2011年12月3日土曜日

宗谷物語

キムタク主演ドラマ「南極大陸」はかなり人気を集めているようですが、そのドラマに出てこない越冬隊秘話。越冬隊員の新婚の妻から越冬中の夫への電報。南極に送る電報代の余りに高さに、妻が考え抜いた究極の3文字電報・・・・「アナタ」。初代南極観測船となった「宗谷」は、数奇な運命を辿った船でした。今回は、インターネット検索で調べた結果を繋げた宗谷物語を。「宗谷」は戦前ソ連からの注文で耐氷型輸送船として日本で建造されましたが、ソ連との契約問題がこじれ、結局、日本帝国海軍が買い上げ、測量などを任務とした特務艦となりました。大戦中は、輸送船としてミッドウェー、ガダルカナルなどの死地に多数の兵士を送り込む役目を負うこととなります。宗谷自身は、友艦の多くが撃沈される中で、南洋で米国潜水艦の攻撃を受け、魚雷が命中したにも拘わらず、幸い不発弾だったり、横須賀で戦艦長門や病院船氷川丸とともにドック入りしていた際、空襲にあい、投下されたガソリンタンクが命中するも、ボイラーに火を入れていなかった為に被害を免れるなどして、無事終戦を迎えました。その為、「奇跡の船」と呼ばれました。
玉砕地への兵士輸送という辛い戦役を終えた宗谷は、終戦後その罪を償うかのように引揚船として活躍し、2万人近い引揚者の命を救いました。その後、日本各地の灯台に物資を運ぶ灯台補給船の任務を与えられ、灯台守の子供達に本やオモチャも運んだことから、海のサンタクロースとも呼ばれました。そんな境遇の宗谷に初代南極観測船の大命が下ったのは、もともと耐氷型輸送船として建造されていたことに加え、2度の被爆を無事に切り抜けた強運が決め手となったと言われています。
宗谷は、計6回の南極観測船としての任務を遂行した後、海上保安庁巡視艇としての通常任務に戻り、1978年、41年間に及ぶ任務を終え、現在はお台場海の科学館前に係留されています。

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