2014年10月12日日曜日

Project Ya Ya あの時代を忘れない

MCN秘湯山岳会の秋のプロジェクトは出羽三山と月山志津温泉。メンバーも還暦へのカウントダウンの年齢を迎え、積み重ねた日々の洪水に記憶も押し流されがちです。日々薄れゆく記憶の中で、メンバーが出会った頃のあの時代を忘れないという想いをこめ、このプロジェクト名としました。出羽三山=サザンというダジャレも入っていますが。出羽三山は、羽黒山、月山、湯殿山の総称で、それぞれに神社があり、西の熊野三山と対をなす山岳信仰の修験の場となっています。我々も山伏の1週間以上にわたる荒行は及ぶべくもないものの、せめて世俗にまみれた心を清めようと、背筋を伸ばして2,446段の出羽神社の石段を登り始めました。羽黒山は現世を祀り、月山は死者を祀る霊山、湯殿山は新しい命を授かる霊山とされています。三山を巡り、「擬死体験」を経て、蘇りを果たし、生まれ変わるというのが、出羽三山修行道です。出羽神社で精進料理で清め、特に煩悩の権化、救護班Dr.KとシェフパTは更にお祓いによる清めを重ねます。巨大杉の森閑とした羽黒山に比べ、月山は、ハイマツの緑、ナナカマドの赤にミネカエデの黄色が映え、正に錦絵を想わせる見事な紅葉に染まっていました(写真上)。秘湯月山志津温泉まいづるやで食塩泉の温泉で体も清め、3日目は、いよいよ湯殿山に登ります。とはいっても、三山の中でも、湯殿山は、大日如来を祀る別格の山で、山頂に踏み入ることは禁忌とされています。中腹にある湯殿山神社が目的地となります。月山を背にところどころ鎖場が設置された登山道を下っていくと、川を横切ってしめ縄が張り渡されていました(写真下)。本宮に近づき、これより先は写真撮影禁止。本宮は神聖な場所として土足厳禁で、且つ、お祓いを受けなければ、お参りできません。また、「語るなかれ」「聞くなかれ」との戒めがあり、本宮で見聞きしたことは、他言無用とされています。ということで、本宮の神秘的な佇まいを描写することは出来ませんので、裸足での参拝が重要な意味を有すること、湯殿神社の名前通りの境内であることくらいに留めておきたいと思います。自然を畏れ崇め、自然と一体となることで、生まれ変わろうとすることが山岳信仰の本質なら、さすがに奥の宮の湯殿神社、その一端に触れることが出来たような気がします。もっとも、穢れを祓って、生まれ変わったはずのMCN秘湯山岳会の面々ですが、帰りの電車での酒盛りの酔態を見るに、歳月を経た浮世の垢はそう簡単には洗い流せるのもではなさそうです。その垢の中に、忘れがたい思い出の数々が、埋め込まれている訳です。
台風の合間、奇跡的な晴天に恵まれた3日間。もう一つ「あの時代」が積み重なって、Project Mission Complete!
 

2014年8月3日日曜日

ブラジルW杯 - チームの崩壊

初戦の逆転負け(写真)、2戦目の引分け、3戦目の1-4の大敗。ドイツW杯のあの苦い記憶をなぞるようでした。いずれもチームとして崩壊し、立て直すことが出来ませんでした。両チームに共通するのは、史上最強の日本代表と期待されていたこと、直前の強化試合でいい成績をあげていたこと、攻撃型のチームであったこと。前のめりのチームは、ちょっとした躓きでバランスを失い、重心を取り戻すことが出来ませんでした。今回のチームの場合、本来攻守のバランサーとなり、また、チームに落着きを取り戻させる役回りのキャプテン長谷部の体調が万全ではなく、十分機能しなかったのも、チーム崩壊の一因となりました。しかし、大きかったのは、「自分たちのサッカー」の呪縛がDF陣と攻撃陣のギャップを生みだした点だと思います。そもそも、自信喪失気味のDF陣にとって、攻撃的「自分たちのサッカー」ほど厄介なものはなかったのでは。また、もともと、戦術の柔軟性が欠け気味な日本代表にとって、「自分たちのサッカー」はある種の免罪符になってしまいました。一つの戦術への固執は、真面目な日本人にとって、極めて受け入れ易い反面、そこでいきづまるとパニックになってしまう。真面目さ故に、自らを追い込んでしまったのです
日本代表アギーレ新監督は、日刊スポーツによると「堅守速攻の戦術をベースにしながら、ボールをキープしてパスをつなぐポゼッション・サッカーを織り交ぜるなど、柔軟な戦術を用いる。選手の特性を引き出し、自分のスタイルを貫くより、持ち駒の能力を最大限に引き出す能力にたけた知将」とのことです。これがその通りであれば、適任な人材なのですが、その柔軟性を教え込む為には感性よりも理論や哲学の方が日本人に訴求するのではないかと思うのです。「いい加減さ」を感覚的にいい加減に説かれても、日本人の心には響かない。ここは、ラテン系よりは、ゲルマン系の方がと思ってしまうのは、贅沢でしょうか。

2014年7月27日日曜日

ブラジルW杯 - 勝つ戦術の欠如

前回のブログでは、日本代表惨敗の原因に「世界のサッカーの進化から取り残されたアジア」を挙げましたが、今回は、「自分のサッカー」に拘ったあまりに勝つ戦術を欠いていたのではないかという点を考えてみたいと思います。
コートジボアール戦では、個人的に50本の日の丸ハチマキを持ち込んで、周りのブラジル人観客(写真)に配りました。にわか日本サポーターになってもらい、試合後は、日本のサッカーに魅了されて本当の日本サッカーファンになって欲しいと願っていました。「自分たちのサッカー」では玉砕だろうと覚悟していながらも、若干の期待は抱いていました。しかし、結果的には、「自分たちのサッカー」の片鱗も見せることなく、敗戦。高い位置に保たれたオーリエとジェルビーニョの右サイドに日本の長友、香川の左サイドからの攻撃が蓋をされ、本田はボールが預けられた瞬間に3人に寄せられてボールを奪われ、ショートカウンターにつなげられる。TV解説でいつも使われる「日本は研究されていますね」の言葉には苦笑いするしかありませんでした。オランダのスペイン戦での5バックを引合いに出すまでもなく、まず、相手の良さを消しあうところから始まるのが、W杯の戦い方。その為の事前のスカウティング合戦は当然のことですし、日本のスカウティング技術は決して低くはありません。危惧するのは、「自分たちのサッカー」に拘るあまり、相手の良さを消し、相手の弱みをつくことをおろそかにしていなかったかということです。このような勝利への戦術の欠如が、勝利への執念の欠如に繋がったのではないか。「自分たちのサッカー」の確立という方向性を否定するつもりはありません。サッカーほど国民性が反映されるスポーツはありません。日本代表サポーターとしての至福は、共感できるサッカーでの勝利です。ただ、勘違いしてはいけないのは、どんな強豪国でも「自分たちのサッカー」を90分貫き通して勝てるほど世界は甘くないということです。どの国も、勝利への綿密な戦術の中に自分たちのサッカーをすかし模様のように織り込んでいるのです。原JFA専務理事は、日本代表の敗因のひとつにザックジャパンの引き出しの少なさを挙げていますが、そのオプションの少なさが戦術の幅を狭めました。結果的に「自分たちのサッカー」に拘らざるを得なかったわけです。

2014年7月21日月曜日

ブラジルW杯 - 世界との距離

前回のブログで、スペインの敗退の原因を①世界のサッカーの進化、②「自分たちのサッカー」を封印してまで相手に「自分たちのサッカー」をさせないせめぎ合い、③「自分たちのサッカー」へのこだわりがチームの崩壊につながるという3点に集約してみました。実は、この3点こそ、日本代表惨敗のキーワードではないかと思うのです。それぞれのキーワードに沿って、日本代表の課題を考えてみたいと思います。まずは、「世界のサッカーの進化」。
写真はピンボケですが、試合後サルバドール空港の特別通路を足早に去っていくデル・ボスケ監督です。よもやのグループリーグ敗退は、主力の不調、気候条件の良いキャンプ地での熱暑順応の失敗の他に、スペインのポゼションサッカーの停滞があったと思います。2008年のEuro優勝、2010年南アW杯制覇と無敵艦隊の時代が続く中でドイツ更にはイタリアまでパスサッカーを標榜するようになりました。ただ、模倣するだけでは、オリジナルを超えることはできません。強豪国は、各国とも、ポゼションサッカーのエッセンスを付加しながらも、その対策を綿密に組み上げていました。世界は常に先を目指しているということです。その中で日本は周回遅れでスペインサッカーを追いかけていた訳です。オランダは5バックの奇策でサイドのスペースを消してきました。また、ファン・ペルシを1トップとして残し、中盤を厚くして、スペインの縦パスの出処を抑え、スペインにサッカーをさせませんでした。一方、攻守の素早い切替えで長短のパスを織り交ぜたオランダの攻撃は見事でした。コートジボアールの戦法はより単純でした。オーリエとジェルビーニョの右サイドを高い位置に保って、日本の長友、香川の左サイドからの攻撃に蓋をし、本田にボールが預けられた瞬間に3人で寄せてボールを奪い、ショートカウンターにつなげる。日本代表は「自分たちのサッカー」の片鱗も見せることなく、敗れ去りました。
初戦で歯車が狂った日本は、なすすべもなく1勝も出来ずにブラジルを去ることになるのですが、日本のみならず、韓国・豪州・イランのアジア勢いずれも1勝も出来ませんでした。アジアと世界との差が広がりつつあると考えざるを得ません。世界のサッカーの進化は加速しており、アジアはその進化から取り残されているのではないか。公式戦の殆どをそのアジアで戦わざるをえず、アジアの中ではアジアの盟主として「自分たちのサッカー」で戦い、最近は強豪国との対戦でも「自分たちのサッカー」を貫く戦い方をしており、これでは、世界を体感しようがありません。親善試合でお互いのサッカーを披露しあっているだけでは、真の世界のサッカーを引き出すことは出来ないのです。「自分たちのサッカー」へのこだわりと「頂点を目指す」という志の副作用である根拠のない自信が、日本代表を世界の高みに導くどころか、世界から遠ざけたのではないでしょうか。

2014年7月20日日曜日

ブラジルW杯 - スペインの惨敗が暗示していたもの

今にして思うと、あのスペインvsオランダ戦が日本代表惨敗の暗示だったのかもしれません。試合前は、スペイン(写真)のポゼションサッカーが世界の潮流となっていること、オランダの守備陣が日本との親善試合で崩壊していたことを勘案すると、むしろスペインの圧勝を予想していました。それが、5-1という大差でのオランダの勝利。ロッペンのスピードは衝撃的でさえありました。ファンペルシーのダイビングヘッドはスポーツを超えた芸術品でした。しかし、そんな個の力のみで圧勝出来るほどW杯は簡単ではありません。むしろ、注目すべきは、①世界のサッカーは既にポゼションサッカーを超えるところまで進化していたということ、②「自分たちのサッカー」を封印して(オランダの5バック)まで、相手に「自分たちのサッカー」をさせないせめぎ合いから始まるのが世界のサッカーであるということ、③「自分たちのサッカー」へのこだわりが強いほど、僅かな歯車の乱れがチームの崩壊(スペインの崩壊)につながってしまうという3点です。まさに、スペインの敗戦の延長線上にあったのが、ザックジャパンの惨敗だったのではないかと思うのです。

2014年7月19日土曜日

ブラジルW杯 - Ready to go

半年以上ブログを中断してしまいました。Facebookを始めて、思い立った時に情報や想いを友人と共有出来る手軽さから、ついつい書込みのツールがFBに限定されるようになってしまいました。想いの呟きを都度アップしていると、なかなか推敲した長文が書けなくなってしまったのも、ブログ中断の原因でした。ブログを開始したのは2008年。北京五輪のサッカー現地応援レポートが最初のテーマでした。今回のブラジルW杯の主力である本田、香川、長友、吉田、内田、岡崎などが、当時のU-23代表でした。北京五輪での惨敗をバネに海外に雄飛し、A代表での雪辱を目指していたのですが、残念ながら、再度、世界の壁に跳ね返される結果となってしまいました。当時の反町監督は「日本らしいサッカー」を唱えていました。そして、今回の代表も「自分たちのサッカー」へのこだわり。2つの惨敗をつなぐこのキーワードをプロットに据え、ブログを再開したいと思います。
今回のブラジルW杯では、日本のGL初戦コートジボアール戦に加え、オランダvsスペインというゴールデンカードを観戦する3泊7日のツアーに参加しました。各国のサポーターが各々の代表ユニフォームを着て、街を練り歩き、現地の酒とサッカーに酔う4年に1度の祭典。それが、サポーター達のW杯なのです。W杯に出場出来るのはFIFA加盟209ヶ国(地域)のうちわずかに32ヶ国。7分の1に選ばれしサポーターとして、W杯に参加できる至福に身を委ねにいくのが、W杯現地観戦の目的でもあります。今回は、地球の裏側だけに流石に現地応援日本人サポーターの数が不安視される為、現地ブラジル人の助っ人サポーターを増やそうと、日の丸ハチマキを50本用意し、また、ポルトガル語で「日本を応援して下さい」のパネルを用意しました。後輩がプロモートしている「ハチマキ大作成」への私的別働隊としての参加でもあります。
写真は、出発前のパッキング前のショットです。1ヶ月前に記憶を巻き戻して、ブログを書き始めることにします。