2009年7月26日日曜日

僕らの時代-戦争を知らない子供たち

S&Gのコンサートは、同世代が3分の1、ちょっと上のいわゆる団塊の世代が3分の1、下の世代が3分の1といったところでした。上から眺めると、かなり薄くなった頭頂部が一面並んでいるのは壮観でもありました。
ポスト・ビートルズ世代の僕らにとって、フォークソングは青春そのものでした。フォーク・クルセーダーズ、拓郎、陽水、泉谷、かぐや姫。青春の焦燥感をある時は掻き立て、ある時は包み込んでくれる歌声は、青春の一こま一こまのBGMでした。ただ、音楽としては、稚拙さを残す和製フォークに対し、S&Gはフォーク・ロックと呼ばれて、音楽性の面で図抜けた存在であり、僕らの音楽への欲求を満たしてくれていました。
S&Gの数々の名曲はまぎれもなく僕らの時代の歌なのですが、僕らの時代の一曲を選ぶとしたら、ジローズの「戦争をしらない子供たち」ではないかと思います。僕らの時代の教祖「北山修」が作詞した反戦歌です。僕らはこの軟弱な歌詞でとても優しいメロディーの歌を中学校の卒業式で合唱しようとしたりしました。それが、基本的にとても時代に従順だった僕らのささやかな抵抗だったのです。僕らは校則で決められた坊主頭で「髪の毛が長いと許されないなら・・・」と歌っていました。
「戦後は終わった」と宣言され、高度成長時代に突入した時期に生を受けた僕らは、貧しさを体験していただけに、「豊かさという名の利便性」という時代の恩恵を迷いも無く受けいれてきました。「公害」という言葉に象徴される時代の陰に一抹の不安と抵抗感を感じながらも「豊かさという名の利便性」を選択し、「安保反対闘争」にはどこか感情移入出来ない「シラケ世代」でもありました。せめてフォークソングを奏で、歌うことで、時代への抵抗という若者としての義務を果たしていたのかもしれません。やがて、そのフォークソングも四畳半フォークという、時代に媚び、文字通り時代と同棲しているような音楽に変質していくことになるわけです。「♪青空が好きで花びらが好きでいつでも笑顔の・・・」僕らは「♪涙をこらえて歌うことだけ・・・」で時代に抵抗し、主体性もないままに時代に飲み込まれ、オイルショックに翻弄され、バブルにちょっとだけ浮かれました。ただ、「本当の意味での豊かさ」というものを知っている僕らの世代は、飽食の時代に危うさを感じ、警鐘の歌を口ずさみ続けてきたのではないかと思います。軟弱でとても優しい歌ではありますが・・・。(続く)
(写真は北山修の詩集の表紙)

1 件のコメント:

YAKO さんのコメント...

最近…私たちも戦争を知らない世代。どうやって子供達に伝えていけばよいのか。と思います。ブラジルを素晴らしいサンバにも、O Bêbado e a equilibrista というとてもきれいな曲があります。ブラジルの軍事政権を綱渡り芸人と酔っ払いに例えた歌ですが。。。私はあまりにも重すぎで歌う事ができません。日本の歴史でさえ分かってないのに軽々しく。。。って。
歌は難しいですね。でもそれで敢えて未熟なりにも何かが伝われば、とも思うのですが…。
お知らせですが、5月からソロライブ活動も始めましたので自分のブログをやっとつくりました、宜しかったらご覧くださいませ。
写真沢山でちと恥ずかしいですが…笑
http://yakosamba.pokebras.jp/