
彼女は福島第一原発の技術部門に勤務しながら、東電マリーゼでプレーしていました。そして、あの大震災。マリーゼの活動休止とともにサッカーを諦めるつもりでいた彼女に米国移籍を決意させたのは、「自分達の分までサッカーで頑張って欲しい。なでしこで活躍して福島のサポーター達を勇気づけて欲しい」というチームメイトからの後押しでした。W杯での活躍は、その言葉通り、福島のみならず、日本全体に元気をもたらしました。鮫島がW杯で着用したユニフォームは、福島第一原発の免震重要棟に飾られています。野田首相が訪れた際、吉田所長は、このユニフォームを「守り神」と紹介していました。9月11日は震災からちょうど半年。鮫島には、なんとしてもゲームに出なければならない特別な理由があったわけです。その鮫島。再三左サイドを駆け上がってはドリブルをしかける、気持ちの入ったいいプレーをしていました。何よりも5試合フル出場450分間を戦い抜いた熱い想いは、確実に被災地に届いたことでしょう。
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