
実は、昨日、中学時代のミニクラス会を大久保のディープな台湾料理「菜心」で行いました。建築士Mさんは先日大連出張の際、203高地に登ってきたとのこと。幼稚園時代からの友人のK映画監督も、菅野美穂の律役はお気に入りの由にて、やはり、裾を押さえながら駆けるシーンは素晴らしかったと大絶賛していました。まさか、あのピンポイントのシーンを語り合える人がこんなに身近にいようとは思ってもいませんでした。このちょっとした驚きのエピソードが拡張子(.mpg)となって、あの菅野美穂のワンシーンは記憶のHDDにしっかりと書き込まれることとなった訳です。記憶というのは不思議です。K監督が映画の道を志したのは高校3年生の時だといいます。ただ、以前のクラス会でK監督が想いを寄せていたS子さんが「Kクンは、中学の頃から映画監督になりたいって言っていたものネ」と証言していました。どちらが正しいのかは知る術もありませんし、その必要もありません。我々は無数の色に染まった記憶のエーテルの海の中で生きているのです。そして、今、この瞬間は正しい記憶の上に成り立っているのではなく、美しい記憶の行き着くところとして存在しているのです。それは、ちょうど、明日が、「のぼりゆく坂の上の青い天にかがやく一朶(いちだ)の白い雲」として存在しているように。
「楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながら歩く。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。」(「坂の上の雲」第1巻あとがきより)
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