2009年8月24日月曜日

馬 - 拓郎考

今日からのオールナイトニッポンGOLDはニッポン放送亀渕社長自らパーソナリティを務めるビートルズ・オールリクエストです。亀淵空昭信こと「カメちゃん」は深夜放送草創期の伝説のDJ。今週も中途半端に寝不足になりそうです。
ところで、先週の番組でムッシュは、拓郎の凄さは何と言っても「詩作り」だと言っていました。拓郎の名曲は限り無くありますが、「馬」はその中でも絶品。「♪馬が走ってく 馬が走ってく でっかい鼻の穴おっぴろげて 馬が走ってく」これはもう、もはや完全に芸術。芭蕉の俳諧の世界ではないでしょうか。一瞬を切り取って見事に一幅の絵に仕上げるその感性・描写力は、他のシンガーソングライターの及ばないところです。「馬」といえば、坂崎が、拓郎のコンサートで、いかにも胡散臭そうな男に「俺、実はあの『馬』のモデルなんです。」とつきまとわれたそうです。真意の程は不明ですが、仮にそれが事実でないとしても、人にそう信じ込ませてしまうような魔力がこの歌詞にはあります。「♪馬が歌ってる 馬が歌ってる 今日までそして明日からを 馬が歌ってる」
実は、番組の中で拓郎の「永遠の嘘をついてくれ」を初めて聴きました。ちょっと緩めの拓郎節。あのつま恋での中島みゆきとのデュエットの緊迫感・切なさとは大きなギャップがありました。勿論、拓郎の存在は偉大ですが、人を輝かせ、自らも更に輝くのが拓郎の凄さかなと。ムッシュとの「シンシア」も同様。そんな拓郎の凄さとキャラクターにどうしようもなく惹かれてしまうのです。拓郎のように生きてみたいと。

2009年8月22日土曜日

リンゴ - 僕らの時代再考

オールナイトニッポン特番「わが青春の吉田拓郎」が終わりました。月~木の4日間は拓郎の広報部長を自称するアルフィーの坂崎幸之助、最終日はムッシュ・カマヤツがパーソナリティを務めていました。
さすがに、拓郎オタクの坂崎。色々な裏話が紹介されました。「結婚しようよ」には「椅子叩き」というパートがあることを知りました。スタジオの中の色んなモノを叩いて、結局、プラスチックの椅子が楽器に採用されたそうです。確かに曲を聴いてみると「ポコポコ」というくぐもった音がパーカッションのアクセントになっています。レコード大賞曲「襟裳岬」は、酒の席で「森進一か都はるみの曲を書きたい」という拓郎の軽口を憶えていたディレクターが、演歌に行き詰まり、変身を考えていた森進一に橋渡ししたことから生まれました。森進一の襟裳岬を聞いた拓郎は「さすがにうまいね」と感心していたとか。
番組では、拓郎が高校時代に作った「準ちゃん」という歌も紹介されていました。拓郎が初恋の人に贈った曲ですが、橋幸夫と吉永小百合のデュエット曲「いつでも夢を」をもっと昭和っぽくアレンジしたような赤面もののラブソングです。「僕には夢がある。君にも夢がある。それだけでいいじゃないか。」という間奏のセリフだけが拓郎っぽさを感じさせています。この音源は拓郎自身が番組に送ってきたもので、拓郎も昔を懐かしむ歳になったのかと感慨深いものがありました。
記憶の堰が一挙に崩壊したのが「リンゴ」。題名だけでは曲が浮かんでこなかったのですが、イントロが始まるとともに無意識に歌詞が口をついて出てきました。「♪ひとつのリンゴを君がふたつに切る 僕の方が少し大きく切ってある」「♪このリンゴは昨日二人で買ったもの 僕の方がお金を出しておつりは君がもらって」作詞は岡本おさみ。拓郎とのコンビでは、「襟裳岬」「落陽」「旅の宿」などを作詞しています。「リンゴ」は、文字通り甘酸っぱい想いを呼び起こすとても不思議な曲です。拓郎には似合わない四畳半フォークなのですが・・・。
僕らが「リンゴ世代」だからなのかもしれません。子供の頃バナナはまだ高級果物で、塩水に浸したリンゴが最高級のおやつでした。おろし金ですりおろしたリンゴは風邪で寝込んだ時の定番でした。ビートルズのアップルレコードに、アップルコンピューター。判る人には判る「麻田奈美のリンゴ(平凡パンチ)」もありました。TVドラマ「ふぞろいの林檎たち」にも何故か共感を覚えずにはいられませんでした。 実は、一昨日、約30年前にテニスを一緒にしていたリンゴ世代の仲間の集まりがありました。30年の歳月で、それぞれ随分変わっているはずだし、お互いに随分遠く離れたところにいるはずなのに、集まってみるとそれぞれのキャラクターや仲間での役割はあの時のまま。30年前のあのいい時代にタイムスリップしていました。それぞれつらい日々もあったと思いますが、こうして集まれること、そして、30年前の屈託の無い笑顔に戻れるということは、結局、みんな、今の「幸福」を素直に受け留められる心境に辿り着いたということなのでしょう。「♪リンゴを強く齧る 甘い汁が唇をぬらす 左の頬を君はぷくんとふくらませて 欲張ってほおばると ほらほら話せなくなっちまうだろう」みんな本当にいい顔をしていました。また、会おうね。

2009年8月16日日曜日

カトマンズから

反町姫から絵葉書(写真)が届きました。ネパールのカトマンズからです。この前はウズベキスタンのタシケントからメールを頂いたばかり。まさに、神出鬼没、縦横無尽。反町姫の面目躍如といったところでしょう。絵葉書の風景は夕暮れのアンナプルナ山脈。反町姫は、ホテルアンナプルナに宿泊して、プールサイド(?!)で葉書を書いているとのことです。
ネパールはFIFAランキング176位。W杯アジア1次予選で1点もあげられずに敗退しています。日本がW杯アジア予選で顔を合わせる可能性はまずゼロの国。足を踏み入れる可能性の無い国のひとつです。反町姫は、「今日も1日、日本語のない世界」と書いていますが、何を見て、何を感じているのでしょうか。「♪空と大地が触れ合う彼方 過去からの旅人を 呼んでいる道」(久保田早紀「異邦人」)を満喫しているのでしょうね。「♪あとは哀しみをもてあます異邦人」でないことは確かだと思います。反町姫、新潟はJ1で3位、反町湘南もJ2で3位。日本は大変なことになってますよ。早く下界にお戻り下さい。

2009年8月15日土曜日

元気です - 君の欲しいものは何ですか

カメです。ブログを書き始めた頃に我が家にやってきて、ブログにも登場しています。上の写真は1年前。手前のゼニガメ(カリン様)は冬を越せずに死んでしまいました。後ろのミドリガメ(仙豆)は当時4センチ足らずでしたが、今は倍の8センチ(写真下)。色も若草色から暗緑色へとすっかり渋くなってしまいました。シェルターにも全身が入りきれず、カメラを向けると、水面から顔をあげてカメラ目線になります。TVをつけると首を伸ばして、飽きずに見ているようにみえるのですが、実際に何を考えているか判りません。 週に1回水槽の水替えの時にちょっとの間だけ庭に放し飼いとなり、芝生まみれになります。それ以外は水槽の中。単調な生活です。カメの寿命は30年といいます。随分長い平穏な日々です。
ところで、拓郎が17日放送のオールナイトニッポンに電話で出演するための収録を行いました。長時間の移動やライブはまだ無理ですが、日常生活には問題はないそうです。曲作りも行っているとのことです。安心しました。
「流星」という拓郎の曲があります。「♪幸福だとはいわないが 不幸ぶるのはがらじゃない 君の欲しいものは何ですか 君の欲しいものは何ですか」
拓郎にもう一度ライブツアーをさせてあげたいと思います。カメにも「君の欲しいものは何ですか」と問いかけました。ちょっとロンパリの目でじっとにらみつけられてしまいました。歌詞は「僕の欲しかったものは何ですか」で終わります。

2009年8月9日日曜日

異邦人 - JOMO杯


久々にサッカーネタです。
JOMO杯、Jリーグ選抜、敵地で4-1の完勝。昨年の雪辱を果たしました。何はともあれ、日韓戦というのは燃えます。直前にU-20が負けていただけに、応援にも力が入りました。遠藤・憲剛・明神・野沢といった日本人MFが渋い動きをしていましたが、目立ったのが外国人助っ人勢。MVPの李正秀(写真右)は韓国開催でのご愛嬌として、すごかったのはジュニーニョ(川崎)とジウトン(新潟)。日本人勢がややお祭り気分で運動量が少なかったのに対し、ジュニーニョの前線からのチェーシングや裏を取ろうとする動きはリーグ戦の動きそのまま。ジウトンの闘志溢れる守備、味方選手に檄をとばす姿は新潟躍進の理由を垣間見た気がしました。マルキーニョスを含め、むしろ外国人助っ人たちがJリーグサッカーを体現していたのには、多少複雑な思いを抱かずにはいられませんでしたが、それだけ、Jリーグに外国人プレーヤーを包み込み、染め込んでいく懐の深さが出てきたというべきかもしれません。
異国・異文化の中で実力を発揮していくのは簡単なことではありません。いかに実力があろうとも、周囲に受け入れられず、その実力を発揮できないまま去っていった例は数限りなくあります。俊輔はセルティックで成功しましたが、その前のレッジーナでは不遇でした。レッジーナでの俊輔は2002年W杯落選を引き摺った俊輔でした。トルシエは「試合を見ずに髪の毛ばかりをいじっている選手をベンチに置いておくわけにはいかない」とその落選理由を語っていました。当時の俊輔は、ピッチの中では司令塔として輝くものの、ピッチ外では存在感が薄れてしまうイメージがありました。そこがヒデや小野との大きな違いでした。イタリアでの異国生活・結婚などを経て、俊輔も人間的に随分大きくなりました。それがセルティックでの成功に繋がりました。エスパニョールへの移籍は正解だと思います。体力的には既に下り坂であることは否めませんが、人間力も含めた総合力では今がピークだと思います。今だからこそ、世界最高峰のリーグに挑戦できるのではないかと思います。
私事ですが、8月1日から職場が変わりました。全く異なる企業文化の中で初対面の人たちと仕事を始めています。異邦人の心境ですが、ジュニーニョ、ジウトンを見習って、運動量を落とさずに走り回り、早く溶け込みたいと思っています。