2008年10月1日水曜日

バックスタンドのそら耳 No.7 本当の最終回

機上で「今度こそ最後の北京便り」を書いています。
点を取りにいかなければいけない試合に、何故、また李のワントップだったのか?本田・細貝の守備的ボランチに安田・香川の攻撃的左サイドのミスマッチがカウンターによる2失点の原因ではないか。何故、谷口のトップ下にこだわり続けたのか?ホテルに戻ってからの反省会は深夜まで続き、新潟アルビ・サポーターを中心とする反町擁護派が反町批判派をかろうじて上回る結果でした。「それでも責任をとらざるをえないので、反町はアルビで引き受ける」とのアルビ・サポの一方的宣言に、「清水東つながりで健太からの監督の移譲もありうる」というエスパルス・サポはかなり押され気味でした。
選手からも「チームの軸が無かった」というまだオランダ戦を残しながら大会の総括的な監督批判まがいの発言まであったとのことです。残念でなりません。韮崎高校出身のツアー参加者長老の「これで暫くは日本のサッカー熱も冷めるな」の一言が重く響きました。
香川のミスの多さは目をおおうばかりでした。戦犯香川の声は強くありました。19歳の若さは理由にならない。世界では19歳でもトップスターとして活躍している云々。ただ、交替前のわずかな時間に取り戻した本来の輝きは世界に通じるものでした。反町さんが惚れ込んだ逸材は必ずや世界に飛躍する選手に育ってくれるものと信じます。
やはり、問題は、反町さんも繰り返した「日本らしさ」だと思います。「日本らしさ」の良さも悪さもつきつめて、本当に「日本らしい」サッカーで世界と戦い、勝ち負けを重ねていく過程が大事なのだと思います。もしかしたら、どうあがいても所詮世界の30位前後のサッカー中進国が限界なのかもしれません。それでも、「日本らしい」サッカーを応援することでサポーターは一緒に共感して戦うことができ、満足を得られるのです。EUROを制したスペインのサッカーがお手本になることは、よく言われることです。ただ、選手個々の実力・イマジネーションには大きな隔たりがあります。今はそれをつめて行く努力が必要なのだと思います。まずは、2010年、南アに向けて。
今回の中国は、実に20年振りでした。その変貌振りは日本のこの20年間の比ではありません。全く別世界の感がありました。まさに「やれば出来る中国」「中国、恐るべし」でした。ただ、その本質部分の冷ややかな塊は、依然としてそこに存在していました。「自由の抑圧」が日常のスマイルを奪い去ったままにしているのだと思います。この氷塊を解かしてしまわない限り、中国の国際社会への本格的復帰・更なる飛躍は無いものと確信します。もしかしたら、この五輪がその扉を開くかもしれません。中国共産党は威信をかけた五輪開催により、彼らにとってのパンドラの箱を開けてしまったのかもしれません。 日本のサッカーを中国という大国の現代史に重ね合わせるのは、如何にも不敬ですが、日本サッカーの抱える氷塊と中国の氷塊、どちらが先に溶けるのか。どちらにせよ、それは、そんなに遠い先ではないような気がします。
ながながとお付き合い、有難うございました。ところで、何人かの皆さんは覚えていらっしゃると思いますが、北京便りNo.2に登場したジュビロ+アルビ・サポ(=反町信者)のSさんですが、ナイジェリア戦終了後ピッチを後にしてロッカールームに引き上げる反町監督に向かって、スタンド最上階の5階席から精一杯の慰めの声をかけるとともに、「反町監督、男前~」と絶叫しておりました。応援は「大いなる愛」です。どんな状況であれ、サポーターたるものこうでなければいけません。感動しました。一足先に帰国する私にアルビ特製のバンドエイドを頂きました。またどこかでお会いできればと思います。またひとつ良い出会いがありました。これだからサッカー観戦ツアーはやめられません。「バックスタンドのそら耳」次回配信は、2年後の予定です。 - 8月11日 (写真は米国戦後観客席を見上げながら引き上げる反町監督)

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