2010年10月17日日曜日

台湾紀行1 - 基隆は今日も雨

台湾北端の港町基隆は、雨の日が多く、年間280日以上雨が降るとのことです。この日も、しのつくような雨が街を濡らしていました。日本統治時代には、日本海軍が駐留する軍港として、また、日本と最も近い立地から日本との貿易港として繁栄しました。一時期は、人口の4分の1を日本人が占めており、私の母もその中の一人でした。母は、女学校時代まで基隆で暮らし、終戦とともに日本に引き揚げてきました。
台湾の旅は、図らずも、母が戦時下青春時代を過ごした女学校から始まることになりました。
ここで話は前後しますが、大久保に菜心という台湾料理の名店がありました。台湾人の女将さん一人で調理から配膳まできりもりする小じんまりとしたお店で、台湾のお袋の味ともいうべき家庭料理が絶品でした。その菜心のママが、店を閉じて、故郷の台北に戻ってしまってから2ヶ月。ママの「台湾に遊びにおいで」の言葉に甘えて、お店の常連仲間と連れだって、今回の台湾の旅となった次第です。宿も観光旅程もママにお任せ。ただ、時間が許せば、私の母親が通っていた基隆の女学校に行ってみたいとお願いしておりました。
菜心の売りは、料理の味の他に、ママのサービス精神・ホスピタリティにありました。珍しい台湾の果物をデザートにサービスしてくれたり、料理の味付けを褒めると秘伝の「醤」を分けてくれたり・・・。とにかく、客の喜ぶ顔をみるのが楽しくて仕方がないという感じのママでした。そんなママだけに、学校の門の前で写真を撮るだけのつもりでお願いしていたのが、行ってみるとママの交渉力(?)で、何と校長室に招かれて校長と面談の上、ご丁重な記念品まで頂き、その後は女子高(写真・現在は生徒数2,000人のマンモス校)の校内を教務主任が案内という至れり尽くせりの歓待でした。その上、母が通っていた小学校が近くに残っているとの話をすると、教務主任自ら現地に案内して頂き、台湾の方々の親切さにはつくづく感激致しました。この間、女性職員が大きなカメラでフラッシュをたきながら写真をバチバチ撮っており、校内新聞でどのように掲載されるのか、厚顔無恥な日本人にとっても、多少心配なところであります。
小学校は、裏山を背負った丘の中腹にあり、校舎自体は勿論改築されていましたが、周りの風景は母に聞かされた面影を残しておりました。終戦のあの頃、基隆の町は、やはり雨に煙っていたのか、老いた母に聞いてみようと思います。(1日目の旅程:桃園国際空港→基隆→九份(「千と千尋の神隠し」の舞台)→基隆夜市→台北ホテル)

0 件のコメント: