2008年9月17日水曜日

バックスタンドのそら耳 No.1 - 北京五輪レポート

実は、北京滞在中、メルマガで北京五輪レポートをサッカー仲間に配信していました。新規ブログの書込みを暫らくサボって、メルマガをブログで紹介させて頂きたいと思います。
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今、北京に来ております。五輪開幕直前の北京は、今にも夕立ちになりそうな曇天です。だと思ったら、これはスモッグとのことです。北京の大気汚染、恐るべし。 本日から、私のアドレスブックからサッカーのキーワードで検索された皆さんに、北京からのメールを送付させて頂きます。コーヒーブレイク用にお読み下さい。日経新聞の名スポーツライター武智さんのコラム「ピッチのそら耳」にあやかって、「バックスタンドのそら耳」。あくまでサポーターの立場から(ここが、解説者の立場からサポーターになりきってしまう松木某と一線を画すところです)、五輪のバックスタンドである北京の市街の日常、スタジアムの空気をお伝え出来たらと思います。とはいえ、「偽チケット」「サポーターのユニフォーム着用禁止・没収」など様々な噂が飛び交っており、無事にバックスタンドのシートにたどり着けるか不安ではあります。 10年前のフランス・ナントでは、ゴール裏からただただ祈りながら名波とゴンに「気」を送っておりました。出場国のサポーターとしてW杯の場にいただけで幸せでした。2000年のシドニー(会場はキャンベラ)では、黄金世代の躍動に心震わせ、日韓W杯での躍進を確信していましたが、その夢も仙台の降りしきる雨の中に空しく消えてしまったのが、昨日のことのようです。アテネの谷間世代には感情移入ができず、ドイツでの惨敗には、99年ワールドユースの準優勝が黄金世代のピークであったことを思い知らされました。 祈り → 高揚・一体感 → 虚脱。今回の五輪は日本の現在のサッカーの検証に行ってこようと思います。ともに戦う気持ちは失っていませんが、勝ち負けよりも、日本が行き着いた献身と連動という組織サッカー、反町監督の言う「Non-Stop Soccer」がどこまで世界に通用するのかじっくり見極めてきたいと思います。結局は、メキシコの銅メダル以来、献身(自己犠牲)と連動が日本人の長所であり続けており、それが、日本人の限界となっています。それを前提とした反町サッカーが、何を残せるのか、興味深いものがあります。柏木・梅崎・森嶋という秀でた「個」を敢えて捨てて、選考した18人(正直、柏木のいないのは寂しい)。蟻のように群がってボールを奪い、蟻の列のように整然とボールを運ぶサッカーが世界にサプライズを起こせるのか、注目。日本らしいサッカーとは何か。我々は、それで満足できるのか。日本らしいサッカーは、美しいのか、勝てるのか。とりあえずは、米国戦。楽しみです。では、また、明日。 - 8月6日

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