2011年7月30日土曜日

なでしこ現象考 - その1

「なでしこ」が社会現象になっています。W杯後は、どのチャンネルを回してもなでしこ達が出演しており、再開したなでしこリーグには普段は数百人も集まらないスタジアムに1万8千人の観客が押し寄せました。その中で、なでしこ達は疲れたそぶりも見せずに律儀に質問に答え、また、見事なプレーを披露してくれていました。TVのインタビューで、浮かれることなく、また、驕ることなく、これまで女子サッカーを支えてきた先輩達への感謝の言葉を述べる彼女達の態度に感銘を受けた方も多いと思います。その姿には、しっかりと自立した大人の集団を感じさせるものがありました。女子W杯の直前に行われ、ベスト8で涙を飲んだU-17日本代表の吉武監督が、チームに欠けていたものとして選手の自立をあげていました。高校世代の少年に自立を求めるのも酷な話と感じていましたが、「この世代のレベルを凌駕する極めて質の高いサッカーをしていたにも拘らず、ブラジルの壁を乗り越えられなかったのは、その精神面での差が決定的だった」というのです。「ブラジルは、日本の戦い方を個々の選手が判断してゲーム中にサッカーを変えてきたが、日本は練習通りのサッカーしか出来なかった。個人技の差以上にその判断力の差が大きかった」というわけです。一方のなでしこは、防戦に追われた前半戦、しっかりとブロックを作って猛攻に耐えながらも、DFラインでのゆったりとしたパス回しで米国のリズムを崩すというサッカーをしていました。そして、潮目が変わったとみるや、前線への速いスルーパスを起点に、積極的にラインを押し上げる戦法にギアチェンジ。この切替えが実にスムーズに行われていました。共通理解は、それぞれの選手の自立した判断の上でこそ成立するものなのです。日本ではU-17のみならずA代表でも自立した集団が登場するに至っていません。男子チームで一番近づいたのは、N-Boxの頃のジュビロでしょうか。何故、歴史の浅い女子チームで先に自立したチームが出来上がったのでしょうか?そもそも、日本には、なでしこ達が自立せざるを得ない社会環境があります。小学生の頃男子と一緒のチームでプレーしていることにより、なでしこ達の技術が磨かれたと以前書きましたが、中学進学に際し、既に彼女達はサッカーを続ける為に自立(=自ら判断・決断)を迫られることになります。サッカーチームが全国に約3万ある中で、女子チームは約1,200チーム、中学生も所属しているチームは400程度に過ぎません。女子サッカー部を有する中学を近隣に見つけるのは至難の技です。彼女達は小学生にして、バスケットなどの他のスポーツに転向するか、片道3時間かけてクラブチームに通いながらサッカーをするかの選択をしなければなりません。自分がベンチに押しやっていた男の子達が地元クラブや中学の部活でレベルアップしていくのを横目に見ながら、中学世代でサッカーを諦めざるを得ないサッカー少女達は決して少なくないわけです。更に社会人になる際も同様です。男子のJリーグという受け皿に比べ、なでしこリーグの経済的基盤は極めて脆弱です。なでしこジャパンの代表クラスでも、アルバイトをしなければ生計を立てられないのが実態です。ここにも、サッカーをするためには、組織に頼らずに自立するしかないなでしこ達の姿があります。
この状況は日本社会に共通したものでもあります。男女差別が無くなってきたとは言え、まだまだ男性の方が組織内で優位な立場にある社会環境下で、男性は組織を拠り所とし、組織の中で自らの志を遂げようとします。それとは逆に、志を遂げる為には自立するしかない女性達。「団結力」という共通の強みを有しながらも、男女の日本代表の間では精神構造面で現段階では大きく異なるというのは、言い過ぎでしょうか。(写真は、決勝PK戦での勝利の瞬間)

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