2013年2月24日日曜日

日本サッカーの明日

御茶ノ水のサッカーミュージアムで、サッカー検定特別表彰式と記念トークショーが開催されました。1級から4級までの成績優秀者が表彰されたのですが、その中でひと際目をひいたのが4級最年少合格者、9歳のA少年。半ズボン・詰襟の学生服姿はどこかの名門小学校なのでしょうか。インタビューの受答えも堂々たるものでした。表彰式の後で開催されたトークショーのパネラーは、日韓戦伝説のFKの木村和司氏に理論派スポーツライター金子達仁氏。2人の対照的なトークを裁くのはサッカージャーナリスト中西哲生氏。最初のテーマは、お決まりの日本代表の評価。木村氏が広島弁で「今の日本代表はすごいのう。ちゃんとポゼションが出来とる。見てて楽しいもんのう」金子氏がオリンピックでの光景を引合いに出して、こう続けます。「スタジアムで、日本人ではないアジア系の人が日の丸のフェイスペイントをして、日本を応援していた。これまで、アジアでは憎まれ役だった日本チームでは考えられなかったこと。今の日本のサッカーは他の国の人達も応援したくなるような面白いサッカーをしている」また、なでしこの世界での活躍が今後の日本サッカーにはとても大きな力になっているとのことです。「僕らの時代にはW杯に出ることすら夢のまた夢だと思っていた。ところが、1998年、2002年と連続してW杯を経験したことで、W杯は出て当たり前の雰囲気が出てきた。意識の変化は、日本サッカーが成長する上でとても大きい。なでしこのW杯優勝、五輪銀メダルは、女子サッカーの世界のことであり、男子サッカーは別と考えがちだが、小学生くらいでは男女の区別は意識しないはず。彼らにとっては男子サッカーのW杯優勝はたやすく想像できることであり、彼らが主力となる10数年後は、日本代表が世界の強豪の仲間入りしていることは十分ありえることである」(金子氏談)。それにしても、3人が口をそろえたのが、ストライカー不足。世界に通用するストライカーは釜本氏以降出ていないし、今の若い世代にも可能性を感じる選手がいないとのこと。見本となる一流ストライカーをJリーグに集めることがその打開策になるというのは面白い意見でした。最後に金子氏から9歳のA少年にメッセージ。「このままサッカーを好きでいて欲しい。プロサッカー選手になれなくとも、サッカージャーナリストという職業もあるし、サッカーチームの経営という人材も益々必要になってくる。将来、何らかの形でサッカーに関わっていって欲しい」日本サッカーの成長の為には、プレーヤーの技術向上とともに、サッカー界を支える基盤の強化、サッカー文化の向上が必須なのです。写真は、イベントの後に観覧したサッカーミュージアムの展示のひとつ、なでしこジャパンのエース川澄選手の代表ユニフォームです。彼女たちがドイツの地で開かせた大輪の花は、その後、無数の綿毛になってその種子を日本全国に運んでくれたのです。それらを大事に育んでいくことが、サッカーサポーターの使命でもあります。その使命を担ったサッカーの魅力の伝道師達。何故か会場にマドラスチェックのネルシャツ、大きめリュック姿のアキバ系ファッションが目立ったのが、若干不安ではありました。

2013年2月17日日曜日

拓郎 「雪」

鹿児島生まれ、広島育ちの吉田拓郎だけに、雪の歌は多くはありません。ただ、以前ブログで取り上げた「外は白い雪の夜」(クリックでリンク)は、拓郎ファンの中で1、2の人気を争う名曲ですし、フォークグループ「猫」に書き下ろした「雪」も如何にも拓郎らしい余韻が残る名曲です。この曲に関しては、オールナイトニッポンGoldの中で拓郎自身「これこそがラブソングだ」と自画自賛しておりました。恋心とは胸が切なく痛むものであり、そのどうしようもない切なさを歌うのがラブソングだと。最近のラブソングは、「いつも君の傍にいてあげるから」とか「君を支えてあげるよ」といった妙に冷静に愛を歌い上げるものばかりだと嘆いていました。そして、そんな「愛」の歌は、どんなに頑張っても、Simon & Garfunkleの「明日に架ける橋」を絶対に超えられないんだと。
「♫雪でした あなたのあとを なんとなく ついて行きたかった 振り向いた あなたの瞳は 早くお帰り 坊やって言ってた」
この歌にはモデルがいたそうです。デビューしたての拓郎が、地方ラジオ局の番組にゲストとして出演した際、番組終了後居酒屋で女性ディレクターと二人で酒を酌み交わしながら、将来の夢を熱く語ったそうです。お店を出ると外は一面の雪。そのほのかな雪明りの中を彼女は歩いて遠ざかっていきます。その背中を見ながら、急にこみあげてくる切ない思い。拓郎は、追いかけていって背中から抱きすくめたい衝動を必死で抑えます。「♫雪国の 小さな街に そんなわたしの 思い出がある」
写真は、先日訪れた北海道定山渓温泉の神社で行われていた雪灯路です。神社の境内に2,000の雪灯が燈され、幻想的な世界を創り出していました。すべてのものを白く包み込んでしまう雪は、まるで過去の日々を覆いつくし、消し去ってしまおうとする残酷な時の流れのようです。雪灯はかすかな記憶の中に切なく灯る思い出。「♫夢でしょうか あの日のことは 雪を見るたびに 思い出す」

2013年2月11日月曜日

Made in Japan - 小樽にて

NHKのTVドラマ「メイド・イン・ジャパン」は見ごたえのあるドラマでした。欲をいうならば、3話完結にせず、せめて1シーズン12回の連続ドラマとし、もう少し時間をかけてじっくりと見せる展開にして欲しかったということでしょうか。日本のモノづくりとは何だったのか、メイド・イン・ジャパンの凋落は何故起こったのか、今や日本の市場から脅威へ変貌した中国とどのように向き合っていくべきなのか。色々考えさせられたドラマでした。場面場面に散りばめられた昭和の香りも郷愁を誘ってくれました。太田裕美の歌う「タクミ電機社歌」。舌足らずの歌声、懐かしく耳に残りました。
ところで、この週末、小樽に行って来ました。小樽運河の南に広がる石造りの倉庫群は、おしゃれなガラス細工やオルゴール工芸のお店に生まれ変わり、女性に人気の高い観光スポットとなっています。写真は、その街並みの中心に位置するメルヘン交差点に立つ高さ5.5mの蒸気時計です。15分おきに汽笛で時を告げます。後ろの煉瓦造りの建物は小樽オルゴール堂。店内には無数のオルゴールが並び、繊細な音色を奏でていました。メルヘン交差点の北側には北一硝子直営のガラス細工店、地酒店、カフェなどが軒を並べています。北一硝子は1901年創業の老舗で、もともとは石油ランプのメーカーです。今でもランプの製造は続けており、電気の通じていない秘湯の宿や山小屋ではお馴染みのブランドです。現在では、高級グラスからアクセサリー、ステンドグラスなどのインテリアまで様々なガラス製品を製造・販売しています。北一硝子のグラスはすべて職人の手作りで、一つ一つが微妙に色合いが異なり、その匠の技は感嘆のため息を誘います。オルゴールにせよ、ガラス細工にせよ、メイド・イン・ジャパンの根底にある職人の「美と品質へのこだわり」を感じさせます。また、この小樽という観光スポットそのものが、100年以上前の歴史と伝統の建造物の中に最先端の技術やセンスを綺麗に収めたメイド・イン・ジャパンの神髄を感じさせます。小樽では、欧米やアジア諸国からの多くの旅行客を見かけました。彼らにとって小樽はとても居心地の良い「日本らしい日本」なのでしょう。今回訪れた札幌、定山渓、小樽。どの土地の人達も、とても親切でした。「Hospitality=おもてなし、一期一会」の心もメイド・イン・ジャパンです。
実は、小樽オルゴール堂は、親会社のブルーハウスがバブル崩壊後の経済不況の中で1997年自己破産した際、連鎖倒産をしましたが、存続を望む多くのファンの後押しを受けて、会社更生法の下再建を果たしたという歴史があります。失われた20年間、日本はコスト競争に身を擦り減らせてきましたが、日本の職人の美や品質へのこだわり、そして、日本人のHospitalityこそ、世界に通用し、世界で求められているものなのではないでしょうか。メイド・イン・ジャパン復活のヒントを小樽で垣間見たような気がします。