2010年8月28日土曜日

薔薇の剪定 - 新生日本代表発表

オフィスに隣接した公園に、薔薇の木が植えてあり、小さな花をポツリ、ポツリとつけておりました。さすがに盛りを過ぎて、夏バテ気味のくたびれた花たちでしたが、出勤時の慌ただしい気持ちをなごませてくれていました。ところが、つい先日の朝、花がひとつもなくなっていました。枝が短く切り揃えられ、一回り小さくなった薔薇の立ち木はどことなく居心地の悪そうに佇んでいました(写真)。
薔薇の剪定です。秋の開花の前に伸びた枝を切って日当たりと風通しを良くするとともに、養分を少数の枝に集中させて良い花を咲かせるのが目的です。むき出しになった枝の切り口を見ると可哀そうな気がしますが、これも芳しい薔薇の花をつかせる為の生育の一環なのです。
折しも、新生日本代表が発表されました。選出されたメンバーは、ほぼ南アW杯代表のまま。俊輔が自ら身を引いた他は、「薔薇の剪定」は無し。「新監督が決まっていないから、サプライズは無し」とのことですが、むしろ、協会が自ら選んだ代表だけに、しっかりとした方針が見て取れるメンバー選考を行うべきだったと思います。監督を選んで、全てを任せるのではなく、しっかりとした協会の方針を示して、それを実現できる監督を選ぶべきでしょう。南アでのBest16という結果を未来に繋げる為に、ブラジル大会までの4年間どういったチーム作りをしていくのか。若手育成をメインテーマにして、アルゼンチンユースで実績を残したペケルマンに任せるのか、岡田監督が目指した攻撃サッカーを追い求めてスペイン人監督を招聘するのか。最近ではセリアAのイタリア人監督まで交渉相手になっているとのことであり、協会の迷走ぶりがうかがわれます。代表は何とかワールドクラスへの足掛かりを築こうとしていますが、協会の方は、まだまだアジアレベルということでしょうか。
薔薇の剪定は新監督の初仕事になりそうです。9月のパラグアイ戦、グアテマラ戦は、南ア組の最後の一花。大輪の花を咲かせるのか、はなばなしく散ってしまうのか、今週末、日産スタジアムに見届けに行ってまいります。

2010年8月23日月曜日

天城越え - 隠れ宿「うえだ」

カラオケで女性に歌って欲しい歌。今井美樹「Pride」、Zard「負けないで」、そして、石川さゆり「天城越え」。先の2曲がかなり爽やか系なのに、天城越えは、ドロドロ系の極致です。これぞ艶歌の中の艶歌。歌謡史上に残る名曲です。中森明菜がカバーしているというところにも、運命的な妖しい香りを感じずにはいられません。
先日、中伊豆に行ってまいりました。右の写真は、浄蓮の滝です。「天城越え」の一番のサビの部分に出てきます。「♪寝乱れて 隠れ宿 九十九折り 浄蓮の滝」。泊った宿は、船原温泉の日本秘湯を守る会「うえだ」。渓流沿いの僅か7室の小じんまりとした山あいの宿です。3つの露天風呂は全て予約貸切制。まさに歌に織り込まれた「隠れ宿」の風情溢れる宿でした。照りつける夏の日差しを生い茂った木々の重ね葉が遮り、その樹々から間断なく降り注ぐ蝉時雨を聴きながら、ゆったりと身を沈める露天風呂。蝉時雨にかき消されるはずの渓流のせせらぎの音が、聞こえてきて、涼を誘います。至福の時という言葉に相応しい瞬間です。
紅葉で「♪山が燃える~」季節ではありませんでしたが、むせ返るような濃緑の樹々は生命力に満ち溢れ、炎暑の中で、萌え盛っておりました。
浄蓮の滝には「天城越え」の曲が刻まれた碑が立っています。女性の狂気にも似た情念が込められた歌詞に、滝壺の冷気と染み透るような瀑布の音が不思議に合います。
「♪くらくら燃える 火をくぐり あなたと越えたい 天城越え~~」

2010年8月15日日曜日

Project KonK Ⅱ - 続編


Project KonK Ⅱの目的の一つは、次期日本代表監督の婚活の成就祈願でした。ところが、実際の監督選びは大混迷。原博実技術委員長が、まず南米に向かったことから、本命は、ペケルマンとビエルサの2人のアルゼンチン人だったと推測されます。ところが、何があったのか、腰を据えるどころか、早々に欧州に方向転換。リーガ・エスパニョーラの熱狂的信奉者、原技術委員長の影響でしょう。いつの間にか、候補はアルゼンチン人からスペイン人指揮官に代わっていました。今のところ、第一候補はポルトでトヨタカップを制したビクトル・フェルナンデス(写真)。その他に前マジョルカ監督のグレゴリオ・マンサーノや前ビジャレアル監督のエルネスト・バルベルデがあがっていましたが、条件面で門前払いを食らったのか、早々に消えてしまいました。候補として名が挙がっていたマルコ・ファンバステンに至っては、恐らく会ってももらえなかったのではないかと想像しています。いずれにせよ、日替りで監督候補の名が入れ換わり立ち替わり出てきては消える状況は、本来、水面下で密かに行われるべき交渉の性質を考えると、異常といわざるを得ません。まさに、世界を股にかけての大迷走。交渉の主役原技術委員長の現役時代の異名は「アジアの核弾頭」。当って砕けろということではないでしょうし、交渉相手を悉く粉砕してしまうというわけでもないと思うのですが、その交渉手腕には疑問をいだかざるをえません。やはり、プロの交渉代理人の助けが必要なのでしょう。つてを辿って日本で実績のある指揮官と交渉するこれまでの代表監督選びのやり方(トルシエはベンゲルの紹介)を脱して、スクラッチで候補者を選定し、自らコンタクトして交渉するという初めての試みですから、試行錯誤も已むを得ないのかもしれません。ただ、4年後のブラジルW杯は日本のプラチナ世代が中心となる大会。しっかりした監督選びを行って、ゴールデンエイジを擁しながらも、その輝きを封印したまま敗れ去ったドイツ大会の二の舞だけは避けて欲しいものです。
このまま混迷が続くようだと、小倉サッカー協会会長の「ドゥンガには聞いてみたのか?」の鶴の一声で前ブラジル代表監督のドゥンガにお鉢が回ってくる可能があります。現在、新体制に入閣する日本人コーチには関口前川崎F監督が決定しているようですが、ドゥンガ監督の場合には、当然ながら、かつてのジュビロコンビの名波浩で決まり。これならば、アリだと思いますが・・・・。

2010年8月12日木曜日

Project KonK Ⅱ- エピローグ

私たちの登山は、山歩きに、野外での調理を加え、必ず、温泉を絡めるという、軟弱派あるいはゆったり派登山です。今回も、締めは、山を下ってからの日帰り入浴。上諏訪の駅のそばには数件の日帰り入浴が出来る温泉宿がありましたが、N隊長が独特の嗅覚で選抜したのは、日帰り入浴専門の片倉館。これが、予想を大きく上回る秀逸な温泉でした。
写真の通り、建物はゴチックリバイバル調の洋館。昭和3年に建造された築80年を超える建造物です。風呂は内風呂のみですが、「歴史とロマン漂う」という謳い文句にたがわず、大理石作りの浴槽にステンドグラス、壁面にはロココ調の彫刻と、贅をつくした作りです。通称千人風呂の浴槽は、深さ1メートルの立ち湯で、底に大振りの玉砂利が敷きつめられています。千人はさすがに大袈裟でも、百人は浸かれる立派な浴槽です。これまで訪れた温泉の内風呂では、間違いなくダントツで1位の素晴らしい温泉です。
片倉館の「片倉」は、養蚕業・製糸業で財をなしシルクエンペラーと呼ばれた片倉財閥からきています。大正11~12年に二代目片倉兼太郎社長が欧米を視察した際、欧州の各農村に充実した厚生施設があるのに感銘を受け、帰国後、創立50周年事業として、上諏訪の地に、地域住民の保養・社交・娯楽を目的とした温泉施設片倉館を建造しました。現代で言えば、立派な地域貢献、CSR事業です。明治人らしい、あるいは、信州人らしい、片倉兼太郎の純粋さと一徹さを感じます。片倉財閥は、戦後の財閥解体で4大財閥とともに解散され、ついに再結集することはありませんでした。今では、片倉館の威容に往年の名残りを留めるのみです。
私のごく親しい友人に信州出身者がいます。信州人の御多分に漏れず、理屈っぽく、一徹で、口やかましく、それでいて憎めない性格です。多少のお世辞を交えて言えば、槍ヶ岳の孤高と、諏訪湖の奥深さを兼ね備えた人格の人物と言えます。彼は、諏訪清陵高という名門校の出身なのですが、同校は、戦艦大和の有賀艦長、戦艦武蔵の古村艦長という2人の海軍将校を輩出しているそうです。海の無い信州出身の同窓生が、帝国海軍の両巨艦の艦長になるまでの数奇な遍歴は想像だに出来ませんが、やはり、信州人は、どこか変哲で、一徹なところがあるという実証でもあります。「信州人の一つ残し」という言葉があるそうです。今風に言うと「遠慮の塊」。そんなところにも信州人の独特の美風が窺えます。信州の涼やかな風に吹かれていると、ガラスを研ぎ澄ましたような澄み渡った硬質な性格の人間が自然に生み出されるのでしょうか。そんなことを、片倉館の由来の看板を読みながら、思ったりしました。上諏訪温泉の片倉館という、もうひとつのK on Kに導かれて幕を閉じた充実したプロジェクトでした。

2010年8月8日日曜日

Project KonK Ⅱ- 野の花編

初夏の車山湿原は、ニッコウキスゲで黄色く染まるそうです。ただ、今年は、満開にはほど遠かったとのことでした。生態系の熱帯化の影響がここにも及んでいるのでしょうか?
散り忘れたニッコウキスゲが緑に映える中、ノアザミ(写真一番上)が凛と空を突き、クルマユリ(写真2番目)が小さいながらもユリの気品をたたえていました。霧ヶ峰の代名詞でもあるマツムシソウ(写真3番目)の淡い青紫色の花が微笑みかけます。楚々とうつむくツリガネニンジン(写真4番目)を下から覗きこむと、メシベがはにかみます。その根元に目を移すと、白山風露(ハクサンフウロ・写真一番下)が一輪、その名前の通り、はかなげに風に揺れています。
ニッコウキスゲの一面の黄色の絨毯も素晴らしい眺めではありますが、名も知らぬ野の花たちが、それぞれの場所で一生懸命その生命の明かりを灯しているのは、感動的な光景です。比較的地味なオニシモツケの花が蝶たちのお気に入りというのも、ちょっとうれしい発見でした。名の無い花たちも、森林インストラクターのN隊長のおかげで、名前を与えられ、ブログに登場することになりました。N隊長の意図した「自然との婚活」は一応成功したということでしょうか。
Mission Complete!!

2010年8月2日月曜日

Project KonK Ⅱ- プロローグ

霧ヶ峰に行ってまいりました。今回のプロジェクト名は、「KonK Ⅱ」(「コンカツ~」と読みます。)霧ヶ峰高原のコロボックルヒュッテに泊まるということで頭文字をとってKonK。Kのゾロ目というのは、駒ケ岳+かぎや旅館に続く2度目なので、「Ⅱ」がついたという次第です。というよりは、N隊長の婚活の成功を祈念するということにこじつけたネーミングでもあります。他に、サッカー日本代表の次期監督選び(婚活)の成功を祈念する。「今」度(9月の代表戦)こそはパラグアイに「勝つ」というという願いも込められています。もっとも、当のN隊長は、結婚には全く興味が無く、「自然との婚活」と勝手に解釈しておりました。登山中の野外での昼食メニューは、プロジェクトのテーマに沿ったものというのが、コンセプトであり、シェフパ(シェフ兼シェルパ)のMr.Tの腕の奮いどころです。これまで、「チーズフォンデュー」「モツ鍋」「すき焼き」など、登山メニューとは思えないヒットメニューを実現してきております。今回は、「カツ」「ミックス」「意外な取合せ」をテーマにメニューを考案し、串カツを選定。霧ヶ峰の凛と冴え渡った空気に揚げ物の煙が漂うという、かなりヒンシュクものの昼食となってしまいました。N隊長ゆかりの「エビフリャー」(上の写真右)に始まり、紙カツ(薄~いトンカツ。上の写真左は溶き小麦粉にパン粉をまぶして紙カツを揚げているところ)、ポテトフライと、かなり胃に負担を強いるメニューをこなした後、油臭を撒き散らしながら、車山山頂を目指しました。
車山山頂では、立派なドームに守られた気象レーダーが迎えてくれました。鉄塔オタク、レーダーフェチのシェフパTにとっては、無事(?)シェフの大役を果たしたことに対する望外のねぎらいとなったようです。
湿原は、野の花に溢れ、鳥のさえずりが響きわたり、時がゆったりと流れていました。N隊長の「歩行注意!」の一言に歩みを止めた木道を、小さな青虫が横切っていきます。木道の左側の日当たりが気に入らなかったのか、ハクサンフウロの花の香りが好みに合わなかったのか、えっちらおっちら、ひたすら木道の右側の茂みを目指して、歩みを進めておりました。急ぐ理由もなく、青虫の行く先を見届けてもよかったのですが、悲しい性で、何かに背中を押されるように、先に向かってしまいました。霧ヶ峰の時間は悠然と流れていても、都会の喧騒を引きずった週末ハイカーの体内時計は慌しく時を刻み、緩やかな時の流れに身を委ねることを許してくれないようです。
下の写真は、遊歩道脇のオニシモツケの花で羽を休めるアサギマダラです。エビフライやポテトフライの油で胃もたれ気味の体が、軽やかなバタフライに癒された瞬間でした。爽やかな自然に包まれていても、脂ぎったオヤジギャグが口をつく、わびしさ。自然に同化できるようになるまでには、相当なリハビリが必要となりそうです。