片倉館の「片倉」は、養蚕業・製糸業で財をなしシルクエンペラーと呼ばれた片倉財閥からきています。大正11~12年に二代目片倉兼太郎社長が欧米を視察した際、欧州の各農村に充実した厚生施設があるのに感銘を受け、帰国後、創立50周年事業として、上諏訪の地に、地域住民の保養・社交・娯楽を目的とした温泉施設片倉館を建造しました。現代で言えば、立派な地域貢献、CSR事業です。明治人らしい、あるいは、信州人らしい、片倉兼太郎の純粋さと一徹さを感じます。片倉財閥は、戦後の財閥解体で4大財閥とともに解散され、ついに再結集することはありませんでした。今では、片倉館の威容に往年の名残りを留めるのみです。
私のごく親しい友人に信州出身者がいます。信州人の御多分に漏れず、理屈っぽく、一徹で、口やかましく、それでいて憎めない性格です。多少のお世辞を交えて言えば、槍ヶ岳の孤高と、諏訪湖の奥深さを兼ね備えた人格の人物と言えます。彼は、諏訪清陵高という名門校の出身なのですが、同校は、戦艦大和の有賀艦長、戦艦武蔵の古村艦長という2人の海軍将校を輩出しているそうです。海の無い信州出身の同窓生が、帝国海軍の両巨艦の艦長になるまでの数奇な遍歴は想像だに出来ませんが、やはり、信州人は、どこか変哲で、一徹なところがあるという実証でもあります。「信州人の一つ残し」という言葉があるそうです。今風に言うと「遠慮の塊」。そんなところにも信州人の独特の美風が窺えます。信州の涼やかな風に吹かれていると、ガラスを研ぎ澄ましたような澄み渡った硬質な性格の人間が自然に生み出されるのでしょうか。そんなことを、片倉館の由来の看板を読みながら、思ったりしました。上諏訪温泉の片倉館という、もうひとつのK on Kに導かれて幕を閉じた充実したプロジェクトでした。
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