思いつくままに書き綴っているうちに、あと1時間で2011年が幕を閉じようとしています。日本にとって、辛く悲しい1年でした。来年はみんながその悲しみを乗り越え、ともに手を携えて日本の未来を拓いていく年になって欲しいと願っています。良いお年をお迎え下さい。
2011年12月31日土曜日
大晦日 - 高校サッカー1回戦
2011年12月25日日曜日
Here Comes The Sun

Here Comes The Sunは、アルバムAbbey Roadの収録曲ですが、「It's been a long , cold, lonely winter」とか「I see the ice is slowly melting」といった早春の季節感が日本人の感性に合ったのか、日本だけでシン グルカット(写真)されています。
この頃のビートルズはよほど複雑な人間関係だったようで、もともと人づきあいのよいリンゴすら疲れ果てて「静かな海の底で暮らしたい」とOctopus' Garden(同じAbbey Roadに収録)の中で歌っています。もっとも、自らストローで水をブクブクさせて、海の中の効果音を演出するなど、あくまでリンゴらしい明るい曲に仕上がっていますが・・・。
♪ Here comes the sun, doo da doo doo
Here comes the sun, and I say it's alright
Here comes the sun, and I say it's alright
..............................
..............................
Sun, sun, sun, here it comes
Sun, sun, sun, here it comes
今年は、日本にとって悲しく、辛い年でした。でも、見上げるとそこには弱々しくはありますが、暖かさを湛えた陽の光が輝いています。
2011年12月18日日曜日
クラブW杯決勝 - バルサ劇場
2011年12月15日木曜日
FIFAクラブW杯準決勝 - 御礼10,000アクセス
クラブW杯準決勝柏vsサントス。柏が万が一勝つとしたら、むしろ早い時間に失点し、サントスに余裕を持たせて時間をつぶしながら、終了間際にセットプレーから追いつき、延長戦を守り切ってPK戦、と考えていましたが、サントスのスーパーゴール3連発がその淡い期待を見事に打ち砕きました。ボール支配率、シュート数で上回りながら、個人技、シュートの精度での大きな差。しかし、臆することなく、自らのサッカーで立ち向かうという絶対に勝つ見込みのない戦法で戦った柏はある意味で立派でした。これを隙を見せることなく、確実に突き放したサントスは、さすがに南米王者。ネイマールの1点目(写真)をはじめとし、サントスの3点はいずれも高い個人技からのスーパーゴール。足の裏を使ったフットサルのようなボールの扱いは新時代のサッカーを感じさせました。また、強く印象に残ったのは、攻撃・守備の両面での的確なポジショニング。味方のパスを正確に予感しての走り込み、相手のパスコースを予測しての守備の位置どり。ゲームを支配するのは、ボールの支配率ではなく、オフ・ザ・ボールの動きであることを思い知らされました。
ところで、ふと気がつくと、ブログのアクセスカウンターが5桁となっていました。10,000アクセス突破はおそらく13日(火)と想像されます。2008年9月15日にブログをオープンしてから3年3ヶ月。1日当たり8名強の方に閲覧頂いた計算になります。有難うございました。厚く御礼申し上げます。アクセス履歴をみると、マレーシア、ロシアから定期的にアクセスがあり、イギリス、ドイツ、ウクライナからも閲覧して頂いているようです。インターネットが如何に世界を小さくしたかを身をもって感じます。
第1回のブログ(クリックで閲覧)は、北京オリンピックでの男子サッカーの惨敗を嘆いて、世界との距離がまだまだ遠く、まずはJリーグから盛り上げてサッカー文化を高めていかなければならないと綴っています。その北京五輪惨敗組の主力だった本田、香川、長友、内田、岡崎、吉田、細貝、安田、森本は今や海外に活躍の場を移し、Jリーグ王者柏が南米王者相手に互角の勝負を挑むまでになっています。世界のトップは逃げ水の様になかなかその距離を縮めさせてくれませんが、この3年間日本のサッカーは着実にレベルアップしている様です。
ところで、ふと気がつくと、ブログのアクセスカウンターが5桁となっていました。10,000アクセス突破はおそらく13日(火)と想像されます。2008年9月15日にブログをオープンしてから3年3ヶ月。1日当たり8名強の方に閲覧頂いた計算になります。有難うございました。厚く御礼申し上げます。アクセス履歴をみると、マレーシア、ロシアから定期的にアクセスがあり、イギリス、ドイツ、ウクライナからも閲覧して頂いているようです。インターネットが如何に世界を小さくしたかを身をもって感じます。
第1回のブログ(クリックで閲覧)は、北京オリンピックでの男子サッカーの惨敗を嘆いて、世界との距離がまだまだ遠く、まずはJリーグから盛り上げてサッカー文化を高めていかなければならないと綴っています。その北京五輪惨敗組の主力だった本田、香川、長友、内田、岡崎、吉田、細貝、安田、森本は今や海外に活躍の場を移し、Jリーグ王者柏が南米王者相手に互角の勝負を挑むまでになっています。世界のトップは逃げ水の様になかなかその距離を縮めさせてくれませんが、この3年間日本のサッカーは着実にレベルアップしている様です。
2011年12月11日日曜日
FIFAクラブW杯準々決勝 - 攻め

かつて、世界水準の判断のスピードを有していたJリーグチームがありました。名全盛期のジュビロ磐田。名波を服部、福西、奥、藤田という4人のタレントが囲むいわゆるN-Boxに、前線のゴン、タカが絡む緩急自在な多彩な攻めは華麗そのものでした。2001年第2回クラブW杯。ジュビロ磐田はアジア王者として出場予定でしたが、運営を委託されていたISL社の倒産で中止に。世界がまだまだ遠い時代でしたが、出場していたら、きっとサプライズを惹き起していたのにと今でも悔しく思っています。
2011年12月7日水曜日
Good Morning, Hong Kong

2011年12月3日土曜日
宗谷物語


玉砕地への兵士輸送という辛い戦役を終えた宗谷は、 終戦後その罪を償うかのように引揚船として活躍し、2万人近い引 揚者の命を救いました。その後、日本各地の灯台に物資を運ぶ灯台 補給船の任務を与えられ、灯台守の子供達に本やオモチャも運んだ ことから、海のサンタクロースとも呼ばれました。そんな境遇の宗 谷に初代南極観測船の大命が下ったのは、もともと耐氷型輸送船として建 造されていたことに加え、2度の被爆を無事に切り抜けた強運が決 め手となったと言われています。
宗谷は、計6回の南極観測船としての任務を遂行した後、海上保安庁巡視艇としての通常任務に戻り、1978年、41年間に及ぶ 任務を終え、現在はお台場海の科学館前に係留されています。
登録:
投稿 (Atom)