2009年10月1日木曜日

天才シンジ - ドイツW杯分析②

最近は、さすがにNANAMI10番のフランスW杯代表ユニ(不動明王・炎)でのスタジアム観戦ははばかられるので、日韓W杯時の赤富士ユニONO18番での観戦が定番になっています。
小野伸二は、日本サッカー界の生んだ最高の芸術品です。ベルベットという言葉で称されるその独特のボールタッチから繰り出される受け手の足元へのエンゼル・パスは、中田のスペースへの高速キラーパスの対極をなすものです。99年ワールド・ユース・ナイジェリア大会準優勝という日本サッカーの歴史に燦然と輝く偉業は、キャプテンとしてチームを牽引し、舵取りした天才シンジの存在があってこそであり、高原・遠藤・小笠原・酒井・稲本・本山等の黄金世代は、チーム・シンジとして、ドイツW杯での日本代表のコアとなるべき存在でした。しかし、そこに立ちはだかったのが「世界の中田」でした。中田は、チーム・シンジの仲の良さから来る緊張感の無さを折りに触れ批判しました。そして、チーム・シンジとの溝は広がるばかりで中田はチーム内での孤立を深めていきます。こうして一体感と信頼を欠いたまま日本代表は本大会に突入してしまいます。
天才シンジのドイツW杯は豪州戦のあの悪夢の15分間のみで終わってしまいます。柳沢に代わって後半34分にピッチに送り出された小野はチームと全く噛み合いませんでした。中盤での守備とボールキープを期待されていた(とジーコは語っています)小野は、完全にトップ下として前線に飛び出し、ボランチの位置には運動量の落ちた福西だけが残されました。ポッカリと空いた中盤のスペースをついて、豪州がわずか9分間に3つのゴールをあげることになります。小野にとってみれば、2点目をあげて豪州の戦意を挫くことが自らの役割と理解していたはずです。中田も攻撃こそ最大の防御とばかりにDF陣にラインの押し上げを要求していました。2人の天才の思いは同じはずだったのに、結果的には混乱のみがピッチ上に残りました。小野投入時に日本代表は崩壊していたのです。ブラジル戦の惨敗の後で、小野が「俺たちのチームで戦っていたら別の結果が出ていただろう」という言葉を残したと言われています。たとえ、そのような発言は無かったとしても、同じ気持ちを黄金世代のメンバーの誰もが抱いていたと思います。小野を中心とした黄金世代チームでドイツW杯を迎えることが出来なかったのは日本サッカー界の不運であり、中田、小野、稲本、中村、小笠原という稀有な才能の集団をチームとして活かせなかったのは、むしろ、悲劇というべきかもしれません。そこには「ナナがいなかった」のです。
現在の代表チームには、本田や香川という個性的な選手がいます。これらの個性を活かしながら信頼を構築していけるのか?中村や遠藤がナナになれるのか?注目していきたいと思います。

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