2009年4月29日水曜日

シカゴは燃えているか - 2016 Olympic Games

                     
シカゴです。2016年オリンピック開催候補地東京の最大のライバル都市です。街の至るところにオリンピック招致のポスターやディスプレー(写真・左)が施されているところは東京と変わりはありませんが、何とお土産屋には既に2016年オリンピックのロゴ入り帽子(写真・右)やTシャツが。そして、その横には、色々なデザインのオバマTシャツやオバマの写真集が山積み。やはり、東京にとってオバマ人気が最大の脅威のようです。折りしも、米国は金融不況の真っ只中。五輪どころではないというのが本音のようで、今のところ、まだ、シカゴは種火点火といったところでしょうか。ただ、お祭りと選挙が大好きなお国柄、開催地選びが佳境に入ってくれば、大いに燃え上がってくること必至です。
日本でも、オリンピックの開催については賛否両論があります。現時点での開催支持率は59%と候補地の中で最低とのことです。1964年の東京オリンピックが強烈な原体験となっており、「アベベ、円谷、ヒートリー」「東洋の魔女、回転レシーブ、鬼の大松」「重量挙げの三宅」「体操の小野」などが鮮明に脳裏に焼きついている世代としては、生きているうちにもう一度オリンピックの熱気に包まれてみたいと思っています。ただ、あの高度成長期の渇望の時代での開催だったからこそ燃え上がったので、いまのような飽食の時代のオリンピック開催は、また違ったものとなるのかもしれません。拓郎は「フキの唄」で歌っています。「♪僕が子供だった頃 日本は貧しくひ弱で お金もなく肩寄せあって生きていた 物が足りないのは みんな一緒だし普通だし 何よりも 平和が大切でありました」。あの東京五輪は、きっと良き時代の良きオリンピックだったのでしょう。

2009年4月28日火曜日

熊を放つ - ジョン・アーヴィングの世界

Dr. Steveと私は体質が同じで、一箇所にじっとしていられない回遊魚系のようです。ぶらっと野球場にホットドッグを食べに行った翌日は、わずかな空き時間を利用して、路面電車とバスを乗り継いでフェニックスの隣町のメサまで行って来ました。片道30分の旅。メサのダウンタウンまでたどり着くと、そこは小さなお店が並ぶ数百メートルのメインストリートを中心に住宅地が広がるまさに西部の典型的な田舎町。 時間も無いので、ぶらぶらと30分ほど散歩しただけで、多少は都会のフェニックスに戻ってきました。写真は、メサのアーケードの店先に点々と置かれた彫刻のひとつです。親熊が子熊をかばっているモチーフです。この他に新聞配達の少年やカウボーイなど、古き良き時代をほうふつとさせる彫像がこの町がどんな町なのかを教えてくれます。強い日差しの下で、町全体が昼寝をしていて、時がゆっくり流れているような気がしました。米国の作家ジョン・アーヴィングの小説に出てきそうなアメリカらしい町でした。正直言ってメサに住みたいとは思いませんが、ここで生まれ育った人とはとてもいいお友達になれそうな気がします。
タイトルの「熊を放つ」はアーヴィングのデビュー作です。ウィーンが舞台なので、メサともこの熊の彫像とも全く関係ないのですが、頭と心を空っぽにして歩いていると、とりとめもない連想が浮かんでくるものです。ちなみに、この日は拓郎のニューアルバムの「真夜中のタクシー」と「フキの唄」のリフレインを口ずさみながらの散歩でした。「♪乗るも乗らないも、あなた次第」

2009年4月25日土曜日

Take Me Out to the Ball Game

どういう訳かDr. Steveと一緒にChase Fieldでダイヤモンドバックスvsロッキーズのゲームを観ています。 Dr. Steveは以前ブログにも登場頂いた拓郎をこよなく愛するマラソンマンです。砂漠の街フェニックスにやってきて、夕食にメキシコ料理でもと思って探したのですが、ピンとくるお店がなくて、野球場でホットドッグを食べようということになった次第です。ダイヤモンドバックスといえば以前ランディ・ジョンソンがおり、ロッキーズには松井稼頭央がいましたが、今は名前も聞いたことのない選手ばかり。時差ぼけのせいもあって居眠りしながらの観戦でしたが、ホームランの応酬という派手な空中戦と球場の雰囲気を存分に楽しみました。自然芝のフィールドと観客席を隔てるフェンスはとても低く、一体感あふれる球場です。試合前のTシャツの投入れ、フライキャッチのイベント、全員立ち上がっての国歌斉唱、イニングの間に行われる様々な抽選イベント。7回表終了時にみんなで合唱する「私を野球場に連れてって」。とにかく観客を飽きさせません。イニング中はついついウトウトしてしまっていても、イニングの合間のアトラクションで眼が覚めるという繰返しでした。平日の夜ながら、家族連れやカップルが多く、それぞれにホームチームカラーのTシャツを着ての応援。ここには昔ながらの良きアメリカが残されています。とても居心地が良くて、まさに歌詞の通り、「I don't care if I never get back(家に帰れなくても構わない)」って感じです。アトラクションのひとつに席のセクションの抽選がありました。3桁の上の数字からひとつづつドラムの音とともに発表され、何と我々のセクションが大当たり。周りの観客同士で誰彼構わずハイタッチ。賞品はホームゲームのペア・チケットとの引換券でした。記念に日本に持って帰ろうかと思いましたが、折角の当たりなので、ホテルのフロントの女の子にあげました。「もし興味があったら、誰かと行って。」「Oh! My God! Oh! My God!」というアメリカ人独特の派手なリアクションを期待していたのに、「Ok. Thank you」というおざなりな気の抜けた返事。野球場の外では、古き良きアメリカは失われつつあるようです。

2009年4月19日日曜日

モモ、サク - ジュビロ開花

山梨の桃源郷では、桜にやや遅れて桃の花が咲き始めます。先週のW-Genjiツアーでは、ハイライトのひとつ慈雲寺の糸桜は残念ながらすっかり葉桜になっていましたが、その替わりに桃の花はちょうど盛り。写真は、慈雲寺の臨時駐車場脇の桃園です。この木の下でホウトウ鍋を調理して、堪能致しました。
ところで、1週間遅れで、ようやくジュビロ磐田も開花しました。開幕6戦目にしての初勝利。「サクラ、サク」というには余りにも遅きに失し、「モモ、サク」といったところでしょうか。なんとか最下位脱出です。4バックも安定してきましたし、静岡ダービーを制したのも弾みになります。いよいよ五月晴れ、サックスブルーの季節です。
拓郎のニューアルバム「午前中に・・・」、買いました。最後の全国ツアー追加公演のチケット先行販売抽選申込ハガキ付です。お祈りしてハガキを投函しました。3度の先行販売抽選はことごとく落選、一般販売は電話が通じる間もなく、数分で売切れ。今度こそ、「サクラ、サク」の当選通知を期待しています。

2009年4月14日火曜日

Project W-Genji ‐ 王仁塚の桜

元サッカー日本代表の中田(英)の故郷韮崎に王仁塚(わにづか)の桜という樹齢300年の一本桜があります。田んぼに囲まれた古墳に立つ本当に形の良い凛々しい桜です。桜の南側からは八ヶ岳を背景に見事な枝ぶりを愛でることができ、北側に回ると、富士山の頂を遠く望むことができます。ここ数年お座敷列車パノラマ号という特別運行快速を利用して花見を楽しんでいます。今回は、王仁塚の桜(W)と近くの秘湯、十谷温泉「源氏の湯」を組み合わせた「W-Genji」をコードネームとしたツアーを組んで、出かけました。G&Jということで、Giantsとサッカー日本代表の活躍を祈念するという意味も込められています。キーワードはWと源氏ということで、源氏にちなんだお酒(写真)と源氏パイを携え、昼食は牛と豚のWスキヤキという徹底振りで望みました。Sherpa (シェルパ)& Chef(シェフ) Mr. T(=SCT:写真)は食材を入れたクーラーボックスを担いでの参加です。一本桜を眺めながら食したスキヤキ鍋は最高でした。(翌日の昼食は、桃花の下で山梨にちなんでホウトウ鍋を調理)。SCTは、実はアンテナオタク。TVアンテナ・携帯電話中継アンテナに反応する他、送電線の鉄塔にもついつい反応してしまうようです。写真は、王仁塚の桜の横にそびえる送電線の鉄塔、その絶景に思わず仁王立ちのSCTです。いい絵です。みんなそれぞれにしっかりと立っています。頑張っているわけではないのでしょうが、300年間毎年休みもせずに花をつけ続ける桜木に、クーラーボックスをさりげなく担いで、さりげなくスキヤキ鍋を調理するSCT、そして、絶え間なく電気を送り続ける送電線。みんな「私なりってことで・・・、心が歩くままで・・・。」ということでしょうが、・・・・立派にがんばっています・・・よネ。

2009年4月6日月曜日

頑張らないけどいいでしょう

砧公園です。花冷えも一段落し、「ひさかたの光のどけき春の日に・・・」職場の仲間が思い思いに酒と肴を持ち寄り、満開の桜の木の下で、ダラダラと酒盛りです。ビール→スパークリングワイン→白ワイン→赤ワイン→純米吟醸酒→赤ワインとお決まりのコースで、舌も心も滑らかに。取り止めもない話題は風に誘われ、いつしか気持ちも宙に舞い。ただただ、幸せな一日です。
先日、ブログを読んで頂いたマドンナSさんから拓郎のTVライブの録画DVDを送って頂きました。感激です。早速、正座して拝見させて頂きました。聴き慣れた拓郎節の続く中、心に強く響いたのが、「頑張らないけどいいでしょう」という曲。鬱病に悩む拓郎の気持ちを素直に歌った曲です。肺ガン治療の影響もあって最近は体調が100%といえる日は無いと正直にインタビューに応えていました。「これが老いというものなのかなぁ」とも。「♪がんばらないけどいいでしょう 私なりってことでいいでしょう がんばらなくてもいいでしょう 私なりのペースでもいいでしょう がんばれないけどいいでしょう 心が歩くままでいいでしょう」これまで拓郎の歌に励まされてきた世代からするとなんとも複雑な心境にさせられる歌詞ですが、何故か素直に心にしみます。
ほろ酔い気分で桜の花越しに空を眺めながら、「♪頑張らないけどいいでしょう」と口ずさんでいました。「・・・しず心無く花の散るらむ」か・・・。