2012年7月8日日曜日

Project千中(田酒)八策その2 ‐ 棟方志功の世界

八甲田山、酸ヶ湯温泉、青森の旅のレポート第2弾が随分遅くなってしまいました。雨の為、八甲田山登頂を断念して、青森市内に繰り出したものの、正味半日の日程。慌ただしく、青森駅近くのワ・ラッセ館で「ねぶた」の山車(写真)を見て、タクシーで棟方志功記念館に向かいました。棟方志功は、青森市の刀鍛冶職人の三男として生まれ、少年時代にゴッホの絵に出会い、画家を志します。20歳で上京し、帝展などに油絵を出品しますが、落選が続き、その失意の中から、版画に新境地を開きます。彼は、木の声を聴き、木の魂を生み出していくという意味で、自らの芸術を「板画」と称しています。版木に覆いかぶさり、自らの魂を刻みこむように彫刻刀を打ちこんでいる姿は、鬼気迫るものがあります。もともと幼少の頃から囲炉裏の煤で目を傷め、極度の近視だったのが、長じてから眼病を病み、晩年は、片目の視力をほぼ失った状態でした。緑内障で視力を失いながら、まるで抽象画のような睡蓮の絵を描いたモネに通じるものがあります。両方の作品に共通しているのは、理屈抜きに魂に語りかけてくるというところです。
棟方志功記念館では、広重の東海道五十三次に着想を得た東海道各地の板画の連作を見ることができました。故郷の富士(吉原宿)の板画の構図は、富士山を背景に五月晴れにたなびくコイノボリ。富士山には、月見草以上にコイノボリがよく似合います。
志功の絵の原点は、少年の頃の凧の絵付けにあります。原色のまま二度筆を使わずに描きます。油絵から版画に向かったのは、必然だったのかもしれません。そして、ねぶたも彼の作品の重要な要素となっています。彼自身「ねぶたの色こそ絶対まじりけのないわたくしの色彩であります」と言っています。
祭りのある町は、独特な彩りを湛えています。青森市もいい色をしています。吉田拓郎は、鹿児島生まれ・広島育ちで、青森には縁がありませんが、「旅の宿」のモデルが青森の蔦温泉(※)のせいもあり、「祭りのあと」の祭りも「ねぶた祭り」ではないかと言われています。いつかは、ねぶた祭りを観て、「祭りのあと」をくちずさんでみたいと思っております。(※「旅の宿」は作詞者の岡本おさみが新婚旅行に行った蔦温泉で曲想を得たとされています。)

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