2009年7月28日火曜日

僕らの時代-明日に架ける橋

「明日に架ける橋」のあの橋はどこの橋なのか。S&Gの歌にある49番街橋は形が違うし、イメージとしてはサンフランシスコの金門橋なのですが、やはり、S&Gの地元ニューヨークのジョージ・ワシントン橋(写真)と考えるのが自然なのだと思います。
S&Gに出会ったのは、中学3年生の頃でした。「受験地獄」とか「四当五落」(睡眠時間4時間で勉強すれば合格、5時間だと不合格)いう言葉の中で 高校受験・大学受験に直面していた僕らは、当時草創期だった深夜放送にのめりこみ、フォークギターをかき鳴らしていました。「受験」という悲愴な言葉がむしろ僕らの絆を強めていましたし、「深夜放送族」という新たなコミュニティを形成させていたのでした。 「明日に架ける橋」不思議な歌でした。アートの透き通るような高音は、「受験」という重圧に安定を失っていた15歳のデリケートな心のひだを細かく震わせました。「I will lay me down」というフレーズは「受験」という極めて利己的な状況に押し込められていた15歳に、友人の為に身を投げ出すというイメージを与えてくれました。しかも、橋を具象化したジャケットの写真は随分頑丈そうな鉄製の橋であり、「タフでなくてはいけない。強くなくてはいけない」ということを教えてくれました。僕らの世代は、Flower Generationではありましたが、決してひ弱ではなかったと思います。むしろ「根性」という言葉に象徴されるように、愚直な強さを有していたのではないかと思います。ちょうどジョージ・ワシントン橋のように。
歴史を変えようとか、時代を変えようとかいったエネルギーには欠けていました。僕らはいつも遅れてきた世代でした。時代を牽引することはなかったけれど、いつも時代を愚直に後押ししてきました。時代をどこへ向かわせたいのかということに頓着してこなかったことが、TVゲーム世代を生み出し、携帯文化を育て、バブルを惹き起こしてしまったのだと思います。一方で、子供の頃大事にしていたはずの「根性」「努力」「正義」「友情」「弱者への優しさ」「献身」といった僕らの合言葉は時代の流れの中に置き忘れてきてしまいました。それらはとても地味でかび臭い言葉なのですが、僕らのDNAとしてしっかりと継承していかなければならなかったのではないかと思います。不器用に、そして愚直に。価値観が揺らいでいる時代だからこそ。そして、その価値観の崩壊は僕らの世代が招いたものでもあるので。
分不相応に重たいテーマを長々と綴ってしまいましたが、S&Gにすっかりインスパイアされてしまったようです。たまには、こんなことも考えながら、人生の黄昏時前のまだ西陽の残る時間帯を過ごしていきたいと思います。

2009年7月26日日曜日

僕らの時代-戦争を知らない子供たち

S&Gのコンサートは、同世代が3分の1、ちょっと上のいわゆる団塊の世代が3分の1、下の世代が3分の1といったところでした。上から眺めると、かなり薄くなった頭頂部が一面並んでいるのは壮観でもありました。
ポスト・ビートルズ世代の僕らにとって、フォークソングは青春そのものでした。フォーク・クルセーダーズ、拓郎、陽水、泉谷、かぐや姫。青春の焦燥感をある時は掻き立て、ある時は包み込んでくれる歌声は、青春の一こま一こまのBGMでした。ただ、音楽としては、稚拙さを残す和製フォークに対し、S&Gはフォーク・ロックと呼ばれて、音楽性の面で図抜けた存在であり、僕らの音楽への欲求を満たしてくれていました。
S&Gの数々の名曲はまぎれもなく僕らの時代の歌なのですが、僕らの時代の一曲を選ぶとしたら、ジローズの「戦争をしらない子供たち」ではないかと思います。僕らの時代の教祖「北山修」が作詞した反戦歌です。僕らはこの軟弱な歌詞でとても優しいメロディーの歌を中学校の卒業式で合唱しようとしたりしました。それが、基本的にとても時代に従順だった僕らのささやかな抵抗だったのです。僕らは校則で決められた坊主頭で「髪の毛が長いと許されないなら・・・」と歌っていました。
「戦後は終わった」と宣言され、高度成長時代に突入した時期に生を受けた僕らは、貧しさを体験していただけに、「豊かさという名の利便性」という時代の恩恵を迷いも無く受けいれてきました。「公害」という言葉に象徴される時代の陰に一抹の不安と抵抗感を感じながらも「豊かさという名の利便性」を選択し、「安保反対闘争」にはどこか感情移入出来ない「シラケ世代」でもありました。せめてフォークソングを奏で、歌うことで、時代への抵抗という若者としての義務を果たしていたのかもしれません。やがて、そのフォークソングも四畳半フォークという、時代に媚び、文字通り時代と同棲しているような音楽に変質していくことになるわけです。「♪青空が好きで花びらが好きでいつでも笑顔の・・・」僕らは「♪涙をこらえて歌うことだけ・・・」で時代に抵抗し、主体性もないままに時代に飲み込まれ、オイルショックに翻弄され、バブルにちょっとだけ浮かれました。ただ、「本当の意味での豊かさ」というものを知っている僕らの世代は、飽食の時代に危うさを感じ、警鐘の歌を口ずさみ続けてきたのではないかと思います。軟弱でとても優しい歌ではありますが・・・。(続く)
(写真は北山修の詩集の表紙)

2009年7月19日日曜日

Oh Cecilia, I'm down on my knees

Old Friends Tourの名前通り、オープニングは「Old Friend -ブックエンドのテーマ」でしっとりと幕を開けました。ポールのソロギターの余韻が残る中、いきなりアップテンポな「冬の散歩道」へ。トップギアのまま「I am a rock」へなだれこみ、ローギアにギアチェンジして「America」へ。まさにS&Gの世界です。ポールのギターテクニックは健在ですし、声量も衰えていません。アートの方は、さすがに往年の「天使の歌声」は望むべくもありませんが、年輪を感じさせるしわがれ声もそれなりに味があります。アートの音程が下っている分だけ、全盛期のハーモニーとは異なりますが、40年の風雪にさらされた深みというのでしょうか、これぞ友人歴56年の「Old Friends」のハーモニーというのでしょうか、胸に滲みわたるものがありました。
「Scarborough Fair」、「Mrs. Robinson」、「El Condor Pasa」といった怒涛のヒットメドレーに続いて、ポールとアートのソロ・タイム。67歳シニア世代コンビの休憩タイムあるいはトイレ・タイムなのでしょう。ステージの2人よりは一回りほど若い平均年齢の観客も寄る年波の生理現象には勝てず、あちこちで席を立つ姿が見受けられました。ステージ最後の曲は、これしかない「Bridge over Troubled Water」。中学のクラスの卒業文集の題名が「明日に架ける橋」で、表紙にはあの鉄製の橋のイラストが描かれていました。「明日に架ける橋」という詩的な言葉にはそぐわない近代的な橋でしたが、無機質で圧倒的に文明的な橋の姿が、自分たちの明日を暗示しているような気がしたものでした。
アンコールは、ちゃんと残しておいた「The Sounds of Silence」「The Boxer」「Leaves that are green」。そして、最後は「Cecilia」。このパーカッションのリードで始まる曲は、一挙に盛り上げる為に、あるいはオープニングで使われるのではないかと予想していましたが、最後のフェアウエル・メッセージ曲となりました。かなり意味深な歌詞はさておいて、とにかく元気で派手な曲で締め括ってくれたことは、「S&Gはまだまだやれる。君たちも老け込まずに頑張ってね」というメッセージにも聞こえました。確かに、駅へと向かう道すがら、頬を紅潮させながら口ずさむ「Cecilia」には、何故か気持ちを高揚させる不思議な力強さがありました。「♪Oh Cecilia, I'm down on my knees, I'm begging you please to come home.」

2009年7月12日日曜日

再会 ‐ S&G@Tokyo Dome

ちょっとレトロなデザインの小箱に納めてしっかりと抽斗にしまっておきたいような素敵な1日が唐突に2日連続してやってくることがあります。ただし、「松任谷由実」のアルバムに2曲続けて心揺さぶられる曲が並べられている程度に稀ではありますが(注:「荒井由実」のアルバムは珠玉の名曲の連続です)。決してゴージャスではないけれど硬質な優しさに包まれた至福な時の流れ。
7月10日のAbbey Roadは、渦に翻弄される感じでした。めくるめく感じというのでしょうか。新CDをリリースしたばかりのParrotsの気持ちの高ぶりがストレートに伝わってくる気合い入りまくりの4ステージでした。いつもは「ちょっと一服」といった感じのリンゴのソロまでが熱く響いてきました。聴いている方もグッタリの、久々の真剣勝負ステージ。最高でした。
そして、7月11日、東京ドーム、17時15分。40年の時空を超えて2人はそこに立っていました。白いシャツの上に黒いベストを羽織り、黒いタイを締めたアート。緑色の長袖Tシャツにベージュのパナマハットをかぶったポール。二人が最初に出会った11歳の頃(56年前!!)、アートはきっと算数の得意な優等生で、ポールはちょっとシャイなイタズラ坊主だったのではないかと思います。まさに「Odl Friends」の2人が昔のままの姿でステージの上にいました。そして、観客席には5万人のOld Friendsが・・・。それは、時代を共有したOld Friendsとの再会であり、40年前の自分との再会でもありました。
・・・ To be continued.

2009年7月11日土曜日

拓郎、ファイト!

拓郎が倒れてしまいました。Dr.Steveの名古屋でのツアー初日のレポートでは、「拓ちゃん、元気でした。」ということだったのですが。本人が「最後のツアー」と銘打った今回のツアーは、覚悟の上での挑戦だったと思います。NHKのインタビューでも語っていたように体調は万全ではなかったようです。休止になったツアーのファンの落胆もさることながら、志半ばでのリタイアを余儀なくされた本人の無念さには、胸がつぶれる想いです。タイトルでは、「ファイト!」と書いてみたものの、この際、ゆっくり休養して体調の回復に専念して欲しいと思います。
私は今日まで生きてきました
時には誰かの力をかりて
時には誰かにしがみついて
私は今日まで生きてみました
そして今私は思っています
明日からもこうして生きて行くだろうと (「今日までそして明日から」)
拓郎に少しでも「気」を送ってあげられればと思います。
実は、昨夜は六本木のAbbey RoadでParrotsを聴いてきました。Beatlesのコピーバンドです。拓郎の歌でBeatlesといえば「ビートルズが教えてくれた」そして「ペニーレーンでバーボンを」。リクエストに応えてParrotsもPenny Laneを演奏してくれました。みんな応援しています。

2009年7月4日土曜日

American Dream - コンフェデ杯決勝

ちょっと前の話となりますが、コンフェデ杯決勝、ブラジルが米国に見事な逆転勝利で優勝を飾りました。米国がデンプシーの鮮やかなゴールで前半10分に先制し、更にドノバンの追加点で2点をリードして前半を折り返した時には、ありえない展開に複雑な想いを抱きました。番狂わせを期待する想いと、米国へのジェラシーにも似た想いと。
思い出すのは、2006年ドイツW杯での予選リーグ最終戦。前半33分の玉田のゴールから前半ロスタイムに追いつかれるまでの12分間。落ち着かないフワフワした感覚と一方で肌をさされるような緊張感という不思議な感覚を今でも覚えています。予選突破の為には2点差以上の勝利が必要という特殊な状況で、ありえないはずのもう1点を期待するイケイケの浮かれた自分と、このまま1点差を守りきってとにかくブラジルに勝って欲しいという冷静な自分と。PK戦に持ち込んでもよかった米国のサポーターにとっては、先制した前半10分からハーフタイムの15分を含め、後半39分ルシオのヘッドで逆転されるまでの約1時間半、夢のような時間を過ごしたわけです。ちょっと意味合いは異なりますが、American Dream。至福な時間だったでしょうね。
典型的なリアクションサッカーと酷評する評論家もいましたが、米国はいいチームだったと思います。献身的な守備と球際への執念と強さ。セカンドボールを拾って、素早いカウンターにつなげられるのは、豊富な運動量があってこそ。スペインに加えて日本が手本にすべきチームだと思います。戦術的なフォーメーションサッカーは、米国の国技アメフトの文化がベースになっています。来年の本番での、American Dreamもあり得るかもしれません。写真は、南アW杯の公式マスコットの「ザクミ」ですが、何となく、アメリカンコミックっぽく、ありませんか?