2011年8月4日木曜日

リベロ、駆け抜ける

元日本代表の松田直樹選手が帰らぬ人となりました。34歳、余りにも早すぎる夭逝です。やんちゃな熱血漢でした。激しすぎるプレースタイルで、退場処分回数は、ストイコビッチに次ぐJリーグ第2位(8回)。監督とも度々対立しました。マリノス時代の大宮戦で、あまりにも前線に飛び出し過ぎるのに業を煮やした岡田監督から「お前のポジションはどこなんだ」と怒鳴られたにも拘わらず、攻撃参加を繰返し、ついには決勝のゴールをあげたというエピソードも残っています。トルシエジャパンでは3バックの不動の一角でしたが、韓国への遠征中、練習時にトルシエと口論になり、ピッチを後にしてそのまま日本に無断で帰国してしまったこともありました。ジーコジャパン時代には、起用法をめぐって衝突し、以降、代表に呼ばれることはありませんでした。
ジュニアユースまではFWだったこともあり、攻撃の好きな選手でした。闘莉王に代表されるように、今でこそ、DFの攻め上がりは常識ですが、3バック全盛期において、そのプレースタイルは特異でした。日本では数少ないリべロタイプのDFでした。長髪をなびかせて「なんだテメー」と叫びながら前線に駆け上がっていく松田選手のプレーにサッカーファンは魅了されました。2010年マリノスから戦力外通告を受けた際には、2万人を超えるサポーターが通告撤回を求めて署名を行いました。ファンから愛される以上にサッカーとチームを愛した選手でした。マリノス解雇後に移籍先として選んだのはJリーグのチームではなく、その下部のJFLのチーム(松本山雅FC)でした。「最も早く声をかけ、熱心に誘ってくれたから」と本人はその理由を語っていますが、愛するマリノスと対戦するチームには行きたくなかったからとも言われています。そして、松本山雅FCでは、マリノスとは雲泥の差の環境の中で、練習から先頭に立って若手を引っ張り、サッカーについて熱く語っていたということです。
リべロは、イタリア語で「自由」を意味します。愛すべきやんちゃなリべロは、文字通り自由奔放にピッチと人生を高速で駆け抜けていってしまいました。「なんだテメー」と叫びながら。謹んで合掌。

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