2011年9月1日木曜日

新米 - 尻切れ蜻蛉 - ノルウェーの森

スマートフォンを持つようになってから、電車の中での読書量がめっきり減りました。また、そのスピードもすっかり遅くなってしまいました。言葉の意味や語源が気になると、ついついネットで検索してしまい、その度にスジを追い直す連続で、ちっとも読書に身が入りません。
今朝も、小説に「新前」の文字。新米の誤植だろうと思いながら調べてみると、「江戸時代、新しい奉公人は新しい前掛けをしているので、新前と呼ばれていたが、これが訛って『しんまい』となり、やがて新米の文字があてられることとなった。」なるほど。少し読み進むうちに、今度は「尻切れ蜻蛉」。普段からよく使っておりますが、語源は?再び読書中断。「鼻緒の先を蜻蛉の羽のように結んだ草履があり、とんぼ草履と呼ばれていた。その中でも踵の部分の無い足半(あしなか)という草履(写真)は尻切れ蜻蛉と呼ばれ、中途半端な様を尻切れ蜻蛉と呼ぶようになった」とても尤もらしいのですが、鼻緒の先を蜻蛉の羽のように結ぶというのがどうにもイメージ出来ませんし、草履を「物事が完結しない様」の例えに使うのはかなり無理があるのでは?ただ、文字通り「尻の切れた蜻蛉は飛べなくなってしまうので」というのも、残酷過ぎますね。などと考えていると、読書はそっちのけですっかり深みに。
昔から気になっていた「ビートルズの『ノルウェーの森』というタイトルは誤訳?」との問題。村上春樹の「ノルウェイの森」は、この音楽が飛行機のスピーカーから流れて、主人公が回想するシーンから始まります。小説全体がこの楽曲の旋律のようなどこかほの暗くウェットなトーンに包まれていて、秀逸なタイトルだと思っていましたが、作家自身は必ずしも気に入っていなかったようです。また、小説自体、ギリシャとイタリアという陽光溢れる南欧で、同じビートルズでも、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のテープを120回も聴きながら執筆したということで、イメージ的には対極です(「ノルウェーの森」はアルバム「ラバー・ソウル」に収録)。村上春樹の音楽に関する造詣の深さは、その作品の中でしばしば披露されていますが、「ノルウェーの森」についても、「このタイトルは誤訳であるという議論があるが、そのことについて書くと長くなってしまうので」と語っています。実際長くなってしまうので、この話題については次回に持ち越しということにします。

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