞台では、親子ほども年が違う澤をはじめとする諸先輩に囲まれて、岩渕のプレーはどこか遠慮がちでした。ドリブルを仕掛けるべきところを安易にバックパスしたり、シュートすべきところを横パスを出したり。象徴的だったのが、永里へのスルーパス。永里が明らかにオフサイドポジションにいたのは、岩渕の位置からはっきり判ったはずです。にも拘わらず、永里のボールを欲しがるしぐさのまままにパスを出し、案の定オフサイド。しかしながら、時折り見せる輝きは段違いでした。ゴールに結びついたFKを引出したのも岩渕のゴール前でのドリブルでした。細かなステップで切り裂くようなドリブルはファウルでしか止められません。臆することなく、伸び伸びとプレーをすれば、今回のW杯でもMVP獲得の可能性は十分あると思っています。その時は、女メッシと呼ばせてもらうこととします。

2011年6月26日日曜日

Project Tohokny - プロローグ

夏の山登りプロジェクトは、上高地「中の湯」に泊まって、焼岳に登る計画でしたが、前々日になって土砂崩れで上高地への交通が途絶したとのニュースが。N隊長が温泉宿に連絡を取ろうとしても、電話は不通の状況。通常であれば「やむなく中止」の連絡メールが発信されるところですが、氷のような沈着冷静さと炎のような執念を兼ね備えたN隊長からの指令は「予定通り、7時ちょうどのスーパーあずさ1号に乗車せよ」。夏のプロジェクトは、「秘湯を守る会の温泉宿」に、「余りハードでない登山」を掛け合わせ、それに路線バスの運行時刻、梅雨の時期の不安定な気象条件下のバックアッププランを検討要素に加えるという極めて高度な計画策定能力が必要とされるプロジェクトです。N隊長が2ヶ月かけて練り上げた計画が、直前の土砂災害の為に水泡に帰してしまいました。それでも、諦めないのがN隊長です。わずか一日で見事な代替プランを描きあげてきました。6月25日午前7時スーパーあずさ1号の発車のベルとともに、我々の行き先不明のミステリーツアーがスタートしました。(BGM ♪Magical Mystery Tour by Beatles)
ところで、今回のプロジェクトのコンセプトと命名には悩みました。東北への旅は断念したものの、少しでも被災地のことを考えようと、種々の頭文字を組み合わせたTohoknyという造語を作り、東北の被災地に想いを馳せることを今回のプロジェクトのコンセプトとしました。
このコンセプトの下、シェフパTが東北の物産館を巡って集めてきた今回の食材(写真)は、会津産ひとめぼれ、相馬沖産ちりめん、福島名産紅葉漬け、いわき産揚げかま、岩手産いくら、福島産ズッキーニ、会津産タマネギでした。この食材で何が出来るのやら。

2011年6月24日金曜日

世界への道、途切れず - クウェート戦

1-2の敗戦ながら、2試合合計得失点でクウェートを上回り、日本がロンドン五輪アジア最終予選への進出を決めました。結果的にホームでの大迫のダメ押し点が効きました。そして、なんと言っても、アウェーでの先制点。東からのフィードに走り込んだサイドバック酒井の見事なループシュート(写真)。酒井はホームで自らのミスをきっかけにアウェーゴールを奪われていただけに、期するものは大きかったと思いますが、冷静なゴールでした。
それにしても厳しい戦いでした。まず、クウェートが別のチームになっていました。ピッチ全体を使った大きな展開。壁パスを多用したゴール前でのスピードに乗った攻撃。3点目が入ってもおかしくない迫力ある攻めでした。日本代表は、ディフェンスラインの押上げが出来ず、クリアボールをクウェートに拾われては、波状攻撃を受け、防戦一方の展開。前線の永井までパスを通せず、最後まで永井のスピードを活かせませんでした。相手の10番がスピードとテクニックがある選手で、裏をつかれるのを怖れて慎重なラインコントロールに終始していました。運動量が少なかったのも気になりました。自分たち本来のプレーが出来なかったのは灼熱の暑さと荒れたピッチのせいばかりではないと思います。まだ、自信とその裏返しの勇気が欠けているのかもしれません。豊かな才能を有しながらも「世界を知らない」世代が、最終予選を突破し、世界への扉を開く為には精神面での成長がカギになりそうです。

2011年6月23日木曜日

長友語録 - 全てを動かすのは「心」

報道ステーションでインテル長友選手のインタビューが放映されていました。インテル移籍後順調にレギュラーに定着した感がありますが、その裏側での葛藤が本人の口から吐露され、いかにしてそれを乗り越えたかが語られた内容の濃い企画でした。
ローマ戦途中出場でのデビュー戦。日本の新聞は「短かい出場時間ながら積極的に攻撃に絡み、勝利に貢献」とこぞって長友を持ち上げていましたが、地元紙ガゼッタ・デロ・スポルト紙の評価は5.5と平均以下。しかも「臆病、組織に馴染んでいない、プレーの精度が低い」とメッタ斬り。長友自身は「インテルというビッグクラブのプレッシャーの為に自分のプレーが出来ず、消極的になってしまった」とこのデビュー戦を振り返っています。確かに報道ステーションで編集された試合映像を観ると、前にスペースが広がっているにも拘らず、自ら仕掛けずに安易に味方のプレーヤーにボールを預けるシーンが目立ちました。日本代表などでお馴染みのスペースに切り込んでいく長友本来の姿が影を潜めていました。この状態は次の出場機会でも改善されず、以降2試合長友に声が掛かることはありませんでした。長友は「気持ちが消極的になっていた訳ではなく、実際にスペースが見えていなかった」と語っています。プレッシャーの為に余裕を失い、視野が狭まっていたという訳です。長友は、エトーやスナイデルなどのチームメイトが素晴らしいプレーを当たり前のように繰り出している姿をベンチから眺め、技術やフィジカルの差ではなく、心の在り様の差を見出します。心に余裕があるからこそ、試合のプレッシャーの中でも自分のプレーが出来る。「全てを動かすのは『心』」と彼は言います。心に余裕がなければ、周りも見えないし、身体も動かない。この心の在り様は、多くのスポーツ選手から聞かれるところです。「あれだけ厳しい練習に耐えてきたから・・・」「この監督の下であれば・・・」と、精神的支柱を見出して、心の安定を確立していくなどなど。長友選手のユニークなところは、感謝の心を持つことで、心の余裕が作り出せるという考え方です。「毎日食事が出来ることに幸せを感じ、サッカーをさせてもらっていることに感謝する。感謝するというのは、感謝する相手が見え、判るということ。視野が広がり、そこに心の余裕が生まれる。」独特の精神論ですが、結果が全てをもの語っています。デビュー戦での長友を酷評し、5.5と採点したガゼッタ・デロ・スポルト紙も、シーズンを通しての評価として、7.5という極めて高い点数をつけ、来期の更なる活躍を期待しているというコメントを寄せていました。
余談ながら、インタビュアーはミスター・エスパルス、澤登正朗。的確な質問と分析、そして、後輩に対しても丁寧語を貫く姿勢には好感が持てました。監督として戻ってきて欲しい人材です。

2011年6月20日月曜日

世界への第一歩 - 五輪予選開始

U-22五輪予選が始まりました。(写真は1ゴール1アシストと大活躍の清武)ホームでの3-1の先勝。ゴールはいずれもワールドクラスのビューティフルゴール。普通なら「快勝」と手放しで喜んでいいところですが、ホーム&アウェー、アウェーゴール2倍ルールでは、微妙なスコアとなりました。第2戦が1点差の負けでも勝ち上がりという有利な条件ではありますが、中東でのアウェー戦という独特の雰囲気の中で先制点を許してしまうと、とたんに浮き足立ってしまう不安が残ります(追加点を与えて2-0の負けならば、予選敗退)。逆に先制点を奪えば、クウェートの戦意を喪失させることになります。2-0での勝利を狙って序盤から前がかりになってくることが予想されるクウェートに対し、冷静にその裏をつく攻撃を仕掛けられるか。このチームの精神的成熟度が試されそうです。捻挫が治癒していれば、永井のスピードが絶好の武器になるのですが。
今回の五輪代表世代は、アジアの壁に阻まれ、U-17W杯、U-20W杯への出場を逃しています。いわゆる、「世界を知らない世代」です。それだけに、五輪出場にかける思いは強烈なものがあります。それが逆にプレッシャーにならなければいいのだがと心配するのは、今の若い世代には取り越し苦労でしかないのかもしれません。永井、大迫、山崎、原口という多彩で強力なFW陣(今回招集されていない宇佐美、宮市もいます)が、世界への扉を文字通りぶち抜き、世界デビュー戦の五輪の舞台でとんでもないことをやってくれそうな予感に似た期待があります。

2011年6月19日日曜日

ヨースケの憂鬱 - 浦和vs清水

埼玉スタジアムは雨です。このところ、J観戦はことごとく雨に祟られます。ただ、このスタジアムの凄さは、前から3列目でも屋根のお陰で雨に濡れずに観戦できるというところです。
清水は、小野・高原が先発、永井が途中出場と浦和OBのオンパレード。浦和も清水から移籍の原の投入で応酬。お目当ての選手オンパレードの一戦でした。ゲームはカウンター合戦となり、展開力に優る清水がアウェーで3-1の快勝。浦和はポジションチェンジに加え、システムを目まぐるしく変え、清水の守備陣を混乱させようとしますが、むしろ、自ら混乱に陥っている感がありました。一時は、FW登録選手が5人という超攻撃的布陣を敷きますが、連動性を欠き、攻撃に厚みとスピードが出ません。結局、梅崎の個人技による1点に留まりました。個々の能力はあるのに噛み合わない。浦和は深い悩みの底にいます。その中で、もがいているのが柏木洋介(写真)です。本来はトップ下でタクトを振りたいところですが、自らのチームの攻撃陣にかえってスペースを消される形となり、右サイドハーフのような位置に張り出して、ボールを待ちます。慣れない位置取りで、不得手な右足からのキックミスやボールを持ち替えようとしての、タイミングの遅れなど、決して満足のいく出来ではありませんでした。試合終了後バックスタンドに挨拶にきた浦和イレブンにサポーターから心無い野次が。血相を変えて、スタンドににじり寄り、何やら応酬する柏木。異様な光景でした。
柏木は、2007年U-20W杯カナダ大会ベスト16の「調子乗り世代」日本代表チームの中心選手でした。チームメイトには、内田、槙野、安田、香川がいます。海外で活躍する彼らに置いていかれた形になっている焦りもあるのかもしれません。ただ、まだ23歳。もう一度、輝きを取り戻して、調子に乗っていって欲しい選手です。

2011年6月16日木曜日

「非現実的な夢想家」の逆襲

作家の村上春樹氏がスペインのカタルーニャ国際賞を授賞しました。その授賞式でのスピーチ(写真)のリンクをFacebookで色々な方から紹介頂きました。感動的且つ示唆に富んだスピーチですので、是非ご一読下さい。ブログのタイトルはスピーチのタイトル「非現実的な夢想家として」から頂いたものです。「の逆襲」というのは、何となく、村上春樹っぽくありませんか?「村上朝日堂の逆襲」ってありましたね。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html
バルセロナで行ったサイン会でのエピソードで聴衆を沸かせた後、彼は東日本大震災につき話し始めます。「地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。」という表現など正に村上ワールドです。彼は、24,000人もの犠牲者が出た大災害の後にも拘らず、東京では13百万人が「普通に」生活している現状を、「無常(mujo)」という言葉で説明しています。「いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない」「この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける」という「無常」の世界観が、日本人の精神性に強く焼き付けられており、これが「人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ」というあきらめの世界観に繋がっていると語っています。更に、その世界観が日本人の美意識にも深く影響していると。日本人が、桜、蛍、紅葉を愛するのは、それらが一瞬にして消え去ってしまう儚さ故である。そして、日本人が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かであり、今回も復興に向けて立ち上がっていくだろうことを確信していると述べています。
問題はここからです。彼は一挙に原発問題に踏み込みます。原子力爆弾による被害を体験した唯一の国であり、核への根強い拒絶観を有していたはずの日本が再び原子力による悲劇を招いてしまった。これは、高度成長期の「効率信奉」と「技術力神話」の下で、原発を容認してきた日本国民の倫理と規範の敗北であるとしています。そして、原発反対を唱えていた人々は「非現実的な夢想家」のレッテルを貼られて斥けられてきたのだと。日本人はその修復を図っていかなければならない。被災した道路や家屋の修復はその専門の人々の仕事であるが、損なわれた倫理や規範の修復は国民全員の仕事である。以上が論旨です。村上春樹氏の決然たる脱原発宣言であり、日本国民への呼びかけです。
今回の原発事故は、40年前の技術の限界と40年間安全性の点検・向上をおざなりにしてきた怠慢の結果でもあります。現在の技術力をして原子力の制御は何処まで可能なのか。安全性は何処まで担保出来るのか。これらを謙虚な姿勢で検証するプロセスを経て、確信の持てる解答を得られないようであれば、村上春樹氏の唱える「損なわれた倫理と規範の修復」を国民全員で進めていくべきでしょう。

2011年6月14日火曜日

自信と誇り 続編

日本代表、自信と誇りの系譜について、もう少しだけ語りたいと思います。(写真は反町姫から送付のあった新潟でのペルー戦)
自信家、自信過剰、プライドが高いなど、謙譲の美徳の国では、そもそも、自信やプライドはネガティブに受け止められがちです。尚且つ、戦後教育の中で日本国民としての誇りは徹底的に封じられて来ました。日本人の美学である武士道の精神性の本質は自らの名誉=自尊に深く根差すものです。しかし、その自我の意識は西洋の個人主義とは根本的に異なり、共同体との同化の中で自らの精神の修養を図るというサンデル教授のコミュニタリアニズムにも似た精神構造をとっています。したがって、個人と組織を対立概念で捉え、個の封印を強要したトルシエも、個の解放を目指したジーコも、日本人の本質を理解するには至っていなかったといわざるを得ません。「日本化」を唱え、「ボールも人も動くサッカー」=「献身と連動のサッカー」を目指したオシムは、「日本のサッカー」に最も近づいた代表監督でした。そして、岡田監督。スペインサッカーを目指して、挫折と失意の末に辿りついたのは、「献身と自己犠牲のサッカー」。献身を通じての自己実現は、日本人の精神性にフィットする事を思い出させてくれました。自らの精神性の発露の結果として掴み取ったBest16。そして、更に大きな収穫は日本のサッカーというものへの自信と誇り。2010年南アW杯は、日本サッカー界にとっての分水嶺だったと思います。日本サッカーへの自信と誇りに、海外に雄飛した選手達の個々の自信と誇りが上積みされ、土台のしっかりしたチームとなったのが、今の日本代表の姿です。ただ、ようやくサッカー先進国の末席に辿り着いたといったところです。日本らしいサッカーでどうやって勝っていくか。これからが本当の勝負といえます。自信と誇りには進化のDNAが組み込まれています。多少の行きつ戻りつは覚悟すべきでしょうが、大いに楽観しています。

2011年6月11日土曜日

Samurai Blue - 自信と誇り

国歌演奏の際に選手もベンチも肩を組む姿は、南アW杯以来すっかりお馴染みの光景となりました(写真は、チェコ戦国歌斉唱時)。全員で戦う気持ちを確認しようと闘莉王が提案したものだといいます。
チェコ戦の先発メンバーの背中を眺めていると、3年前の北京オリンピックを思い出しました。チェコ戦の先発メンバーのうち、吉田、長友、内田、本田、李、岡崎と6名が北京で惨敗し、挫折を味わったメンバーです。世界の壁に跳ね返された彼らですが、その後、W杯、アジア杯での活躍を経て、世界に巣立っていきます。北京五輪組のうち、先発の6名に加え、ベンチスタートの安田、細貝が現在海外でプレーしています。チェコ戦での彼らのプレーには、北京以降の3年という歳月を遥かに越える成長を感じました。日本代表というチーム自体、南アW杯直前の自信喪失の状態から、W杯Best 16、アジア杯優勝という戦績を通じて、大きな自信と誇りを手に入れました。この2つは、願って得られるものではなく、努力のみでは手に入れることが出来ないという厄介なものです。ただ、一旦手に入れると、これ程強力な武器はありません。成長を促すジャンピングボードになりますし、実力を確実に引出し、増幅するアンプの役目を果たします。仮に同じ実力値の選手同士が対決した場合、自信の無い選手はその実力の半分も発揮出来ないのに対し、自信溢れる選手の場合は、時として実力以上の力を発揮し、更なる成長を遂げていくという具合です。しかし、自信は繊細で脆いものです。それを支えるのが誇り、プライド。海外での生活・戦いを通じて、彼らは自立心という堅牢な器を手に入れました。そして、成功体験・勝利の積重ねが、その器にしっかりと自信と誇りを注ぎこんできたのです。
前置きが長くなりました。ペルー戦でこそ3-4-3の新システムに囚われていた日本代表でしたが、チェコ戦ではそれなりの解釈を示してくれていました。ザッケローニが、日本代表の飲込みの速さに驚いていたということですが、日本代表を見続けてきたサポーターにとってはそれ以上の驚きでした。これまでの日本代表は、システム・戦術というものには極めて過敏でした。如何にシステム・戦術を忠実にこなしていくかが目的化してしまいがちでした。システムへの隷属は、自信と誇りを抑えます。フラットスリーの型に押し込めようとしていたトルシエは、選手が自立し、自信と誇りを持つことを嫌う監督でした。ジーコは選手の自主性を説きましたが、日本代表をトルシエの呪縛から解き放つに至りませんでした。と、話は佳境ですが、長くなり過ぎてしまいましたので、続きは、次回で。

2011年6月7日火曜日

チェコ戦 - トルシエの残像

歴代の日本代表監督で私の最も苦手な人物はフィリップ・トルシエです。大本命ベンゲルにふられた後、なし崩し的に同じフランス人に決まった不透明な選考過程もさることながら、傲岸不遜な態度には受け入れ難いものがありました。しかし、その一方で、その業績が歴代監督の中でNo.1であることも認めざるを得ません。アジア杯優勝、シドニー五輪ベスト8、日韓W杯グループリーグ突破。何よりもナイジェリア世界ユース準優勝は日本サッカー界の金字塔でもあります。トルシエの代名詞といえば、フラットスリー。当時はこの奇抜なシステムをトルシエマジックとして期待を抱いて見守っていましたが、今にして思うと、とても世界には通用するはずの無い無謀な守備陣形だったと思います。ザッケローニは人格的にはトルシエの対極に位置する人物です。エキセントリックなトルシエに比べて落ち着いた佇まい。全てが「俺が、俺が」のトルシエに対して、常に「チーム」が主語となるザック。(トルシエは、アジア杯でFKからのサインプレーによる名波の芸術的なボレーシュートが決まった瞬間、ベンチに向かって「見たか、オレのゴールだ」と吠えたそうです。)ザックの代名詞3-4-3も危険をはらんだシステムであり、不安が無い訳ではありません。5バックになってしまい、押し込まれっ放しになってしまう危険性。眼前の事象への対処よりも原理原則を優先してしまいがちな日本人の生真面目さ故の危うさ。勿論、自信という最強の武器を手に入れた本田、香川、長友らの若きサムライブルーが、3-4-3に囚われること無く、それを自由に操れれば、間違い無くトルシエの記録を塗りかえ、私もトルシエの残像から逃れることが出来るのですが・・・。
さて、チェコ戦ですが、まずまずだったのではないでしょうか。若き日本代表は予想以上に大人でした。新しいシステムを自分達なりに消化していました。開始直後は、3-4-3の攻撃的布陣(写真)で押し込み、その波が途切れかけるとみるや、気遣いのウッチーが引き気味にポジションを下げ、4-4-2のフォーメーションへ。前半終了間際に、3-4-3に戻して、再度猛攻。こんなサッカーが出来るようになったのかと思うような大人の戦い方でした。ただ、ハーフタイムにかなり活を入れられたのか、後半は、内田もポジションを下げずに、3-4-3のままの布陣での攻防。チェコのスピードの無さに助けられて、失点こそなかったものの、守備には課題を残しました。しかし、攻撃面では、中盤でのノッキング気味のパス回しで、攻撃の厚みを十分に活かすことが出来ませんでしたが、目指す方向性は見えていました。終始引き気味のチェコとの対戦は、W杯アジア予選のアジア勢との戦いのいいシミュレーションになったと思います。3-4-3のシステムは、アジアでの戦いにおいてこそ有効だと思います。

2011年6月2日木曜日

ペルー戦 - 3-4-3と予定調和

互いにコンディションの整わない中、スコアレスドローというのは、互いに悪い結果ではないし、妥当な結果だったのではないでしょうか。ザックの試した3-4-3は一見分かり易いシステムです。3人で攻め、3人は専守防衛。4人はボールの位置次第で、上下動を繰り返すといった具合です。小学校のキックアンドラッシュを卒業した中学時代のちょっと大人的なサッカーがこんな感じでした。ピッチを縦横に各々3分割し、それぞれがその1区画に責任を持つというのが基本でした。勿論、ゲームが始まるとみんなボールに群がり、ポジションどころでは無いのですが、システムとポジションに妙にこだわったものでした。自らの役割が明確な3-4-3は日本人気質に合っているのかもしれません。日本代表の前半の戦い方は、ペルーと戦っているというよりは、如何にシステムの約束事をこなしていくかに汲々とし、あたかもシステムという見えない敵に立ち向かっている感がありました。しかも、ザックの3-4-3は超攻撃的、かつ、流動的に他のフォーメーションに変化させていくという極めて高度なシステム。その完成はW杯本戦直前となるのではないでしょうか。
後半終了間際のペルーの猛攻を際どく凌ぎきり、ラストプレーでゴール前のFKを獲得。不謹慎にも、かつてのプロレスの展開を連想してしまいました。しかしながら、伝家の宝刀、遠藤のFKはゴールマウスの左にそれ、予定調和の結末ならず(写真は予定調和の神様、アントニオ猪木)。結果は無得点のドローと多少フラストレーションは残りましたが、そんな余裕を持った観戦が出来る程、日本代表の戦い方は安定していました。明らかに精神的に一皮むけた感があります。
ちなみに、昨夜の観戦は吉祥寺のスポーツバーHUB。オリジナルエールビアがいけました。