2009年9月27日日曜日

名波とNakata - ドイツW杯の分析①

スポーツジャーナリスト小松成美の書いた「誇り」という作品があります。中田英寿のドイツW杯から引退に至るまでを描いたノンフィクションです。中田英寿を通してフランスW杯を描いた「鼓動」は読んでいましたが、この作品はドイツW杯での日本代表の惨敗のショックをひきずって眼を通していませんでした。今回、文庫本になったのを期に、そして、南アW杯に向かい合う為に、読んでみることにしました。
まず、驚かされたのは、ある意味でライバル関係にあった名波浩が解説を寄せていたことです。その中で、豪州戦の敗戦の後、激励にボンの練習場を訪れた名波に、中田が「ナナがいればなあ」との言葉をかけ、また、この大会を最後に引退すると言っていたことを明かしています。
名波にとって、中田の「ナナがいればなあ」との言葉は全くの想定外だったということでしたが、その言葉が外交辞令ではなかったことが、本編で明らかになっています。まさに、ドイツでの日本代表の惨敗の原因がこの言葉に凝縮されていたのです。
フランスW杯を中田、川口、小野と一緒に戦った名波は、この世代が円熟期を迎えるドイツW杯には日本代表が最強チームで臨めると予言していました。そして、予言通り2006年のチームは最強のメンバーだったことは間違いありませんでした。フランスW杯のメンバーと比べて個々の能力は格段にアップしていました。しかし、ある重要な要素を決定的に欠いていました。中田はそれを「信頼」という言葉で表現しています。「98年のチームには大きな安心感があった。俺がどんなプレーを仕掛けても、それを理解してくれる信頼があった。あのチームにはナナがいたんだ。彼がいてくれたから、俺はリスクを負ってでも前に行けた。信頼で結ばれたチームの強さを実感できたよね。」2006年のチームは、共通のビジョンを欠き、そして、結果として信頼を欠いていました。ジーコが求めたものは「自立」と「自律」であり、与えたものは「自由」でした。しかし、「自分たちが責任を持ち、自分たちのサッカーを構築していくのは、まだちょっと早かったのかな」と中田は回顧しています。そして、「日本のサッカーが世界に通用しなかったのではなく、自分たちの力を100%出し切れずに終わった」と総括しています。フランスのピッチで中田の力を存分に引き出した名波や山口に代わる存在を欠いたこと、そして、リーダーたる中田自身がその存在になり得なかったことが、日本代表最強チームの悲劇でした。中田はこう告白しています。「これまでサッカーを20年やってきて、はっきり分かったことがあるんだよ。それはね、おれの性格が団体競技には合わないっていうこと。」
南アを戦うチームに「ナナ」はいるのでしょうか?「共通のビジョン」「信頼」は築けているのでしょうか?その検証の前に、もう少しドイツW杯のチームを振り返ってみたいと思います。あの天才プレーヤー小野の存在が決定的な負の役割を果たしてしまったのではないかという懸念が振り払えずにいるからです。(続く)
(写真は、ブラジル戦後ピッチに横たわる中田に声をかけるアドリアーノ。パルマでチームメイトだった彼はイタリア語でこう声をかけたそうです。「ヒデ、人生には涙を流すときもあれば、笑うときもあるさ」)

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