2008年10月8日水曜日

リトアニア魂

今回訪問した工場は首都ヴュリニュスから車で約1時間の人口6,000人の村の中にあります。従業員が1,200人ですので、村のほとんどの家庭が何らかの形でこの工場にかかわっていることになります。また、工場の体育館は村の重要な施設となっており、最近は工場の寄付により新しい教会が建てられ、村人は非常に喜んでいるとのことです。工場は人口湖のすぐ横に緑に囲まれて立地しており、素晴らしい環境です。工場長は足が不自由な為車椅子を利用している70歳を超える老人ですが、謹厳とした顔つきの中に常に笑みをたやさない好人物です。旧ソ連時代は、サッカーの州代表のGKをつとめ、電子関連の国営企業に勤務していたそうです。リトアニアは、かつては帝政ロシアに支配され、一時独立していたものの、戦後再び旧ソ連に併合され、ソ連崩壊とともにようやく独立を回復したという歴史があるだけに、ロシアに対する憎悪というものは並々ならぬものがあります。それだけに、日本の北方領土問題も知っており、日本人には親近感を覚えているようです。日本版シンドラーとして知られる杉原千畝の記念碑も残されており、日本から贈られた桜の花が毎春川辺を彩るということで、意外なところで日本とのつながりを発見するのも旅の喜びのひとつです。(今回は出張なので、旅とはいえませんが)
工場長が昔勤めていた旧ソ連の電子企業にVTRを開発せよとの国の命令が下り、日本製VTRを手に入れて技術者総掛りでそのコピーを製作したことがあったそうです。彼は、中心部分のICの解析・複製を担当し、かなり苦労したとのことです。「一から独自に開発した方がかえって早いのに、あくまで外国製品のコピーにこだわるのがロシア人だ。だから、ロシアはあれだけの大国なのに、いまだに独自のブランド製品がない」とのこと。なるほど・・。「サッカーの選手時代は、ウラジオストックまで遠征し、着いた翌日時差ボケのまま試合をして、そのまま帰ってきたり、大変だった。ただ、スポーツの代表選手になって遠征することだけが、地元を離れて旅行する唯一のチャンスだったので、何とか代表選手になろうと頑張った」そうです。旧ソ連時代の苦労話・恨み節は際限なく、だからこそ今の自由と平和を大事にしたいということなのでしょう。リトアニア魂を感じました。(写真は工場のエントランス)

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