2011年6月14日火曜日

自信と誇り 続編

日本代表、自信と誇りの系譜について、もう少しだけ語りたいと思います。(写真は反町姫から送付のあった新潟でのペルー戦)
自信家、自信過剰、プライドが高いなど、謙譲の美徳の国では、そもそも、自信やプライドはネガティブに受け止められがちです。尚且つ、戦後教育の中で日本国民としての誇りは徹底的に封じられて来ました。日本人の美学である武士道の精神性の本質は自らの名誉=自尊に深く根差すものです。しかし、その自我の意識は西洋の個人主義とは根本的に異なり、共同体との同化の中で自らの精神の修養を図るというサンデル教授のコミュニタリアニズムにも似た精神構造をとっています。したがって、個人と組織を対立概念で捉え、個の封印を強要したトルシエも、個の解放を目指したジーコも、日本人の本質を理解するには至っていなかったといわざるを得ません。「日本化」を唱え、「ボールも人も動くサッカー」=「献身と連動のサッカー」を目指したオシムは、「日本のサッカー」に最も近づいた代表監督でした。そして、岡田監督。スペインサッカーを目指して、挫折と失意の末に辿りついたのは、「献身と自己犠牲のサッカー」。献身を通じての自己実現は、日本人の精神性にフィットする事を思い出させてくれました。自らの精神性の発露の結果として掴み取ったBest16。そして、更に大きな収穫は日本のサッカーというものへの自信と誇り。2010年南アW杯は、日本サッカー界にとっての分水嶺だったと思います。日本サッカーへの自信と誇りに、海外に雄飛した選手達の個々の自信と誇りが上積みされ、土台のしっかりしたチームとなったのが、今の日本代表の姿です。ただ、ようやくサッカー先進国の末席に辿り着いたといったところです。日本らしいサッカーでどうやって勝っていくか。これからが本当の勝負といえます。自信と誇りには進化のDNAが組み込まれています。多少の行きつ戻りつは覚悟すべきでしょうが、大いに楽観しています。

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