2012年3月26日月曜日

田中達也ストーリー

「達也引退」と言っても、我が家の愛車達也号(写真)の引退です。浦和の田中達也選手が代表デビューした当時に購入し、「達也号」と名付けました。本人同様小さな体で切れ味鋭く動きまわり、よく頑張ってくれましたが、終始、怪我(擦り傷、へこみ)に悩まされたのも本人譲り(?)でした。7年間の酷使で、さすがにガタがきたようなので、かなり気にいっていたのですが、買い替えることにしました。最初に乗った赤いシティ以来ホンダ製の車一筋でした。その中でも、このジャパン・ブルーのシビックは一番思い入れのある車でした。週末の富士へのラストランも良く走ってくれました。ホンダの国際戦略車だったシビックも、国内向け生産は既に2年前に終了し、38年間の歴史に幕を閉じています。我が家の愛車の引退も時代の流れと言えます。後継は、2012年代表ユニフォームカラー、ディープブルー(赤線は入っていません)の「(香川)真司号」となり、今週末納車の予定です。
さて、田中達也。大好きなプレーヤーです。山口県から名門帝京高校にサッカー留学し、入学当初は、周りの選手と自分の能力の差に絶望感を味わったと語っています。全国から集まったエリート集団の中で、小柄な体故に劣等感に苛まれたことは、想像に難くありません。しかし、彼は、得意なドリブルに活路を見出そうと日々ドリブルの練習に励み、2年時にレギュラーを獲得し、エースとして、チームを高校サッカー選手権準優勝に導いています。2001年浦和レッズ入団。2003年ナビスコ杯MVP、ニューヒーロー賞ダブル受賞。2004年アテネ五輪代表を経て2005年からA代表に召集、と順調すぎるステップアップでしたが、小柄なドリブラーの宿命で、ファウルを受けて負傷することも多く、2006年以降は怪我の治療などでシーズンの半分以上を欠場しています。期待されてのA代表デビューを考えると、国際Aマッチ16試合出場、3得点の記録は残念でなりません。メキシコ五輪当時の杉山隆一以来、好きなプレーヤーは、小柄でスピード豊かなウィンガータイプでした。吉原宏太、坂田大輔、石川直宏、佐藤寿人、田中達也・・・。消えていった日本代表スピードスターの系譜でもあります。そして、ダイナミックな攻撃が身上の浦和レッズでさえパスサッカーを志向し、コンパクトな守備が全盛の時代、ドリブラーが輝きにくい状況にあることも確かです。その中で、FC東京の石川が復活しつつあります。一人ワンツーのような球足の長いドリブルでピッチを切り裂く様は、デビュー当時からのファンとして爽快そのものです。田中達也にも輝きを取り戻して、代表に復帰し、石川とともに、後半25分のジョーカーとして活躍して欲しいと願っています。

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