2013年3月31日日曜日

ヨルダン戦 - いくつかの疑問

前々回のブログで取り上げたVVVフェンローのカレン(写真)、フェンローとは今季限りとのこと。貴重なゲームを観ることが出来たのかもしれません。ところで、前回のブログのアムステルダムアリーナツアーで一緒だったデンマーク人の学生と駅への帰り道W杯予選について話をしました。「Danish Dynamiteはどんな具合?」「デンマークは、欧州予選で6チーム中5位で、とても厳しい状況。明日のチェコ戦で勝てなければもうノーチャンスだよ。しかも、アウェイの戦いだし、かなり難しいと思うよ。日本は?」「もしかしたら、来週、世界最速でW杯本戦出場権を獲得するかもしれない。」と多少得意気に答えたのは、今にして思えば、驕りがあったのだと思います。結果は、デンマークは敵地でチェコに3-0の快勝。他方、日本はヨルダンに1‐2のよもやの敗戦。サッカーに絶対とか、簡単な試合は無いということを思い知らされました。それにしても、納得のいかない敗戦でした。既に試合前に豪州vsオマーンが引き分けていただけに、引き分けでも予選突破が決まる試合。アウェイでの戦いでもあり、カウンター狙いの守備的布陣で臨んでも良かったのではないでしょうか。結果的にスコアレスドローで予選突破を決めれば、ミッション・コンプリートだし、逆に勝てる確率が高かったのではないかと思います。イタリア人の得意な戦い方だと思いますが、日本にすっかり同化しているザッケローニとしては、そのような戦い方を潔しとしなかったのでしょうか。攻撃的な布陣でした。トップ下に憲剛、サイドバックに駒野を入れていたら、随分守備は安定していたと思います。1失点目のCKでのマークのズレも問題ですが、ほとんどセンターラインからのドリブルからそのままゴールを許した2失点目はあり得ない失点でした。中央にヨルダンの選手は誰もおらず、1人の選手だけを止めればいいわけですから、ボールを失った酒井が内側に戻り、吉田が並走して、ハイエルを外側に追い出し、今野と内田がゴール前まで戻っていれば、何のことはない場面でした。ハイエルはメッシでもC.ロナウドでもないわけですから。代表にも心のスキがあったのでしょう。もう一つスルーできないのが、この場面、抜かれた吉田がそのままハイルの独走を許したのに対し、解説の松木さんが「ファウルで止めなきゃねぇ。失点するよりは、イエローカードをもらった方が、ずっといいわけですから」と堂々と述べていた。それを言っちゃオシマイですよ、松木さん。
色んな意味でかなり血圧の上がったヨルダン戦だったが、冷静になってみると、豪州・オマーンがそれぞれ勝ち点を分け合ったことで、得失点差を考えると、サッカーに絶対はないといいながら、日本の予選突破は、ほぼ間違いない状況。であれば、とにかく、自らのサッカーにこだわったザック采配もアリ?

2013年3月25日月曜日

No Ajax No Life

世界各国のプロサッカーリーグは、2強か3強の名門チームが常に優勝争いを繰り広げ、その他のチームが優勝することは滅多に無いというのが常態化しています。毎年優勝チームが変わる群雄割拠状態のJリーグの様な例は極めて珍しいようです。オランダのエールディビジもアヤックス、フェーエノールト(かつて小野伸二が在籍)、PSV(かつて朴智星が在籍)が3強を形成し、その中でもアムステルダムを本拠地とするアヤックスは、圧倒的な人気を博しています。アヤックスは欧州チャンピオンズリーグを4度制し、世界クラブチャンピオンにも輝いた強豪クラブですが、日本でマスコミに取り上げられることは滅多にありません。最近では、「東日本大震災直後にアヤックスが清水エスパルスをオランダに招待して慈善試合を行い、その収益金が義援金として寄付された」というニュースが報道されたくらいでしょうか。
日本とは全くというほど接点のないアヤックスですが、ヨハン・クライフが育ったクラブとして私にとっては特別な意味合いを有するクラブです。ヨハン・クライフは、1974年のドイツW杯で、「トータル・フットボール」という当時としては画期的な流動的ポジショニングのサッカーを展開し、優勝した西ドイツを凌ぐ衝撃を残したオランダ代表チームの象徴的なプレイヤーでした。当時のアヤックスにおいても、欧州CL3連覇の偉業を達成し、当時の背番号14はアヤックスの永久欠番となっています。
帰国便までの数時間、躊躇なく、空港から数10分の距離にあるアヤックスの本拠地アムステルダムアリーナに向かい、スタジアムツアーに参加してきました。約1時間のツアーガイド、ヤンは根っからのアヤックスファン。アヤックスにつき、熱く語ります。スタジアム自体は、収容人数5万3千人とビッグクラブとしては決して大きくない規模ですが、整備の行き届いたピッチといい、18分で開閉する屋根といい、クッションの効いたシートといい、全てに素晴らしいスタジアムでした。信じられないほどの急こう配の観客席は、最後列でも臨場感があり、また、ロイヤルボックスの豪華さは、これが欧州サッカーの楽しみ方かと納得させられました。いつもはツアーのクライマックスとなるはずの更衣室は、当日ツアー直前にファン・ペルシー(!)他のオランダ代表が練習の為に使用していた為、見学不可となってしまいました。「ファン・ペルシーはまだいるのか」「スナイデルは来たのか」としつこく食い下がるサウジアラビアからのツアー客に、スタジアムガイドのヤンは、苛つきながら、こう吐き捨てました。「オランダ代表の試合は嫌いだ。明日は女子供がいっぱいここにやって来て、アヤックスのライバルチームの選手を応援するんだ。判るかい。このアヤックスの本拠地で・・・・。耐えられないよ。」これが、欧州クラブサッカーサポーターの心意気です。

2013年3月21日木曜日

VVVの憂鬱

フェンローは、オランダの中部、ドイツとの国境付近に位置する人口9万人の小さな町です。特に観光スポットがあるわけでもなく、日本では全く知られていなかった町でした。しかし、5年前に本田が地元のサッカークラブVVVフェンローに移籍して以来、吉田麻也、カレン・ロバート、大津と日本人プレーヤーの在籍が続き、日本でも名前だけは聞くようになり、観戦目当てに町を訪れる日本人も少なくないようです。たまたま、電車で1時間強のところにあるエルストという田舎町に缶詰めになることになり、週末を利用して観戦に行って来ました。Jリーグと同じように試合開始2時間程前にはスタジアムまでの道にサポーターの列が出来、その流れに乗っていけば、スタジアムに行けるだろうとタカをくくって駅前のレストランで軽食を取っていたところ、閑散とした道路には全く変化なし。已む無く、道を聞きながら、約20分の道のりをスタジアムに向かうものの、レプリカユニフォームなどのサポーターの姿は皆無。それどころか氷点下ギリギリ、風の影響で更に寒く感じる屋外には人影さえまばらです。しかも、スタジアムの周りにチケット売り場はなく、スタジアムショップも閉まったままでした。そのスタジアムショップが開いたのは試合開始1時間前。チケットはどこで買うのかと聞くと、「ここだ」と答えて、レジの下から座席の配置図を取り出します。どうも年間シートの会員がほとんどで、当日券を買う観客は極く少数のようです。無事チケットを購入し、とりあえず、スタジアム内に入ろうとすると、まだ開場はしていないとのこと。ようやく入場開始したのは試合開始30分ほど前でした。小さな町ですからみんなゲーム開始時間に合わせて来場するということもあるでしょうが、スタジアムに隣接して小さなダイニング・バーがあって、試合開始までここで軽食を取ったり、飲んでいたりするようです。コーヒーで暖まりたいと思いましたが、「ここは会員だけ」と断られてしまいました。スタジアムは収容人数7,500人のこじんまりしたサッカー場です。日本でいえば、大きさといいレイアウトといい、ちょうど西が丘競技場といった感じです。ピッチもかなり荒れていて、至る所で芝生がはげたり、めくれあがっており、ここではパスサッカーは難しいだろうとの印象でした。案の定、ヘラクレス(かつて平山が在籍)との試合が始まると、両チームとも取り敢えずトップにボールを当てて、こぼれ球を拾いあうという展開。技術レベル的には高校サッカー県予選レベルといったところでしょうか。しかし、ボールへの寄せの速さと当りの強さは、迫力がありました。まさに、肉弾戦の様相で、日本代表の海外組の体幹の強さはこういった戦いの中で鍛えられるんだと改めて実感しました。サポーターも実戦派の集まりという感じで、黄色と黒のマフラー(写真は大津をデザインした特別バージョンのマフラー)は目立ちましたが、日本のようなレプリカユニ集団は無く、個々人でゲームを楽しんでいる雰囲気でした。ゴール裏のヘラクレスのサポーターは30名程度。フェンローサポーターとの区切りもなく、フェンローサポーターに囲まれながらも、男性サポーター独特の低音の地鳴りのようなチャントを繰り返していました。お目当ての大津は体調不良でベンチ外。カレンは、ワントップのポジションで頑張っていましたが、再三の決定機をはずして、後半途中で交替。隣のオバちゃんが「Go!Bobby!Go!」とかなり気合を入れて応援していました。西欧人受けする風貌もあり、人気は高いようでした。試合は、ヘラクレスのカウンターの前に、あっけなく2失点。逆に最後までヘラクレスのゴールを割ることが出来ず、0‐2の完敗でした。
VVVは現在オランダ1部リーグにあたるエールディビジで18チーム中17位と低迷しています。本田がいた頃は2部優勝で1部に復帰、吉田時代は12位と健闘していたのですが、ここ2年は17位、16位とかろうじて降格を免れている状況です。本田、吉田が結構高値で売れたにも拘わらず、そのお金を有効な補強に使えなかったのが、低迷の原因となっています。22時過ぎに試合が終わって、真っ暗な住宅街を駅に急ぐ道すがら、メンバーズルームのウェイターの言葉を思い出しました。「試合が終わったら、メンバー以外にも開放しているから、また、来るといい。日本人も時々来て、一緒にお酒を飲んでいるよ。」VVVのサポーター達は「ひどいゲームだった」と愚痴をこぼしながら、夜半過ぎまでビールを飲んでいるのだろう。そう思うと、負け試合を毎週末見せられるというVVVの憂鬱もまんざら捨てたものではないのかもしれません。敗因を肴に、いつもの仲間と週末の夜酒が飲める。それが、オランダの片田舎の弱小クラブ・サポーターの実はとても幸せなサッカーの楽しみ方なのかもしれません。

2013年3月18日月曜日

Destiny - フランクフルト空港での遭遇

理由(わけ)あってオランダに来ています。多少気の重い仕事です。ということで、オランダに向かう飛行機の中では、映画を楽しむことなく、英文資料を読むという羽目になってしまいました。乗継ぎのフランクフルト空港で、寝ぼけ眼(まなこ)で入国審査に並んでいると、隣の列に大きなマスクをつけた日本人男性がいました。顔半分がマスクで隠れていましたが、ちょっと薄茶色の瞳にはどこか見覚えが。まさかと思いつつ列を移って、マスクの男性に「失礼ですが、名波さんですか?」やや間があって、観念したように「はい、そうです。」そこで、「フランスW杯からのファンです。クロアチア戦に応援に行きました。もちろん、引退試合にも行きました。」と、畳み掛けて退路を防ぐことに成功。「今回はブンデスリーガ観戦ですか?」「いや、ミラノの長友に会いに」「怪我は大丈夫なんですかね?」「大丈夫みたいですよ」と、前振りが終わって、これからという時に、入国審査の係員が「Next!(っぽいドイツ語)」取り敢えず、名波さんを先に通して、入国審査が終わるのももどかしく、後を追って、何とかツーショットの写真を撮って頂くことができました。
ところが、モニターに写真を映し出してみると、名波の爽やかで精悍な顔の隣に、如何にも徹夜明けといった感じの、眼鏡がずり落ちて、怪しい笑顔のオジさんが・・・。憧れのレフティーに会えて、言葉を交わすことが出来ただけでも良しとしなければいけないのですが、折角ツーショットを撮らせてもらったのに、誰にも見せられないような写真とは、あまりに無念です。
松任谷由実の曲に「Destiny」という名曲があります。荒井由美ファンとしてはアルバム「14番目の月」までの感性あふれる曲に圧倒的に共感し、松任谷由実の曲には何か作られた人工的なものを感じてしまい、どうしても感情移入しにくいところがあります。しかし、この「Destiny」と「潮風にちぎれて」だけは、荒井由美本来の私小説的な香りを感じ、とても好きな曲です。2つとも失恋の曲で、歌詞に「サンダル」が出てくるのは、偶然の一致でしょうか。
ともあれ、乗継ぎまでの3時間、フランクフルト空港のコーヒーショップで、何度も写真を見直しながら、知らず知らずのうちに口ずさんでいました。「♪どうしてなの 今日に限って 安いサンダルをはいてた (今日わかった) むなしいこと 結ばれぬ 悲しいDestiny」

2013年3月2日土曜日

WBCブラジル戦

WBC3連覇を目指す侍ジャパンが初出場のブラジル相手にまさかの苦戦。サッカーとは全く逆の立場の日本代表vsブラジル代表のゲームは、別の意味で趣きのある戦いでもあります。サッカーに比べ、ピッチャー対バッターという個人対個人の要素の強い野球だけに、本来であれば、プロ野球オールスターの日本代表が、アマチュア中心のブラジルに負けるはずはありません。しかも、会場は日本のホーム。むしろ、日本が圧勝して然るべきなのですが、そうならないところが、国際試合の怖さ。ブラジルは、ギリギリまで侍ジャパンを追い込んだのですが、残り2回を守りきることが出来ませんでした。そこが実力の差であり、歴史の差でもあります。サッカーにあてはめると、ブラジルW杯本戦で、開幕戦、ブラジル代表相手にサムライ・ブルーが残り10分まで2-1でリードしていた展開といったところでしょうか。奇跡が起こるかもと期待した瞬間に、同点シュートを決められ、更には、逆転ゴール、ダメ押しゴール・・・。2年後のザック・ジャパンを裏返しに重ね合わせて、ブラジルの善戦にドキドキしながらTV観戦していただけに、何やら複雑な思いで、日本の逆転勝ちを見届けました。予選リーグ序盤で苦戦するというのは、チャンピオンチームの常。侍ジャパンにとっては吉兆かもしれません。