2010年8月12日木曜日

Project KonK Ⅱ- エピローグ

私たちの登山は、山歩きに、野外での調理を加え、必ず、温泉を絡めるという、軟弱派あるいはゆったり派登山です。今回も、締めは、山を下ってからの日帰り入浴。上諏訪の駅のそばには数件の日帰り入浴が出来る温泉宿がありましたが、N隊長が独特の嗅覚で選抜したのは、日帰り入浴専門の片倉館。これが、予想を大きく上回る秀逸な温泉でした。
写真の通り、建物はゴチックリバイバル調の洋館。昭和3年に建造された築80年を超える建造物です。風呂は内風呂のみですが、「歴史とロマン漂う」という謳い文句にたがわず、大理石作りの浴槽にステンドグラス、壁面にはロココ調の彫刻と、贅をつくした作りです。通称千人風呂の浴槽は、深さ1メートルの立ち湯で、底に大振りの玉砂利が敷きつめられています。千人はさすがに大袈裟でも、百人は浸かれる立派な浴槽です。これまで訪れた温泉の内風呂では、間違いなくダントツで1位の素晴らしい温泉です。
片倉館の「片倉」は、養蚕業・製糸業で財をなしシルクエンペラーと呼ばれた片倉財閥からきています。大正11~12年に二代目片倉兼太郎社長が欧米を視察した際、欧州の各農村に充実した厚生施設があるのに感銘を受け、帰国後、創立50周年事業として、上諏訪の地に、地域住民の保養・社交・娯楽を目的とした温泉施設片倉館を建造しました。現代で言えば、立派な地域貢献、CSR事業です。明治人らしい、あるいは、信州人らしい、片倉兼太郎の純粋さと一徹さを感じます。片倉財閥は、戦後の財閥解体で4大財閥とともに解散され、ついに再結集することはありませんでした。今では、片倉館の威容に往年の名残りを留めるのみです。
私のごく親しい友人に信州出身者がいます。信州人の御多分に漏れず、理屈っぽく、一徹で、口やかましく、それでいて憎めない性格です。多少のお世辞を交えて言えば、槍ヶ岳の孤高と、諏訪湖の奥深さを兼ね備えた人格の人物と言えます。彼は、諏訪清陵高という名門校の出身なのですが、同校は、戦艦大和の有賀艦長、戦艦武蔵の古村艦長という2人の海軍将校を輩出しているそうです。海の無い信州出身の同窓生が、帝国海軍の両巨艦の艦長になるまでの数奇な遍歴は想像だに出来ませんが、やはり、信州人は、どこか変哲で、一徹なところがあるという実証でもあります。「信州人の一つ残し」という言葉があるそうです。今風に言うと「遠慮の塊」。そんなところにも信州人の独特の美風が窺えます。信州の涼やかな風に吹かれていると、ガラスを研ぎ澄ましたような澄み渡った硬質な性格の人間が自然に生み出されるのでしょうか。そんなことを、片倉館の由来の看板を読みながら、思ったりしました。上諏訪温泉の片倉館という、もうひとつのK on Kに導かれて幕を閉じた充実したプロジェクトでした。

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