2008年12月7日日曜日

名波~、ありがと~う!








2008年12月6日(土)、ヤマハスタジアムは空までが淡いサックスブルーに染まり、名波を見送るのに相応しい天気となりました。ベンチスタートの名波は、先発組の練習が終わった後、名波との残り少ない時間を惜しむようになかなかピッチから引き上げようとしないゴンや西に左足からのクロスをあげ続けていました。独特の柔らかな軌道を描くクロスボールにゴンがヘッドで飛び込み、西が右足を伸ばします。少しずつイメージと異なるボールコントロールに名波が首を振ります。あのピンポイントのキックは戻ってきません。きっと、右膝は、キックのたびに悲鳴をあげているのでしょう。でも、あの左側にやや傾いたキックフォームは少しも変わっていません(写真上)。このフォームからどれだけのファンタジーとマジックを見せてくれたことか。スタンドの手すり越しに引き上げてくる名波に声をかけました。「名波~、ありがと~う!」いつものはにかむような笑顔でちらっと反応してくれました。はるばる磐田にまで駆けつけた甲斐がありました。
J1最終節の結果は、ご存知の通りです。気持ちよく残留を決めていたら、名波の引退式も随分雰囲気の異なるものになったと思いますが、少しずつツキのない名波らしいといえば名波らしい舞台演出となってしまいました。
スクリーンに映し出されたかつてジュビロで一時代を築いた仲間たちからのビデオメッセージは、全盛期のジュビロの強さがその一体感にあったことを実感させるものでした。大岩・俊哉・服部・高原・福西、その全てのメッセージは、名波への愛情、そして、あの頃のジュビロへの深い愛着に溢れていました。あの頃のジュビロは強かったし、本当に愛すべき素晴らしいチームでした。名波という本当に愛すべき選手がその中心にいたからこそ出来上がったチームだったのだと思います。稀有なチームでした。あんなチームはもう出てこないでしょう。引退式の圧巻は、ゴンとの文字通り「熱い」抱擁でした。(写真下。背番号7のユニフォームがゴン。この後、選手全員のサインがされたこのユニフォームがゴンから名波に贈られました。)
名波はある雑誌のインタビューで自分のことを左足しか使えない不器用な「昭和のレフティ」と揶揄しています。実際に活躍したのは平成であり、必ずしも正確な表現ではありませんが、名波らしい言い回しです。確実にひとつの時代が終わりました。その時代をライブで体験できたのは本当に幸せでした。「名波~、ありがと~う!」

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