2012年12月16日日曜日

魂の伝道師、ゴン引退に寄せて

ゴンこと中山雅史が、現役引退を発表してから早や10日余り。新潟の反町姫はもうショックから立ち直ったかなと案じるこの頃です。この話題はもっと早く取り上げなければいけなかったのですが、さすが「中山隊長」です。正直、手に余りました。調べれば調べるほど凄いプレーヤーでした。2つの世界記録(ギネスブック記録)保持者です。4試合連続ハットトリック(1998年Jリーグ)。国際試合最短ハットトリック(2000年ブルネイ戦3分15秒)。Jリーグでは、シーズン最多得点、通算最多得点、J1最年長出場記録。そして、日本代表のW杯での初ゴール。その初ゴール直後に、骨折していたにも拘わらず、最後まで走り切ったエピソードが自ら語るように、記録にも記憶にも残る選手でした。むしろ、その数々の記録が霞んでしまうほどの強烈なインパクトを残しながら、走り続けたきたプレーヤーでした。Jリーグ発足時から一緒にサッカー界を牽引してきた三浦知良が「King Kazu」と呼ばれて孤高の存在なのに対して、中山雅史は「中山隊長」「ゴンちゃん」とサポーターから本当に愛されてきました。サポーターと一緒に踊るゴンダンスに象徴されるように、スタンドにまで魂を注入できる稀有な存在でした。写真は、2002年日韓W杯の時のものです。予選リーグ第2戦ロシア戦、1点リードの後半27分、満を持してゴンが投入されます。場内はナカヤマコールの合唱でボルテージが一気に上がり、最小得点リードでの重苦しいムードが吹き飛ばされます。ピッチ、スタンド一体となり、そのままロシアの猛攻をしのぎ切って、見事W杯初勝利を手にします。ゴンの魂注入が大きく寄与しました。
筑波大卒業後ヤマハ発動機に入社。ヤマハ発動機サッカー部(後のジュビロ磐田)が初年度Jリーグ加盟チームの選から漏れた際、エスパルスからの誘いを断ってヤマハに残留するなど男気の強い人物であり、以後、ジュビロ一筋のサッカー人生でした。しかし、2009年シーズン終了時にジュビロから戦力外通知とともにスタッフでの残留を要請された際には、現役続行を優先し、ジュビロ退団を決意します。しかし、移籍先のコンサドーレでは、膝の怪我もあり、満足な結果を残すことが出来ず、今回の現役引退に至りました。「いい時に引退した方がいいと考える人もいますが?」という質問に「僕の場合は、自分の『いい時』がいつだったのかわからない。いつも『もっと上に行けるはず』と思っていたわけで」と答えています。本人も認めている通り「下手くそ」で足元の技術は決して上手いものではありませんでした。(「利き足は?」の質問に「頭」と答えています。)ただ、ゴール前での消える動き、ボールを受ける体の角度など、あらゆる面で成長し続けたプレーヤーでもありました。フランスW杯時の盟友、山口素弘も「30歳過ぎて技術的にうまくなった選手は他にいない」と語っています。
日本サッカー史に大きな足跡を残した選手ですが、最も大きな功績は、性別年齢を問わず多くの人に愛され、サッカーファンの層を飛躍的に広げたということだと思います。反町姫もその中の一人です。「ゴンちゃんがいなければサッカーを好きになっていたかどうかわからない。キャプテン翼の読者で終わっていたはずでした。」というメールを頂きました。サッカーの伝道師であり、サッカーを通じて人々に勇気を与え続けたアスリートでした。「今後しばらくの肩書は?」との質問に「評論家というのがあるんだったら、情熱家でもいいんじゃないですか?サッカーに対する情熱と、そこにかける意気込みは一生変わりませんから。」
情熱家ゴンにはタイムアップのホイッスルはありません。

2012年12月2日日曜日

北投温泉 - 台湾紀行本編2

台北市街から車で30分程北上したところに「新北投温泉( シンベイトウ ウェンチュエン)」があります。北投温泉の歴史は古く、1896年に最初の温泉旅館「天狗庵」が開設され、日露戦争の際には日本軍傷病兵の療養所が設置されています。日本統治時代は隆盛を極め、芸者の置屋が軒を並べ、「台湾の熱海」と呼ばれていました。戦後も温泉街として人気が高く、最近では、日本の老舗有名旅館「加賀屋」も進出しています。町の中心に位置する親水公園の中に水着で入る露天風呂があり、また、高級温泉旅館の日帰り入浴を楽しむという手もありましたが、今回は、町の銭湯ともいうべき「瀧乃湯(ロンナイタン)」(写真上)に向かいました。
1907年に開業した瀧乃湯は、築105年。建物は殆ど増改築が行われておらず、日本統治時代の面影をそのまま留めています。番台のおじさんに90元(約300円)を払って、男湯の引き戸を開けると、なんとそこはいきない浴槽。洗い場の端に踏み板が2枚敷いてあり、そこで脱衣して、お風呂に入ります。踏み板の真ん中では、小太りのおじさんが子供用のスポンジマットの上で体をペチペチ叩いています。いかにも地元の常連さん達の視線を浴びながら、浴槽にそろそろと足から入ると、予想外の熱湯。硫黄臭の強酸性のお湯はそれだけでも肌を刺すのに、まさに痛みをともなう熱さ。思わず「あち~っ」と悲鳴をあげると、ゴマ塩頭のおじいさんが、相好をくずして「アツイ、アツイ」と日本語ではやしたてます。熱い温泉では湯船の中で体を動かしてはいけないというのが鉄則ですが、ついつい手で煽ぐような仕草をしてしまいます。その度に「ほぅ、ほぅ」とゴマ塩頭が隣で揺れます。
早々に浴槽から退散し、浴場の外のベンチで火照った体を冷ましていると、浴場の敷地の片隅にひっそりと石碑(写真下)が建っているのに気がつきました。石碑には「皇太子殿下御渡渉記念」の文字が。昭和天皇が皇太子時代にこの地を訪れたことを記念し、建立されたものです。何の手入れもされておらず、ほったらかしのままですが、碑が残っていること自体が貴重です。同じ日本の統治を経験している中国や韓国では考えられないことです。尖閣諸島の領土問題でギクシャクしているとはいえ、台湾の対日感情の良さを象徴している石碑といえるかもしれません。滞在中歓待してくれた菜心のママ、そして、ドライバー役を務めてくれたママの弟さんをはじめ、本当に台湾の皆さんは暖かく接してくれました。心も体も芯から温まった台湾旅行でした。

2012年11月13日火曜日

豚の角煮と白菜 - 台湾紀行本編1

中華料理での豚の角煮と白菜の取合せはいかにも美味しそうですが、台北の故宮博物院でも最も人気の高い展示物が正にこの2つです。この角煮と白菜は、3階のギャラリー302、巧彫玉石コーナーに、並べて展示されており、人だかりが絶えることはありません。このコーナーの名称は、「天人合唱」。自然素材の色合いや形状などの特質を活かしながら、人の巧みを加えて、工芸作品を創り上げるという「自然と人の均衡と調和」が理念となっています。素材の玉石から得たインスピレーションも、天からの啓示として、作品の重要な一要素をなしており、天然素材、インスピレーション、人の匠みの技の三位一体が、この巧彫玉石を生み出すと説明されていました。まず、豚の角煮「肉形石」(写真上)ですが、素材は幾層もの模様が重なった碧玉類の鉱物です。創作者は、まずその表面に無数の穴を穿つところから作品作りを始めました。表面にびっしりと毛穴が配されたことにより、無機質な鉱物に有機的な息づきが与えられました。更に最上層をわずかに赤褐色に染めることで、醤油が浸みこんだ皮を表現しています。そこまで出来上がれば、その下の層は誰がみても、肉汁したたる赤身肉に脂肪がとろけている肉片そのものです。一方、白菜「翠玉白菜」(写真下)ですが、素材は白色と緑色が半分ずつ混ざった翡翠です。ただ、ところどころに亀裂があり、また、色がまだら模様となっている為、装飾品に加工するには欠陥が多すぎます。ところが、インスピレーションがこの欠陥を特質に変えます。創作者は、この石を白菜に見立て、亀裂は葉脈の一部とし、斑点を霜にあたった跡としました。上部両側面の緑の濃い部分は、イナゴとキリギリスを彫って、天然の色を活かしています。この置物は、清の第11代皇帝光緒帝(西太后の傀儡皇帝)の后妃、瑾妃の嫁入り持参品であり、白菜は純潔を意味し、2匹の虫は多産を祈念したものであると言われています。寓意まで与えられ、この工芸作品は完璧なものに仕上がったわけです。写真の上部にキリギリスが彫られていますが、実は、羽が両方とも半分のところでちょん切れています。折れてしまったにしては、切り口があまりに滑らかなので、最初から羽が切られた状態で彫られているようです。観賞用に飼育する為に、逃げたり喧嘩したりしないように羽を切っていたのかもしれません。あるいは、白菜から飛び立たないようにとの創作者の思いがこめられているのかもしれません。
故宮博物院でもうひとつ時間をかけて観たのは、「院本清明上河図」でした。これは、「とても素晴らしいから、絶対に観なきゃいけない」と菜心のママに無理やり連れていかれたものですが、大感動でした。これは、北宋の都開封の場内外の賑わいの様子を描いたものです。約12mの絵巻に当時の風俗が衣食住全ての面にわたって、実に細かい筆使いで克明に描きこまれています。汴河を下流から上流に遡り、ようやく城内に辿り着いた頃には、僅か11mを移動するうちに、上質の歴史長編映画を観終わったような軽い疲労感を覚えました。素晴らしい芸術作品であり、優れた風俗史料です。
このブログを書きながら、調べて判ったのですが、実はこの「院本清明上河図」は北京の故宮博物院所蔵の「清明上河図」の模倣本ということです。(題材を模倣したとはいえ、作品そのものはオリジナルに劣るものではありません。)また、上記の「肉形石」、「翠玉白菜」に北京の「清明上河図」を加えて、故宮博物院の三大至宝と称するそうです。菜心のママのお陰で、またしても、大変な贅沢な美術鑑賞をさせて頂きました。本当に「天人合唱」を地でいくようなインスピレーションに満ちた不思議な方です。(台湾紀行、更に続きます。)

2012年11月7日水曜日

菜の心 - 台湾紀行プロローグ

2度目の台湾旅行です。今回も菜心のママにお世話になりました。「菜心」という名の台湾料理のお店が大久保駅から小滝橋通りに抜ける路地裏にかつてありました。台北出身のママ1人できりもりしている目立たないこじんまりとしたお店でしたが、とても人気があり、10数名入って、満員状態の時も度々ありました。そんな時も、ママ1人で調理と給仕をこなし、その手際のよさは驚異的でした。どこから手に入れたのか、台湾独特の食材を調理してくれたり、日本では手に入らない果物をデザートに出してくれたり。料理の味・量・サービス全て満点の個人的には5つ星のお店でした。3年ほどお店を出した後、思うところがあったのか、店を譲って、台北に帰ってしまいました。しかし、その後も時々来日され、その度に、常連仲間と一緒にお会いし、楽しいお酒を飲ませてもらっていました。
彼女は、台北市郊外の茶園農家の3男6女の次女として生まれました。祖先は100年以上前に福建省から台湾に渡り、南港包種茶を起こした由緒正しい家系の末裔であり、七代目にあたるそうです。名家とはいえ、当時の農家の暮らしは決して楽ではなく、彼女も靴を履かずに1時間程かけて山麓の学校に通っていました。途中、炭鉱があり、道に石炭ガラが転がっていて、足の裏が痛いのと、夏は焼けて熱いのには、往生したそうです。彼女は、走るのが得意で、4年生の時、学校の代表として台北市の大会に出場することになりました。晴れの舞台に裸足では可哀想ということで、お母さんが靴を買ってくれました。とても喜んだ彼女は、絶対に1位になろうと必死に駆けましたが、結果は2位。帰り道、泣きながら川で靴の汚れを洗い流し、来年こそ、この靴で1位になろうと心に誓ったそうです。そして、1年後、大切に大切にしまっていた靴をいざ履こうとしたら「足が大きくなっていて、入らなかったよ」破顔一笑、いつもの笑顔で語ってくれました。彼女の2足目の靴は、学校を出た後、家計を助ける為に町の工場で働き始めた際に買ったものでした。そこでの真面目且つ機転の効いた仕事振りが認められ、マレーシア工場に赴任。その後日本の会社に移り、そのまま、日本で暮らすようになりました。
お店を畳んで、ある程度の蓄えと共に故郷に戻った彼女ですが、農村独特の保守的な土地柄、周りは必ずしも温かく迎えてはくれませんでした。成功者へのやっかみもあって、口さがない噂を立てられたこともありました。そんな中で、彼女は、かつてお茶畑だった実家の周りを耕し、「菜心の菜園」と名付けた菜園(写真)を拓きました。食材(菜)の心を何よりも大事にした彼女が、今度は菜の心に耳を傾けながら、野菜を育てようというのです。(続く)

2012年10月29日月曜日

Nanami's Eye - ザックジャパン5つの課題

元日本代表10番、名波浩。いまやセルジオ越後とのダブル解説が定番となり、中継の中で「ナナミ、・・・・。名波さん」と判を押したように、セルジオ越後から呼捨てにされた後、取ってつけたような「さん」づけをされて呼ばれています。しかし、解説の的確さは、セルジオ越後をはるかに凌ぐレベルに達しています。Sportiva Web版「名波浩の視点」でも、欧州遠征2連戦で浮かび上がってきたザックジャパンの課題を「世界に勝つために必要な『5箇条』」として、的確に判り易くまとめています。多少乱暴に要約すると以下のようになります。
 1.「ここで取りに行こう」「ここは止まっておこう」というメリハリのある守備
 2.攻撃時のボランチの豊富な運動量と決断力
 3.カウンターの際のスピードと判断の速さ
 4.シュートの意識
 5.時間帯によって変化をつけたサッカー
名波が提起したザックジャパンの課題について、考えてみました。まず、4つ目の課題として挙げられたシュートの意識は、以前からの課題ですが、最近は随分改善されてきたのではないでしょうか。自己犠牲が称賛される日本では(それが日本の強みでもありますが)、ゴール前でシュートよりパスを選択するFWや、前線からの守備に疲れ果てて、いざシュートという時にパワーが残っていないFWも評価されますが、欧州リーグでは、とにかくゴールという結果が全て。そんな環境でもまれた本田や岡崎、そして、香川は、シュートへの意識が飛躍的に高まり、それが代表全体に浸透しつつあります。
その他の課題は、「勇気ある決断」「判断の速さ」「変化をつけたゲームコントロール」というキーワードに集約できると思いますが、いずれも次元の高いテーマであり、これらが課題に挙げられていること自体に、名波が、日本代表の急速な成長と現代表のポテンシャリティの高さを評価していることが、示されています。
悩ましいのは、第2の課題として挙げられているボランチの攻撃力です。名波は、遠藤・長谷部のダブル・ボランチをブラジルのボランチ、パウリーニョとラミレスと比較していますが、むしろ、自らの現役時代と重ねて、理想のボランチ像をイメージしているのかもしれません。欧州の一流リーグでは、もはや守備的MF=ボランチという言葉は死語になろうとしています。中央スペースを上下動して守備・攻撃両面での起点となるという、サイドバックの中央版ともいうべき、セントラルMFが主流となりつつあります。このポジションは、なでしこでいえば、澤穂希ですが、サムライ・ブルーの場合人材を欠きます。遠藤・長谷部に今以上の運動量と攻撃力を望むのは酷でしょう。唯一可能性があるのは、本田のボランチへのコンバート。本田がジェラードをイメージしたプレーをし、遠藤が守備面でカバーすれば、中央のスペースが埋まります。両翼の内田、長友をハーフに上げ、香川トップ下、岡崎、前田のツートップという3-4-1-2の変形3-4-3の布陣は、世界と戦う為に完成させなければならないザックジャパンのオプションではないでしょうか。

2012年10月23日火曜日

帰ってきたウルトラマン ‐ 拓郎復活

(注)本ブログの内容には、コンサートでの演奏曲及びMCの内容等ネタばれの情報が含まれています。これからコンサートに行かれる方は、この点、ご承知の上、お読みください。・・・拓郎が3年振りにステージに戻ってきました。3年前、コンサートツアーを途中で中止し、以来ライブから遠ざかっていた拓郎の満を持しての復活ライブです。その間に2枚のニューアルバム(除くライブアルバム)をリリースし、坂崎幸之助とのオールナイトニッポンGoldでの掛合いは絶好調。「完全復活」が問われる今回のコンサートツアー初日、東京国際フォーラムAホールでした。
アラカン世代にとって、ウルトラマンと並ぶ絶対的なヒーローである拓郎も66歳。心身ともに体調が懸念される中、本人のみならず、観客にとってもどこか落ち着かない開演の瞬間でした。緊張のオープニング曲は、何と「♪ドゥ~ビ ドゥビ ドゥビ エマニエ~ル」映画エマニエル夫人のテーマ曲でした。先日逝去したシルビア・クリステルへの追悼曲。これで会場の緊張を緩めた後、実質的なオープニング曲「ローリングストリートキャフェ」。そして、その後に掟破りの逆サソリ、何と「落陽」。会場、戸惑いながらも総立ち。普通であれば終盤近くまで温存しておくべきこの歌を出だしにもってきて、いきなりトップギアにシフトしたのを、拓郎はこんな風に語っていました。「エンディング曲を歌ってしまいましたので、後のステージはオマケみたいなものです。皆さん、ご自由にご歓談下さい。僕は、勝手にステージで歌っていますので・・・」拓郎らしいジョークですが、多少なりとも本心だったと思います。3年振りのステージ、しかも、前回は途中で体調を崩しての中止。声は本当に出るんだろうか?会場の雰囲気に馴染んで、のっていけるのだろうか?不安だらけの手探りのステージだったと思います。だからこそ、のっけから伝家の宝刀「落陽」で自らと会場のテンションをピークに持っていったのではないでしょうか。(ちなみに、拓郎は、ラジオの中で、「『落陽』は出だしを歌えば、後はファンが勝手に後を歌ってくれるからこれほど楽な曲はない」と語っていました。)コンサートの中盤で「いい曲なのに、どうしても気持ちがこもらない曲がある。気持ちが乗らないから、演奏もドタバタになる。聴いてみたい?時間つぶしで」と、歌い出したのが「ふゆがきた」。加藤紀子への提供曲です。かなりの拓郎マニアでなければ、知らないと思います。案の定、会場は、ちょっと白けた雰囲気に。これは拓郎もこたえたんじゃないかな。その後は更にペットボトルを口にする回数が増えました。しかし、拓郎はやっぱり拓郎。ギターを両手で鷲づかみにし、仁王立ちで声を絞り出すようにして歌ってくれた「流星」「外は白い冬の夜」には魂が揺さぶられました。66歳が歌う「リンゴ」に青春の甘酸っぱい香りを感じました。昔は、むしろ抑えて歌うことで逆に感情のほとばしりを増幅させて伝えていた拓郎が、今は、絞り出すような歌声そのものに自然に全てが込められているような純化・昇華を感じました。また、最初にグッと盛り上げておいて、最後はしっとりと余韻を残して終わるという構成は、平均年齢60歳前後の観客層には十分アリだったと思います。青春時代の恋人に30年振りに出会ってお話ししたような何かぎこちない雰囲気でしたが、ヒーローがヒーローだったことを再認識し、素晴らしい齢の重ね方をしていることを確認することが出来たコンサートでした。5,000分の1の拍手ではありましたが、僅かでも拓郎にエールが届いたかなと・・・。貴重なチケットを割いて、コンサートに誘って頂いたDr. Steveには大感謝。ラストの「外は白い雪の夜」は、内田篤人とY子さんに聴かせたあげたかった・・・。

2012年10月17日水曜日

ブラジル戦 ‐ 世界との距離

2006年ドイツW杯グループステージ最終戦、ブラジルとの対戦は、玉田の一撃で先制しながら、結果は1‐4。試合終了後、顔をおおってピッチに横たわったままの中田の姿が記憶に焼き付いています。まさしく、「惨敗」の二文字が相応しいゲームでした。6年の時を経て、今回のブラジル戦は同じ4ゴールを奪われ、更に完封負け。スコア的には前回を下回る結果でした。しかし、日本代表の選手達の表情に6年前のようにブラジルに蹂躙された無力感はありませんでした。むしろ、自らの実力を出し尽くした爽快感すら感じました。シュート数はブラジル15に対して日本9と、決して少なくありませんでした。逆にコーナーキック数は、ブラジル2に対して日本10と圧倒しており、少なくともゴール近くまで度々攻め込んでいたことを如実に表しています。ボールポゼションはほぼ互角だったと思いますし、ブラジル陣内であれだけパスを回せるチームはめったにいないと思います。6年前に比べて日本代表の大きな成長を感じました。親善試合だからこそ出来たことではありますが、強豪ブラジルとがっぷり四つに組んでわたり合おうとした日本代表は、少なくともメンタル面では、サッカー強豪国の仲間入りを果たそうとしています。
ただ、課題も見えてきました。ブンデスリーガで絶好調の清武と乾ですが、まだまだ世界レベルではないことは認めざるを得ません。アジアというモノサシではなく、世界というモノサシで測ることができたことが、今回の欧州遠征の大きな意義になりました。ハーフナー、清武、乾は残念ながら及第点に届かず。その意味で、佐藤寿人を試さなかったのが如何にも残念でなりません。課題として痛感したのは「ゴールに向かう姿勢」の差。ブラジルの先制点が象徴的でした。日本代表が細かいパス回しでブラジルDF陣を崩そうと四苦八苦していたところを、ブラジルは、日本DF陣を崩す手間など面倒とばかりにパウリーニョが25m近いトゥーキックでのミドルシュート。日本代表のレパートリーには入っていない攻撃パターンでした。日本代表の課題として、よく「決定力」という言葉が使われますが、そこに行きつく前の「崩し」に神経を集中する余り、肝心のシュートという「決定」的瞬間に集中力が散漫になってしまっている感があります。ゴール前のパスがひと手間多いという悪癖もこの「崩し」への過度のこだわりが原因だと思います。この「結果よりも過程」は日本人の特質ではありますが、この呪縛から抜け出すことが「決定力」を上げる重大な要因ではないかと思います。もうひとつ目立ったのが、同じパス回しでも、ブラジルのパスが7m前後での距離感なのに対して日本の場合には5m以内だという点。パススピード、精度という技術的な差によるものでしょうが、「守備はコンパクトに、攻撃はワイドに」がサッカーの基本。如何に攻撃の際のパス交換距離を広げ、相手守備陣の穴を広げていくかも、今後の課題でしょう。こうやって、課題を挙げていくと、本田(写真)は試合後「点差程のチーム力の差は無い」と語っていましたが、現段階では、結果的に妥当な点差だったのではないかと思っています。課題が見え、そして、日本代表は確実に成長を遂げていることが確認できました。ブラジル戦はザックの思惑通り、意義深い対戦となりました。世界はまだ遠いが、背中が見える距離にあります。


2012年10月14日日曜日

And Your Bird Can Sing

The Beatlesの中期の曲に「And Your Bird Can Sing」という楽曲があります。1966年にリリースされたアルバム「Revolver」に収録されている曲です。ツインリードギターでのリフレインの演奏が秀逸で、お洒落なメロディラインの名曲だと個人的には思っていますが、評価が分かれ、一般的にはそれ程人気のある曲ではありません。作者のジョンも、後に「つまらない曲で、ゴミ箱行きの曲だよ」と斬り捨てています。歌詞は、
♪ あなたは欲しいものはすべて手に入れたというけど
  私を手に入れてはいない  
  あなたは世界の七不思議を見尽くしたというけど
  私を見ることは出来ない
  あなたの宝物が重荷になってきたら
     私の方を向いて
  私はいつもあなたのそばにいるから
といった具合の一見安っぽいラブソングです。ただ、気になるのは、曲のタイトルにもなっている「And Your Bird Can Sing」のフレーズ。ヒントになるのが第2フレーズの「And your bird is green」。普通に訳せば「あなたの小鳥は緑色だね」なんですが、これでは意味をなしません。Greenには「世間知らず」とか「青ざめている」という意味もあります。「あなたの小鳥は世間知らずなんだよね」とか「あなたの小鳥は青ざめているよ」という風に訳して、「そして、あなたの小鳥は歌うことが出来る」の訳と重ねると、この「小鳥」とは、実はThe Beatlesなんじゃないかと解釈されます。だとすると、この「You」は小鳥の飼い主であるブライアン・エプスタインということになります。
当時、The Beatlesは、アイドルから世界的なミュージシャンへの過渡期にありました。前年リリースしたアルバム「Rubber Soul」に続いて、{Revolver」という音楽性の高い実験的なアルバムを発表し、独自の音楽世界を築きつつありました。もはや、その生み出す楽曲は、当時のステージでの再現は不可能であり、実際、ライブを中止し、スタジオでの音楽作りに専念するようになっていました。この曲「And Your Bird Can Sing」は、彼らのそんな思惑を無視して、世界ツアーを企画し、彼らを数々のステージに引き回してきたマネージャーのブライアン・エプスタインを揶揄した曲だったのではないでしょうか。歌詞は続きます。
♪ 小鳥が傷ついたら あなたは悲しむのかな
     むしろ目が覚めるかもしれないね
これは、ジョンのエプスタインに対する精一杯の皮肉だったのかもしれません。
そのエプスタインは、翌年の1967年8月にアスピリンの過剰摂取で突然の死を迎えます。検死の結果、事故として処理されましたが、同年9月末にはThe Beatlesとのマネジメント契約が期限切れとなることもあり、自殺ではないかとの説も根強くささやかれています。
改めて聴いてみても、この曲のメロディはやはり素晴らしいと思います。その曲に、つまらない詞をつけてしまったという悔恨の思いが冒頭のジョンの「ゴミ箱行き」発言に繋がっているのかもしれません。
ところで、ちょっと前のブログで内田篤人と拓郎の「外は白い雪の夜」の話題を取り上げましたが、朝日新聞の内田のインタビュー記事に「休日は家にこもって音楽を聴いている。対象は安室奈美恵から吉田拓郎まで幅広い」と紹介されていました。

2012年10月13日土曜日

フランス戦 ‐ 「青」の誤算

デシャンフランス代表監督は、試合後の会見で「格上の相手に負けたのなら落ち着いていられるが、今日はそうではない」と文字通り落着きを失ったコメントをしています。W杯欧州予選の大一番スペイン戦に向けて弾みをつける一戦にするつもりが、よもやの敗戦。フランス代表(Les Bleus‐青‐)にとっては、大きな誤算でしたが、ゲームの中でもいくつかの誤算が重なりました。まず、仮想スペインとして、日本のパスサッカーを予想していたのが、前半は完全に日本が委縮して、パスサッカーどころではなかったこと。その前半に14本のシュートを放ちながら、得点できなかったことが第二の誤算。フランスが圧倒的にゲームを支配していた前半のうちに先制点が入っていたら、ゲームは全く異なった展開となり、11年前のサンドニの悲劇(0‐5の惨敗)が再現された可能性もあったと思います。第三の誤算は、高さを活かせなかったこと。スペイン戦を考えても、高さはフランスの強力な武器になるはずです。ところが、コーナーキックという高さを活かす絶好のチャンスが15回もありながら、ゴールを割れず。これはかなりショックだったと思います。コンディションが良くなく、温存を予定していたリべリを投入せざるをえない展開になったのも誤算のひとつ。ただ、リべリが入って、中央突破から日本のDF陣が崩されるシーンが増えただけに、もう少し早く投入していたら、結果が違っていたかもしれません。また、吉田のペナルティエリア内でのジルーへのチャージをPKを取ってもらえなかったのも、ホームゲームでの誤算といえば、誤算でしょう(ただ、審判がスコットランド人ですから、英仏の関係を考えるとホームタウンデシジョンは期待出来なかったでしょうが)。もうひとつのブルー、Samurai Blueも誤算だらけでしたが、その誤算を何とかしのいだのが勝因でした。誤算の第一は、やはりフランスの名前に怯えてしまったこと。いつものように前線からの積極的守備が出来ませんでした。ただ、サイドに追込む守備を最後まで徹底し、フランスの攻めをサイドからのクロスという単調な攻めに限定させ、ゴールを守り抜きました。第二の誤算は、アジアで猛威を奮ったハーフナー・マイクの高さが、世界には通用しなかったこと。前線へのくさびのパスが全く収まらない状況では、厚みのある攻撃は困難です。ワントップは前田の一枚看板でいかざるを得ないのか、本田をFW起用するのか、あるいは、岡崎や佐藤寿人のような裏に抜けるタイプのFWに託すのか、ザッケローニは決断を迫られそうです。そして、最大の誤算は、自分達らしくないサッカーで勝ってしまったことでしょう。大方の予想は、日本らしいサッカーを展開しての惜敗。その逆になってしまったことをどう受け止めるかが、日本サッカー界につきつけられた難問といえるでしょう。私自身、アウェイでフランスに勝ったという歴史的勝利を目の当たりにしながら、日本代表のゲーム運びに満足できず、素直に喜べない自分に戸惑っています。
デシャン監督は、コメントの中で更にこう語っています。「我々が試合を優位に進めていたが、点を決められず、最後に罰を受けた。」プラン通りにならないのがサッカー。ただ、その誤算にどこかで折り合いをつけていかないと、最後に惨酷な結末が用意されているのもサッカーです。
ところで、日本のあの得点は見事でした。今野の60m近いドリブルでの攻め上がり。並行して左サイドをフリーで駆け上がる乾。右サイドから中央に切れ込む香川。その空いたスペースに駆け上がる長友。首を振って周りを確認していた今野ですが、長友までは見えていなかったそうです。ただ、香川の動きで察知し、左サイドでフリーになっていた乾にではなく、右サイドのそこにいるべき長友へのスルーパスを選択しました。長友のダイレクトクロスを香川が倒れ込みながらシュート。すべてがジクソーパズルのピースのようにピタッとはまって生まれた美しいゴールでした。

2012年10月9日火曜日

Project SM@SH II

連休中に伊豆に行ってきました。登山・秘湯仲間のN隊長とシェフパTと一緒に、会社の先輩Mさんの中伊豆の別荘にご招待頂き、バーベキュー・温泉・テニスを楽しんできました。毎回恒例のプロジェクト名は"SM@SH II"。「SM(イニシャル)さんの@SH(Second House)での優雅な生活にごご相伴させて頂いて、テニスコートでスマッシュを決めよう」の2回目(II)という安直なものになってしまいましたが、2年前の前回とは一味違った、想い出深いプロジェクトとなりました。別荘の近くに伊豆市公営の温泉施設「万天の湯」と付帯施設のテニスコートがあります。高原のテニスコートで爽やかな汗をかいて、富士山を眺望しながら(当日は雲で見えず)弱アルカリ性の温泉で汗を流すという最高の施設です。しかし、テニスコートは、オムニコート7面のうち4面は手入れされないまま放置され、サーフェースが至る所で剥げ、雑草が茂っているという有様。残りの3面もネットはボロボロで、ところどころコードワイヤーに紐で結びつけられていました。万天の湯の周りでヤギが3匹放し飼いになっており、植木の葉や下草を食んでいました。万天の湯の管理人のおばさんが飼っているヤギで、夜は家に連れて帰るということでした。連休中にも拘わらず、いかにも寂れた風情が漂っていましたが、案の定、現在、入札で売却先を探しているとのこと。売却最低予定価格は約60百万円です。来年の秋口までにどこかのリゾート運営会社が買い取って、再生してくれるといいのですが。
帰路立ち寄ったのが、写真の北川(ほっかわ)温泉のこれまた公営の黒根岩風呂。海抜0m、波の飛沫が舞い散る波打ち際に掘られた豪快な露天風呂です。水平線に伊豆大島が浮かび、その向こうに遥かアメリカを望むということで、キャッチコピーが「アメリカを見ながら入る野天風呂」。伊豆でのレジャーの帰りに最後の伊豆を堪能する絶好のスポットといえます。ただ、難点は、もう下界に戻りたくなくなること。体の隅々まで温泉の温もりと潮の香に満たされ、雄大な気持ちになれる別の意味でのパワースポットです。夕食は、早川港の定食屋「大原」で絶品のアジフライと金目鯛の煮付けを堪能して、Mission Complete!
何の気兼ねもない仲間と、Opus Oneと純米酒「戦勝正宗」でほろ酔い気分になり、UNOとテニスに興じ、2つの温泉を巡って、思いっきり、心も体も弛緩出来た伊豆の休日となりました。SMさん、N隊長、シェフパTに感謝。ふやけた脳みそでは、気の効いた纏めも出来ず、目一杯単なる日記のブログとなってしまいましたが、ご容赦を。
そうそう、伊豆で朝のジョギング中、JogBoyを起動していたiPhoneに嬉しいメッセージが。Dr.Steveから拓郎のライブへのお誘い。先行抽選予約で外れ続け、発売当日もネットが繋がらず、チケットが取れずに諦めていただけに、嬉しさもひとしお。Dr.Steveにひたすら感謝。