2008年11月13日木曜日

名波選手引退

覚悟はしていましたが、ついに来る日が来てしまいました。モリシに続いての名波の引退発表。(今日のシリア戦、大久保がゴール・パフォーマンスでモリシの飛行機ポーズをしながら、「森島さ~ん」と言っているように口の動きが見えたのは私だけですか?)ひとつの時代が終わりました。
名波の最高のパフォーマンスは2000年のレバノンでのアジア杯だったと思います。あのチームは、まさに名波ジャパンでした。イラク戦での俊輔のFKをダイレクトボレーでゴールに突き刺したミドルシュートは代表のベストゴールとして語り継がれると思いますが、予選リーグ、ウズベキスタン戦で西澤と高原の清水東コンビのダブル・ハットトリックを引き出した司令塔ぶりは見事でした。98年フランスW杯予選から日本の10番を背負った名波に対して、「10番は似合わない」との批判がありました。これに対して「好きでつけているわけじゃない」とか「10番はイメージが強すぎて好きじゃない」と愚痴をこぼす名波というのは、本当に人間くさい選手だったと思います。だからこそ、いろんなものを背負ってもがいていた代表名波の10番が好きでした。むしろ活き活きとしていたのは、ジュビロ黄金時代の7番名波。奥・藤田・福西・服部という一流の役者に囲まれてゲームを演出していたN-Box(名波を4人が囲むという意味)は本当に楽しいサッカーを繰り広げていました。そのまま日本代表にして欲しかったすごいチームでした。ベネチアから帰ってきて苦悶していた16番も捨てがたい魅力がありました。ベネチアのデビュー戦でのミドルシュートがポストに嫌われてしまうのが名波。98年W杯アルゼンチン戦でクリアしようと伸ばした足に当たったボールがバティストゥータの足元にころがってしまうのも名波。すこしずつ、ついていない中で、唇を噛みながら、鈍足でも、精一杯走り回った名波は決して天才レフティではなく、等身大のサッカー選手が夢を紡ぎだしていくという、サポーター冥利につきる愛すべき選手だったと思います。ご苦労様でした。出来うることなら、得意(?)の解説者の道には進まずに、ジュビロの若手育成から始めて、いつか監督としてピッチに戻ってきて欲しいと思います。「♪名波、浩、アレアレアレオー、浩」(写真は、名波直筆の引退発表文。手書きでサポーターに最初に報告するという律儀さがにじみ出ています。クリックすると拡大されます。)
ところで、実質3トップで臨んだ今日のシリア戦。岡ちゃんは、この奇策でカタール戦に臨むつもりなのでしょうか。アウェイ戦でも、格上のチームとして、3トップで押し込んで、90分間ゲームを支配し続けていくという戦略を取るというのなら、それはそれで理にかなっています。ただ、4バックの危うさは全く改善されておらず、不安です。両サイドバック・ボランチとCBとの連携は全く未完成。だからこそ、ギャンブル覚悟で、3トップで押しまくるというのでしょうか。まさに、奇策。でも、その勇気と思い切りは、嫌いじゃありません。常に背水の陣との覚悟のなせる業なのかもしれません。カタール戦が楽しみです。

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