2012年1月28日土曜日

流星 ‐ 僕の欲しかったものは何ですか

TVから懐かしいメロディーが流れてきました。吉田拓郎の名曲「流星」。歌っているのは手嶌葵。映画「コクリコ坂から」の主題歌を歌った女性シンガーです。TVで流れていたのはリコーのCM(写真)。働く人々の姿に子供の頃なりたかった職業名を重ねて「子供の頃見ていた夢とは違うかもしれない。だけど、この仕事で本当の自分になれた」というキャプションが流れます。「♪たとえば僕がまちがっていても 正直だった悲しさがあるから ・・・流れて行く」といういかにも拓郎らしい字余りの歌い出しで始まるこの曲は、1979年にリリースされています。この頃の拓郎は、フォーライフの社長として赤字に苦しむ独立レーベルの経営を手掛ける一方、キャンディーズや石野真子に曲を提供するなど、作曲家としての道を歩み始めていました。社長としての初仕事は井上陽水の大麻所持事件での謝罪会見でした。そして、私生活でも2年前に浅田美代子と再婚したばかりでした。

「♪さりげない日々につまずいた僕は 星を数える男になったよ ・・・流れていく」富と名声、可愛い奥さんと、すべてを手に入れ、更に活動の幅を広げた当時の拓郎は、第三者的には絶頂期というべきでしょうが、当の本人はどこか拭い去れない違和感を感じていたようです。
「♪心のどこか忘れもの ただそれだけでつまはじき 幸福だとは言わないが 不幸ぶるのはがらじゃない」四畳半フォークと一線を画し、フォークの枠に囚われない自由な活動を行うのが、拓郎のポリシーでしたが、その中で大事なものを置き忘れてきてしまった喪失感があったのでしょう。
「♪流れる星は今が綺麗で ただそれだけに悲しくて 流れる星はかすかに消える 思い出なんか残さないで」この「流星」に続いて「外は白い雪の夜」「唇をかみしめて」という珠玉の名曲を発表しているのですが、ヒットには繋がりませんでした。また、3年後にはフォーライフの社長を退任すると共に浅田美代子との結婚生活も破局を迎えています。拓郎は当時の自分自身に流星の運命を予感していたのかもしれません。
「♪君の欲しいものは何ですか」はこの曲のサビでリフレインされるフレーズですが、曲の最後は「♪僕の欲しかったものは何ですか」というフレーズのシャウトで終わります。拓郎のダミ声に心が揺さぶられます。でも、「風になりたい」もそうですが、女性がカバーすると、とても心に浸みる歌になるんですね。拓郎が33歳の時に投げかけた問いに、私は56歳を前にして答えようとしています。そして、今、思っています。「♪間に合うかもしれない 今なら」(「まにあうかもしれない」アルバム「元気です。」収録曲)
 

2012年1月21日土曜日

O君のクロール

正月休みからジョギングを始めました。そのせいか、体が若干軽くなったような気がします。一方で、このところ何かと気が重い出来事が続き、ブログの筆が進まず、すっかり間が空いてしまいました。そこで、2週間ほど前にフェイスブックに書き込んだ昔の思い出話を再掲させて頂きます。小学校時代の思い出です。小学校の級友にO君という寡黙で内気な少年がいました。どちらかというと、いじめられっ子でした。彼も僕同様泳ぎが苦手で、平泳ぎもままならず、犬かきで泳いでいました。そんな彼も夏休みの特訓の成果で、犬かきで25mを泳げるようになりました。担任の先生が彼の努力をホームルームで褒め、みんなも拍手で彼を讃えました。ここまでならば、ちょっとイイ話。ところが、同じホームルームでクラス対抗水泳大会の選手を選ぶことになり、自由形の泳ぎは何でもいいとの話から彼が自由形のクラス代表に選出されてしまいました。子供の無邪気な惨酷さです。O君は、それ以来、顔を時々水につけながら犬かきをし始めました。その方が少しは速く泳げると考えたのでしょう。でも、息継ぎの苦手なO君は、水から顔を上げる度にとても苦しそうに顔をゆがめていました。
水泳大会当日。きれいに晴上がった夏の終わりの日でした。泳ぎ自慢の他のクラスの選手達が、体をへの字に折って綺麗に飛び込む中、O君は、倒れこむ様にお腹を水面に打ちつけて、スタートを切りました。浮かび上がったO君の泳ぎに僕達クラスメイトは息を飲みました。彼は、いつもの犬かきではなく、何とクロールで泳ぎ始めたのでした。他のクラスからは爆笑が起こりました。それは、クロールというには、余りにもぶざまな泳ぎでした。右手が大きく湾曲して、歪んだ顔とともに高く持ち上がり、最後は力尽きた様に大きな音をたてて、水面に沈んでいきました。そして、左手は申し訳程度に肘と手首だけが水面に顔を出しました。バタ足はてんでバラバラで、不揃いな間隔で大きな飛沫をはね上げていました。他の選手達が泳ぎ切った後も、彼はまだプールの真ん中にいました。ほとんど溺れかけていながらも、少しずつ前には進んでいました。そのうちに「O、頑張れ」という先生の声援をきっかけに女の子達が「Oクン、頑張って」と口々に応援し始めました。ただ、僕達男子は何かとてつもなく大きなものを感じて、言葉が出ませんでした。それは、揺さぶられるような想いでした。ただ、感動というには不純過ぎ、悔しさや恥ずかしさがないまぜになった想いでした。何とかゴールに辿り着いたO君は、拍手の中でニコリともせず、ふくれっ面のまま、じっと秋色が漂い始めた真っ青な空を見上げていました。僕の記憶はそこで途切れています。あの時の僕が、プールから上がって来たO君に何と声を掛けたのか、どうしても思い出せません。

2012年1月11日水曜日

勝つサッカー - 高校サッカー決勝戦

高校サッカー決勝戦。年一回、国立競技場ロイヤルボックス横の特等席でサッカー観戦が出来る機会でもあります。このところ、決勝初進出のチームが続いておりましたが、今年は市船vs四中工という伝統校同士の対決。久々に無欲の勝利ではなく、優勝を狙って勝ち進んだチームが決勝の舞台に残りました。しかし、勝つサッカーに一日の長を有していたのは、市船(写真)でした。市船の先発はDF登録プレーヤーが11人中6人。登録のみで布陣をみると6-1-3の布陣となります。四中工も高い位置からの守備を徹底し、お互いに中盤でボールを奪っては奪い返されるという展開が続き、シュートまで持ち込めません。実際、前半のシュート数は市船の3本に対し、四中工はわずかに2本。しかし、そのうちの1本が開始1分のゴールであり、四中工はこの先制を守り切って、前半を折り返します。ハーフタイムの四中工監督の指示は「次の1点が勝敗を決める。2点目を取りにいけ」前半半ば過ぎから押され気味の展開であり、監督としては、もっと攻撃的にいけというつもりだったのでしょうが、選手達には市船に次の1点を取られてしまっては危ないという意識のみが残ってしまったようです。後半の四中工は更に慎重になり、中央を固め、大きなクリアを優先した為、そのボールを繋がれ、サイドを切り裂かれてピンチを招く結果となりました。ただ、この守備的戦法は功を奏し、残るはロスタイム2分。この2分間を四中工が守り切っていれば、開始1分で勝負が決まった決勝戦として記録に残るゲームとなっていたと思います。この試合を記憶に残るゲームにしたのは、市船の勝利への執念でした。残り1分での右サイドからのCK。市船は、GKを長身の選手で囲み、GKを無力化し、こぼれ球を押し込もうという清商戦で先制点を奪ったのと同じフォーメーションを取りました。このプレーでボールがエース和泉の前にころがってくるのが市船の強さ。最後も延長後半和泉がゴールを決め、市船が開始直後1分のドラマを終了直前1分のドラマに塗り替えました。市船のサッカーは、決して魅力的なものではありませんでしたが、市船の伝統を守る為に泥臭くとも勝つサッカーに徹するというのが就任初年度の朝岡監督の信念でした。その狙い通り優勝を勝ち取った朝岡監督が、来年どのようなサッカーを展開するのかのか、楽しみでもあります。

2012年1月7日土曜日

市原にて ‐ 昭和の名残り

1月3日、初めての市原臨海競技場でした。ジェフ千葉のかつてのホーム。駅から徒歩30分、席が狭い、トラックでピッチまでが遠い、海風が寒い、トイレが少ないと悪条件だらけのスタジアムでしたが、スタンドの向こうに見える工場の風景には何とも言えない風情がありました。昔は、古河電工の工員さんが仕事帰りにビール片手にサッカー観戦を楽しんでいたんだろうなと想いを馳せてしまいます。Jリーグ開幕に合わせて大規模改修されたのは平成に入ってからですが、昭和の香りを留めたスタジアムです。市原市は、命名権を募集しておりますが、ジェフ千葉がホームスタジアムをフクダ電子アリーナに移したこともあり、応募する企業が無い状況です。
高校サッカー3回戦、清商vs市船を観戦しに遠路遥々2時間かけて出掛けてきたのですが、その意気込みの甲斐なく、清商は0‐3の惨敗。2回戦の6‐0の快勝が嘘のようなゲーム展開でした。清水らしいけれんみのない真っ直ぐなサッカーは、はまると素晴らしいサッカーを展開しますが、相手のペースになってしまうと立て直せないまま負けてしまいがち。高いレベルながらも同系統のチームが多いことと、どの高校もベテラン監督が多い為に選手に試合中の柔軟な対応力が備わりにくいのが原因。また、チーム戦術重視の風潮の中で、一人で打開し、流れを変えようとする強引な選手がいなくなりました。その点、市船は自らのコンパクトなサッカーを封印し、高い位置でのプレスを徹底しながら、最終ラインは無理して押し上げず、清商のスピードで裏をつく攻撃を見事に封じました。このシステムにより攻撃のレパートリーは減りますが、得点はセットプレーからと割り切った戦術でした。そして、先制点と2点目はプラン通り清商の168cmと小柄なGKの弱点をついたセットプレーからの得点でした。市船は準決勝でも3ボランチにシステム変更し、大分の強力な攻撃力を封じています。魅力には欠けますが、勝つための大人のサッカーを見せられました。
ピッチ内では、サッカー王国静岡代表の面目を施すことは出来ませんでしたが、観客席はさすがでした。今回は、清商の試合がいずれも第2試合だったので、他校の応援席で3試合観戦させてもらいました。他校の父兄応援席は、いわゆるSoccer Mom中心で、攻撃時は「頑張れー」「入れてー」、ピンチの際は「キャー」「ヤメテェー」の連呼でした。清商の父兄席は至って冷静。「何やってんだか。だめだよぉ、前ばっか急いでも」「今日は周りが見えてないらぁ」はどうみても70代のお婆ちゃんのつぶやき。敗戦にも「しかたないらぁ。市船の方がいいサッカーやってたさぁ」サッカー処、清水は健在でした。これも昭和の名残りです。

2012年1月2日月曜日

迎春 - 天皇杯・高校サッカー

遅ればせながら、初春のお慶びを申し上げます。今年ほど、迎春の言葉が重い年はありません。日本全国で春の訪れを心から喜べる日が1日も早く来ることを祈るばかりです。ここ10年、元旦の恒例行事となっている天皇杯決勝観戦に、今年は女子サッカー選手権決勝観戦が加わりました。大晦日と1月2日の高校サッカー計4試合と合わせて、3日間で6試合のサッカー観戦。満腹状態です。振り返ってみると、まずは女子サッカー選手権決勝。INAC神戸は別格でした。アルビレックス新潟レディースも上尾野辺をはじめとして、闘志溢れるプレーで食らいつきましたが、個々のレベルの差は如何ともし難く、神戸の圧勝でした。特に沢のどこにでも顔を出す豊富な運動量と川澄(写真)の女子の枠を超えたスピードとボールコントロールは、世界チャンピオンなでしこの面目躍如でした。ただ、この圧勝でむしろ心配なのがなでしこジャパンの守護神海堀。国内試合ではほとんど守備機会のない試合が続くのは如何なものかと。J2同士の対戦となった天皇杯決勝。大熊、大木の両監督は南アW杯岡田ジャパンをコーチとして支えた知将同士という因縁対決でもありました。FC東京のスピードに乗った大きな展開が京都のコンパクトなサッカーを見事に打ち砕きました。FC東京はJ2での戦いを糧にかつての輝きを取り戻していました。復帰したルーカスの存在の大きさとスピードスター石川の完全復活を確認出来た試合でした。石川はジョーカーとして代表に戻ってきて欲しい選手です。一方の京都も最後まで大木監督らしいショートパスにこだわり、10代の選手をずらりと並べた布陣は魅力的でした。最後に清商。2回戦山陽戦は圧巻でした。両サイドのスピードを活かした縦へのロングフィードが面白いように決まり、また、風間君の30mのFKによるスーパーゴールあり、スーパーサブ160cmの小兵吉田君のぶっちぎりゴールありという完璧なゲームでした。吉田君のスピードは驚異的で、短距離で五輪も目指せる逸材といっても言い過ぎではないように思えます。いよいよ優勝候補市立船橋との戦い。今度こそ今大会唯一の163cm台GK志村君の守護神ぶりが拝めそうです。という訳で、市原臨海競技場に向かっています。遠い・・・。